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【パンタナールの流れ星】 臼井洋名君の旅行記です。
鹿児島研修生五期 臼井洋明君のパンタナール旅行記を3回に分けてご紹介させていただきます との研修引受人の園田さんから下記原稿を『私たちの40年!!』MLに流して頂きました。臼井君は、苦労して母県鹿児島県人会の立派なHPを作り上げそのご褒美?とも云えるブラジルとボリビアに跨る世界の大湿原パンタナール地域を旅行させて貰ったとのことで、若い感受性の強い純真な気持ちでの大自然との接触が伝わってきて読んでいて心地よい。多くの若い人達にブラジルと言う人生の選択肢があることを教えて上げる機会を作っておられる同船者の園田さんに頭が下がる。
適当な写真を探しましたが見付からず結局臼井君のHPにある吼え猿の写真を使用する事にしました。


パンタナールのことは語りつくせないですが、思いつくままに書いてみます。

夜8時50分にサンパウロを出発、それからクイアバ到着が翌日の夜11時過ぎ。もうこの時点でちょっと日本では考えられない。凡そ26時間、一台のバスで延々と走る。それが退屈かと思えば、そうではない。ブラジルの大地は広大で、同じような景色がどこまでも広がっているのだけれど、だからこそ、その途中のちょっとした建物や人が印象深く映る。

 ぽつんと建てられた民家、農場の設備、トラクター、トラック、電線工事の人、中空を飛ぶ軽飛行機、そういった建物や人々が、時折ふっと目に飛び込んでくる。そういった人や物に想像力を働かせながら、ゆっくりと数えるように景色を眺めるのはなかなか面白い。サンパウロや日本では建物も人も混雑しすぎていて、それら一つ一つに想像力を働かせる暇はないとも思う。

 また、景色も変わらないと思っていたが、26時間も眺めていれば、色々な変化がやたらと目に付く。まずは天候。曇っていたと思ったら、いつのまにか晴れていて、かと思えば急に曇天に、雨が降り出した。あっという間に晴れ間がのぞいたと思ったら、その間からは大きな虹が僅かな間だけかかっていた。

 草原や農場が主な風景で、建物はあまり見当たらない。空は高く、地平線の際まで雲がせり出している。真っ白な入道雲と黒い雨雲が殆ど隣り合わせになっていたり、それらの変化を見ているだけでも結構飽きないものだ。

 26時間の窮屈なバス移動のため、ニ、三時間に一度、頻繁にバスは中継所などで休憩をとる。その度にちょっとカフェを飲んだり、軽食を食べたりする。景色を見るか、寝るか、本を読むかぐらいしかないのだから、なかなかに呑気な旅になる。

 それでも、日が落ちかかってくると、風景から目が離せないようになった。夕陽の赤い光彩で、雲が多様な色合いを帯び、それが変化していくからだ。
考えてみれば、日本で夕陽が落ちかけてから沈むまで、ゆっくりと眺めていたことはなかったと思う。あるいは、そういった記憶を反芻しなかったから忘れてしまっただけなのかもしれないが。

 飛行機であれば、数時間で目的地まで着くだろう。後でガイドの方が、「点と点を繋ぐ旅行」という表現をされた。バスでブラジルの広大さが少しは分かった気になり、「ブラジルの大地を飛行機で移動するのはもったいない」と思った。
しかしそれも、飛行機での「点と点を繋ぐ旅行」に対して「こういう風景を見て、こういうことを考えて、こうしてたどり着きました」そう言いたいだけなのかもしれない。言ってしまえば、バスでの旅も、出発先、目的地は決まっている、点と点を繋ぐ旅行であることに大差はない。

 旅と旅行の違いについて考えるとき、旅行は一時的な観光で、旅という言葉の響きに強い憧れ、ある種の浪漫を感じてしまうのは、「辿りついた」という、その道程への実感を欲するからだと思う。

 例えば、「振り返れば、曲がりくねってはいるものの、真直ぐな一本の線を描いていて、胸を張って『ここに辿り付いた』と言え、またそこから確かな軌道が見えているような生き方」そんな生き方ができたら素敵だと思う。そしてブラジルでは、そういった生き方をしてきた方に会うことが多い。私がその方々と同じ風景を同じ場所で見ていても、見えているものは全く異なる。それまで生きてきた重みや、これからもそこで生きていくという覚悟が異なるから。

 そんな人と出会う度に「貴方のように風景を見てみたい、貴方のように風景を想ってみたい」と感じていた。
このパンタナールの旅行でも、やっぱりそんな出会いがあった。

 11時過ぎにクイアバのパスターミナルに着いた。そこにはもうガイドの方が待たれていて、心配してバスの側まで近寄ってきてくれた。その方は四日間に渡ってパンタナールを案内してくれることになるのだが、その間、案内だけでなく、色々な話を聞かせてくださった。

パンタナールの名ガイド様
どうもお世話になりました。
貴方のように胸を張って「浪漫」を語れるように、このブラジルでの一年が、単なる観光ではなく、長い旅の確かな里程標となるように、残りの期間を大切に過したいと思います。

広い森を、数十センチ程度の高さに組まれた板敷きの道が続いていた。その高さに道が組まれているのは、雨期になると森が冠水するためだろう。その道を辿っていくと、これまた簡素で原始的にも見える木組みの展望台が。25メートルほどの展望台だが、階段は急、しかもマッチ棒で組み立てられたおもちゃのようで、強風が吹けば倒れてしまいそうに思えた。

頂上近くに近づくと現れたのが、写真にもある吼え猿の群れ。
六匹ほどの吼え猿の群れ(親子)が展望台の頂上で、そこを占拠するがのごとくに戯れているではないか!
しかも、すぐに逃げるかも思いやぜんぜん逃げない。かばかりか、図太く最上階への階段に居座り、動こうとしない始末である。

吼え猿の群れは、私達四人を恐れないだけでなく、むしろ興味津々で近寄ってくる。

ズボンの端を引っ張ったり、匂いをかいだり、足の周りで兄弟げんかを始めたり、そして小猿は、こちらが手(指)を差し出すと、手を伸ばし、その黒くて細い指で「きゅっ」とにぎってくれるのだからたまらない。展望台からの景色そっちのけで猿達と戯れてしまった。どうしてこんなに人懐こいのか、これが普通なのかと考えていたら、ガイドの方が、猿は人間が近づくと逃げてしまうのがあたりまえだが、ここの猿は人間が危害を加えないことを知っているので、無頓着なのだそうだ。そして、かつてガイドした人の中でも、ここで猿と遊ぶことができた人たちは初めてだとも。

猿の群れは、人が側にいることなど全く気にしない様子で時間を過ごしていた。

メスや子供の猿は毛がくすんだ金色をしているのだが、たった一匹だけ、少し離れた木の上から真っ黒い猿がこちら側をうかがっていた。その猿が群れのボスなのだそうだ。
その後、ゆっくりと展望台からの風景を眺め、抜群の夕陽のスポットへと移ろうと階段を下りるときも、まだ猿たちはそこにいた。

彼らのつぶらな瞳がまぶしかった。

パンタナール初日の夜、夕食を終えて夜の散歩に出た。

ガイドの方の車に乗せてもらい、ゆっくりと暗い道を進んだ。
バッテリーライトで外を照らしていると、ガイドの方がワニを発見した。ライトに照らされたワニは、首を持ち上げて横を向いたままぴくりとも動かない。ワニは夜に突然ライトを当てられると、視界が利かなくなって動けなくなるそうだ。ガイドの方はライトを私に預けると、そのまま車から出て水場に降りると、手掴みでさっとワニを捕まえてしまった。返ってきたその手には、小さなワニが握られていた。さらにその後もう一匹を捕まえると、両手に一匹ずつワニを握って帰って来た。

パンタナールはワニが頻繁に見られるらしく、少し時期が早ければ、無数にひしめき合うワニの群れを見ることも難しくはないそうだ。私達は水草の繁殖のおかげでそういった場面には出くわさなかったが、ワニが普通にそこいらを歩いていたり、水場を泳いでいたりするのは多々見ることができた。一方、アマゾンなどではそう頻繁にワニは見られないとも聞いたことがある。

車を降りて夜空を見上げると、ライトアップされたポザーダ(ホテル)では見えなかった星空が広がっていた。ポザーダは目と鼻の先なのに不思議なものだ。

所々に雲がかかり、天の川は見ることができなかったが、無数の星がかかった実に綺麗な夜空だった。

他の研修生二人が流れ星を見たというので喜んでいた。どこどこ、といって流れた方を捜したのだけれど、まあ当たり前だが、もう流れ終わった後だった。

その後、何だか悔しくなって首を廻しながら流れ星を捜したのだけれど、見つけることができなかった。二日目の夜の散歩でも、月明かりで多少星数の減った夜空で、私は流れ星を捜していた。
結局流れ星は見つからなかった。

後から、ふっと思った。「そういえば、願い事を用意するのを忘れてたな」と。



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