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「お〜い元気な姿をみせて!」 半世紀ぶりの同船者の集いを《大濱伸三さんらが呼びかけ》サンパウロ新聞より。
サンパウロ新聞WEB版に下記記事が掲載されていました。50年振りに元気な仲間を集めたいとのチチャレンガ号の同船者会の呼びかけを大濱伸三が行っているとの事。懐かしい人の名前を見付け出しました。大濱さんにはもう44年も前に彼が若くて張り切っておられた時の1962年にレシフェ訪問の際にお会いしてお世話になった方です。大濱さん達の50周年の集まりが実現するようであれば参加させて頂きたいと願っています。
トロントにお住みの丸木英朗さんも大濱さんにお世話になった方のお一人との事で邦字紙の威力、浸透力を感じさせられるサンパウロ新聞の報道です。
写真は、大濱さんがお住みのフォルタレーザの近郊にある綺麗な海浜の写真です。この海岸に毎日ジャンガーダと呼ばれる筏での猟を終えてペスカドール(漁師)が戻って来る景色が目に浮かびます。又行って見たい町です。


「お〜い元気な姿をみせて!」 半世紀ぶりの同船者の集いを
《大濱伸三さんらが呼びかけ》

 懐かしい顔と再会して、楽しかった船中生活などを回顧する同船者会が、毎年どこかで開かれている。この同船者会を計画し纏める世話人は普通、日系人が多いサンパウロ在住者が音頭をとることが多いが、一九五七年(昭和三十二)五月十四日、サントスに着いたチチャレンガ号の五十年ぶりの同船者会の呼びかけ人は、北米と東北伯セアラ州在住の二人。

 《1957年5月14日サントス入港 RILチチャレンガ号》

 二年前、どこで住所と電話番号を調べたのか、北米に住むチチャレンガ移住者の木村英雄さん(七一、福岡県出身)から、セアラ州フォルタ・レーザ市の大濱伸三さん(七四、広島県出身)に、五十年ぶりの同船者会開催の相談が寄せられた。 天理教の呼び寄せ単身移民で、渡伯二年後海協連(海外協力事業団)の現地採用職員でリオ支部に勤務する大濱さんと、、兄の構成家族で姉、姪、甥と共に移住しモジ・ダス・クルーゼスのHOWA DO BURAZILで働く木村英雄さんは歳も近く、船中では意気投合、ブラジルでも頻繁に文通し、近況を報告しあっていた。

 その後木村さんは、米国生まれの米国二世の兄が北米に渡ったことから数年後、兄の元へ再移住、大澤さんもその後、レシーフェ、フォルタレーザと移り住所が変わったこともあり、二人の間の文通もこの時期に途絶えた。

 戦前の中南米移民の総数は二十四万五千人。そして戦後、一九五二年(昭和二十七)から一九七三年(昭和四十八)までの二十一年間で、六万二千八百人の日本人が中南米に移住した。

 大澤さんは、「木村さんの呼びかけがなければ思いつかなかった同船者会。ぜひとも実現させたい」と語るが、日系人も少ない東北伯在住のため、できればサンパウロ在住者が中心となり、同船者会を実現させてもらえれば、と話している。なお、同船者会が決定すれば、木村さんも米国から出席する。

 大濱さんの連絡先は(電85・3296・2676)

 戦後、南米の日系人による近親者や雇用者の呼び寄せ移民が始まり、戦前の日本の客船は軍用船として沈没して残っておらず、戦後間もなく始まった移民の渡航は、オランダのRIL(ロイヤル・インターオーシャン・ライン)の客船だった。

 日本〜南アフリカ〜南米東岸航路で多くの日本人呼び寄せ移民が南米に渡った。 

 当時航空路はなく、一般乗客も日本と南米を結ぶ唯一の交通手段としてこの船を利用していた。

 RILの航路はインド洋〜南アフリカ経由で、横浜からサントスまで五十八日を要していた。

 就航していた客船はボイスベイン号、テゲルベルグ号、ルイス号、チチャレンガ号、チサダネ号、の五隻だった。

丸木さんからのコメント。
その方は僕にとっては懐かしい人と言うよりは命の恩人です。当事レシーフェのJAMICに居られた大浜さんにクルゼイロ航空支店長のジャイロ氏を紹介していただき、ジャイロの友人のジャイレ・カルダス・コレイア氏が僕を雇ってくださったので生き延びられたのです。現地採用では初の伯物(ブラジル三井物産)社長になられた西村さんとは天理大の同級と言っておられたから、その方に間違いないと存じます。直ぐにでもフォルタレーザに飛び、40年近く前の御礼を申し上げたいものです。

丸木 さん
たった今フォルタレーザの大浜さんと電話で話が出来ました。古い話ですが、私がお世話になった事も思い出され(海外協会連合会のレシフェ支部に勤務されておられた前川さんと一緒にカルアルの近くにあるリオボニートの移住地に連れて行って貰いました)懐かしがっておられました。
丸木さんの話を伝えた所、就職先を世話したことは忘れて折られましたが丸木さんのことは英語のお上手な方だったと良く覚えておられました。是非お話したいとのことでしたので新聞にある電話番号で通じますのでTRYして見て下さい。メールは、遣っていないとのことで同じ電話番号にFAXが自動的に繋がるように設定しているので電話とFAXでの連絡を希望されておられます。
サンパウロ新聞の記事を見られた同船者がサンパウロからお一人現れたとのことで当時15歳だったという小山さんがサンパウロで日本食店を経営されているとのことで彼の弟さんと現在の所、発起人のお二人と4人が来年の50周年記念に出席予定とのことでした。もっと見つかると良いですね。
邦字新聞の威力は凄いと感じました。

丸木さんから下記返事が届きました。

ようやく電話が通じ大浜さんと話せました。和田さんからの連絡が効いたのか僕が誰かすぐに判ってくださいました。フォルタレーザの天理教の教会に住んでる(自宅を教会にしてる?)そうです。今日のトロントは零下16度と申しましたら、ペルナンブコ出身の家内のマリアがよく辛抱できるなと心配しておられました。マリアはブラジルと違って犯罪も少なく、セントラル冷暖房は温度調整できるし、健康保険など完備した福祉先進国だから、住み易いと返事してました。マリアの親友でサンパウロに嫁入りされた美容師の篠崎タミヨさんの消息も調べてくださると言われ大喜びでした。タミヨさんの弟と大浜さんの娘さんが高校の同級生だったとか、世の中狭いものです。
トロント猛虎会の松本会長も天理出身、僕は特に信じてる宗教は御座いませんが、何か宗教を信じてる人は心が温かいですね。
それでも、毎週日曜には家内に付き合いミサには昼寝しに行きますが、今の季節のキリスト教会でのコンサートは素晴らしいですね。
サンパウロ新聞に掲載された記事の取り持つ縁、遅まきながら恩人にお礼を述べることが出来ました。



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