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パラグアイ移住七十周年を祝い、秋篠宮さまがパラグアイを訪問される。邦字紙報道より。
パラグアイの移住七十周年記念式展は、9月に盛大に行われましたがその後11月初旬に秋篠宮さまが日本国を代表してパラグアイを公式訪問され日本とパラグアイ両国の強い絆を確認されました。秋篠宮さまのパラグアイ訪問のご様子は、邦字新聞のサンパウロ新聞、ニッケイ新聞で連日詳細に報告されました。園田さんがパラグアイのMLに送られた両紙の関係ニュースを出来るだけ集めて収録して置きます。
尚、廣居あゆみ記者は、鹿児島県人会の研修生でサンパウロ新聞に研修させて頂いています。
 〔写真:秋篠宮さま(右端)と言葉を交わす下元さん(左端)〕


秋篠宮さま無事ご到着=パラグアイ=日系人らが熱烈に歓迎
 【アスンシオン発】パラグアイ移住七十周年を祝い、秋篠宮さまが一日正午過ぎ、アスンシオン・ペティロッシ空港(大統領ターミナル)に無事到着された。直前まで小雨が続く悪天だったが、ご到着直前から太陽が射しはじめ、空港周辺に詰め掛けた日系人ら約九十人が日の丸の小旗を手に熱烈に歓迎をした。同地には約七千人の移住者・日系人がおり、この九月八日に七十周年式典を盛大に行ったばかり。同国へは一九七八年に両陛下が皇太子同妃時代に、八六年には常陸宮同妃両殿下が訪問されており、今回は二十年ぶりとなる。
大統領とご懇談 独立戦争英雄廟に献花も
日本人移住開始から七十周年を迎えたパラグアイを訪れている秋篠宮さまは一日、首都アスンシオンの大統領府で、ドゥアルテ大統領と懇談された。
 大統領が「これまで日本から受けた農業などでの支援に感謝します」と話すと、秋篠宮さまは「貴国の発展に寄与したことを嬉しく思います」と答えたほか、両国の友好関係の増進を願う天皇陛下からのメッセージをお伝えになられた。
 悠仁さまの誕生についても話題となり、大統領が「お祝い申し上げます」と祝福すると、秋篠宮さまは「ありがとうございます」と答えられた。
 大統領主催の夕食会も開かれ、秋篠宮さまはパラグアイ政府の閣僚や日本人会の関係者らと歓談。これらに先立ち、スペインからの独立戦争などを戦った指導者を称えた英雄廟で献花した。沿道から「プリンス」と呼び掛けられ、笑顔で手を振る場面もあった。

労いのお言葉かけられる ラコメルナ移住地ご訪問
日本人移住七十周年を迎えたパラグアイを訪問中の秋篠宮さまは二日、一九三六年に日本人が初めて移住したラコルメナを訪れ、移住一世のお年寄りたちに「長年ご苦労さまでした」「これからもお元気で」とねぎらいの言葉を述べられた。 ラコルメナ公民館で開かれた歓迎式典には、約百人の日系人関係者が出席。秋篠宮さまは、移住者がパラグアイ農業の発展に貢献したことなどに触れ「大変喜ばしく、心から敬意を表したく思います」とあいさつ。その後、出席した移住一世十三人の一人一人に笑顔で語り掛けた。
 二十一歳で岡山県から移住し、家族とブドウなどの農場を営む岡田米さん(八六)は「『長生きしてください』と言ってくれました。こんな遠くまで日本から来ていただき本当に感激です」と目に涙を浮かべた。
 秋篠宮さまはこの日午後、アスンシオン日本人学校も見学。約五百人が集まった各種日系人団体による歓迎会では「これからも両国の懸け橋でいてください」と話し、参加者と懇談した。

ようこそ秋篠宮さま 日本人移住70周年迎えた 《パラグアイをご訪問へ》
 今年、日本人移住七十周年を迎えたパラグアイを秋篠宮さまが訪問。二日、パラグアイ最初の日本人移住地であるパラグアリ県のラ・コルメラを訪れた。同地は一九三四年にブラジルで発令された移民二分法により日本人の移住が制限されたことにより、新たな日本人移民の移住地として一九三六年から一九四一年の戦前には三十八家族、八百四十四人が移住した。現在、日本へ出稼ぎに行く若い世代の空洞化はあるが、主に農業や商業を生活の基盤とする三百五十七人の日系人が暮らしている。(廣居あゆみ記者)
 《日系挙げて心からの歓迎》
 秋篠宮さまはご予定通り午前十時半、ラ・コルメラ文化協会(千葉玄治朗会長)にご到着した。秋篠宮さまは日パ両国の旗を振り歓迎する子供たちに手を振った後、式典の行われる会場に入った。
 両国国歌が斉唱され、エドアルド・コウイチ・ミヤモト市長代理が移住地を訪問されたことへの感謝を述べ、ご来訪記念のプレートを秋篠宮さまに贈られた。
 続いて、千葉会長が「移住地ご訪問は忘れることのできない喜び」と述べ、一九四八年の農協発足、一九五六の発足など七十年にわたる同移住の歴史、市の人口の六%を占めている現在の日系人の状況を紹介した。
秋篠宮さまはお言葉のなかで「当地まで、緑豊な美しい自然を見ながら参りましたが、移住当初はラ・コルメナは一面原始林に覆われ、筆舌に尽くせないご苦労があったと伺っております」と話された。
 また、同地が「果物の都」と呼ばれていることに触れ「果樹や蔬菜の栽培において全国的な名声を博するに至っているのは、皆様の努力の賜物に他なりません」と移住者の功績を称えられた。
 次に、秋篠宮さまは一九三六年に移住した根岸はなさん(群馬県出身、九十一歳)をはじめとする高齢者十三人とご懇談した。林しげさん(八十六歳)は秋篠宮さまに「日本に帰るつもりだったけど、帰れませんでした」と話したところ「いいところなのでがんばってくださいと言われました」と話した。
 その後、秋篠宮さまは同会館に隣接する宮坂国人公園にある慰霊碑に献花され、ご参拝記念のプレートを除幕された。式典では今年三月にできたばかりの同地の日本語学校の生徒たちが構成する密乃里によるよさこいも披露された。同校の高橋美佐子校長(六十一歳)によると子供たちは秋篠宮さまの同移住地への訪問が決まってから毎日猛練習をしてきたそうだが「最初は殿下が来ることを話しても実感ができないまま練習している子もいた」という。一歳の時、第一次移住の家族としてパラグアイに渡った関淳子さん(七十一歳)は「秋篠宮殿下に来て頂き、一気に今までの苦労が吹き飛んだ気がします」と話した。
 式典に参加した約百六十人の人々はアスンシオンに戻る秋篠宮さまを全員で見送り、「自分たちの移住地に来てくださるなんて光栄なこと」「お会いできて嬉しかった」とそれぞれ語っていた。
 〔写真:秋篠宮さまと言葉を交わす移住者、慰霊碑に献花、秋篠宮さまによさこいを披露する日本語学校の子供たち〕

《パラグアイ日本人会秋篠宮さま歓迎会》

 一日より来パされている秋篠宮さまの歓迎式典が二日、パラグアイ日系十二団体主催でアスンシオン市内にあるパラグアイ日本人人造りセンターで行われた。イグアスやピラポなどの各日系人移住地から駆けつけた人々も多く、集まった約六百人の人々は秋篠宮さまのパラグアイ訪問を喜んだ。悠仁親王のご誕生により、九月八日にイタグア市のセントロ日系で行われたパラグアイ日本人移住七十周年記念祭典への出席が叶わず延期になっていた秋篠宮さまのパラグアイ訪問。午後五時、式典会場は秋篠宮さまの到着を待ちわびた人々で一杯になった。(廣井あゆみ記者)

 《コロニア「苦労報われた」と感動 アスンシオン名誉賓客称号受けられる》

 秋篠宮さまが会場にお見えになると、全員が起立し拍手で迎え、秋篠宮さまはゆっくりと会場全体を見回され、席につかれた。

 両国歌斉唱の後、小田俊春パラグアイ日本人連合会会長が挨拶。パラグアイ日系人移住七十周年の歴史を「太古の原始林のなかに次々と開拓、移住地が開設され、八千人近い移住者が入植した。農業面では、移住者は長年の試行錯誤を重ね、かつて輸入に頼っていた小麦を国産化し、大豆を輸出第一次産品に育て、パラグアイを大豆輸出国第四位にさせる原動力となった」と話した。

 また様々な分野で現在活躍する日系人の姿を挙げ「開拓の苦しい日々、その日の糧に追われながらも日本人の気質を日系子弟に植え付けた日系一世の最大の功績」とし、そして、今回で三度目となる皇室のご訪問を「小さな日系社会を常に御心にかけえていただき深く感謝します」と述べた。

 秋篠宮さまはお言葉のなかで「皆様と共に移住七十周年をお祝い出来ますことを心から嬉しく思います」と述べられ、「本日コルメナ移住地を訪問し、入植された 人々が幾多の困難を乗り越え、日系社会の基盤をつくり、パラグアイの社会のなかに溶け込み、発展に貢献したことを見聞し感銘を受けました」と同日のラ・コルメナ移住地訪問の感想を述べられた。そして「日本とパラグアイは地理的に離れているが緊密な関係を培ってまいりました。移住者と貴国に人々の繋がりが基礎にある言えましょう。今後とも皆様には両国の良き掛け橋となっていただくことを願っています」と話された。

 続いて、リエラ・アスンシオン市長から「市の鍵」の贈呈、「名誉賓客」称号が授与され、その後、アスンシオン鬼剣舞愛好会により岩手県に伝わる鬼剣舞が披露された。秋篠宮さまは異国の地で継承される日本文化をご覧になられた。

 歓迎式典終了後、秋篠宮さまはパラグアイ日系団体の幹部らとご懇談し、移住者写真展、農物産展をご覧になられた。写真展を案内したパラグアイ日本人連合会の合田義雄さんによると、秋篠宮さまは展示されている入植当時の写真を一枚、一枚丁寧に見られながら説明を聞かれていたという。

 また、農物産展では展示されていたイグアスで作られた太鼓に興味をお示しになり、「実際に太鼓を叩かれ、日本で作られたものとの音の違いについて聞かれ、カナフィートというパラグアイ原産の固い木で作っているので音がしっかり反響し日本の太鼓に負けないいい音がしますと説明しました」とイグアス太鼓工房の澤崎琢さん (三十三歳)は話した。

 続いて行われた歓迎祝賀会では、河野敏日系農業協同組合中央会会長が歓迎の挨拶を述べ、秋篠宮さまと高齢者とのご懇談が行われた。

 秋篠宮さまと懇談したアマンバイ在住の下元米次郎さん(八十歳、高知県出身)は「殿下に開拓当初のことについて聞かれ、焼畑農業について説明し『焼けすぎ三年、不焼け三年』と焼けすぎだと土の表面の養分がなくなり、不焼けだと害虫が残り三年苦労することをお話した」という。秋篠宮さまは非常に興味を持たれ、ポケットからノートとペンを取り出され、メモを取られたそうだ。下元さんは「近くでお会いできるだけでも奇跡なことなのに、開拓当時のことを聞いて頂け、名誉なことです」と感激の面持ち。

 また、イグアス在中の向井香さん(八十七歳、愛媛県出身)は一九七八年に皇太子同妃両殿下時代にパラグアイを訪問された天皇皇后両陛下と会い、言葉を交わし、翌年にも日本でも海外日系人大会に参加した際に天皇皇后陛下に再度お会いしたという。 「パラグアイでお会いしたのを覚えていてくださり、イグアスの婦人会の方ですね。お名前はと聞かれました」と話す。今回、秋篠宮さまと懇談し「天皇皇后陛下とお会いしたのがこの間のような気がして懐かしく思い出します」と目に涙を浮かべていた。

 二時間半にわたる式典・祝賀会を終え、秋篠宮さまを拍手で見送った人々は少し肩の力がおりた様子で秋篠宮さまに会えた喜びを互いに語り合っていた。

 〔写真:秋篠宮さま(右端)と言葉を交わす下元さん(左端)〕

2006年11月15日付け  ニッケイ新聞
日系社会あげ盛大に=秋篠宮さまご訪問を歓迎=パラグアイ
 【アスンシオン発】「ぜひ一度訪問したいと思っておりました」。十一月二日午後五時、パラグアイの首都アスンシオンの人づくりセンターで行われた「在留邦人・日系人による秋篠宮殿下歓迎会」に駆けつけた約六百人の日系人を前に、秋篠宮さまはそう語りかけられた。
 パラグアイには一九七八年に当時皇太子同妃両殿下であった天皇皇后両陛下、八六年には日本人移住五十周年に常陸宮同妃両殿下、さらに九九年に高円宮同妃両殿下がサッカー南米選手権を視察されている。今回の秋篠宮さまご訪問は四度目の皇室関係者訪問となる。
 「親王ご誕生おめでとうございます。パラグアイ在住日系人一同、お喜び申し上げます」。最初にパラグアイ日本人会連合会の小田俊春会長はそうあいさつし、日本人移住七十周年を祝うために訪問された秋篠宮さまへの歓迎の気持ちを表現した。
 現両陛下が最初に来パされた七八年は大半の移住地が未舗装で、ご訪問されたイグアス移住地はまだ自家発電だった。
 「そんな中、移住者の生活に接してくださり、本当にありがたかった」と振り返った。さらに「両陛下によろしくお伝えいただくと共に、ぜひ近い将来、今度は紀子妃殿下と一緒に来ていただきたい」との熱いメッセージを送った。
 殿下奉迎合同委員会の代表、アスンシオン日本人会の前原弘道会長は、七二年に当時のストロエスネル大統領(将軍)が訪日した時、前原さんの実父が同行したエピソードを披露した。「昭和天皇は大統領が乗った飛行機を空港まで見送りに来られ、飛行機が飛び立つまでいらっしゃった。普通はそこまで待たない、特別なことだと後から聞き、大統領は大変喜んでいました」。
 このたびのご訪問に「特別のご温情、厚く御礼申し上げます」と礼をのべ、「日本民族の誇りをかけ、みんなで一致協力していく所存です」と熱く語ってあいさつをしめた。
 これに対し秋篠宮さまは、両国はこれまで大変緊密な関係を培ってきたとし、「その良好な関係は、日本からの移住者と貴国の人々とのつながりが基礎にあるといえましょう。その意味で、移住者・日系人のみなさまは非常に大切な役割を果たしておられると思います」と高く評価された。「今後とも、みなさまには両国の良き架け橋となっていただくことを願っております」と述べられ、大きな拍手が会場から沸いた。
 続いて、アスンシオンのリエラ市長は記念の「市の鍵」を贈呈し、「殿下が来られたことは、今までの七十年間に両国間に育まれた平和、勤勉、努力の賜物。二国間の友情は素晴らしいモデルである」と讃えた。
 岩手県の伝統舞踊を伝えるアスンシオン鬼剣舞愛好会が見事な舞を披露。着実に日本文化が伝承されている様子に、秋篠宮さまは惜しみない拍手を送られた。最後にセントロ・ニッケイの小嶋紀博会長が閉会の辞をのべた。
 お迎えに並んだ日本語学校生徒らに「大きくなったら一度日本に来てくださいね」と声をかけられ、子供たちは「はい」と大きな声で答える場面もあった。

秋篠宮さまに和太鼓献上=パラグアイ=通じたイグアス移住者の思い=ためし打ち≠ウれる場面も
 去る一日から四日までパラグアイをご訪問された秋篠宮殿下にイグアス移住地の総意が込められた飾り太鼓が献上された。この和太鼓はイグアス太鼓工房(石井吉信棟梁・山形県出身)で作られたものだ。
 殿下のご来訪日程が決まった時、一九七八年の思い出がイグアス移住者の脳裏をよぎった。当時、皇太子・同妃だった天皇皇后両陛下のご巡幸の思い出だ。両陛下お手植えのラパチョ(ブラジル呼称イペー)と桜は二十数年を経た今でも移住地の中央公園で健全に育っていて、毎年美しい花を咲かせている。
 〃今度は秋篠宮殿下がご来訪される。悠仁(ひさひと)親王殿下がご誕生になった。わが移住地から和太鼓を献上させていただこうおなじ〃、という意識が移住地で盛り上がり、献上用の飾り太鼓が精魂込めて作られた。
 イグアス産の和太鼓は十一月二日、パラグアイ日系移住社会による歓迎会場となったアスンシオンの人造りセンターで移住者が作った他の農工産品とともに展示された。
 和太鼓の前で足を止められた殿下は演奏用の法被姿の澤崎琢磨さんに、「材はどんな木ですか?」「この木は太鼓にどうですか?」「この皮は牛(の皮)ですか?」、などと興味深くご質問された。そして、「叩いてみていいですか?」、とバチを手にとって打つ感触を味わわれた。
 展示品をすべてご覧になった後、飯野建郎大使の介添えで飾り太鼓の献上を快くお受けになった。
 和太鼓を通してパラグアイ日系社会の総意が汲み上げられた、と言っても過言でないような明るい一場面だった。



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