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第15回バーチャル座談会【新春放談 行く年、来る年2006/2007!!】(番外編II)
バーチャル座談会 新春放談 行く年、来る年 番外編IIを収録します。多くのメンバーの皆さんにご協力頂き有り難う御座いました。今年の5月で『私たちの40年!!』HPも開設5周年、50万回のアクセスを達する所まで辿り着きました。年末年始約2週間の間にご発言(投稿)頂いた皆さんの書き込みを一つの時代の歴史(大袈裟かな?)として書き残して置くのも意義があるのではないかと思い上中下、番外編I、IIと合計5編(5万語)を繋ぎ合わせました。また特別の話題を見付け皆で話し合いたいと願っています。ご参加、ご協力有り難う御座いました。
写真は、小さい画廊の藤木さんが新年に回られた武蔵の国、与野七福人巡りのお札をお借りしました。



杉浦:明けましておめでとう御座います。今年もどうぞよろしくお願いいたします。
和田さんにおかれましては、今年もさらなる飛躍の年でありますようお祈りいたしております。
家内は一月より、池袋にある芸術劇場、相模原公民館、福島県白石公民館、表参道能楽堂での外国人長唄演奏会、保谷こもれびホール、下町資料館ホール等での長唄演奏会出演が予定されており、6月の東友会演奏会までつずきます。
これらの中で、外国人長唄演奏会は英国、米国、カナダ、オーストラリア、フランス、そのた色々の国からの大使館員、新聞記者、教師、音楽家など日本にいる色々の職業の人が、趣味で長唄を西村まことさんという家内の友達の先生にならっており、その人たちの発表会に専門家がすっけっととして一緒に演奏し演奏後出演者で打ち上げの宴会をやるのが、楽しいようです。
6月の東友会が終わったら、家内はまたブラジルへ行こうと考えているようで、わたしも、同行しようかと思っています。
私は、香港や韓国の会社を多少手伝っており、時々それらの国を訪ねたりしております。
いつも和田さんよりの E-Mail を、楽しく読ませて頂いており、どうも有り難う御座います。

丸木:阪神タイガースの宮崎オーナーから下記のメールが届きました。
ヤンキースに移籍した井川の穴埋めは外人選手でしょうか。
井川のアメリカでの活躍と阪神の優勝を祈願に初詣したいのですが、あいにく神社が近くにありません。
明けましておめでとうございます。今年も、タイガースの応援よろしくお願いします。
年末は、トロントでも大分盛り上がったようで、関西も三が日は暖かいお正月で平穏でした。
来週あたり、新しい外人選手の発表が出来るかもしれません。
タイガース 宮崎 恒彰

和田:阪神は、井川放出の30億円の大半を金本キープに使い今年は日本一を狙うようですが、先発陣の井川に変わる活躍をする大リーガーが欲しいですね。楽しみに待ちましょう。

丸木:松の内が明けたので禁酒し、7日(日曜)早朝7時からのトレーニング泳ぎ初めに備え体調を整えます。
顧みれば40年前、日本での最後の勤務地・長崎では思案橋のたもとで「行こか戻ろか」思案の末に移住したのでしたが、今にして思えば女と泣き期別れ、祖国を後にして良かったと信じます。お互い、それぞれの人生を精一杯それなり幸せに生きてきたのですから悔いはありません。当事、長崎の場末のキャバレーで歌っていた前川清の小さな夢は福岡のキャバレーで歌うことだったそうですが、大きな夢を果たした彼は日本を代表する歌手として紅白で歌う姿を自分に重ね、長崎は今日も雨かなと祖国を偲ぶ正月でした。

光田:「行こか戻ろか」思案の末に移住したのでしたが、今にして思えば女と泣き
別れ、祖国を後にして良かったと信じます・・・」  のくだりには、すっかり、シビレてしまいました。 ア〜 マイッタ マイッタ!
BGM 「長崎は今日も雨だった」 を添えて、エールをお送りします。
波乱万丈だった和田さんに、これからも、幸多からんことを!

和田:光田 さん。送信したのは私ですが、書かれたのは、立志伝中の人、年男の永遠のロマンチスタを自認されるブラジル移民の成れの果てトロントの丸木さんです。彼が書いた小説は、関西弁で少し柄が悪いがもっと泣かせますよ。宜しければ現在コンテストに応募中のオリジナル小説をDMで送りますよ。
私は、ブラジルの大地と俺に人生を掛けろと家出をさせて早稲田を中退させて徳川無声と中村メイコの晩酌で小渕恵三先輩を主賓として富士テレビの【ここに幸あれ】のテレビ結婚でした。
語り出すと長くなりますのでまたの機会にしますが、日本を騒がせて出てきた年1965年の末に母が亡くなり敷居が高く最初は18年間帰国しませんでした。

丸木:神戸のみっちゃんに誤認していただき光栄に存じます。さすがは、バンカラ早稲田ボーイで18年も帰国されなかった和田さんの足許にも及びませんが、僕が4年ぶりで帰った日本では、時機既に遅く夢にまで見た女性に僕は、もはやお呼び出なかったのでした。「長崎に原爆を、もう一発落としたろか!」と、思ったぐらい失望のどん底から立ち直れたのは、不遇のブラジル時代に支えてくれたオランダ系ブラジル人、現在の家内です。僕の母は不屈の長州人、大阪大空襲により甲子園の家が全焼、神戸大震災での新甲陽の家屋全壊にもめげず96歳で西宮に健在です。

桐井:本日は今私が真剣に憂えていることを申し上げたく存じます。
現在の日本はまさに大海で羅針盤を失った船のようです。
なんとかせねばなりませぬ。政治然り、教育然りです。
政治に関しては、年間3万人を超える自殺者、格差拡大、社会保障費の負担増等々まさに「弱肉強食」政治そのものです。
かつてマックス・ヴェーバーはその著「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」の中で宗教的観点から資本主義の行き過ぎにブレーキをかけています。日本でも良識ある政治家たちは「弱肉強食」社会にならぬよう真剣に取り組んでいます。私も「資本主義と仏教」という観点で市場原理主義と慈悲を考慮しながら理想社会を考えているところです。
教育に関しては、現在の日本は社会規範における善悪のきちんとした判断ができなくなってきています。今こそ人間としての正しいあり方、生き方を教える教育、つまり、しつけ、修身的教育こそ必要性だと考えています。
常に知的好奇心と問題意識を持って、より良い社会を目指したいです。
国政や地方政治に携わる政治家の皆さんが、新聞に掲載される国民の真の「声」を真剣に見たてくださることを心より願っています。
ありがとうございました。

中村:恭賀新嬉 Guten Yahle!
今年も益々筆の威力を発揮されるよう願っています。
 貴方が言いたかったことは、誰もの胸中に去来するエッセンスです。心から拍手を送ります。
 私も数え年なら76になります。よくぞ長生きしたものと呆れたり、骨董品のようなものです。邪魔にならないよう足腰を鍛えたり、のどのほうも精一杯張り切る所存です。
北島三郎さんは「歌手生活5周年」の金字塔を樹立されました。
同じ北海道から出てきて彼は今や飛ぶ鳥を落とす勢い片やささやかながら趣味のため小遣い稼ぎをして毎日ちびりちびりとやるのが生き甲斐。
 ことしもよろしく

桐井:温かいコメント有難うございます。
日本では、新年早々、殺伐とした事件で世の中は騒がしくなっています。                            私どもは、いまだに携帯電話を持っておりません。電話機には留守電もファクスもつけず、はがきや手紙により交流をしています。また、1984年に自家用車をやめて以来、もっぱら歩くかバスや列車を利用しています。パソコンを除いて全く自然派指向です。
ワーズワースの「低く暮らし、高く思う」をモットーとし、できるだけ心豊かに充実した日々を過ごしたいものです。
寒さ厳しき折、(ブラジルの方は今夏ですね) お体にはくれぐれもお気をつけください。
和田:皆さんのご協力、書き込みにより『第15回バーチャル座談会 新春放談 行く年、来る年』は既に上中下をUPしており現在番外編を纏めておりますが、一応書き込みは明日1月5日(日本時間6日正午)までの書き込みを持って終了とさせて頂きます。
まだご発言頂いておられない方は是非、コメント等を書き込んで頂けると嬉しいです。過ぎ去った2006年の思いで、期待の2007年に掛ける思いを書き残して置くのも良いのではないでしょうか。一言でも結構ですのでお願いします。
67歳の誕生日を迎え暑い暑いポルトアレグレで本日から事務所に出ていますが、女性軍は一斉休暇で月曜日から仕事です。電話応対をしていたら海苔や山葵の値段を聞かれても分からず、年末に注文した日本酒がまだ着かないがどうしたのかとかほとほと困ってしまいました。
昨年末に締めた為替の契約書4通は、私が署名すれば良かっただけですが、電話を掛けても繋がらないので直接事務所まで州立銀行の職員がわざわざ来て呉れたり新年の挨拶や来週からのサンパウロ、リオの客先訪問のアポイントの確認と結構ワンマンオフイスも賑わいました。明日ももう一日一人で事務所の留守番をしながら書類整理等をする予定です。
土曜日の午前中のフライトでサンパウロにでます。日曜日の午後には同船者の藤間 芳嘉師匠の踊り初めを観劇し月曜日には同船者の皆さんと新年会を楽しみ5月20日に予定されている着伯45周年記念行事実施に付き打ち合わせをする予定です。水曜日にはリオに移動、木曜日にポルトアレグレに戻って来る予定です。関係写真等はblogに貼り付けますのでご覧下さい。

岡村:和田好司さま
あるぜんちな丸第12次航同船者の皆様
新年おめでとうございます。
サンパウロの岡村です。
この度、サンパウロ人文研究所のホームページがオープンとなりました。
www.jinmonken.org.br/jinmonken/">http://www.jinmonken.org.br/jinmonken/
ブラジルの日系社会について主に研究を続けてきた民間の老舗の機関です。
シロウトが試行錯誤しながら作っているサイトですので、まだ不備も多くありますが、徐々にコンテンツを充実させていく所存です。
よろしくご教示のほどお願い申し上げます。
ブラジル・サンパウロ
岡村淳
「岡村淳のオフレコ日記」
www.100nen.com.br/ja/okajun">http://www.100nen.com.br/ja/okajun

園田:明けましておめでとう御座います。今年も邦字新聞の関係記事を皆さんにお届けしたいと思います。まず今年の第1号は、我が鹿児島県人会が注目されたサンパウロにおけるコロニアの新年会関係ニュースをお届けします。
元旦に百周年準備を誓う=各地でめでたく新年祝賀会=
鹿児島県人会が10万円寄付=他県に先駆け「呼び水」に

 今年もめでたく各地で新年会が行われた。聖市では総領事館と五団体が共催で盛大に祝われ、鹿児島県人会はその場で十万円を百周年記念協会に寄付するなど、「百周年の準備の年」としてさい先の良いスタートを切った。

 レジストロでも約七十人が集まり、「立派な百周年に一致団結」を誓った。北パラナのロンドリーナ、ノロエステ線アラサツーバなど各地で祝杯があげられた。

 聖市では一日朝十時から、ブラジル日本文化福祉協会の記念大講堂で行われ、例年より多めの約四百人が集まり、万歳三唱で新年の到来を祝った。当日は、鹿児島県人会から百周年記念協会に対し、十万円の寄付が行われるなど、さい先のよい百周年準備年となった。

 同県人会の天達市雄会長が現金十万円の入った封筒を「一助になれば」と百周年協会の上原幸啓理事長に手渡すと、「一文、一文、百周年のために使わせて頂きます」と感謝の言葉を述べ、固い握手を交わした。

 ニッケイ新聞の取材に対し、天達会長は「県人会の会計も厳しいが何とか捻出した。いずれ寄付するものなら、先頭切った方がいいと思った。これが呼び水になれば」と語った。

 新年祝賀会ではまず、君が代とブラジル国歌が文協コーラス部のリードで全員が斉唱。同会は在聖総領事館、文協、援協、県連、日文連、商議所の共催。

 続いて上原文協会長が亥年にちなんで「不退転の気持ちをもって、考えながら突っ走っていきたい」との抱負をのべた。百周年に関して「文協は昨年まで裏方だったが、今年からは積極的に参加していきたい」との決意を明らかにした。

 着任以来二度目の正月を迎えた西林万寿夫サンパウロ総領事は百周年の準備に関して、「昨年は〃加速の年〃だったが、まだまだ課題が残っている。今年は〃仕上げの年〃に」との位置づけを語り、よりいっそうの奮起を促した。

 松尾治県連会長の音頭で万歳三唱が行われ、会場を大サロンに移した。「年の始めのためしとて おわりなき世のめでたさを」。一月一日の歌が合唱され、援協の酒井清一会長が乾杯の音頭をとった。当日は紅白餅が三百個用意され、来場者に配られた。

 また会場出口では、聖市在住の三分一光男さん(81)が「年賀お札」を今年も配布した。書面には「奉祝、謹賀新年、皇紀弐千六百六拾七年、平成壱九年元旦」と手書きされ、朱印が捺されている。

 最初の百枚ほどは実際に手書きしたが「腕が動かなくなった」での、残りは手書き札をコピーして押印した。平成元年から初め、「好きだから」やっているという。

 朱肉は二十四金の菊の御紋入りで、山口県人会から借用したもの。昭和六十年を記念して、天皇陛下が田中龍夫代議士(山口県出身)に下賜されたものを、縁のある県人会に贈呈してもらった貴重な一品という。

 いよいよ一年に迫った百年祭。これからが準備の正念場だ。

高橋:今年初めの仕事は「PEACE BOAT」の団体客をリバーサイドホテルに案内する仕事になりました。
パラー州のべレンまで船で来て、べレンで上陸し観光を終えてマナウスへは航空機で移動されてきました。
総勢35名でリバーサイドは久しぶりに満室になり、大盛況でした。
リバーサイドには2泊して一泊は市内のトロピカル.ホテルという日程でしたが、メンバーは大半が60歳以上の方達で、団塊の世代の方達も多くいまして、お話を伺いますと 「若い時は企業戦士として海外にも駐在した事がある」 との事でした。
戦後の復興に貢献してきた人達ですから、脇目もふらずに仕事一筋に猛烈に働いて来られたのでしょう、やっと仕事から開放され。
「余生を楽しく有意義に暮らして行きたい」と云われている人がいる反面、まだ若造には負けないくらいの意気込みはあるので、仕事もできるし、働きたいと。この旅行が終わったら老後の職場探しをしますというふうに、働く場所が無くなったことに不安を感じているような趣の人もいました。
現在の経済大国日本を築き上げてきた団塊世代の人達が定年になりそのような人達が今後の生き方について、それぞれ期待と不安の入り混じった複雑な心境を今回は勉強しました。
長寿国日本は定年制度を引き伸ばして、職場を提供し働いてもらえるようにすればとも思いますが、しかし定年制度が伸びれば、今度は若い世代の雇用が減少するという、難しい問題もあるのでしょう。
とにもかくも、男女を問わず今回の「PEACE.BOAT」の皆様に対して(いろいろご苦労様でした)といわずにはおれませんでした。

吉田:あけましておめでとうございます。
新春の風物詩として、スポーツ中継もなかなか大きな位置を占めていると思います。元旦のサッカー天皇杯、高校ラグビー選手権、高校サッカー選手権、大学ラグビー選手権に夢中の人たちが結構居ます。そして、近年注目度が高くなっているのが駅伝です。元旦は、日本実業団駅伝。2日3日は大学箱根駅伝。特に箱根駅伝は近年12月からスポーツニュースでもかなり取り上げられるようになりまた予選までもかなり詳しく報道されています。それだけ視聴者の関心も高いということだろう。私の高校大学時代には箱根駅伝はラジオ放送だけだったはずである。いつからテレビ中継が始まったのだろうか?調べてみたら、昭和62年の第63回大会からとのこと。
 伝統校と呼ばれる中大、日大、日体大、大東文化大がしばらく優勝から遠ざかっている一方、山梨学院大、駒澤大学、亜細亜大学という駅伝の新興勢力が好成績を収めています。今年は名門順天堂大学が強さを見せて6年ぶりの優勝でした。優勝も素晴らしいが、50年連続50回目の出場という点でも順天堂大は素晴らしいと思います。私は毎年早稲田大学と駒澤大学(どちらも母校です。)を応援しています。駒大は2002年から3連覇し、去年今年も優勝候補には挙がっていましたが、優勝には届きませんでした。
駅伝で思い出される言葉、思い出される光景
@、大根踊り
 箱根駅伝はかなり以前から正月の名物行事であることは間違いない。私が小学生中学生の頃でも1月2日の昼のニュースでは必ず箱根駅伝のスタートの映像が流れていた。第1区の走者たちの姿は当然として、学ラン姿の応援団も結構目立っていた。特に東京農大の大根踊りの印象が一番強い。残念ながら、東京農大は最近予選落ちなのか箱根に出場していない。当然、大根踊りを見る機会もない。いささか残念です。
私の叔父は東京農大で大規模農業を専攻し北米、そしてブラジルへ入植しました。同じように、ブラジルには多くの東京農大生が移住しておられることと思います。衛星放送で日本のニュース映像が見やすくなった今、ニュースで農大の応援風景が放送されるのを待っている方々のためにも、奮起をお願いしたいところです。
A 日体大5連覇
 私が高校生の頃は日体大は箱根駅伝でめちゃくちゃ強かったようだ。「ようだ」というのは、当時あまり関心が無かったからです。但し、母校の体育教師が日体大陸上部出身の方であり、駅伝のことをやけに熱く語っていたことだけが記憶に残っています。正月に箱根駅伝の応援に行ってきたこと、日体大が優勝したことを自慢していたが、我々は「フーン」てな感じで聞いていました。「へーっ」とか「すげーっ」という反応は全く無かった。田舎の高校生にとって、箱根駅伝は全くの他人事であった。日体大は昭和44年から48年まで5連覇している。
B、山登りのスペシャリスト
 平成19年第83回大会の往路優勝は今年も順天堂大が往路優勝。その原動力は一昨年昨年に続いて5区の区間新を出した今井正人選手。箱根駅伝の歴史に名を残すすばらしい記録だと思う。
 でも、「箱根の山登り」というと、もっと輝いた男が居た。宮城県の東北高校出身、大東文化大学の大久保初男選手。あまり駅伝に関心が無かった当時の私でも記憶に残るくらいだから、当時の大久保選手の走りは凄いものとして報道された。4年連続して5区を走り、4回とも区間賞。凄い記録だと思う。現在のようにテレビ中継されていれば、もっと多くの人の記憶に残ったことと思う。
www.yomiuri.co.jp/sports/ekiden2007/archive/huuryu/h02.htm">http://www.yomiuri.co.jp/sports/ekiden2007/archive/huuryu/h02.htm
B、瀬古利彦というスター
 1979年(昭和54年)1月の箱根駅伝は例年以上に注目が集まった。その前月、福岡国際マラソンで早稲田大学3年の瀬古利彦選手が日本選手として久々の優勝を遂げた。君原健二選手宇佐美彰朗選手の時代が終わり、日本マラソン界は次世代のホープを待ち望んでいた。それに応えたのが瀬古選手の快走だった。その瀬古が箱根を走る。大会前から、かなり注目されていた。結果は区間賞だったと思う。しかし、瀬古1人では早稲田は勝てなかった。実際、この当時早稲田大学競走部(何故か陸上部とは言わない。)の存在感は薄かった。織田幹雄飯島秀雄といった名選手を輩出した名門早稲田大学競走部は長く低迷していました。その低迷から救ってくれたのが、瀬古利彦選手であると言えよう。
www.yomiuri.co.jp/sports/ekiden2007/archive/special/07.htm">http://www.yomiuri.co.jp/sports/ekiden2007/archive/special/07.htm

 この活躍で瀬古は野球部の岡田彰布(現在、阪神監督)と共に早稲田の顔となった。彼らは私の一学年下である。私の二学年上には、テニスの西尾、野球の松本(元巨人、昨年は楽天コーチ)、一年上にはサッカーの西野(ガンバ大阪監督)、元巨人の山倉が居た。それに比べると、私の同学年はちょっと寂しい。思いつくのは、元西武ライオンズの金森ぐらいかなあ。
C 瀬古を育てた名指導者 中村清
 瀬古選手自体、高校時代インターハイで優勝するくらいだから、もともと才能はあったのだろう。但し、当時は800m1500mつまり中距離走の選手であった。瀬古選手のマラソンランナーとしての才能を開花させたのは、中村清という指導者であった。中村監督は低迷する早大競走部を箱根駅伝で優勝させるべく、奮闘した。マラソンランナー瀬古が注目を集める中で、早大競走部も徐々に力をつけたが、中村清監督の指導の下で優勝したのは、瀬古が卒業した4年後の昭和59年の大会であった。
 ちなみに平成19年元旦の実業団駅伝を制した中国電力監督坂口泰(エスビー食品の選手だった頃は、泰平と言っていたように記憶している)も、中村清の門下生である。

 中村は指導に当たって哲学書や仏教書をかなり読んだといわれる。そして、当時「中村語録」と評されるくらい名言を残した(筈である。)詳しくは、瀬古監督のインタビュー記事などを検索してみて下さい。

中村語録と呼ばれた発言の中で、私の記憶に残っている言葉があります。

「駅伝はタスキを伝えるものではない。心を伝えるものである。」

これは、いい言葉です。「駅伝」という言葉を「私たちの人生」という言葉に置き換えても、良いんではないかと思います。

和田:年末年始に皆さんにご協力頂いて開いていました『第15回バーチャル座談会 新春放談 行く年、来る年』は、一応終了とさせて頂きますが、皆さんのご発言が多く(嬉しいですね!)既に収録済みの上中下3編の他に番外編Iで纏める予定でしたが紙数(1万語)を遙かオーバーしてしまいましたので番外IIまで収録することにしました。従い番外IIが一杯になるまで後暫くは、収録していく事にしましたので宜しくお願いします。日頃ご無沙汰している(一方的な情報発信)いる懐かしい方の発言は、本当に嬉しいです。是非お便り下さい。
おいやんのブラジル便り90まで送信させて頂いた郷里和歌山県の田辺市に戻られた早稲田海外移住研究会OBの真砂さんが仲間宛に出した新年の挨拶状を下記して置きます。近い将来おいやんのブラジル便りの出版と熊野便りが出て来る可能性があるとのこと楽しみです。
これから5泊、6日の予定でサンパウロ、リオに出張します。今回は大学が休みの期間でもありけい子にも同行して貰う事にしています。明日の藤間 芳嘉師匠の踊り初め、8日の同船者の新年会もアレンジして呉れており楽しみにしています。関係写真等は、blogに貼り付けますのでご覧下さい。

真砂:輝かしい新年をお迎えのことと思います。
本年もどうかよろしくお願いします。
私は冬なお緑濃い熊野の田舎で、4年ぶりに日本の正月を迎えました。
元旦に熊野本宮大社に初詣に出かけた他は、2日3日と箱根駅伝と大学
ラグビーの準決勝戦を見ながら、文字通り寝正月を決め込みました。
箱根駅伝では、持ち駒が手薄ながら早稲田が健闘、5年ぶりに来年度
出場のシード権を獲得したのは立派でした。絶好調のラグビーは問題なく
快勝、来週の決勝戦に駒を進めました。実に気分の良いおとそを味わう
ことができました。学生スポーツは、早稲田が強くないと国民に元気が
でません。今年は良い滑り出しであります。
(ラグビーといえば、菅間さんの母校・川越高校出身の選手が出ていました。
早稲田でレギュラーに食い込むのは相当の力が必要でしょうから、文武両道
の面目躍如ですね。高校では、武藤さんの母校・盛岡一高は、残念ですが
今年は花園出場はならなかったようです)
今年の目標(というより希望)は、「松原移民」の方々との人的交流(和歌山
県から短期間若者を派遣し、現地体験させる)実現のめどをつけられないか
なということです。来年がブラジル日本移民100周年ですので、それまでに
実現するのが夢です。和歌山県(それに田辺市)にスポンサーになって
もらうよう、あせらず、あきらめず、ジクジクと交渉をやってみようと考えて
います。
もうひとつは、「おいやんのブラジル便り」に少し手をいれて、本にして出版
できないか、トライしてみようかと。手持ち資金ゼロでも乗ってくれる奇特な
出版元がいないか、あたって砕けろでやってみます。
そして、黒瀬先輩からリクエストを頂いたのですが、私の能力(正確には
脳力)がついてきてくれるようでしたら、時には「おいやんの熊野便り」でも
お届けできれば良いなと思っています。
初夢が大きくなりすぎましたが、夢の大きさにくらべ、なにせ先立つものが
手薄でありますので、宝くじを買い、夢の実現に手をかしてもらうよう、本宮
大社に祈願してきたところであります。
皆様には、どうかお元気で、エキサイテングな新年でありますよう。



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