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「日系の一人として誇り」 栄えある空軍総司令官に斉藤大将が就任。
現在ブラジルの飛行場での管制官スト(空軍所属管制官は反乱軍?)等により大きな混乱、クリチーバの飛行場では時間待ちの乗客が死亡すると云った事故まで起こし社会問題化しているがその空軍の総司令官としてルーラ大統領との交渉窓口を担っているのが斉藤 準一大将です。
斉藤総司令官は、以前ポルトアレグレ近郊のカノアス空軍基地に勤務されており当時南伯日本商工会議所会頭をしていた関係で大変お世話に成りました。商工会議所の昼食会議を斉藤さんに招待して頂き空軍基地で実施したこともあり、普段余り関係のない空軍の役割(フォークランド戦争では英国の軍用戦闘機がカノアスの空軍基地に給油に立ち寄っていた)軍用機の実際の発着シムレーシオン等興味深い説明を受けた事が懐かしいです。日系人としては空軍最高位に付かれた斉藤 準一大将の関係記事をサンパウロ新聞、ニッケイ新聞からお借りして残して置きたいと思います。
写真は、最近ベーノスアイレスの飛行場で見たLa Nacion紙に掲載されていたルーラ大統領と一緒の軍服姿の斉藤さんです。


栄えある空軍総司令官 サンパウロ新聞WEB版より。
日本人の誇りを胸に 斉藤準一空軍大将就任式

【ブラジリア発】「日本人を先祖に持つ者の一人として大きな誇りを感じる」――。二月二十一日付けでルーラ大統領から任命を受け、日系人として初めて総司令官となった斉藤準一空軍大将(六十四歳、二世)の就任式が二月二十八日、ブラジリアにあるブラジリア空軍基地内で執り行われた。式には、ワルジル・ピーレス国防大臣、ルイス・ブエノ前総司令官、島内憲大使をはじめ、斉藤総司令官の親類や日系コロニアの代表者ら約三百人が四機の空軍チャーター機でサンパウロ、リオから駆けつけるなど千人以上が参列し、就任を祝った。

 有言実行の手腕に期待

 飛行機は基地内の駐機場に降り立ち、空軍広報官に招かれ大広間に約三十分後、斉藤総司令官は姿を現した。

 斉藤総司令官はすぐに報道関係者に囲まれフラッシュの嵐を浴びながらも、広間を所狭しと歩きながら一人ひとりの出席者に挨拶。

 兄弟と顔を合わせても「よく来たね」と一言二言声をかけるくらいしかできないほど、時間の制約と挨拶回りに大忙しだった。

 午前十一時から外で行われた式は、会場に到着したピーレス国防大臣を迎える、高らかに響き渡る空軍楽隊による演奏から始まった。

 まず引継式が行われ、始めにブエノ前総司令官が挨拶。空軍の歴史にふれた上で、新総司令官に期待の意を示した。そして、ピーレス大臣が会場中央に立つ斉藤総司令官に対して正式に就任を伝えた。

 続いて、斉藤総司令官が就任挨拶で、主要空港での航空機の発着の遅延、管制官の能力がメディアで追求されている問題についてふれ、「これ以上の遅れとならないよう、飛行機の更新を進めながら、機能強化に最大限の努力をしていきたい」と意志を表明した。

 また、日系社会への感謝の気持ちも伝達したかったのか、「日本人を先祖に持つ者の一人として、重要な職につけたことを大きな誇りに感じる」とはっきり述べた。

 リオから来た弟の斉藤アントニオさんは「士官学校に入った時は三百人いた候補生の中で、厳しい軍人生活で兄はよくここまでやってきた。彼の一つの夢だったんです」と感極まって、薄っすら目に涙を浮かべた。

 サンパウロから出席した姉の横田寛子さんは、斉藤総司令官は小学生の時から家事を手伝い、家族がツパンで小売店を構えたときも店のことを気にかける親思いの優しい子だったと話す。

 「家族として弟を誇りに感じます。でも、若い時から仕事ばかり。できれば退職後は楽にさせてあげたいです。海岸に住んで釣りでもゆっくりしたいねと話していましたから」と、要職に就いた重荷を気遣った。

 六年前に退役し、共に働いた高野善央元空軍大佐(五十四歳、二世)は、「彼が中尉のときから知っているけど、普段はおとなしいけど、やるといったときは有言実行の男ですよ」と今後に期待を込めた。

 六人兄弟の長男としてポンペイアで生まれた斉藤総司令官は、小学校時代をツパンで過ごした。外出よりも読書を好み、技術者や経済に興味を抱いていた。中高はサンパウロに進学。その後、会計専門学校に一度入学するが、姉の友人が身に付けていた空軍服に憧れをもち、空軍への道を志す。

 六〇年に士官学校に入学し、卒業後は軍参謀本部教官、英国ブラジル大使館空軍武官、軍作戦部長など様々な役職を歴任。今まで、飛行時間は六千時間を越えている。〇六年には軍参謀本部長に就任した。

 現在、南大河州生まれのレジナ夫人との間に生まれた三人の子どもと五人の孫がいる。

 (写真=緊張したおももちの斉藤新総司令官(右)とピーレス国防大臣(後方))

2007年2月23日付け  ニッケイ新聞WEB版より。
「日系の一人として誇り」=空軍=斉藤大将が総司令官に=28日に首都で就任式
 「日系社会からの支援には大変感謝している」。二十二日付け官報で、斉藤準一空軍大将(二世、64)が空軍トップの総司令官に指名されたことが正式に公表された。二十八日にブラジリアで就任式が行われ、ワウジール・ピーレス国防大臣のもと、空軍予算の約九十億レアル(約五千二百六十一億円)を司る日系最高の軍要職に就任する。
 ニッケイ新聞の電話取材に答え、斉藤大将は二十二日に秘書官を通じて、「最も栄誉ある機関の総司令官に指名され、日系社会の代表して、とても光栄だと思っている。日系社会に一員であることを大変誇りに思っている。みなさんからの支援に感謝したい」とのコメントを寄せた。
 聖州ポンペイア市生まれの日系二世で、父は斉藤イワタロウさん(青森県出身)、母は斉藤タマオキ・トシコさん(香川県出身)で二人とも故人。六人兄弟の長男。
 先週末に電話で直接話したばかりという、サンタカタリーナ州のラモス移住地の山本和憲会長によれば、斉藤大将は大変日本語が堪能だという。「今年も移住地から特産の梨を贈ろうと電話したんですが、会議を中断してわざわざ応対してくれました。本当にきさくな方です」と山本会長はいう。
 最初のキッカケは、斉藤氏が九九年から〇三年まで務めていた第五航空方面隊(V COMAR)の司令官時代に、梨をプレゼントに行ったこと。同移住地および近隣のクリチバーノスには、〇一年の運動会以来、梨狩りや桜祭りなどの折りに四回も訪れているという。
 山本会長は電話の向こうで、「空軍トップに就任され、移住地のみんなも自分のことのように喜んでいます」と声を弾ませる。
 ジョルナル・ド・ブラジル二十日付けによれば、斉藤大将は「七歳の時まで、ポンペイア日系社会でポルトガル語をしゃべらない生活を送っていた」という。
 ポンペイア文協の須賀得司会長も「ポンペイアの誉れです。当地の日系社会一同喜んでいます」と語った。斉藤大将がいた四〇年代後半から五〇年代は同地の日系社会全盛期で二千家族からいた。「その後、多くは子供の勉学や仕事のためにサンパウロや他の町に移っていった」という。
 ブラジル日本文化福祉協会の上原幸啓会長も「来年の百周年にむけて、とても大きな弾み。このような重責を担う二世が生まれたことに大変な誇りを感じる」と喜んだ。
 昨年二月に行われた祝賀会で本紙の取材に答え、斉藤大将は「両親が生きていたら、このようなオメナージェンを一番喜んでくれたに違いない」と語っていた。小さい頃は、長男として父親が営んでいた農業や木工所を継ぐのかと思ったが、学業を続けることができた。一九六〇年にミナス州バルバセーナ市の東山銀行で働きながら、空軍士官学校へ通い始めた。
 昨年の航空機激突事故以来始まった空港管制官ストなどの各地空港の危機的な状況を解決する重責を担い、斉藤大将は首都ブラジリアで新しい任務を始める。




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