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読売新聞(関東地域版)遊友録 (39)ブラジルに雄飛した日本人 玉井義臣
もう30年近く前に交通遺児育英会の専務理事として交通遺児の研修大学制度を実施、大学に進学出来ない遺児にブラジルを始めアメリカ、オーストラリア、中国等を1ヶ月研修旅行させ胸を張って社会に送り出して遣りたいとの制度を構築ブラジル南部にも高校卒業生を連れて来られた時からのお着き合いをさせて頂いている玉井義臣日本ブラジル交流協会会長、あしなが育英会会長が読売新聞の関東地域版に連載している遊友録の39番目として5月8日に私を取り上げて呉れており、掲載された記事を送って呉れました。筈か900字に収めるのは至難の技と思いますが、上手く纏めておられます。
別に問題にする必要もありませんが、カメラ、ラジオ、時計を大事に持ち歩いたとの表現は少し違いこれら新来青年の三種の神器とも云える持ち物を次々買い取って貰い路銀にした次第で最後には寝袋と記録用のノート位しか残っていませんでした。今思えば無謀の2年間でした。
もう一つ私の卒業した大学は、連邦大学でなく授業料の高いポルトアレグレのカトリック大学でした。けい子が卒業した大学は、リオグランデのFURGと言う地方大学でした。
写真は、神戸三宮駅前であしなが育英会の募金運動をしていた学生さんたちに500円玉を入れて応援した時のものです。


読売新聞(関東地域版)遊友録 (39)ブラジルに雄飛した日本人 玉井義臣
 サンパウロで「高野書店」を営んでいた高野泰久さんが先月21日、急死した。イナタネーネットなどで伝えられ、日本とブラジルの関係者には驚きと悲しみとなって広がっている。1962年に移住船「あるぜんちな丸」の同船者として高野さんと渡伯した、当時早大海外移住研究会の学生だった和田好司さん(67)からは、「この5月27日に、着伯45年の集いで会えるのを楽しみにしていたのに」とのお悔やみの声が寄せられている。
 和田さんは、学生の身分のまま都の呼び寄せ移民としてと渡伯。アマゾンを含むブラジル全土やボリビア、パラグアイ、アルゼンチン、チリ、ペルー、コロンビア、ベネズエラ、パナマを2年間、無銭で放浪の旅をして回った。日本から持って来た300ドルは移住船で使い果たした。カメラ、時計、ラジオだけを大切に持ち歩いた。
知人、親戚を次々にしょうかいしてもらいながら夜露をしのいだ。多くの人に出会って話を聞き、多くの物を見、人の情けにすがった2年間だった。「礼状のはがき1枚ださなかったのが恥ずかしい」との思いを残した。
 だが、こうした経験と思いが後年、遺児や大学生80人近くを留学生として受け入れるエネルギーとなったのは間違いない。施してもらった恩義は、後輩たちに返していったのだ。
 和田さんは64年に一時帰国して早大政治経済学部を卒業。65年4月、再びブラジルに渡った。すぐに牛飼に挑戦するが、1年ちよっとで挫折。その後は、最南端にあるリオグランデドスール州の日本国総領事館に現地採用された。現地の連邦大学にも通い、74年に卒業して弁護士資格を取得。95年まで日系商社の現地法人で働いて役員にまで上り詰めた。
 77年に結婚した妻も移民だ。中学時代に移住し、苦学して連邦大学を卒業、化学の助教授になった人だ。3人の娘たちも皆大学を出て既に自立している。家族それぞれが自分の分野で力を発揮し、仲も良い。
 近ごろの日本の若い男性は、親にかわいがられ過ぎているように思える。ありもしないような安全、安心な生き方を選択してはいないか。私はそんな危惧を抱いてしまう。世界の人々と苦学し、連帯して生きなさい。学生たちにはそう言っているのだが。
(玉井義臣・あしなが育英会会長)



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