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「サッカー留学で自負と自信」 読売新聞5月15日号 遊友録40 玉井義臣
あしなが育英会会長の玉井義臣さんが執筆されている「遊友録」先週号の39で紹介して頂いたが今回は、日本ブラジル青少年交流協会の第1期生の松田浩君を紹介しておられます。松田君は第1期生であったこともあり特に思い出に残っており広島、神戸、福岡、神戸と彼が歩いたJリーグのチームの選手、監督としての活躍を訪日毎に追いかけている。博多の森まで2度も応援に出掛けたのにどうしてか私が行くと負ける。川崎フロンターレ、京都サンガに見事負ける所を見せて呉れた。今回の訪日では、残念ながらヴィッセル神戸を応援に行く機会がなかった。次回訪問時には是非とも地元神戸でブラジル仕込みの采配で見事勝って呉れるのを見たい。それと是非冬のキャンプを夏のブラジルで開きJ1での優勝監督になって貰いたい。写真は、福岡での試合後の一時に撮ったものです。


「サッカー留学で自負と自信」
日伯青少年交流協会の第1期生13日が1981年4月、それぞれの研修先に留学した。その中で異色の青年がいた。サッカー留学をする筑波大学蹴球部の学生だった、松田浩君である。
ブラジルといえばサンバ、サッカー、コーヒ−の国。男の子が生まれれば、誕生祝いはサッカーボールを贈る。私はテレビ局の友人を介して筑波大学蹴球部の監督に「ブラジルのプロサッカーチームの予備軍(ジュニオール)に1年留学させませんか」と申し入れ、選ばれたのが松田君だった。技術、人格とも一級で、将来は指導者になるということだった。会ってみると、何か大物の風格が感じられた。
 向かったのは、リオグランデドスール州の州都、ポルトアレグレの「インテルナショナル」。後年、クラブチーム世界一となる強豪だ。松田君はポルトガル語は分からなかったので、入部手続きや通貨の換え方といった指導は、引受人の和田好司さんが親代わりとなって教えた。
 この州にはグレミオというチームもあるのに、和田さんは本人の意向を聞きもせずに自分の大好きなインテルに決めてしまった。それが松田君の今日の運命を決めることになった。名門インテルのジュニオールは、全ブラジルから20歳未満のつわものが集まる。最も厳しいチームのひとつだ。最終的に残るのは、同じ年齢の20人ほどの中で2,3人程度。幸か不幸か、松田君はそんな過酷な環境にもまれることになった。
 だが、製靴はあった。1年後帰国した彼を見て、監督は、「とくに上手になったわけではないが、戦う姿勢が格段に強くなった」と評した。松田君は「誰も経験できないことを経験した自負と、期待を裏切りたくないとの思いが自信を結んだ」と話した。
 それからしばらく彼と会うことはなかったが93年、Jリーグ・サンフレッチェ広島の選手として後に伝説として語り継がれる、35メートルのロングシュートを決めたのをテレビで見た。
 昨年8月、彼はヴィッセル神戸の監督になった。留学してから四半世紀がたっている。彼がブラジルで学んだのはサッカーだけではない。「アスタマニアーナ」(あしたはあしたの風が吹くさ)の人生観の他、」外国人の中でプレーをしたことで、選手をマネジメントするための武器を見につけたに違いない。
 46歳になった松田監督の現在の夢は「外国で指揮をとること」だという。でっかくていいな、と思う。だから私も人植え稼業はやめられない。
(玉井義臣・足長育英会会長)



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