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富田 礼子さんからの画像掲示板への書き込みがありました。
元日本学生海外移住連盟の派遣生としてブラジルで研修をされ卒業後三井大阪商船の移住船でスチュワーデスとして何度か移住船に乗っておられた山添洋子さんの思い出話しとして幼い3人の子供達を船に残して移住船の船上から身を投げられたお母さまの話しを伺っていましたがその残された幼子当時2歳だった礼子さんからの書き込みが画像掲示板にありました。ほんとに驚きの出来事でした。メーリングリストへの書き込みを中心にその記録を残して置きたいと思います。妹さんの当時9ヶ月だった美代恵さんもお元気だとの事で本当に嬉しいです。
『私たちの40年!!』HP、画像掲示板、メーリングリスト、blog等を過去5年間に渡り管理運営してきましたがこの富田さんからの書き込みが一番嬉しい出来事にように思います。今後の成り行きを見守りたいと思います。
写真は、山添さんの大事なアルバムに残っていた写真の一枚です。


ML5033 7月11日 凄い方からの書き込みがありましたよ。
山添 洋子 さん
お久しぶりです。このメールが届くでしょうか?
貴女が大阪商船のスチュアデスとして何度か往復した時の帰路で幼子の母親が船から身を投げて亡くなられたとの話しをしておられましたが何とその幼子御本人が成長し日本で元気に生活しておられるようです。『私たちの40年!!』の画像掲示板に富田 礼子さんというほぼ間違いなく山添さんがお世話をして上げた幼子だった方からの書き込みがありました。
画像掲示板の書き込みと私の返事を下記して置きます。機会があればお会いして見られては如何ですか。『私たちの40年!!』MLに参加されないか誘って見ます。

初めまして 私は昭和39年にブラジルのサンパウロ トメアスで生まれた者です。たまたまこのホームページを見つけて嬉しくなり投稿しました 私の両親は昭和37年頃にブラジルに移民として渡りました かなり無理をして荒れた土地を開拓してピメンタを栽培しやつと軌道にのりかけた矢先に 父は25歳のときに肝臓ガンにかかり若くして無念の死を遂げました。母は日本に帰る決意をしたのですが帰る途中の船上から身を投げてしまいました 今でこそ日本で元気に暮らせるのもブラジルで頑張った父と母のお陰と感謝しています 当時の父と母が暮らしたブラジルに行くことが今の私の夢です いきなりでごめんなさい。
富田 礼子 さま
これは嬉しい方にお近づきになり、感激です。貴女のことは大阪商船の貴女が乗って帰国された時の移住船のスチュワデスをしておられた方から聞いて知っていました。悲惨な移民の歴史として誰もが涙したお話しですが其のご本人が元気にしておられるとの事、本当に嬉しく思います。これからも是非宜しくお願いします。その後の貴女の人生、生き様を是非知りたいと思います。興味半分でなく戦後移民の歴史として書き残して置きたいお話しです。
ただ一つ貴女が生まれたのはサンパウロでなくアマゾンの河口の町ベレンから船で一晩走った胡椒の村トメアスーだと思います。帰国の時もアマゾンのベレンの港から帰国されたのではないかと思います。
是非ご両親が奮闘したブラジルの地、貴女が生まれたブラジルの地を訪問して下さい。出来ればご一緒にトメアスーをご案内したいと思います。
本当に書き込み有難うございました。

ML5034 7月11日 丸木さんからのお便り
これを読んだとたん、鳥肌がたちました。よくぞ元気で生き抜いてこられ何よりです。それにしても、母親の跳び込み自殺をなんとか未然に防げなかったのか、つくずく残念ですね

ML5038 7月12日
皆さんにご紹介した「私たちの40年!!」画像掲示板に投稿して下さった富田 礼子さんから新しい情報が画像掲示板に書き込まれていましたのでご紹介します。
尚、富田 礼子さんにもこのメーリングリストに219番目のメンバーとして参加して頂く為の手続きを済ましておりますのでこのMLに書き込めば富田さんにも到着すると思います。是非富田さんを励ますメールをお願いしたいと思います。

こんばんは、和田好司様。
私の投稿にコメントして頂き有難うございます 本当に嬉しいです。 
私たちのことをご存知だったとは夢にも思いませんでした、本当に感激です。幼少の頃は埼玉県の親戚に引き取られ貧しいながらも逞しく育ちました、今は色々とあって東京に住んでいます、兄は母の実家がある栃木にいます、妹は結婚して秩父に暮らしております。このような素晴らしい方たちと巡り合えたことに感謝します、これからもどうぞ宜しくお願いいたします、機会があれば 是非、ブラジルを案内して頂きたいと思います。
私でよければ色々とお話をさせて下さい。

ML5039 7月12日 ママウスの高橋さんからの書き込み
和田さま
月末の28日にリバーサイドでお会いできるのを楽しみにしています。
島さんとはすでにツアーの件について相談されましたか?
決定したら、状況を知らせて下さい。

富田礼子さんの件について
いやはや、大変な方からの書き込みがありましたね。
幼い時に両親を亡くされ、アルゼンチナ丸で山添さんにお世話になりながら
日本に帰国され40数年が経ち、その消息がわかり元気でおられる様子を
聞き及びますと感涙の思いです。

富田さんの書き込みによりますと渡伯されたのが昭和37年頃とありましたが
ひょっとすると同じ船(ブラジル丸)でベレンまでこられたのではと思うと尚更に
親しみを感じます。 
ベレン下船の際は確かにトメアスー方面に入植される方たちがおられたもの
と記憶しています。
私はマナウスのアマゾンですが是非とも富田さんにはベレンまでお出でにな
ってご両親の足跡をたどり生を受けられた彼の地を訪問されることにでもな
れば素晴らしい事だと思います。
マナウス 高橋


ML5051 7月14日 ビックリしました。
和田好司様
富田礼子様

和田様に申し訳ありませんが
時々しか開かないこのページを開いてビックリ玉手箱!
まさかまさかこんな事が起ころうとは・・・

紛れもなくあの時のお嬢ちゃん・富田礼子さんです。
私のアルバムに5歳のお兄さんひろゆきくんと礼子ちゃん2歳、9ヶ月の妹美代恵ちゃんと書いてあります。
あなたの苗字が変わっていないのでより確かでした。

あの時のことは私の一生の中でも忘れられない思い出です。
折に触れてあの子供さん達はどうされたかな?
と思っていました。
3人ともお元気で日本で暮らしておられたのですね。良かったですね。
そしてこのように、ご両親の暮らされたブラジルに思いを寄せて和田さんのページにアクセスされたことで、信じられないような出会いになりました。

多分私はあなたのお母さんと言葉を交わした最後の人間だと思っています。
お母さんが飛び込まれたことをブリッジに通報する最初の電話を掛けたのも私でした。

あの日のこと、そしてその後あなた方と、ロサンゼルスまでご一緒したとことなど記憶しています。
なにぶん40年も前のことで、記憶があやふやですが、もしよろしければ少しぐらい思い出話しが書けるかなと思います。
船内で、私があなたをだっこしている写真とリオについて観光にお連れしたときのかわいいあなたの写真がアルバムに貼ってあります。これもよろしければ
このメールでお見せすることができます。

今、日本では個人情報の保護ということが非常に厳しく、
あなたのプライバシーにかかる問題をこんなに書いて良いかどうかわかりませんがなんといっても古い話なので、お許しいただければ皆さんの目にも触れるこのページに書きますが・・・

和田様、いつもいつも大変精力的にこのページを作ってくださっていることに
感謝していますが、こんなご縁に繋がるなんて思いもよらないことでした。
ありがとうございました。
インターネットってすごいですね。
富田さんからのご連絡をお待ちしています。
山添洋子

ML5052 7月14日
こんにちは、山添様。つい軽い気持ちで開いたページがまさかこんな深い出会いに繋がるなんて私の方が驚いております。あれから40年、小さかった私もいい年のおばさんになりました…幼かった私達兄弟は両親の生き様を知る術もなくただ手元に残されている写真だけでした、私達を引き取って育てて下さった大叔母さんも数年前に亡くなりました…昔に聞いたことがあります、船の中で母を亡くした私達を日本まで面倒を見てくれ連れてきて下さった方達がいることを知っていました…まさかこのような和田様の働きかけで巡り会えるなんて本当に本当に夢みたいです、その節は本当にお世話になり日本まで連れてきてくださって有難う御座いました…この場を借りてお礼を言わせて下さい。現在は私も妹も結婚してそれぞれ子供がいます、今の私達があるのも山添さまや和田様達のお陰様だと感謝をしています、最近、亡くなった両親に思いを馳せることが多くなりました…顔も声もしらなくて本当に会いたくて仕方ありませんでしたよ…当時の話しも本当に知りたくて両親を少しでも
知っている人に会いたくて仕方ありませんでした、悲しいことに夢にも現れたことがないです、なのでまたこうして両親を知っている方々に出会えたのも何かのご縁だと思いますのでこれからも宜しくお願いします、できれば妹も含めて一度会えたら嬉しいと思います。

ML5054 7月14日
山添 さま
富田 さま
皆さん

ほんとにビックリの再会となりそうですね。以前山添さんが書かれた大阪商船のスチュウワデス時代の大きな出来事として富田さん達の事が語られていたのを思い出しもしやと思い連絡させて頂いたのですが、まさしく山添さんの心に残り気にしておられた幼子の御本人にひょんな事から嬉しいお元気な様子が分かり『事実は小説よりも奇なり』と言った感じです。私も5年間『私たちの40年!!』のHP、画像掲示板、このメーリング・リスト最近では写真を中心とした『私たちの40年!!』関連blogと色々やっていますが、これまでにも依頼を受けて消息探し等を数件手掛け上手く探し出せた時は、本当に嬉しく感じましたが、今回の富田さんの画像掲示板への書き込みは凄い人からの書き込みとして山添さん宛のお便りとして流しましたが無事山添さんのお目にも付き富田さんご自身も喜んでおられると思います。ホームページ管理運営者としての冥利に尽きる嬉しい嬉しい出来事です。
今後の進展を見守りたいと思いますが、来年の帰国時には是非東京OFF会に参加頂きお会いしたいと願っています。
今後の山添さん、富田さんの交信も出来れば220名のメンバーの皆さんもお裾分け、参加出来る形でこのML上での交信をお願いしたいと思います。

ML5055 7月14日 丸木さんの書き込み
山添さんが日本にお連れされた移民の遺児の生存が和田さんのMLで確認できたのは国民栄誉賞ものですよ!移民の一人として、こんなに嬉しいことは御座いません。
和田さんのMLがアクセス60万を超え、このような快挙が達成できたのは和田さんのMLが社会的使命果たしている証拠です。あらためて和田さんの偉業に敬意を表します。
 いつぞや、山添さんが教えてくださった阪神ファンのオウムの話を思い出しました
。今日はトロント猛虎会年次総会です、フランス革命記念日でもありますね。
 富田さんと山添さんの再会の早からんことを願いつつ・・・

ML5056 7月14日 美代恵さんのお便り
山添 さん
富田さんの妹さんの美代恵さん(当時9ヶ月)からも下記メールが届いています。嬉しいですね。

和田好司様
初めまして。
突然のメール 大変 失礼致します。
私 名前は 麻柄美代恵と申します 。
昨日 姉の富田礼子から山添洋子さんからのメールを送信して頂き読ませて貰いました。こんな事もあるのかと鳥肌がたつ 思いでした。 涙で文章がにじみました。
亡き両親は 今 どんな想いでいてくれるのか‥私は 感慨無量で胸が一杯です。 貴殿はブラジル在住なのですね。和田様、山添様どうか この 不思議な計らいに 感謝すると共に あの時の事を私達 兄弟に 教えて下さい。 父母への 最大の供養となりうると思わずには いられません 。ご縁を頂いた のは きっと 両親の悲願でしょう‥

有り難うございます
お返事お待ち致して おります ・ 麻柄美代恵

ML5057 7月14日
麻柄美代恵 さま
お便り有り難う御座います。貴女が富田礼子さんの妹さんですね。
『私たちの40年!!』MLにも登録させて頂きますのでブラジル情報が毎日4−5通届くようになると思いますので宜しくお願いします。当時9ヶ月だった貴女が元気にお母さんになられて頑張っておられるのを知り本当に嬉しいです。
今週は、本当に嬉しい便りの届く週でした。
今後共宜しくお願いします。

ML5059 7月14日 tomokoさんからのおたよりです。
とってもいいお話ですね。
悲しい過去も乗り越えて当時のお子さんが元気というのは精巧にできたドラマよりもドラマチックですね。

私事ですが、数年前にお母さんと娘さんが20年間アルゼンチンと日本で離れ離れになった案件にかかわりました。
(( 実は、こういう家族の対面は常にテレビ局にも頼まれています。 ー テレビで、とご批判の向きはあるとは思いますが、本人が旅費などの費用を捻出できなかったりする場合、またその感動を皆で分かち合ってもいいという場合一つの方法だと思います))
しかしながら、ご本人達のご希望でテレビ化はしませんでしたが、最初の声だけの対面は本当に素晴らしいもので、通訳をさせてもらいましたが、涙を流さないように務めるのが大変でした。
TOMOKO

ML5060 7月15日
麻柄さま

あの時の赤ちゃんですね。
私たち2人のスチュワデスはどちらも22歳で、子育ての経験もなく
あなたのお世話はできませんでした。
幸い、船客の中にお世話してくださる方が現れ、ロスまでの
多分2ヶ月近くみてくださったことと思います。
なんといっても往路でしたので、ベレンからレシフェに緊急寄港、
その後、リオ、サントス、モンテビデオ、ブエノスアイレスと
日本から一番遠い地球の裏側まで行って、そこからまた、戻ってきて
ロスで降りて、飛行機で日本へ帰られたはずです。
あなたはそんな小さいときに地球半周の旅?を経験されていることになりますね。
和田さんが移民船あるぜんちな丸と書かれてましたが実は私が乗船した頃はすっかり改装されて客船(正確には貨客船)になっていて、小さいお客様のためのミルクも紙おむつもおもちゃ類もたくさん積んでありましたので問題なかったと思います。
上のお兄さんお姉さんと写した写真があるのですがあなたが写ってなくてホントに申し訳ありませんが、よろしければお見せできますよ。

山添洋子

ML5062 7月15日 美代恵さんからのおたよりです。
麻柄 美代恵 さま
お便り有り難う御座います。宛先が山添洋子様ともなっているので貴女にも参加頂いている『私たちの40年!!』MLに流させて頂きます。直接『私たちの40年!!』MLにお便り下さっても構いませんよ。現在221人のメンバーが登録されています。メンバーの多くの皆さんが貴女達兄弟の事をもっと知りたいと願っていると思いますので少しずつ語って頂けると嬉しいです。
お便りにある大橋宏さんという方が 書いた「大地と共に」という著書は、現在貴女の手元にあるのでしょうか?是非読んで見たい本ですね。
別々に育ったお兄さまとは20年振りの再会とか、お会いしたら宜しくお伝え下さい。貴女の父上はトメアスの第2トメアスと言う新しい耕地で奮闘されたのではないかと思います。当時、マラリアが流行しキニネと言う強いマラリア特効薬を飲み肝臓を悪くして亡くなられた方が多かったとお聞きしております。同船者の海谷 千栄子さんは62年5月にトメアス移住地に入り僅か2ヶ月で夢多き人生をマラリアにより失われました。681人のあるぜんちな丸第12次航の同船者仲間のブラジルの土に戻った第1号の方でした。享年19歳。あたら貴重な人生を落としさぞや無念だったと思います。5年前に再度トメアス移住地を訪問しお墓参りをしましたが同船者の多くがトメアスの墓に埋葬されており多分貴女のお父上もこのトメアスのお墓に眠っておられるのではないかと思います。5年前にトメアスを訪問した歳に海谷 ことさん(千栄子さんのお母堂)に我々残された者が元気に生きていく事が先に逝った者への餞であり義務であると肩をどんと叩かれたのを思い出しますが、そのことさんも今は亡き人となりました。
『私たちの40年!!』の下記URLを参考に覗いて見て下さい。
小雨のベレンで下船された同船者を訪ねての旅。
http://40anos.nikkeybrasil.com.br/jp/biografia.php?cod=21

和田好司様
山添洋子様

返信下さり 有り難うございました。
自己紹介も そこそこに ぶしつけなメールを 送ったにもかかわらず お心遣いをして頂き 大変恐縮です。
姉の お陰で出会えた事を 本当に嬉しく思います。
ブラジルと日本は時差が12時間あると お聞きしました。勿論 日本が半日 進んでいるのですよね、去る 5月に ブラジルサンパウロから ある知人の方が ブラジルの 土と サントス沖から取水した海水を 持ち帰り 「お父さん、お母さんと思い お受け取り下さい」と
私に 受け渡して下さりました。
同時期にブラジルに住んでなさる和田様と、関係を持てるとは不思議ですね。
父母の墓前に土と、海水を供えられるようにと 思ったのですが 父はブラジル、母は日本と 別々に埋葬されてる為 今後 の事を兄弟で話し合う機会を今月末に予定しています。 幼い時から離れて暮らしていた兄に連絡がつき、 20年ぶりに再会できるので 今から楽しみです。
「私たちの40年」とありますが まさしく私は 40歳に なりました。あの時の9ヵ月の乳飲み子です。姉が書き込みしてくれた通り父母の温もりを感じる術もなく 写真だけが 過去を教えてくれた唯一の 事実でした‥ 生きてさえいてくれれば と幾度 思った事でしょう。
私達 兄弟は捨てられたのかと 自問自答してきました。。
でも 我が子を設け この歳になり感じた事は残される者より残して逝かなくてはならない母の想いが わかるようになれました。

自ら命を絶とうとした時 我が子を道連れにせず残そうと、 迷い悩んだであろう 母の選んだ選択は 間違っていなかったのではないかと‥最近思うのです。
兄、姉がいてくれてそれだけでも 私は幸せ者だと 思うのです。
以前 アルゼンチンな丸に乗り合わせ日本まで私達を連れてきてくれた 大橋宏さんという方が 書いた「大地と共に」という著書を開いてみました。
山添さんの お名前は載ってませんでしたが「チルデレンコーナー保育室のようなものがあり、日中は船のスチュワーデスが子供達の面倒を見てくれ洗濯などやってくれる体制は出来ていた」と 記されていました。
すぐ 山添様の事なのだと思いました。日本に帰国する際 私達の世話をする臨時家族が編成され メンバーが選ばれたとも 載ってました。育ての親が亡き今 当時の方々に連絡取る事も出来ずにいました。
今、こうして 和田様や山添様に
連絡が取れるのは 無上の喜びでございます。
どうぞ これからも お身体を御慈愛なさりながら お過ごし下さい。
今後とも 宜しくお願いします。
敬具

ML5065 7月15日 トメアスー墓地
和田さま
あるぜんちな丸関係者の皆さま
サンパウロの岡村です。
和田さんと共にあるぜんちな丸第12次航の同船者の皆さんをトメアスー移住地にお訪ねしてから5年になりますね。
あの時、案内をしてくれた大西邦光さんも亡くなられ、一昨年、第2トメアスーの墓地にお参りさせていただきました。
和田さんにもご覧いただいた拙作「アマゾンの読経」でトメアスーの無縁墓地を案内して語られた坂口和尚も、今年、他界されました。
先週はベレン近郊のカスタニャールに赴任していた僕と同じ歳の石川裕之神父の訃報に愕然としました。
数えてみますと、私の作品の中でトメアスーの墓地が登場する作品が3本もあります。

私も50歳を前に、トメアスーにご存命の方より墓地の方に知人が・友人が増えてまいりました。

次回トメアスー訪問の際は、合わせてお参りさせていただきます。
岡村淳
「岡村淳のオフレコ日記」
www.100nen.com.br/ja/okajun">http://www.100nen.com.br/ja/okajun

ML5071 7月16日
和田 好司様 山添洋子様

お早うございます、富田礼子です、こんな朝から大変申し訳ありません。妹からのコメントにも忙しい身でありながら両親のことを詳しく知らせて頂き本当にありがとうございます、昨夜、妹からメールをもらいまして山添さんから写真を見て下さいとの連絡が入りましたとありました、本当に有難うございます。この三連休に和歌山県の高野山に両親の供養兼旅行にいっていたもので中々、連絡ができず申し訳ありませんでした…妹の手元には大橋宏先生の書かれた本があると思うのですが唯一、ブラジルにいた両親のことを知る手掛かりになる貴重なものです、大橋宏先生も一緒にアルゼンチンナマルの船に乗っておられたのだと思いますが、ブラジルから帰ってきた私達姉妹に確か年一回くらいの間隔でよく奥様と一緒に秩父の家に会いにきて下さっていました、本当に親身になって帰ってきた私達のことを気遣ってくれ嬉しかったことを覚えています。 少し大きくなってから大橋宏先生の家に私達兄弟で訪ねたことを覚えていますし、その時に撮った写真もあります。あれから私達も結婚したりと大橋宏先生との連絡も取らなくなり今はどうしていらっしゃるのかな?と気掛かりで仕方ありません…小さかった頃に全国の皆様から沢山の手紙が私達に届いていたこと、大きくなったらこの手紙を差し出してくれた方々にお礼の手紙を書こうなんて思っているたけで実行できずじまいで申し訳ないと思っております、それとブラジルにいた頃の記憶は殆どないのですが何故か頭にダーバンみたいなものを巻いた女性と一緒に赤い実を拾っている光景がずっと小さかった頃から脳裏にあってずっと赤い実は何だろう?と疑問に思っていたことがあるのですがつい最近それはもしかしてコーヒー豆?と思ったんですけど近くにコーヒーを栽培している場所が近くにあったのでしょうか?(笑)池に落ちて死にそうになったような記憶もあるんですが小さかった頃の私は男の子みたいにわんぱくできっと親を困らせていたんだとろうな〜と思います、私達の40年の会員に登録させてもらいそのお陰様でトメアスのことなどや会員の皆様とのコメントも有り難いことに拝見することができ本当に幸せだと感じています、今後も山添様、気になさらず色々なことを教えて頂きたいし私からも聞かれたことは素直に答えていきたいと思いますのでどうぞ姉妹共々、宜しくお願い致します 今、私は昼間はフルに働いているため、私達の40年をみる時間も遅くなってしまったりするのですができる限り、していきたいと思いますので宜しくお願いします。できたら私達姉妹で山添さんの住んでいらっしゃる京都に個人的に会いにいきたいとも考えています
富田礼子

ML5072 7月16日
和田好司様

旅行から帰ってきて昨夜は疲れていてPCをみることなく寝てしまい朝、拝見いたしました 現地の写真ですね‥拝見できて嬉しく思います。今朝は時間が余りありませんのでまた会社から帰ってきたらゆっくり見てみたいと思います。

ML5076 7月16日
TOMOKO さん
TOMOKOさんは、TVの現地コージネータをしておられるので色々な番組に携わっておれる専門家ですよね。富田さん姉妹のお話はおっしゃる通り精巧にできたドラマよりもドラマチゥクですよね。ご本人達次第ですが生まれ故郷のブラジルをご姉妹で訪問できるようなスポンサーが付くと喜ばれるでしょうね。これからの成り行きを見守って行きたいと思います。

ML5077 7月16日
岡村 さん
岡村さんとご一緒に小雨振るベレン、大雨のトメアスを訪問してから既に5年になるのですね。ベレンで下船した同船者の皆さんの消息を尋ねて【40年目のビデオレター】を収録したのが『私たちの40年!!』の始まりでした。
第2トメアスの大西邦光さんも他界されましたか。大西さんから庭先に咲いていた多年草の草花を引き抜き新聞紙に包んで頂いてきた草は、冬の間はさすが寒すぎるのか葉が枯れてしまいますが春になると又葉が茂り小さな白い花を咲かせます。これはアマゾンの第2トメアスの大西さんのお宅の庭先から持ち帰った記念の多年草、大事にして行きたいと思います。
又何時の日か岡村さんとご一緒にトメアスを訪問したいですね。
お体に気を付けてお励み下さい。




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