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「おいやんの熊野便り」真砂 睦さんの「黒潮タイムズ」連載記事
「おいやんのブラジル便り」を90回も書き続けた真砂 睦さんがブラジル勤務を終え帰国後、郷里の田辺市に居を構えておられますが、2月から月に一度の頻度で「おいやんの熊野便り」を地元紙の「黒潮タイムズ」に連載を初めておられます。この『私たちの40年!!』HPにもブラジルの続編として紀州熊野の自然、日々の出来事を繊細な観察力と華麗な筆力で毎月執筆されるとの事ですのでフォロウして行きたいと思います。
写真は、2005年紀州南部の梅仙人、永井恒夫さんを訪問した時に田辺駅前に当時NHKで大河ドラマ『義経』を放映中で主人公の人気者武蔵紡【弁慶】が田辺の生まれとかで立派な銅像が飾られていたのを撮って置きましたのでこれを使わせて頂きます。


「おいやんの熊野便り」(1)        2007年2月24日
「メジロ」
天気が良い日の朝は富田川に沿った遊歩道を歩いているが、2月もまだ初旬に鶯の初鳴きを聞いた。鳴き始めで慣れていなかったのか、戸惑いがちに消え入るような頼りないものであったが、一週間もたたないうちに「ホーホケキョ」とみごとに鳴ききるようになった。5キロほどの道のりを歩くあいだ、鳴き声が途絶えることがない。遊歩道は片側が本宮大社にぬける国道に接していて車の往来が激しいし、富田川に面した片側にもぽつりぽつりとほんの小さな竹藪とわずかなブッシュがあるだけなのに、こんなにたくさんの鶯がいったいどこに潜んでいるのか不思議である。鶯は笹藪や背の低い雑木林の中を、地面を這うように動きまわっているからであろうか、鳴き声はすれど姿は見えない。
それにひきかえ、秋から冬に人里に姿を見せるメジロはうんと身近な野鳥である。我が家のほんの小さな裏庭に植えてある数本の梅の幼木にも、たまにかわいい姿を見せてくれる。メジロは夫婦仲の良い小鳥である。二羽のつがいがいつも一緒で、片時も離れない。時には十数羽が群れになって飛び回ることもあるが、たいていはつがいで動いている。  
私は中学生になった頃メジロに魅せられ、一時は5〜6羽のメジロを飼っていたことがある。当時は田辺市の街中に住んでいたのだが、ある時近所の遊び友達から一羽の雌をゆずってもらった。秋が深まる頃、その雌をおとりにしてメジロを捕りに郊外の山に通った。狙うのは鳴き声が良い雄である。メジロは姥目樫(ウバメガシ)によくやってくる。備長炭の原木である姥目樫は、歳を経て古木になると幹から蜜を出す。夏にはその蜜にカブトムシやクワガタが集まってくる。秋も深くなると今度はメジロがやって来る。蜜が出ている近くの枝におとりの雌メジロの鳥籠を掛け、近くの小枝にとりもちを巻く。おとりの鳴き声に引き寄せられて雄が鳥籠までやって来て、仕掛けられたとりもちに引っかかるのである。とりもちを掴んでしまったメジロは飛び立とうとすると足が離れないのでくるりとひっくり返る。私はそこに走り寄って手でつかむ。暴れる小鳥をやわらかく握りながら、足の裏にくっついたとりもちをマッチ棒でぬぐってから、風呂敷でくるんだ鳥籠に放つ。風呂敷で暗くしないと暴れてくちばしを籠に打ち付けて死んでしまうからだ。かわいそうなのはつがいの残された雌。雄が姿を消したので狂ったように鳴きながら近くを飛び回る。雌の鳴き声はなかなかやまない。これがメジロ捕りで一番つらい時である。雄を呼ぶ雌の悲痛な鳴き声が今も私の耳の奥に残っている。罪なことをしたものである。
捕らえたメジロは、最初はすり餌を食べないので、まずは蜜にみたてた濃い砂糖水を与えながら徐々に慣らしていく。数週間ほどして落ち着いてきたら、鳥籠の覆いを少しずつはずしていく。こうして毎日餌を作り、水浴びをさせたりしているうちにだんだん慣れてきて、しまいには鳥籠の入り口を開いても逃げなくなるほどなついてくる。
あれから時が経ったが、熊野に春の気配が忍び寄ってくる頃、今も仲の良いつがいが人里近くの満開の梅の花にとりすがっている姿を見ると、姥目樫の古木の下に隠れて、おとりに近づいてくる愛くるしい小鳥を息をひそめて待っていた自分を想い出すのである。

「おいやんの熊野便り」(2)      2007年3月16日
「秋津野」
近所の農家の庭先に置かれた小さな箱の中にいつもたくさんの果物の包みが入っている。「一袋100円です。どうぞ持って行って下さい。秋津のミカンと柿はおいしいよ」と書かれている。この農家はどうやら田辺市の秋津野に果樹園をもっているようだ。袋の中身は時とともに変わっていく。10月になると先ず柿が並ぶ。100円の袋には富有柿が5〜6個も入っている。姿も大きさも少々不ぞろいなのだがなにせ安い。それに先ほど果樹園からもぎとってきたばかりと思わせるような土の臭いが残っていて、つい手が伸びる。柿は年末まで並べられているが、10月も半ばになると早生の温州ミカンが加わってくる。小ぶりで青いが甘さは充分。これも100円袋に10数個も詰められている。年の瀬が近づくにつれて深い黄色の温州に変わっていく。紀南地方の温州ミカンは皮が薄く甘みがつまっている。この温州ミカンが出回るともう新年が近い。温州は1月いっぱいは味わえるが、相前後して伊予柑とネーブルも出てくる。こちらも大きさが不そろいながら、100円でたっぷり賞味できる。ネーブルは4月になっても置かれている。1月も半ばになるとポンカン。粒は少し小さめながら、大変甘くて美味しい。これは2月いっぱいまで置かれている。3月になると今度は三宝柑。江戸時代から紀州の殿様に献上されていたとかで、この三宝柑もなかなかこくのあるおいしさである。相前後して清見オレンジも顔見せする。清見は温州ミカンとオレンジを掛け合わせたものだそうで、紀州生まれの優秀なミカンだ。デコポンが現れるのも3月。こちらは清見オレンジにポンカンという、優秀種のかけあわせなので、味はなかなかのものである。3月はさらにハッサクも入ってくる。だから3月から4月にかけてはネーブル、三宝柑、清見オレンジ、ハッサク、それにデコポンと5種類ものミカンを味わえる。いずれも木で完全に熟したものばかりだ。
そんな具合で、なんと10月から4月まで半年間以上にわたって、近所の農家の庭先で100円と引き替えに、もぎたての柿やさまざまな種類のミカンを手に入れられるのである。朝の散歩の帰りにこの農家の庭先から果物袋をさげて帰れるように、私はいつも100円硬貨をポケットに忍ばせている。
 秋津野のミカンのおいしさは昔から評判だったが、それにしてもなんと多くの種類が次から次と繰り出してくることか。ミカンだけで半年間以上にわたってとっかえひっかえ賞味ができるのである。こんなに豊富な種類の、しかもとびきりおいしいミカンを提供し続けられる産地は、そここにある話ではない。ミカンの評判に押されてあまり表には出ていないが、秋津野は梅の生産もなかなのもので、隠れた名産となっているそうな。なるほど田辺の街を見下ろすように鎮座している高尾山の中腹から裾野にかけての南斜面には、ミカン園とともにあちこちに梅林も遠望できる。そうなるとミカンと柿と梅を交互に繰り出していけば、秋津野は四季を通して地域の特産物を提供できることになる。品質は申し分がないだけに、「ミカンと柿と梅の秋津野」として全国にこの地域を売り込むのに充分な条件を備えているな、そう思いなが今日も甘いミカンを頂戴した。

「おいやんの熊野便り」(3)        2007年4月8日
「オオカミを放つ」
紀伊半島の最高峰、大台ヶ原の自然破壊が進んでいる。本州で最も雨量が多い奥熊野の高地には、亜高山樹木が深い森を作っているが、近年その森が壊されて、無惨な姿になりつつある。森の荒廃の原因は鹿。鹿が木々の皮を剥いで食べるせいで、トウヒやウラジロモミといった森を支える木々が枯れてしまって森林が退行し、笹の群落がどんどん浸食しているという。こうした鹿による自然破壊は紀伊半島にとどまらず、日本全国で問題になっているようだが、そのうえイノシシや猿が食い荒らす農作物の被害も急増している。鹿にかぎらず、イノシシや猿もその生体数が増えすぎたことが原因であるらしい。
最近、「日本オオカミ協会」という組織があることを知った。東京農工大学や宇都宮大学の専門家が中心となって1993年に設立された。鹿やイノシシや猿が増えすぎて、このままでは日本の森林の破壊や農作物の被害を防ぎ切れないことに危機感をもって、日本にオオカミを放ち、本来日本が持っていた生態系ピラミッドを修復して、食物連鎖を回復させることで鹿やイノシシの生体数を適正なものにもっていくことを実現するための市民団体である。その道の専門家が中心となっている団体なので、一般大衆への啓蒙活動に加えて、オオカミを放つことにたいして、専門的な観点からの研究も行っており、米国・ポーランド・モンゴール・インド等の専門家との交流や共同調査作業なども実行している。この協会の専門家が協力して最近「オオカミを放つ」という本をだした。筆者もこれまで、保護獣に指定されている筈の鹿などが山野を荒らし回っているという記事を目にするにつけ、割り切れない気持ちでいたが、この本を読んでみて状況がすっきり整理された気がする。
この本によると、鹿やイノシシが増えすぎたのは、猟師が高齢化で激減したこともあるが、鹿やイノシシの捕食者であったオオカミがいなくなったのが根本原因だそうだ。日本にもオオカミがいたが絶滅した。1905年(明治37年)奈良県東吉野村で捕獲されたのがニホンオオカミの最後で、ほぼ同じ時期に北海道でもエゾオオカミも絶滅したとされている。生態系の頂点にいたオオカミが不在となり、日本の動物界の食物連鎖が崩れた状態で100年経った結果、鹿やイノシシが増えすぎてしまったということになる。アメリカのイエローストーン公園では、1995年と1996年に計31頭のカナダ産オオカミを放した結果、2004年には190頭に増え、反対に鹿の数が漸減して、公園の生態系の回復が進んでいるという。問題は放たれたオオカミが人間に危害を加えないかということだが、これまでの欧米やアジアでの実態調査では、オオカミは人間を恐れているので人間には近づかないという結果がでており、人間のほうから餌付けをしたりして人間慣れをさせない限り、オオカミとの共生は問題がないとしている。まれに狂犬病にかかったオオカミに近づくと人間も噛むので、その場合は射殺する必要があるが、これは特殊例外ケースであろう。
このままでは鹿やイノシシの生体数の増加を食い止めることができず、森や畑の荒廃を止められないとすれば、オオカミの復活を断行すべきではないだろうか。ユーラシア大陸やアメリカ大陸をみても、オオカミのいない自然のほうが不自然なのである。

「おいやんの熊野便り」(4)    2007年5月15日
「日本語溶融」
所用で大阪に行ったついでに開業間もない「難波パークス」を訪ねてみた。昔の大阪球場の跡地に南海電鉄が作った最新のショッピングモールだ。「六本木ヒルズ」ほどあか抜けてはいないが、建物のあちこちに人工の庭園を配して、たくさんの木を植えているのがよかった。東京などに比べて極端に緑が少ない大阪の街中なので、このモールの木々に少しは安らいだ気分になる。シャクナゲや花梅、ツツジなどの花木に囲まれて、和歌山県からの寄贈として、ウバメガシも植えられていた。
モールの中心にパークスタワーという8階建てのビルがあり、各種専門店や映画館、本屋、食堂などが入っている。タワーには食堂と映画館を除くと150軒ほどの専門店がのきを並べているのだが、驚いたのはそれらの店のほぼ100%が外国語の店名を付けていることだ。すべてカタカナの看板なのである。中にはカタカナの下に小さな字で対応する原語を添えてある店もあるので、それを読んでみると、英語はもちろん、フランス語やイタリア語まである。各階の案内書を見ると、これまたカタカナの氾濫。紳士をメンズ、女性をレディス、店をショップ、階をフロアー、宝石をジュエリー、子供をキッズ、輸入をインポート、珍しい品をレアーアイテム、光をライト、酒類をリカー、趣味をホビー、おもちゃをトイズ、選択をセレクト、結婚指輪をブライダルリング、純粋をピュアー、衣類をウエアー、自然をナチュラル、味をテイスト、製品をプロダクト、状況をシチュエーション、贅沢をラグジュアリー、透明をトランスペアレント、庭をガーデン、くつろぎをリラクゼーション、綿をコットン、傾向をトレンド、靴をシューズ、銀をシルバー、軽いをライト、強いをストロング、感覚をフィーリング、細目をディテール、などなどきりがない。れっきとした日本語があるのにわざわざ英語とおぼしき単語に置き換え、我流の読み方でカタカナに変えて、並べたてているのである。日本語に置き換えることが難しい単語ならともかく、こうもカタカナに崩されては日本語のていをなさなくなる。こんな状態が続けば、若い人々はこうした英語まがいのカタカナに浸食されて本来の日本語を忘れてしまうのではないか。言葉はその国の文化の根幹。空恐ろしいことである。
日本語は変幻自在だ。中国伝来の漢字に加えて、平安時代になって日本独自のひらがなとカタカナをあみ出し、それぞれアルファベットを創り出した。この2つのアルファベット文字を使えばどんな外国語でも簡単に日本語に取り込める。だがそれは我流の発音で日本語のアルファベットに置き換えるだけで、外国語を理解することには必ずしもつながらないのみならず、自国語を破壊してしまう危険性も抱えているのではないか。英語はもとより、フランス語やドイツ語などの自国語を世界に普及させようと、一国の戦略として膨大な予算と人材をつぎ込んで躍起になっている国々がある一方で、いとも簡単にしかも統一された規範もなしに、各人が勝手気ままに自国の文化がつまった言葉を外国語のカタカナ言葉にすり替えてしまう国もある。変幻自在は良い面もあろう。だが外国言葉への無定見なすり替えは、自国文化の溶融につながる。しっかりした規範作りが急務であろう。

「おいやんの熊野便り」(5)       2007年6月26日                   
「残したい日本の原風景」
5月の連休が過ぎてまもなく、富田川筋の田んぼに水が引き込まれ、田植えが始まった。
数日のうちに辺りの水田が一面の苗で埋められた。もう梅雨入りが近い。近所の知人の話では、このあたりの水田の面積では年間収穫量は二十俵以下で、自家消費をまかなうのがせいぜいという農家が大半だそうだ。いきおい農業専業では食っていけず、一家の誰かが外に仕事や勤めをもっているらしい。ところがこんな田舎では、勤めといってもおいそれとは見つからない。だから地元で職に就けない若い働き手は皆都会に出て行ってしまう。そうして、稲を育てる働き手がどんどん歳をとっていき、やがて田んぼに出るのが辛くなって、稲作を諦めざるをえなくなる。放棄された田んぼはたちまち荒れ果てて、雑草の林となる。富田川筋では、今のところまだ稲作が放棄された話はないようだが、この先どうなるか、心細い状況ではあるらしい。
 あまり広くない田んぼとはいえ、毎年稲を育てるには大変な手間がかかる。地域が協力して周到な水の管理を徹底することも不可欠だ。そういう努力の積み重ねで日本の田んぼと自然が守られている。しかも我々の主食である米を作るのである。カロリー換算では、日本の食糧自給率は40%を切っている。国際的な常識では、これは一国の基礎的生存条件の危機ラインをとうに下回っている。人口大国の中国やインドが豊かになるにつれて、世界の食糧需給が逼迫の度合いを深め、食糧の価格も不気味な上昇を始めている。食糧の分捕り合戦が始まり、値段はどんどんあがる。日本人もあまり豊かでない人々は食べ物に苦労するようになろう。国の外と内の両方で、食べ物の奪い合いが起こるのは避けられまい。しかし主食の米を皆にいき渡らせられるなら、まだ救われる。自家消費そこそこの生産力しかない零細農家が多いとはいえ、そうした細かい生産の下支えがあってこそ、日本の主食の自給がある。日本の稲作を守らなくてはいけない。ひところ米が余って、無理な減反政策をおしつけられ、多くの農家が疲弊してしまったようだが、昨今の情勢ではほどなく日本の米も価格競争力をもつようになり、近隣の米食諸国の金持ち連中に日本米を輸出できるようにもなるだろう。これ以上の減反は無用である。
 主食を自給できない民族はあやうい。日本の主食の生産は無数の零細農家に支えられている。こうした農家を守り育てることで日本の生命線が確保される。海外の農業国からの農産物自由化の圧力が強い。しかし主食の生産がたちいかなくなるような開放策はとるべきではない。稲作の温存は、お国の食糧安全保障の礎であるばかりか、田んぼを荒廃から守り、広範な環境保全にも益するのだ。市場開放を迫る外圧に対しては、「我が国は主食の自給を放棄することはしない」と断固つっぱねるべきであろう。山ばかりの狭い国土で1億の人間が生きていくには、譲れない一線があるのだ。札束をきれば思うとおりの食べ物が手に入ると考えるのは甘い。
たっぷり水がはられた小さな田んぼに、規則正しく植えられた稲の苗。それは日本の初夏の原風景である。次の世代に残していきたいものである。




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