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TAM航空のエアバスA320のコンゴニアス空港着陸失敗炎上、史上最大の航空機事故について。(続き)
今回のTAM航空の事故で日系人が8人乗っておられたとの記録が残っています。ブラジル三菱自動車の幹部写真、サンパウロ出身のリオグランデドスール州の連邦大学の先生をしておられた上田さん等が犠牲になられていますが、私が1988年に日本に案内し名古屋での万国家禽会議に参加、東京、大阪、京都、鹿児島等をご一緒したPENABRANCA社の当時副社長をしておられたRUBEM WIETHAEUPERさんと三女小百合の小学校からの同級生DIOG0 CASAGRANDE SALCEDOさんの親しい方が犠牲になっています。痛ましい限りで忘れれない事故となりました。未だに遺体の確認が出来ていないガウショーもいるとの事で一刻も早く安らかに眠って貰うためにも確認作業を急いで貰いたいと願っています。
写真は、色々あるのですが、矢張り親しく日本を歩いたRUBEMさんと霧島の温泉で浴衣で寛いで夕食を楽しんでいる右からPACHECOさん、私、在りし日のRUBEMさんの写真を選びました。


ML5115 7月20日
アルバムを繰ってみたらRUBEM WIETHAEUPERさんとは彼の会社のPENA BRANCA社の鶏肉を日本市場に輸出していた頃の1988年に名古屋で開催された第18回万国家禽会議に参加と丸紅畜産の鹿児島の餌積み下し港見学、霧島の養鶏農家、処理場等の見学に前後10日間ほどご一緒でした。
スキャナーに掛けるともっと良い映像が取れたのですが手っ取り早く写真に撮り込みました。ピントが甘いようですが、懐かしく貴重な写真です。

WIETHAEUPERさんの企業家らしい堂々たる背広姿。
WIETHAEUPERさんの寛ぎの一時。大ジョッキーでぐいぐい開けたのは見事でした。
大阪城を背景にしたWIETHAEUPERさん。
霧島の旅館の夕食時。浴衣姿にはしゃいでいました。WIETHAEUPERさんは右端です。私が真ん中で左端が輸出部長のPACHECOさんです。
WIETHAEUPERさん。安らかにお休みなさい。ご冥福を祈ります。
写真は、下記blogでご覧下さい。
http://blogs.yahoo.co.jp/yoshijiwada/22895184.html

ML5116 7月20日
元日本ブラジル交流協会の研修生で現在ブラジル日本交流協会の理事として来年からの研修生受け入れを準備されている唐木田だんがご専門の分野である保健金に付きbatepapoに書き込みをしておられます。お借りして皆さんにもご紹介して置きます。
皆さん、唐木田です。
今回の事故における保険に関連したデータです。
(出典により金額、内容が様々ですが。)
TAM社はUnibanco‐AIG保険会社を通じ、US$1.5Biの保険に加入。
保険料(掛け金)は年間約R$35Mi。
一回の事故における限度額はUS$500Mi。
機体本体に対する補償、第三者への賠償などが対象。
被害者一人あたりの補償額は、年齢35歳、月収R$4.000で約R$1Miに達すると試算。
被害者への補償総額はR$180Miを超えると見られている。
1996年のTAM航空機事故では被害者一人あたり平均US$500.000(R$930.000)の賠償金が支払われた。
なお、元受契約保険会社のUnibanco-AIG社は、1996年のTAM航空機墜落事故、2005年のCSN爆発事故(損害額−約US$500Mi)、本年1月のサンパウロの地下鉄建設工事中の事故の保険も引き受けており、巨額事故が重なっているが、今回の事故に対する同社の支払い責任額は全体の1%強で、残りは数パーセントが国内の共同引受保険会社、90%以上は再保険システムを通じて、ロンドンのロイズなどの国際保険市場から支払われる模様です。

ML5119 7月21日 岡村 淳さんからもお見舞いが届きました。
和田さま
TAMの事故の数時間前から昨夕までサンパウロ市を離れていました。
海岸山脈の、電波は届かずテレビもグローボしか映らないところでした。
ポルトアレグレからの便と聞き、先にいつにない弱きをこぼされるメールをいただい
ていましたので、もしや、と心配しておりました。
お知り合いを亡くされた由、お見舞い申し上げます。

ML5132 7月23日 三女小百合の同級生、DIOGO君の冥福を祈ります。
7月17日(火)に起きたブラジル航空業界最大の航空事故は、当初に発表された乗客名簿の176人より増え最終的には187名(TANの服務していない職員等)プラス地上での志望者を含め200名以上の犠牲者が出ている。1週間たった現在もまだ3分の1程度の遺体認知しかできておらず鑑識作業は困難を極めている。1000度以上の火炎の中に閉じ込められての死亡で鑑識できる遺体が残っていない例が多いようです。ポルトアレグレの飛行場では機内に座っていた座席を想定し遺族の人が座り込んでいる写真とか十字架を胸に乗せて全員が寝転がっている写真、今朝はサンパウロの事故現場近くのワシントンルイス大通りに遺族が寝転び道路を閉鎖、早く遺族の鑑識をして欲しいとの抗議をしている写真も出ていました。
犠牲者の一人RUBEM WIETHAUPERさんに付いては、このblogで1988年の訪日時の写真と共に紹介しましたが、土曜日の当地新聞に末娘小百合が高校まで机を並べて勉強していたDIOG0 CASAGRANDE SALCEDOさん享年25歳の写真と彼に付いての関係者(お兄さんと恋人)の話が掲載されていました。
恋人と二人だけで飛ぶ小型機を製造する夢、将来は国際線のパイロットになり世界の空を飛ぶ夢、TAN航空に就職しサンパウロに移り結婚する予定が本当の夢に終わってしまったとの事で残念です。
知らせを聞いたオーストラリアにいる三女小百合からもこれまでの人生で身近な人の死に直面した事がなかっただけにDIOGO君の急逝に生まれて初めての経験として涙が出て止まらなかったとのメールが届いています。高校を卒業してから会う機会も殆どなかったが、宿題等を一緒にグループでこなす時の大事なパートナーだったとかでショックだったようです。今だ遺体の鑑識ができていないとの事、家族と恋人の胸に抱かれて早く安らかになれるように祈りたいと思います。
ご冥福を祈ります。
写真は、ゼロ・オーラからお借りしました。
http://blogs.yahoo.co.jp/yoshijiwada/23022197.html

ML5225 8月4日
2007年8月2日付け ニッケイ新聞WEB版より。
TAM機事故=人為ミスの可能性=機体も故障だらけ=パイロットらパニック状態=過去に同様の事故3件
 【フォーリャ・デ・サンパウロ紙一日】TAM航空エアバスA320型機がコンゴーニャス空港で一九九人の犠牲者を出した事故について、三十一日にブラック・ボックスを開いて録音されたCD―ROMを再生した結果、着陸時のスピード超過と停止装置作動不能の人為ミスの可能性が浮上した。まずスロットル・レバーの操作ミスと着陸前の態勢、着地時の逆噴射不備などが想定された。また着地時は自動的に作動する両翼のスポイラーにも不備があったようだ。可能性は低いが、機体のコンピューターにも誤作動があったらしい。
 人為ミスと想定される第一の理由は、着陸態勢に入った時スロットル・レバーが一方だけアイドル(ニュートラル)にあり、他方は加速ポイントにあった。そのため着地時に一方のレバーは加速位置にあり、タービンも加速し、逆噴射に切り替えていなかった。タイヤのブレーキは故障していた。
 似たような事故が一九九八年にフィリッピンで、二〇〇二年に米国フェニックスで、〇四年に台北と三件発生している。これは晴天の中で滑走路が短いために起きたが、パイロットの機転で犠牲者は出なかった。
 それぞれの事故で航空安全の国際機関は、再発防止のためスロットル・レバーが機能不全のときの教訓を発表した。しかし、どれもパイロットによるとっさの機転で惨事を回避しているようだ。
 録音によると、機内は異常事態で叫び声が飛び交った。「逆噴射が片方故障」「スポイラーが動いていない」「スピードを落せ」「ダメだ。ダメだ。」と繰り返し、パニック状態を示した。これまで検査に立ち会った技師は、機械関係の専門家ばかりで電子関係がいないので、中枢系統の検査は行われていない。
 着陸態勢で逆噴射は一つのエンジンしかないという会話があり、パイロットらは装置の故障を知っていたらしい。着陸時は自動的に両翼が停止態勢へ反るスポイラ―が故障とパイロットは驚いた。最後は何でもいいからいじり回せと、パイロットの絶望感が伺えた。
 ブラック・ボックスの点検は、空軍技官ら立会いのもと国会で行う。滑走路の状態や雨天での逆噴射不備、機体の傾きなど疑問点はまだ多数あり、結論には時間がかかる。
 航空需要の急増で聖市―リオ・デ・ジャネイロ市間の新幹線計画は、うわさに上がっては引き出しへ投げ込まれる。敷設の可能性は、利用する乗客の数次第といわれている。総工費九〇億ドルに対する予測利用者数では採算が取れないため、民間企業は動かない。赤字分を政府が助成金で補うかの問題になる。
 第三空港案がジョビン国防相のサンパウロ国際空港(クンビッカ空港)第三滑走路案で廃案となったが、ロウセフ官房長官は朝礼暮改ではないと前案に固執する。滑走路増設は、クンビッカやヴィラコッポス、ジュンジアイにせよ、一時しのぎに過ぎないと見ている。しかし、第三空港は予定地選定だけで、現政権の任期が終わりそうだ。
 頼りのクンビッカ空港は滑走路が三七〇〇メートルと本格的だが、竣工して二十二年間未補修のために穴だらけである。完全に補修するには、新しい滑走路を建設する位の工事費がかかる。予備滑走路は排水装置がすり減り、コンクリートの小石が滑走路表面に散在し、タービンの中へ吸い込まれる危険性がある。

ML5264 8月10日 3人のガウショーの遺体が確認され埋葬される。
7月17日のTAN航空によるエアバスA320の大惨事で合計199名の犠牲者が出たとの正式確認がありますが、現在までに合計178人の遺体が確認されておりまだ21人の確認作業が残っています。この中にはまだ数人のガウショーが含まれているとの事です。せめて遺体の確認だけでもと待っておられるご家族のことを思うと胸が痛みます。
人の噂も75日といわれますが、まだ生々しい惨事関係のニュースが頻度こそ少なくなっていrいますが報道されています。昨日の地元CORREIO do POVO紙に新たに遺体が確認されたガウショー3人の埋葬がポルトアレグレで行われたのニュースが伝えられています。
お一人は、MARIO LOPES CORREAさん49歳。ご兄弟と事業をしておられた写真家だそうです。
ELIANE SOARES DORNELLESさん33歳は、EDUARDAさん5歳、VINICIUSさん7歳の二人の子供を残しての旅立ちで母親の子守唄を聴いて寝付いていた子供たちは、未だに母親の不在を理解できずお爺ちゃんを困らせているそうです。
もうお一人のCARLOS ALBERTO de SOUZA ANDRIOTTIさんは、奥さんと6歳になる双子のVITORIAさんとISADORAさんを残しての急逝で残された家族の今後を思うと暗澹とします。
この週末には、TANの航空機事故関係の『私たちの40年!!』MLに掲載された書き込みを纏めて記録して置きたいと思います。



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