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体小さき人々の小幅だが確実な歩み(その1―3)赤嶺 尚由のサンパウロ新聞掲載記事に対するコメント集です。
赤嶺さんが書かれた紀行文の3回に渡る連載記事を寄稿集にも掲載させて頂きましたが、これを読まれたbate-papoの仲間の皆さん、工藤さん、西郷さん、陣内さん等のコメントが届いています。本来なら赤嶺さんの寄稿集掲載箇所の一部として紹介するべきなのですが、何しろ3回で9500字に達しており使用ソフトの関係で無理ですので新しくコメント集を設けました。
従い赤嶺さんが送って呉れていた2枚目の写真、<七、八百人のアノンやアナンたちが村落を造り、民芸品などを観光客に売って、五体満足の人たち以上に頑張って生活しているグラバター市の遠望です。>を使用させていただきます。


赤嶺さん 工藤です。
3部作の旅行記を読みました。

アノンとアナンの存在に驚きを覚えましたが、彼らが逆境にめげず活躍
している姿と彼らを支援するブラジル社会を、現地での取材を通して報告
頂きありがたく思います。それにしても記者魂の凄みには感心しました。
今後とも切れのある情報発信をお願い致します。

さて、昨日から滞在しているこの地は、戦後に生まれた新しい国ですが、
アフリカ系、インド系、それに少数のイギリス系、の民族が生活
している120万人の小国です。石油とガスが豊富ですので、今後が
楽しみではあるのですが、障害は民族間の融和が進んでいないことです。
お互いの足の引っ張り合いにより何事も前に進まぬ典型的な烏合の衆
となっています。致命的なのは、海外留学した子女が殆ど母国に戻って
来ないと言う人材の流失にあります。

ワシントンで聞いた話です。IDB(米州開発銀行)には南米各国から人材
が派遣されていますが、任期を終えるとさっさと母国に帰るのはブラジル人、
その他の中南米各国の職員の多くは、米国で仕事を見つけて母国には
帰らないようです。米国人スタッフが、ブラジルは天国のようなそんなに良い
処なのかと、評判になっているとの事です。
これからその天国のようなところに帰りますが、飛行機が無事にスリップ
せずに着陸するか、入国審査に長蛇の列が出来ていないか、家に帰るまで
に拳銃を突きつけられぬか、何時もながらの不安な帰路です。
トリニダ・トバゴより

赤嶺 さん 工藤さん 皆さん 南の和田です。
工藤さんはトリニダドトバコですか。いつもながら活動範囲がひろいですね。また何
か良い話があれば『私たちの40年!!』寄稿集に寄稿して下さい。

赤嶺さん 早速赤嶺さんの原稿下記の通りUPさせて頂きました。
赤嶺さんの原稿に私の使用ソフトでは禁止文字に成っているメーター、センチ、キロ
等の短縮字が入っており修正させていただきました。それ以外は原文のままで掲載し
ております。今後とも『私たちの40年!!』ホームページの充実にご協力下さい。
体小さき人々の小幅だが確実な歩み(その1―3)赤嶺 尚由さんのサンパウロ新聞
への寄稿文です。
http://40anos.nikkeybrasil.com.br/jp/biografia.php?cod=1123
元邦字新聞の記者をしておられた赤嶺 尚由は、今でも邦字新聞に政治・経済論評、
紀行文等を寄稿しておられ『私たちの40年!!』でもこれまでに色々掲載させて頂い
ております。今回は、ブラジル東北伯のレシーフェに弁護士をしておられるご子息と
出掛けられ30年前に書いた一文への赤嶺さんらしい思い入れと愛情を持って表現さ
れている【体小さき人々】への考察と30年間持ち続けた疑問符の解明を彼等に対す
る鎮魂歌として書き残したいとの気持ちで現地まで出掛けられて書き綴った紀行文を
お借りしてご紹介させて頂きます。
写真は、各文章の最後に説明があり得難い写真を送って頂いておりますが、矢張り最
後のレシーフェの町を代表するBOA VAIGEMの海浜の写真を使わせて頂きました。レ
シーフェは、珊瑚礁を意味しこの海浜に長く広がっている感じが良くでた写真です。

[batepapo 4603] アナン女史 西郷さんのコメントです。
赤嶺さん
 赤嶺さんのサンパウロ新聞記事を朝、ちょっとバタバタしていた時に自宅で眼を通したのですがまだ寝ぼけ眼だったせいか、又は頭が始動し始めたところでボケていたのか、始めにトイレの話があり、たまたまトイレの前で探していた知人の、小柄なアナンさんと会い、「アナン」というのは「誰か人の名前」と勘違いして、読み始め、ザット読み終えたのですが、何か良く判らない記事だなと思いながら別に気にかけずにいました。全く迂闊で真に申し訳ありません。今読み直して「小人」であることで文の意味が理解できました。「アナン」というポ語の単語は知っていましたが、
 時々、ブラジル人から一つの日本語の単語だけを会話の中で突然混ぜて言われたときに、こちらはてっきりポ語と思っているため意味が判らず、戸惑った経験がありますがそれにちょっと似たケースでした。
 歳のせいか近頃気が短くなってこのようなことになったと反省しています。
感想ですが、
 小生も航空会社の社員の人でアナンにあったことがあります、その時の印象ですが、ご本人はその職場で働くことに誇りを感じているような清々しい態度だったことを覚えていますが。
 小生は素直に言って「気の毒だなー」「不運だなー」と感じました。今回の赤嶺さんのレポートを読んでコンプレックスを持たずに頑張っている様子が判り、アナン、アノンの人達が皆、赤嶺さんがインタビューしたアナン嬢のようであればよいなと思う次第です。


赤嶺 さん  
陣内です。
今、アマゾンは天候異変です。もう乾季に入り例年なら連日、30度を
超える猛暑で、太陽がいっぱいのしシーズンですが、ここ2,3週は曇天そして
雨の日が続いています。毛穴が開きっぱなしの私どもにとっては涼しさをこえて
寒く感じる日もあります。 
”身体小さき人々” の新聞連載、有難うございました。 ノルデステに住む
アノン、アナンの人たちについては、赤嶺さんも旧知の方と思いますが 故中隅さん
に教えられ 想像もつかない旱魃地帯の生活の象徴として、印象に残って
おりました。でも今回の記事に接し、具体的な人間像がつかめてました。
アマーロさん、オリヴェイラさんのお話、読んで不愉快、不機嫌にさせる事が
氾濫している報道しかない中で、まことに爽やかな気分にさせる記事でした。
アマーロさん〜オリベイラさんまで ブラジルではまことに貴重になった人柄が続いた
のは一体何故なのでしょう。オリジンは他のブラジル人と変わらないはずなのに
DNA に影響を与えるほど、何世代にもわたって過酷な自然環境の地に生活
したため、却って心の中に良き種子が培われたのでしょうか。 
でももう普通社会に同化されているとのことですから、一般人と変わらなくなって
なっているのでしょうね。 観光客のための民芸品生産と販売をやっている
アノン、アナンの町を訪れたくなりました。 比較すればアマゾン河沿いに住む
”河の住民”(Ribeiriho)は 本当に自然の天恵に浴してます。
アノン、アナンの皆さんが、受け継いだ美質、おだやかで、ひたむきで、前向きな人柄を
財産に生きていかれますよう、またそんな生き方が報われるブラジルになって
ほしいものです。

マアウスの陣内さん 皆さん
   赤嶺です。
                      <読んでいて爽やかな貴信>
 今朝(8月25日)のサンパウロは、抜けるような青空で、しかも、暑くも寒くもなく、猛烈な残暑で茹で上げられているような日本の皆さんに申し訳ないような気がしてきております。今、ちょうど、午前9時ちょっと前といったところですが、遠くマナウスから時空を超えて飛び込んできた陣内さんの徹頭徹尾心に沁み入る様な貴信を熟読味読させていただきました。釈迦に説法の類(たぐい)になりますが、ブラジルに移り住まわれる以前に、日本のマスメディアの世界に身をおかれていたことを仄聞しておりましたので、その細やかな感覚、又、微に入り細に亘るその表現の仕方にも改めて感銘を受けて仕方ありませんでした。
 先日も書きましたが、個々のブラジル人は、いずれも素晴らしい。例えば、家の中で腹を空かせて泣き叫んでいる子供たちに何かを食べさせてやる目的で、今、これから他人の持ち物を盗(と)りに行くため、ズボンのベルトの内側かどこかに凶器をしのばせていて、頭の方には血が一杯のぼっている筈の屈強(必ずしもそうとも限りませんが)な男に、例えば、挨拶のための手を差し伸べますと、にこやかに(?)に握り返してくれる、そんな美質がブラジル人には確かにあるように思います。元々平和を愛し、他人との諍いとか差別を好まない多くのブラジル人の心をささくれ立たせているのは、独断偏見かもしれませんが、貧富のひどい格差になって現れているこの国の貧困問題そのものだと考えています。
 現在のアノンやアナンたちが約35年前の徒手空拳だったジョン アマーロさんたちの頃と比べて少しは暮らし易くなったのは、細々とではありますが、行政側の援助の手が差し伸べられていること、一般国民のボランティア精神(伝え聞くところによりますと、ブラジルは、世界でも第4位程度のボランティア大国だそうですね)の発露のお陰ではないか、と理解しております。私事に亘りまして、大変恐縮なことで、あらかじめ皆さんのご海容をいただくことにして、同じく今朝、沖縄にいる家内から届いた私信の一部が陣内さんからいただいた貴信と何故か何処か相通じて部分があるように感じられましたので、ここに転送させていただくことにいたしました。ご笑覧下されば、望外の喜びといたします。尚、家内は、約一ヶ月前から、琉球大学の研究員として、1908年6月に笠戸丸に乗って移住して来た第一回目ウチナーンチュ325人の内、入国に当たってのトラブル等が原因で間違って記録されていた約30人の先人たちのお名前を、百周年を目前に訂正するボランティア作業を行っている最中です。

拝啓    寒さにめげることなくお元気そうな文面嬉しく拝見致しました。成田、上海の件はそのように(直行に)して頂くと私にも都合がよくなります。上海でお会い致しましょう。上海マンダリンホテルの予約はお願い致します。
        私の仕事の目処がつきました。外務省記録明治41年3月と4月の「海外旅券下付表」外務省外交資料館とサントス下船時の名簿とを照合し、ほぼ完了可能な状態になっています。後は死亡場所の確認です。
       二つの眼を持つ云々の記事読ませていただきました。舵をとる頭は一つ、眼は二つ左の目で見、右の目で見、両眼で確認します。耳も二つついています。良いことはしっかりと聞いて脳裏に納め、悪いことは片方の耳で聞いて他の耳から聞き流さなければなりません。口は一つです。聞いたこと、見たことの半分言ったら言い過ぎになると日本人はいいます。人間が出来ていない私は軽はずみに言葉を発します。情け無いことです。命ある限り自分を磨いていきたい。黄泉の国へ行って両親に会う時はー良くやった良い子を産み育てたーと父母に言われたい。
主人を敬い、子供を教育し、孫を慈しみ、皆と仲良くして、悔いを残さないようにしたい。
工藤様のトリニダ。トバゴという地名耳にしませんね。いろんな所で活躍しておられる立派な日本人尊敬致します。

[batepapo 4611] Re: Bate−Papo(ブラジル人の美質)
赤嶺さん  皆さん
マナウスの陣内です。

拙文に思いもかけずお褒めの言葉をいただいて恐縮いたしました。
いつもBatepapoでの皆様のvividoなやりとりを読ませていただき、
糧にしております。
奥様が沖縄、琉球大学でボランテイア活動を始められた経緯は
Batepapo で存じ上げていましたが、誰かがやらねばなら大切な
ことを引受けられ感服してました。 きっと他の人では出来なかった
作業だと思います。 
ブラジル人の美質ですが 以前、NHKのドキュメント番組で出稼ぎ中
の3世女性が”日本(人)はCalorosoでないのが寂しい”としみじみ
述懐していたのを想い出しました。

Batepapo4613 8月26日
赤嶺 さん 皆さん 南の和田です。
赤嶺さんの紀行文を『私たちの40年!!』寄稿集に掲載させて頂きましたが、3回分で丁度9500字で折角の関係コメントを一緒に掲載出来ませんでしたのでコメント集として工藤さん、西郷さん、陣内さん、沖縄滞在中の奥様の文も掲載させて頂きましたのでお知らせして置きます。

Batepapo4615 8月26日
赤嶺さん、工藤さん、西郷さん、陣内さん、和田さん
山下@リオです
実は小生も西郷さんと同じで、サ紙のトイレの話しの日をチラリと眼にして、「赤嶺
さんがレシフェに行ったのだ」ぐらいに思っていましたが、工藤さんが「記者魂の凄
み」と手放しで賞賛され、西郷さんと陣内さんの心を打った感にふれて、あらためて
和田さんのリンクで3部作の紀行文を一気に読みなおしました。
赤嶺さん!一気に読むと迫力があります。歴史の凝縮が感じられます。
念のためもう一度リンクです。
http://40anos.nikkeybrasil.com.br/jp/biografia.php?cod=1123

Batepapo 4625 8月29日
南の和田さんの貴誌に<体小さき人々の小幅だが確実な歩み>の拙文に寄せられたエールの数々を纏めて一緒に紹介してくださるとのご高配を知らされ、小生も、ただ黙って腕を拱いている訳には行かなくなりました。遅ればせながら、拙文を書いたついでに、追い討ちの形で<続拙文>をお送りいたしますので、皆様方の貴信の末席でも穢させていただければ、望外の喜びといたします。

南の和田さん Bate−Papoの皆さん
    赤嶺です。

            <地の塩となったアマーロさんたち>
アノンやアナンたちのことを改めて35年ぶりに書いて見て、我ながら良かったと考> えています。Bate−Papoの仲間たちは、それぞれの分野で、比類の無い該博な知識と一家言、或いは、それ以上のものを持ったいわゆるサムライたちばかりですが、その彼ら を以ってしても、<体小さき人々>の存在や実態を詳しくを知らなかった人たちが殆どだったからです。昔から新聞記者の醍醐味が自分の足を使って、現場を踏み、己の目と耳を使って、有りの侭の事実を先ず脳裏に焼きつけて書く活動にあることは、言うを待ちません。

 いつかもここで書いた覚えがありますが、マスコミ界には、<美人の首なし死体>が浜辺に打ち寄せられたという有名な比喩が存在しています。現場をしっかり踏むという取材の鉄則を忘れたばかりに、首なし死体にまで無理して美人の、という形容詞を付けてしまったという特に駆け出し記者への戒めでしょう。しかし、そうは言っても、新聞記者が自らの足と目と耳を現場まで運んで行くには、手間隙費用もかかることですから、なかなかたやすい ことではありません。

 こと志とは異なり、思い半ばにして諦めた事件や事件の主役にも、枚挙の暇がありません。そういうことで、数限りなく取材対象になり、個人的にひとしお思い入れを深めてしまった人たちの内の何人かと何らかの形で、再会を果たしたいという願いが新聞記者の現役を退いてから、尚も一層募る時があります。そういう場合には、個人的な好奇心と趣味の範囲内で探求するという形にならざるを得ません。そういう思い出深いアノンの中の一人、ジョン アマーロさんたちのことを思い出した時にも、既に約35年の月日が経っていました。

 今頃のこの国の政治家(屋?)の悪さの限りを見ていますと、本気になって、彼らに強火で煎じて置いて、たっぷりと飲ませてやりたい誰かの爪の垢、それが悪ければ別の何かがあることに今更のように気付きました。例えば、Bolsa−Familiaという国民の4人に1人が頼っているというバラマキ型の社会救済政策がまだ無かった頃でも、「他人の物に手を付けてはいけない。他人の物も欲しがるな」といういうアマーロさんの家庭内での塩みたいな言葉です。今頃の体小さき人々は、五体満足な人々よりも、むしろ立派な生活をしている者が少なくありませんが、きっとアマーロさんたちのそういった日頃の教訓が地の塩みたいになって堆積してきているからなのでしょうか。

Batepapo 4626 8月29日
赤嶺さん
レシーフェは移住して間もない27歳から30歳までグァララッピス空港とは目と鼻の先の所にあった工場で勤務していて、私にとって特別な思い入れの街、当時、街で会う日本人と言えば、太洋漁業とチェリー無線の人達だけでした。
それに日本から来たポルトゲースが全く話せない我々の会社の技術者だけだった記憶があります。
この他に農業で入植された何十家族かが奥地のベゼェーホの村で頑張っておられ、週末には時々この村を訪れて美味しい果物をご馳走になっていました。

ヴィラメルセーデス村の「体小さき人々」の事は全く知りませんでした。
赤嶺さんご専門の政治、経済記事は、JETROの渡邉さんのコメントと併せていつも熟読させ戴き、参考にさせて頂いておりますが、今回は少しジャンルの違う内容、読んでいて頗るすがすがしく、読後も爽やかな余韻が残り非常に心地良い紀行文だとCOMOVIDOです。
次回のレシーフェ出張時には出来たらこの村を訪問したいものです。
大石辰登

大石 辰登さん 皆さん
   赤嶺です。
              <まさしくアマーロさん効果です>

 過分なる貴信を拝見して、今日は、きっとよい日になりそうな予感が既にしてきています。或いは、最近、とみに心と肝に銘じております<Viver エ Prazer>という言葉がふつふつと湧き上がってきております。このBate−Papoの常連ではない大石 辰登さんはじめ、多くの方々から、こうして多くのエールをいただけますのも、いわば<アマーロさん効果>にほかならず、小生は、そのおこぼれをほんのちょっぴりと分けてもらっているに過ぎないと肝に命じています。大石さん、今度現地に行かれる時には、ヴィラメルセーデスのあるグラバター市から約75キロ位はなれた(レシーフェから約100キロくらいでしょうか)リオフォルモーゾ市のリゾートホテルにおとまりまりください。別に同ホテルのセールスをやっているつもりありませんが、姿形の美しいフォルモーゾ河と大西洋の接触地点にあり、特に日本人には、忘れがたい絶景だと思いました。必要になりましたら、私の手許にホテル名と電話番号などが御座います。

Batepapo 4628 8月29日
園田です
会員となっているPLゴルフクラブにアナンに近い女性が居ます
身長は130cmちょっとで背が高めですが、本人に
聞きましたところ、アナンに近いセルジッペの出身だそうです
セルジッペにはまだ多くのアナン、アノンがいるといってました

Batepapo 4637 8月29日
赤嶺 さん 皆さん 南の和田です。
現在リオに滞在中で昨夜山下ご夫妻と夕食を御一緒しました。
お昼には三菱商事の堤さんとお会い出来るようでマナウスの商工会議所会議以来の再会を楽しみにしています。
午後からサルバドールに向かい明日夜遅くサンパウロに戻り金曜日にポルトアレグレに戻る予定です。
従い赤嶺さんの書き込みに対する追加コメント掲載は土曜日に成りますが、皆さんの追加コメントを一緒に掲載させて頂きます。
皆さんのご協力を感謝します。

Batepapo 4667 9月6日
赤嶺さん 皆さん 南の和田です。
赤嶺さんの3部作<体小さき人々の小幅だが確実な歩み>のコメント欄に掲載後のコメント、山下さん、大石さん、園田さん他のコメントを追加掲載して置きました。
どうも有難うございました。今後とも宜しくお願いします。

 




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