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ブエノスアイレスに置ける【置き引き】被害に付いての顛末記
2008年の2月11日、建国記念日の休日に出張先のブエノスアイレスで【置き引き】に遭った。サンパウロのジャバカワラのサントス行きのバス停、香港の有名ホテルでCHK OUT中、今回で3回目です。ブラジルに45年以上住んでおりながら性も懲りずと娘達にまたなじられ徳力さんを喜ばせてしまい悔しいです。何とか旅券、身分証明書等は処理が付き必要な新しいパソコンも何とか入手のメドが付き正常な生活に戻れそうでほっとしています。これからも気を付ける積りですがまたポッカ−を遣ってしまうかも知れません。この八方破れの人生を結構楽しんでいるのかも知れません。
写真は、ブエノスの日本国大使館のビルの15階から港を再開発したプエルト・マデイラを見降ろす景色を記念に載せて置く事にします。即日旅券を発行を可能とするために協力頂いた方々、ご心配を頂いた皆さんに感謝します。


予定通り2月10日(日)夕刻ブエノスアイレスに到着、今回は街中のサンマルチン街839番地のNH FLORIDAホテルにCHK INし午前中に到着しておられた日本からの出張者の谷崎さんとジョインする。ベノスアイレスに住んでおられる相川知子さんがホテルに大きくなって可愛さよりおシャまになったお嬢さん二人を連れて知子さんのご主人が経営するZUM ZUMのお店で使用するブラジル産の日本酒を手渡し暫く情報交換する。ホテルのロビーは観光客で一杯でした。夕食は、近くの店で済ます。ホテルには10時間で18ペソ(6ドル)の有料ラン接続ができる設備がありPCを使用、メール、インタネットを通常通り使用した。
翌日11日(月)の三菱重工のアルゼンチンに於けるヂスツリビューターであるC1社とのアポイントが午前10時だったので9時半にホテルのロビーで出張者と待ち合わせる。ホテルにレミスと呼ばれるハイヤーを頼み車が来ましたが、谷崎さんが忘れ物があるとのことで部屋に戻っている間にPCを入れた小型書類入れを車の側において運転手と行き先の確認をしている一瞬の間に足元においていたカバンが消えており不注意による典型的な置き引きに遭う。ブラジルに45年以上住んでいてこれまでにもサンパウロのバス停、香港のホテルでCHK OUT中に同じような置き引きにあっており今回で3日目の災難に見舞われました。悔しいことですが、どうしようも無く前に止まっていたタクシーの運転手がカバンを持って走り去る2人連れを見たとのことで追いかけてみようとの誘いを受けて手に持っていたカレンダーを谷崎さんに渡し後から追っ掛けるとタクシーに飛び乗り二人連れを探しに飛び出しましたが、何処を曲がったかが確認できずその界隈を回って見ましたが見つからずブエノスの町の中心地から一番近いスラム街に逃げ込む可能性が強いとのことで21番街と呼ばれている町で一番危険な無法地帯の入り口まで行きましたが中には危険で入れないとのことで車の中にいるようにとの指示をして運転手が入り口に立っている見張り人らしき人に交渉に行ってくれましたが、まだそれらいいカバンはスラム街に入ったとの情報はない。幾ら礼金を出すかとかの話しが先行し運転手自身が雲助運転手で胡散くさいので交渉を打ち切り所轄の警察署に行き盗難通知の手続きをしました。この盗難証明書を持って日本国大使館に走りましたが、生憎、建国記念日でお休みでした。現地の休日は当然休み、日本の休日も休むという習慣にはうんざりしましたが、相川さんに電話を入れて大使館の緊急連絡先の電話番号を聞き飯田領事に電話を入れて事情を説明しブラジルに帰国の為に旅券を再発行して欲しい由お願いしたところ、必要書類として警察への盗難登録をした警察が発行した盗難証明書、本人の戸籍抄本の原本を後で届けるとの念書を入れた上で日本からFAXして貰うこと、4.5X3.5の写真2枚に1万6千円相当の現地通貨による手数料を用意して休み明けの9時に出頭するようにとのことで日本に連絡をとり大阪の妹に神戸の中央区役所発行の戸籍抄本を取得し日本大使館の飯田領事宛に送って貰う手配をしました。

大使館での旅券再発行の手続きが翌日1月12日(火)しか出来ないとのことで車を飛ばしC1社に駆けつけました。あらかたの打ち合わせは谷崎さんがし終わっており、幾つかの確認事項をリピートして頂きKOCH社長と昼食をご一緒しました。仕事の話は省略しますが、出張者をアシストする役の私がトラブリに遭い足を引っ張ってしまう結果になりましたが、突発事故発生で不可抗力として追って挽回する事にしました。
翌日2月12日(火)は、谷崎さんがCARRARO向けの最終SPECと価格を日本と相談したうえで提出するとのことで9時に再度C1社を訪問することになりました。私は、大使館に出かける必要がありホテル前で午後からサンパウロに戻るに戻る谷崎さんと別れ荷物をフロントに預けて歩いて大使館に向かいました。徒歩10分程度で8時半には大使館の建物に到着しましたが受け付けが9時からのとの事で待つことにしました。日本国大使館は、25階建てのビルの15階から17階までを使用しておりみてくれは良いのですが、サンパウロ総領事館のような待ち場所が酔いされておらず上の事務所が開くまで広いロビーに立って待つより他にしようがなくもう少し大使館としてのスペースを用意して椅子でも置いて欲しいと思いましたがこれは経費節約中の外務所の出先では贅沢すぎると言えましょう。大使間前の結構大きな公園を一回りしましたが、後で聞いた所この公園も結構物騒な場所との事でした。銅像の写真を撮ったり、大木を眺めたり無常の雨が降り始めた公園を歩きましたが胡散くさそうな人が徘徊しているのも見つけました。
9時少し前に受付開始の1番で乗り込み同船者の三浦大祐さんにも頼み何とか即日旅券を発行して欲しい由お願いしました。三浦さんは、大使館に18年も勤務しているとのことで8年前までは領事事務の窓口作業もしておられたとの事でベテラン現地職員で同じくアルゼンチンに40年も前に移住された同僚の窓口担当者木村強さんを紹介して呉れました。首実検の段階がスムースに済み、大阪の妹から飯田領事宛の戸籍抄本がFAXで届いており旅券番号も覚えていませんでしたが、発行場所のポルトアレグレ出張駐在官事務所(元総領事館)への問い合わせも直ぐに連絡が付き申請書の記帳、写真、手数料と一応総て揃ったのですが、通常申請日の翌日以後に旅券を貰えるとのことで作業を終了翌日再出頭となるのですが、夕刻5時のVARIG便で帰国予定にしておりHOTELもCHK OUTしており、行く所もないので大使館で待たして欲しいと懇願し何とブラジルに帰国できるように即日発行の便宜をお願いしたいと粘り午後2時半の業務開始と同時に新しいチップ入りの旅券を発行して貰い飛行場に駆けつける。
大使館の窓口業務を担当して呉れた木村強さんのお話では、ブエノスの大使館では昨年10月−12月の3ヶ月の間に旅券紛失で再発行を申請して来た件数が16件だったが連休開けの今日は何と3件の申請が出てきている。私以外にJICAのシニアーボランテアーの方、それに千葉にお住みの粂川明弘さんは、帰国日にサンマルチン広場でケチャップを掛けられ拭いて呉れている間に旅券、財布等を盗まれてしまい帰国できなくなり現地旅行社の西田修さんに連れられて矢張り9時前に大使館に出頭してこられており待合ロビーで立ち話をさせて貰いましたが、旅券再申請手続き中に電話で旅券が見付ったとの通報があり急いで駆けつけたところチリからの入国証等も含めてそのままの姿で戻って来たとの事でとても嬉しそうな顔をされていたので戻って来た旅券を持った粂川さんの写真を撮らせて頂きました。財布に有った600ドル程度の現金とカード等は戻って来なかったそうですが、格安航空券の再発行(変更)も不可抗力によるものとして警察の届書等を示し旅行者に交渉して貰うとの事でしたがどうなったでしょうか。
外務所が出しているパンフでは年間5万通の旅券が紛失しているとの事、悪用される例もあるので気を付けるようにと木村さんから喚起されました。再発行申請前に【紛失届一般旅券等届書】を受理する同時にインテルポー【国際警察機構】に届けており見付って既に取り消されており再使用は犯罪となり5年以下の懲役刑に処されるので覚えておいて下さいと注意される。
何はあれ新しい旅券を即日発行して貰いブエノスの国際空港に駆け込みましたが、イミグレーションの窓口で入国の判を申請したが入国が旅券発行日以前なので遡及しての判は捺せないと断られる。出国の窓口では真新しい旅券を見て入国印がないので出国印は捺せないとの事で判子を捺して呉れない。これは私がブラジル入国査証も取っていないので若しブラジル入国を拒否されたら出国印があればブエノスに送り戻される事になるのでそれを避けたいとの意向だったようです。
ブラジルの入国には、真新しい何の印も捺していない当日発行の旅券と盗難証明書に私の弁護士協会の身分証明書に外国人登録書番号が明記されていたのでそれでPCでCHKしてブラジル永住権を持つ居住者としての身分を確認した上で始めての入国印を捺して貰いました。
それからは、地元の外国人警察に出頭し新しい外国人登録書(モデル19)を再申請する手続きをしたりまだ十分有効期間があったがヴェネズエラに出張予定があり黄熱病の予防接種等の手続きが残っていますが事故発生から4日間で何とか元に姿に戻りました。
自宅で使用するPCが無くなってしまい48時間不通状態が続きメリング・リストへの書き込みがストップ、BLOGも12月中旬の山の中のホテルで開催された同船者会以来続いていた57日連続更新がストップしてしまいました。古いFUJITSUのBIBLOを持ち出しテクニコにインタネットとメールだけを使用できるように設定して貰い何度もクラシャーするのを騙し騙し使用しています。未だにカメラからPCに写真が取り込めず困っていますが、来週来伯する日本からの出張者に東芝の新しいPCを担いで来て貰うように依頼しており無事到着する事を祈るばかりです。
ブエノスの置き引き騒ぎの顛末を下記の通り皆さんから寄せられたお便りと共に顛末記として纏めて置く事にしました。


和田:MINASAN HENO OSIRASE DESU Z
GENZAI BUENOS AIRES NI TAIZAICHUU DESUGA MATAMATA HOTEL NO MAEDE OKIBIKINI AI NOTE BOOK TO PASS PORT WO NUSUMARE BRASIL HENO KIKOKU FUKANOU NI NATTE ORI INTERNET NIMO YAHOO DE ROMAJI NYUURYOKU SIKA DEKIMASENN Z
SIBARAKUHA ML, BLOG TOMO OYASUMI JYOUTAITO NARIMASU Z

KOSEKI SHOUHON NO FAX GA AREBA NANTOKA BUENOS AIRES NO
TAISIKAN NAINO RYOUJIBUDE SIN RYOKEN WO HATSUKOU SITEKURERU SOUDE OSAKANO IMOUTONI TANONDEIMASU Z

SIBARAKUHA SIZUKANI SUGOSERUTO YOROKONDE ORARERERU KATAYA TOKURIKI SAN WO MATA YOROKOBASETE SIMAI SOUDE KUYASII DESUGA TOSINANODESHOUNE Z
DEHAMATA
MAZUHA GOHOUKOKUMADE
WADA IN BUENOS AIRES

徳力:TOKURIKI SAN DESU.
TAIHENA ME NI ATTEIRU TAIKEI GA WATASHI WO YOROKOBASU TAMENI WAZAWAZA YARASE WO YARASETA TOHA OMOIMASEN. MAZU HA KYUTI YORI DASSUTU SURU
KOTO NI ZENRYOKU WO TUKUSHITE KUDASAI.
MOU KOREKARA HA KESSHITE OWARAI MOUSHI MASEN NODE
ANNSHIN SHITE KOREKARAMO YARI TUDUKETE KUDASAI.
KESSHITE YOROKON DE NANNA INAI HITO YORI DESHITA.

園田:Wada-san
Buenos Aires deno tounan, masa ni sainan deshitane..!!
Hayaku buji no kaiketsu wo inotte imasu.
Sonoda

和田:ブエノスアイレスの日本国大使館の領事部に同船者の三浦 大祐さんがもう18年も勤務しておられ現在は受付業務にはタッチしていないとのことでしたが受付業務6年のベテランである同僚の木村 強さんにお願いして貰い異例の旅券即日発行の便宜をして貰いました。朝の9時に始まり昼過ぎの1時まで大使館で待機、昼食を三浦さんとご一緒して、午後の2時半に業務開始と同時に新しいチップ入りの旅券を受け取り国際空港に直行し午後5時のVARIG便でポルトアレグレに戻って来ました。
ご心配を掛け申し訳ありませんでした。持つべきものは同船者ですね。

阪口:マタマタ災難にあってしまいましたね〜〜
大丈夫ですか?身体に被害が無くて幸いでしたね!足止めをくらい予定がメチヤメチヤになったのでしょうが、もう少し辛抱して下さいね。
朝神戸区役所に行き抄本を取って来ました。
日本時間午後2時半にアルゼンチンの飯田領事様気付け和田好司宛に3枚をFAXしました。
1枚目は気付け内容、2枚目は兄貴からのFAX、3枚目は抄本です。
本紙を送るのですが、何処へ送ったら良いか連絡願いますね。取り急ぎ連絡まで
阪口 多加代 (Sakaguchi Takayo)

和田:多加代 さま 何時も親父の世話と遠いブラジルの愚兄の世話有難う。
今回も態々神戸まで出向き戸籍抄本取得ご苦労さんでした。又個人情報の漏洩云々で出し惜しみに合うかと思ってまいしたが、私からのメールコピーが役に立ったようですね。迅速な手配で予定通りポルトアレグレに戻ってきました。新しいNOTE BOOK購入の依頼を出して置きますのでその代金を指定の口座に売り込む手続きをお願いします。
戸籍抄本は、ポルトアレグレに次便と一緒に送って下さい。受け取り後またアルゼンチン出張時に直接大使館に届けます。ご協力有難う。親父のことも宜しくお願いします。

松田:出張先での災難お見舞い申し上げます。
かなり昔の話になりますがブラジル丸紅の社員仲間でバスを一台貸切アルゼンチンまで観光にいきバスを盗難されたことがありましたが、その時は帰国のみ可能な臨時パスポートを発行されたとのこと記憶していますが。外人登録証は大丈夫だったのですか? ブラジル入国に必要でしょうから。Itu、滞在中の 松田

和田:お見舞い有難う御座いました。
昨日新しい旅券を即日アルゼンチン大使館、領事部で再発行して貰い無事17時のVARIG便でポルトアレグレに戻って来ました。旅券と共にブラジルの外国人登録書、アルゼンチンの入国証明書、黄熱病の予防接種証明とか関係書類一切を背広に内ポケットに入れていたのですが、財布の出し入れ等で落とすといけないとの配慮でコンピュータを入れたパスタに移した途端の置き引き事故にあってしまいました。
ブラジル居住者であることを示す外国人登録書(入国査証が要らない)は、なくしてしまいましたが幸いブラジルの弁護士協会の身分証明書にこの外国人登録書の番号が記載されていましたので盗難届けと共に新しい旅券を提示無事入国できました。アルゼンチンでは、何か問題があってブラジル入国を拒否された時には送り戻し先となるので出国印を押すことを拒否されました。入国の印がない限り出国印を押せないとの理由でしたが。。
顛末記は追々報告します。まずは無事帰国通知まで。

相川:今日もお天気くずれめのブエノスアイレスです。
ご無事に御帰還とのこと、安心しました。
私もブラジル入国を心配しておりました。昔、ウルグアイへ行ったときに当地の身分証明書をうちに忘れて罰金払ったことありますが、それも大丈夫だったようで、よかったですー笑ー
うちのお店の広告が少しはお役に立ったようで、広告を打った効果がすぐに出たとはこのことですね!
私はちょうど、ラプラタ市へ行って日本からの旅行者さんをESTUDIANTESというチームの本部にご案内中でした。旦那がお店に来てくれた人たちをESTUDIANTESのファンにしたくて企画したことが本人は都合が悪くなり、私に行かせたという迷惑を受けましたー笑ーでも、いい方々だったので、よかったしちょうど、ケチャップ強盗にあったばかりでしたので、励まし会になり、途中牧場、馬や牛も見られてご満悦のようでした。
と、いうことで、月曜日は日が悪かったようです。
しかしながら、決して危険な町ではないので、これに懲りずにブエノスアイレスでお待ちしております。
皆さんもお荷物はどこに行ってもお気をつけて。。。

和田:今回は大変お世話になりました。
BUENOS AIRESのQUIQ GUIDEに相川さんの御主人が経営されているお店ZUM ZUMの広告欄に日本語予約受付といして知子さんの携帯電話番号が載っておりたすかりました。大事なAGENDA、手帳等も全て無くしてしまい途方に呉れていました。
TOMOKOさんがアテンドされていた青年は、粂川明弘さんと言われる方ではなかったですか?昨日大使館でお会いしましたが帰国3時間前にサンマルチン広場でケチャップを掛けられて旅券、財布、カード等を盗られてしまったとのことで旅券の再発行依頼に現地旅行社の西田さんと一緒に来ていましたが、手続き中に大使館に電話が入り旅券を投げ込まれた店の主人からの連絡が入り再発行手続きを中断しその親切な方の店まで旅券を貰いに行って来たようで無事旅券が戻ったと喜んでいました。写真を撮らせて頂いていますのでBLOGに紹介して置きます。親切な方で気持ちだけのお礼をと差し出したものを受け取らなかったそうです。
10年の旅券発行費用1万6千円(420ペソ)は、現金で支払う必要があるとのことで近くの両替店に行き200ドルを追加換金しましたが、そのときに旅券を盗られたので再発行して貰う為にその経費を捻出していると説明したが駄目でブラジルの弁護士協会の身分証明書を出した所、アルゼンチンでは通用しないと拒否されましたが、運転免許書を出すとOKでした。
アルゼンチンを出国する時にカリンボを捺して欲しいと要請しましたが、私がブラジルに入国できなかった場合の送り戻し国となるのを嫌いとうとう捺して呉れずポルトアレグレに戻りました。ポルトアレグレの飛行場では弁護士協会の身分証明書が利き、私の外国人登録書番号も明記されていたので問題なく入国できました。そうでなければ新しい旅券にブエノスでブラジル入国査証を取る必要がありました。 
何とか無事帰還しましたが、家でPCが使えず困っています。

松田:無事帰国されてよかったですね。
私も旅行が好きでいろんなところに行きますが、イタリアでは行くたびに女性の引ったくりにやられそうになります、またスペインでも二人組みの女性に抱きつかれ未遂に終わりました。
治安の良い日本に小生が慣れたのか、日本人だから狙われるのかはわかりませんが、今のところは未遂に終わっています。しかし海外でのトラブルは大変なのでブラジルも含めて外出のときはバンドとうしがしっかりしたポシェトをつけて(熱がりでラフな格好を好むので)身分証明書類は持ち歩いています。
このような事は無いのが一番ですが不幸中の幸いで日ごろの活動の成果の人脈が役に立ってよかったですね。
新しいパソコンでまたふる活動されるのをお待ちしています。
スローライフで寒い日本から逃避中の松田より

和田:私たちの40年!! MLメンバーの皆さん 特に徳力さんへ
顛末記はまたゆっくりと報告させて頂きますが、まずは無事ポルトアレグレに戻り自宅の古いNOTE BOOKを引っ張りだし昨夜、及び今朝5時半からTRYしましたが駄目で事務所に7時半に遣って来てやっと48時間振りにインタネット、メールに接続できてほっとしています。インタネットが繋がらない環境が長く続くといらいらしたり、極端に言うと生きた心地がしませんね。完全なる中毒症に罹っているようです。
さてこれから新しいPCをどうするかですが、自宅での使用、出張時にどうしても必要ですので来週日本から来られる方がおられますのでお願いして見る積もりです。
何かやらかすと徳力さんの顔が浮かび又喜ばせてしまったと悔しくなるのですが、これまでに置き引き3回(サンパウロ、香港、ブエノスアイレス)、オリンダでのスリ被害、メンドーサでのタクシーの中でのカメラ忘れ、昨年の訪日時の国鉄レールパスの発行初日の紛失等、何時もポカをして私を喜ばせて呉れる徳力さんより酷く借りが又増えました。お互いにあいつらは年で耄碌して来たと言われないように気を付けましょう。過ぎたことですので大いに笑って下さい。

徳力:無事入国おめでとうございます。大変な目にあいましたね。
持つべきは友、迅速な応対、よかったですね。

YUKIE:ワッハハ。フフフフのフ!!!   YUKI@ホノルルです。
判ります判ります!!!全く其の通りで御座います。
今早朝のホノルル、最早すごい交通渋滞らしいです。
人身事故!
おおこわ、、、、・気をつけましょう。

原:和田さんの経験を無駄にしないように致します。
と言うのは、いつもパソコンと旅券のコピー、ブラジル身分証明書コピー、航空チケットは同じところにしまっていました。今後は別々に持ちます。

富田:和田さん、旅券の盗難、大変でしたね。しかし即日旅券が貰えたとは驚きです。実は私も旅券を盗まれたことがあるのです。
あれは成田からダラス経由でサン・アントニオに来たときのことです。小生は30年前、メキシコ国籍を取得したため、日本国籍を失っていたのです。五年前、日本に帰化して30年振りに赤い日本旅券でアメリカに着いて、国内線に乗り換えたときのセキュリティー・チェックでかばんごと盗まれました。
私の前にチェックを受けたLatino系の男性はブザーが鳴ったので後ずさりして、再度チェックを受け、又ブザーが鳴って、後ずさりして、とぐずぐずして時間を稼ぎ、その間に先にチェックを終えた彼の相棒が私のかばんを持って逃げたのです。
当時米国の空港は現在のTSAではなく、4,5人の警官が見張りをしていましたが、おしゃべりに夢中で何も見ていませんでした。結局、彼らではなく、空港警察の係官に来てもらって、「盗難証明」を作ってもらい、無事乗り継ぎの国内線に間に合いました。
翌日、ヒューストンの日本総領事館に電話して、旅券の盗難を告げると、再発行は最低一ヶ月掛かるといわれました。
急ぐ場合は総領事の「本人確認の証明書」のようなもので出国出来る、とも言わました。
だから和田さんのように新旅券が即日貰えた、とは驚きです。やはり貴君はスーパーマンですね。
必要書類を総領事館に送り、一ヵ月後、やっと新旅券を入手できました。その時聞いた話では、一年に2万5千人の日本人が旅券の盗難に遭っているそうです。旅券を盗んで売る不届きな奴等が多いのだそうです。中には、盗まれたと称して2,30万円で旅券を売るのもいるそうです。
盗難と言えば、昨12月渡米二日前、一ヶ月前に買ったばかりのブリジストンの新自転車を府中のケヤキ並木の所定の駐輪場で盗まれました。日本にも泥棒が増えたのですね。
和田さん、この災難にめげず、頑張って下さい。

和田:富田さんも旅券を盗まれた経験があるのですね。それも見事な連携プレイによる計画的な作戦で遣られたようですね。脱帽ですね。セキュリテイCHKの時も注意する必要が有りますね。
ブエノスの日本国大使館での即日旅券発行は、同船者が領事部に勤務しており首実験が簡単にできた事、ポルトアレグレの三浦出張駐在官が元ブエノス勤務だった事から書類審査も直ぐにできた事、大阪に住む妹が神戸まで行って戸籍抄本を取得即日大使館にFAXして呉れた事。日本との時差が12時間有った事、事務機械が進み手続きさえ整えば物理的に直ぐに発行できる体制になっている事等が重なったものと思います。
昔は総領事館では直接発行できず外務省に送り発行後送り返して来ていたようです。

新しい旅券と共に手渡された【ご存知ですか?IC旅券(e-passport))の説明書には【毎年約5万冊の旅券が紛失したり、盗難に遭っています。海外においてはスリ、置き引き、ひったくりなどに気をつけましょう。国内では置き忘れ、しまい忘れなど管理の不注意や空き巣に遭うケースも多発しています。これらの旅券は国際的な犯罪組織によって偽造され、不正な出入国や人身売買に利用されることもあります。】口頭では木村 強窓口担当官より貴方の古い旅券は、既にICPO【国際刑事警察機構=インテルポール】に通知されており無効になっているので若し出てきても使用できないし悪用しないように気を付けて下さいとの注意をされました。

丸木:カナダで唯一の有料邦字新聞「日加タイムス」では、下記の要項で原稿募集し旅行計画中の読者に情報提供してます。
あの時は
ひやっとした!ショックだった!!ひどい目にあった!!!
旅先でこんな目にあったことはありませんか?
・あやうく命を無く失くすような事故に遭った
・到着した先で思いもかけないトラブルが待っていた
・飛行機に乗り遅れた
・スリにやられた
・病気になって救急車で運ばれた
・現地の人と言葉の誤解から険悪な空気になったなどなど、こんな体験をした方。
トラブルの内容と、それをどのように解決したかを原稿に書いて日加タイムス編集部
「旅のトラブル」係まで送って下さい。字数は800字以内。
匿名可。ただし、原稿にはお名前と電話番号も含め連絡先を添えてください。
採用分には謝礼を差し上げます。
これまで既に僕の和田さん富田さんに優るとも劣らない?大失敗を書いた投稿が3回
掲載されました。編集長も匿名で載せておられますが、お互い、よくこれまで生き延
びられと今更ながら身の毛がよだちます。





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