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飯島 洋さんの『ブラジル紀行文』
飯島さんとは、ハッピーシニアライフネットでお知り合いになり2006年12月にブラジルを訪問されたのを知りお願いしてブラジル旅行記を書いて頂きました。40年以上ブラジルに住んでいる私たちには、日常茶飯事と思える事項を新鮮な訪問者、旅行者の目で捉えた紀行文は、成る程とその目線が感じられ大変面白く読ませて頂きました。
飯島さんは、1943年生まれで元公務員、現在立川に住んでおられます。趣味は旅行、パソコン、ボランティアで暇つぶしといった恵まれた生活を送っておられるようです。
写真は、飯島さんより送って頂いたものです。
飯島さんのホームページは、www.asahi-net.or.jp/~GJ2H-IIJM/



ブラジル旅行

 12月4日夜 19:05 成田発 ニュヨークで1泊して 合計22時間のフライトで
6日 12:55 リオデジャネイロ 着。
 空港からホテル ここが一番危ないところ 、空港バス「Real」を探す。運転手に 「グアナバラ パレス」のホテル名を告げて 乗車。次第に 客が増え満員。結構走るが なかなか呼ばれず。国内線の空港もすぎた。ようやく 「グアナバラ パレス」と運転手が叫んだ。{ついたー。」
 フロントで予約通り 36階の部屋に。港が見渡せる  広くていい部屋。ベッドで大の字。安心して空腹を覚える。
 ホテルのレストランは4階 。ボーイが片づけ初めている。3時近い 当然だ。「ランチ」が食べられるか聞くと よろしいといってくれた。 バイキング方式 20US$で少し高いが。お祝い気分で注文。好きなもの たらふく食べる。満足して部屋に戻る。食後の休憩。横になって気がつくと バッグがない。
あれ? レストランでは確かに 脇に置いたのに? さあー大変。お金もパスポトもすべて バッグの中。大急ぎでレストランへ。ボーイに聞けば 忘れ物は 1階のフロントと言う。1階へ。フロントでは何も届いていません。あわてて 再び4階のレストランへ 。今度のボーイは 部屋のセニョールに渡しました。と。エレベータで36階の部屋へ。家内が「バッグ 持ってきてくれた」とでてくる。中身は? すべておある。
「あーよかった。」
これで旅行が続けられる。 長いフライトの後 緊張が解けた。 危ない危ない。
 レストランで支払いを部屋につけてもらうため 部屋番号を書いて サインしていたのが良かった。
ちゃんとしたホテルのボーイは 信用がおけることが証明された。お金を取られても自分のミスで仕方がないところ 救ってくれた。お礼がしたくてその後何回もレストランに行くが会えず。
 
12月7日
 ホテルの近くをまず歩く。食事ができる場所を見つけなければいけません。ホテルの高い食事はたまにだけ。近くはビジネス街、道路は広く、大きなビルばかり、大きな人が元気に歩きまわっている。早朝は路上生活者が毛布にくるまって寝ている。小路に入って安いレストランを見つけた。
 街はアメリカナイズされている。少し汚いアメリカと言った感じ。アジアの貧しい国とは違う。バスが多い。公共交通はバスがメインのようだ。
 近くのショッピングセンターまでタクシー12US$。商店はリオもマニラも東京もあまり変わらず。
 明日8日の1日街巡りツアーの申し込みに旅行代理店に入る。安い英語とポルトガル語のツアーに申し込む。夜遅い サンバの劇場へもガイドを頼む。

 夜 日本人2世のガイドが ホテルに迎えにきた。安心していけた。駐車場は結構いっぱい。どんどんお客が増える。
 派手な音楽と共に いよいよサンバのダンサーの登場。本場のカーニバルの雰囲気が少しつたわってきた。いつでもみられて 安全で 気軽だ。
 楽しかったのは 司会だ。
 わからないポルトガル語 英語 いろいろ混ぜて楽しく明るくすすめて行く。
 お客さんにどこからきたのか 一人一人聞いて行くのだ。
 国の名前をいう。その国の言葉のときもある。
「フランス 」
 フランスからきた人に手を挙げさせる。 そのうちの一人を舞台に招く。フランスの有名な歌を歌う。そのひとにも歌わせる。ほめて、からかって 拍手して席に戻す。これを。世界中 ヨーロッパ 中東 アジア アメリカ たくさんの国の歌を歌って行く。全く 世界中から観光客がきているのが目の当たりに理解できる。
 「ハポネス」「ジャパン」と言われて、手を挙げる人は? いました 4人組の一人 舞台に上りました。坂本九の 「スキヤキ」「上を向いて歩こう」を歌ったのはいいのだが。ものすごい音痴。愉快だった。笑われて 抱き合って 退場。私も 「日本からきているぞー!」と叫びたかったが。前もってガイドに止められた。「高い写真を買わされますよ。」ということでした。代表で若い人ががんばってくれたので満足した。
 この 司会が気に入った。 11時過ぎにガイドに送られて 無事ホテルにもどる。リオに来た甲斐があった。

 8日
 朝 ツアーの迎えの時刻になっても 誰も来ない。普通は早めにくるのに。だまされたかな?ボーイに確かめてもらっても もう少し待てだけ。20分遅れて ようやく来た。古いワゴン車。5人ほどになって、サッカースタジアムへ。止まって動かない ほかのワゴン車もくる。結局それに 最後にのせられる。満員。しかも後ろの席。ぎゅうぎゅう詰め。説明はあまりわからないけど観光名所につれて行ってくれるからいいか。カテドラル・メトロポリターナは大きな教会 お説教中でも人の出入り自由。
 ボンジーアスーカル ゴンドラで空中をはこばれて行く。天候は快晴。眺めは本当に良かった。
コパカバーナのビーチも見える。サントヅオモ空港、市内」が一望。今までの悪印象が消えるようだ。
 そこで、DVDビデオのセールスにのせられた。30US$で15US$の前払い。眺めのすばらしさに舞い上がっていて すべて許される気分になっていた。しかも。夜。ホテルに電話 残金を今すぐ払えと言う。
これは断る。商売が大変強気。「売ってあげますよ」 という姿勢。日本の低姿勢になれていたので、大変驚いた。翌朝 ビデオを持って現れたが 内容も確かめられない。前払い金がもったいなくて購入してしまう。帰国後 内容を見て まあまあーのものでした。
 しかし店頭に あったら絶対買わないでしょう。なかなかのセールスでした。
昼食。牛肉を串刺しにした「シェラスコ」という料理。前菜でおなかが張ってきたところに 本番のお肉 、テーブルで 切り取ってくれる。大変おいしいが 食べられず。後から後から でてくる。残念でした。同じ車の仲間とはなせたのも良かった。アメリカヤチリからの人がいた。さすがにアジアの人は少ない。私たちだけでした。
 午後は コルコバードの丘へ。頂はガスでよく見えず。良くなかった。7時にはホテルにもどった。

9日
両替したレアルが残り少なくなって来たので そろそろ両替をとお店を探すと 今日は土曜日でお店が休み。そうか 土曜日日曜日 こちらでは休むか? はじめてでとまどう。明日10日(日)移動する日。
 タクシー代など間に合うかな? なければドルで支払うか。

10日
 日曜日で空港へのホテルの送迎バスもない。Realのバスも少ない、高いタクシか?とあきらめていた。
 ホテルから少しはなれたところでタクシを拾い。空港へ。35レアル(US18$) 案外安かった。レアルも足りた。大成功。
  空港では 日本では聞いたこともない「タム航空」が ブラジルのナシオナルフラッグ のヴァリグ航空よりずうと多い.カウンターも広い。人も多く30分以上待たされた。しかも出発は1時間遅れ。
  イグアス空港では タクシーしかない。予約したホテルへ。料金はきまっていた。安心。運転手がしきりに 明日の観光 50US$でどうですか?としきりに勧める。断ったが あとでそれが安かった
 ことを理解した。ホテルは20分もかからず すぐ到着。
  平屋の大きなリゾートホテル。ハワイやセブ見たいな のんびりした 暑いところの観光ほてる。
 フロント 人も少ない、自分の部屋まで 廊下が大変長い。部屋もベッドもばかでかい。豊かな感じ。
 でも近所になにもない。ホテル内はすべて高いのですべてクレジット払い。
 
13日
 サンパウロ 大都会のホテル 繁華街の坂の途中。地下鉄の駅の近く。東洋人街へ出かけた。
 日本式の鳥居があり、日本風でもあり、中華レストランも多い。東洋がごちゃごちゃの感じ、ブラジルから見れば東洋は遠く、日本も中国も同じか。 
 街を歩いた後、地下鉄の駅前に戻った。安そうなコーヒーショップで休憩。コーラが安い。懐かしい日本人らしい人もいる。日本語の会話が聞こえてくる。移民の人か、結構お年のようだ。
  こちらから声をかけた。88歳の一世のかたと 82歳の二世のおばあさんでした。日本から来た私たちに関心を持ってくれた。ブラジル人は年寄りにやさしいですよ。バスで席を譲ってくれるし。良くないことも多いけど、と言っていた。体もあちこち悪いところだらけ。楽しみはこうして二人でここでおしゃべりすることだと。お子さまは独立して 年寄りが一人で生活しているのだ。ポルトガル語も十分でなく、話せるけど書いたり 読んだりが思うようにできない。二世の人は日本語の読み書きも十分でない。開拓民の生活は厳しく、学校教育もまともに受けられなかったのかもしれない。写真を写して、送るから住所を書いてもらおうとしたら、ポルトガル語の書ける人を探してメモしてくれた。一 
 世の人は10歳でブラジルに来たのにいただいた手紙は立派な日本語を書いていて感心した。時々手紙のやりとりをしているが、今年2008年は移民100周年だからいらしゃいと招待してくれる。そう簡単にいける近い国ではない。
  東洋人街の奥にある日本人移民資料館に行った。訪れる人も少ないようで、私たちが入ると電気をつけてくれた。ほかに 一人日本人が来ていた。後で聞いたらメキシコにすんでいるとのことでした。
  資料委がよく整備されており、わかりやすかった。貧しかった先輩が広いブラジルを目指し、努力してきた歴史がりかいできた。ご苦労様でしたとしかいえない。テレビで「届かなかった手紙」という移民の家族のドラマを見たが、日本人は今、あまり ブラジル移民のことに興味を持っていないだろう。何か交流するにも 遠く、飛行機のフライト時間も長いし、いろいろ大変なことが多い。今は 二世 三世の人たちが 日本に働きに来ておりそれが話題になる。時代はかわった。

   以上



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