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『工藤章氏を送る言葉』 サンパウロ新聞掲載の赤嶺 尚由さんの寄稿文です。
サンパウロで人材銀行を経営されておられる沖縄出身の元邦字新聞記者として活躍されていた赤嶺尚由さんは、現在も活発な文筆活動を続けておられ常時邦字紙に投稿されております。今回サンパウロ新聞に掲載された掲題の『工藤章氏を送る言葉』を転送頂きましたので『私たちの40年!!』HPの寄稿集にも収録させて頂くことにしました。
私個人としても工藤さんがサンパウロの日本商工会議所会頭当時から官民合同会議とか、全伯の商工会議所の代表者会議等でご一緒させて頂いており結構長いお付き合いをさせて頂いており最近ではお仕事の上でもリオの化学プラントCONPERJプロジェクトへの押出機の売り込みを手伝って頂いておりつい最近の2月、工藤さんがご帰国前の忙しい時に三菱商事ブエノスアイレスの事務所でお世話になる機会がありました。
写真は、ブエノスアイレスの三菱商事の事務所での打ち合わせの時に撮らせて頂いた写真を使用させて頂きました。


三菱商事中南米統括(CEO)の工藤章さんが長いブラジル駐在生活を終えられて、四月初旬に離伯されることを、三日付けのサンパウロ新聞の社会面に何気なく目を通していて知った時、私の心の底から何とも形容しがたい惜別の情が湧き上げてくるのをどうにも禁じ得ませんでした。私たちみたいな定住者がある特定の駐在員の帰国に当たって抱く感情を邦字新聞紙上等で公げに発表することは、過去にも余り例がありませんでした。
 幸いなことに、私は、YKKブラジルの石川清治社長(本社執行役員)などと共に、比較的早い時期の90年代の初期に、商工会議所の財務担当理事と専任理事をやらせて貰ったお陰で、他の移住者の方々にも増して、駐在員の諸氏と親しく交際し、併せて友情の絆も結ぶことが出来ました。それは、私自身が規模の大きい日本の企業で働いた経験がなかっただけに、肝心な時の判断の仕方や指導力の発揮の仕方などを一緒に勉強させて貰うのに大いに役立ちました。
 私が価値ある駐在員として勝手に思い描いているある種の目安なり基準というのは、ただ単純に仕事が出来ることだけでありません。その所属する企業でいろんな教育や訓練を受け、経験の場数を踏み、そして、その禄も食んできているわけですから、むしろ(仕事を)やって当たり前、やれて当たり前だと考えています。自分の所属する企業の業績の向上に寄与するのは、何よりも大事ではあります。
 しかし、それだけで良しとする時代ではもうありません。自らの専門知識プラス常(良)識をいかに豊富に備えているかが問われるようになってきています。自分の任期中に、駐在する国の政治と経済情勢だけ、安定していて働き易ければいいんだ、或いは、自分の会社に利益をもたらしてやればそれで己の得点も上がるさ、と、それこそ単眼的なものの見方をしていては、もういけなくなりました。
 地場で生きる名も亡き貧しい人々の置かれた日々の状況を含め、周囲の諸事の動きにもしっかりと目配りして、幅広く思いやる複眼的なタイプの人間でなければ立派な駐在員とはいえないのではないか、と一人合点式というか、早合点式に決めてきました。とりわけ、進出企業の代表者クラスになりますと、尚更のことです。自分(自社)だけ良ければ、それで結構だ、で最早済む筈もありません。
 私が実際に付き合ってきた日本からの駐在員の中で<価値ある駐在員>という風にはっきり言い切ることのできる出来る人たちは、取り敢えず3人います。それこそ玉石混交とした数多くの人材の中から、少な過ぎることは、先刻承知の上です。恐らく「オイ、立派な人たちがもっと他にいる(た)じゃないか。お前の目は、節穴か。生意気なことを言うなよ」と、強い反発を食らうのがオチかも知れません。
 自らの交際範囲もごく限定されていることと、私自身の物指しや目安が独断偏見に過ぎるからでもあるでしょう。古い順から申上げます。もう随分以前のことになりますが、住友電装のブラジル現地法人の確か二代目の社長をお務めになった松本尚夫さんという駐在員の方がいました。京大法科卒でありながら、碁の腕前も、日本でアマ七段という強く、三重県で優勝した実力者でもあります。勿論、駐在員の頃、ゴルフも少しはやりましたが、常に移住者の問題により大きな関心を抱き続け、時間があれば、バストスなどの日系社会の古い移住者集団地や史跡を訪ねては、鯉こく料理を食べたり、ブラジル棋院でお年寄りを相手に碁盤を囲んだりしていました。
 松本さんは、帰日後、僅か数年で不治の病のため、最愛の奥さんを不治の病で失い、確か68歳になる現在まで、二人の愛嬢と一緒に住んでいて、再婚もせずにずっと通してきました。そして、その今は亡きその奥さんは、ご主人が定年退職したら、大好きなサンパウロに戻ってきて、小さな日本食のレストランでも開き、ともすれば食事面で不自由になりがちな日本からの若い駐在員を相手に、少しでもそのお役に立ちたいという願いを密かに暖めていたそうです。松本さんは、そのため、火葬に付した奥さんの遺灰を少しだけ自分の工場の庭に植えてあったイッペーの木の根元にそっと撒いてやり、帰国後、子会社の社長などを約十年間やって目覚しい実績を残して、定年退職した今頃になって、やっとそのお参り兼ねてやっと当地にやって来ることが出来きました。
 たまたま拙宅に泊まっていただいていた松本さんは、寡黙な方で、余計な多くのことを語りたがろうとしませんでしたが、「時には、今は亡き奥様のことを夢に見ることもありますか」という私のぶしつけな問いには「それが偶に夢に出てくることがあっても、年々老いていくのは、こちらだけで、家内の方は、ちっとも年を取っていないんですよ。」とだけ答えてくださいました。その寡黙なご様子に却って元駐在員の自分の生涯の愛(かな)しい人に対する尽きぬ想いがありありと偲ばれました。私も、松本さんに付き添うような形で、そのイッペーの木のお参りに行きましたが、晩夏から初秋への季節の移り変わりで葉っぱがすっかり黄ばんでいても、背が随分と高くなり、順調に元気で成長している模様でした。
 次に、二、三年前までSPジェトロの所長としてご活躍になり、併せて文協や百周年協会などを始めとする日系社会のためにも、文字通り八面六臂の協力をしてくださった桜井悌司さんがいます。日系団体の会議の運営の仕方とか、司会のやり方が稚拙なことを知り、本業の他にその方面での要領やらコツを授けたりした後に、ブラジルを去っていきました。そういうことが今でも時々語り草になっています。東京のジェトロ本部では、監査役まで昇進し、今年からスペイン語の教師として、関西のある外国語大学の教壇に立つことになったという便りを受け取ったばかりです。これからは若い学生たちを相手に桜井さんのたぐい稀なる情熱が大いに発揮されることを期待しています。会議所でのいろんな役職を引き受ける際にも、殆どご一緒させていただきましたが「やろうと思って、真剣に取り組めば、出来ないことは、きっとない筈です。」を口癖にされ、事実、そのとおりの実績を示されました。
 そして、三人目が三菱商事の全体の収益の約二十%を挙げているらしい中南米統括(CEO)の要職を無事務められ上げられ、近く離伯することになった工藤章さんその人です。工藤章さんは、サンパウロにおける生活の半分以上も、席の温まる暇がなくて、海外出張で過ごすといういう過酷なものでしたが、その代わり、駐在期間が九八年から約十年と長ったために、交際をしていただいた時間もそれだけ充分にあったような気がします。月並みといえば月並みな表現になりますが、威張ったところが微塵も無く、本当に謙虚で特異な駐在員としての存在だったという言い方ができると思います。
 私よりいくらか若い工藤章さんを尊敬し、礼賛するその理由を申し上げることにしますと、それが沢山あります。 その中で私の記憶の中に一番鮮明に残っているのは、アテネオリンピックの際、マラソンのブラジル代表だったヴァンレルレイ デ リマ選手があわや優勝のチャンスを掴みかけながらも、競技の途中で不測の走行妨害に遭遇して金メダルが夢と消えた突発事件の際のことでした。同選手の言葉「誰も恨むことなく、尚、次の機会を待ちたい」という何気ない一言が瞬く間に電波メディアや活字メディアを通じて世界中に知れ渡り、大きな感動の渦を巻き起こしました。
 この突発事件に関する限り、日系社会では、恐らく工藤章さんがトップランナーみたいに「自分も駐在員として、限られた一時期をこのような立派なものの考え方のできるブラジル人選手と一緒に同じく国で過ごせることを大変幸せに思う」といった至って率直な感想を商工会議所のコンサルタント部会でやっているメーリングリスト<バテパッポ>(何でも喋ろうよ)でイの一番に発表してくださいました。
 その直後、工藤章さんの許にも、私を含む多くの仲間たちから温かいエ−ルが数多く寄せられた様子でした。もう一つ、私の記憶の中に鮮明に残っているのは、同氏が自ら手を挙げるようにようにして、商工会議所の会頭職に就きながら、長年懸案だった定款改正を済ませるやいなや、「定款改正を手がけた者が長居をすべきではない」と、たった一期二年だけでさっさと辞任してしまったことです。公職に就いている者の身の引き際の鮮やかなお手本を率先して示してくださいました。又、桜の森の造成等、地元の活動にも大いに手を貸してくださいました。
 ブラジルは、昨年辺りから、購買力のある社会階層のCクラスの人口が急に増加し出して、車や家電製品など恒久商品の急激な売れ行きの原動力にもなり、持続性のある経済成長がBrics諸国の中でも漸く期待されるようになってきています。その反面、北伯や東北伯を中心に最高百レアルちょっとまでのボルサファミリアというアシステンシアリズモ(救済型)の社会政策の対象になっている最貧困層がまだ数千万人にも達していると伝えられ、本当の経済活動人口の中に組み入れられるまでには、更に長い時間が掛かりそうです。政府が持続性のある経済成長に本腰を入れ、雇用の創設と所得の分配と格差の是正を図ることに本腰を入れた時こそ、ただ釣ってきた魚ばかり配ってやるような今の救済タイプの社会政策からやっと脱却できそうな気がします。
 多少のインフレ再燃の危険性をはらみながらも、やっと本格化する兆しを見せ始めた経済成長の最も注目される成果の一つは、一般国民が万遍なくその恩恵を受けながら、自助努力を併せてする形で自分たちのカマド(今はガスレンジが殆どでしょうが)に火を付け、日に三度の食事を心配なく満足に食べることができるかどうかということです。金属労組の指導者出身から身を興して、一国の最高指導者の地位にまで上り詰めたルーラ大統領のレーゾンデートル(存在理由)も、実はそこにあるものと判断されます。エタノールアルコールの生産国として、世界中をリードしていくことも、言わずもがな大切な事柄ではありますが、それと並行して、所得の公正な分配と貧富の格差の是正を最大の目標の一つに掲げて欲しい。そして、これから日本にいながら、そういうブラジルの庶民のもろもろの家庭の事情にまで気を配ってくれそうな企業人の一人が間違いなく工藤章さんだと考えています。それが今ちょうどこの国を去って行くことになったご当人を送るに当たっての私の拙い言葉です。(筆者は、ソールナッセンテ人材銀行代表)



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