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『ラオスへの旅』 オランダに御住みのPHILIPPOあや子さんの寄稿分です。
もう20年もオランダに住んで現地に溶け込んでおられるPHILIPPOあや子さんが2年前のご家族3人でのラオスへの旅を書いて送って呉れました。これまでの旅行記はブラジル、南米が多く大抵の場所は既に知っていたり理解しやすかったのですが、アジアの国々(私は移民船が立ち寄った釜山、香港、ペナン、シンガポール、中国の一部、香港の陸続きの深浅、台北程度しか知りません)は、テレビで見る程度で良く知りません。それだけにあや子さんのラオス紀行は、新鮮で興味深いものでした。日本、オランダ、ブラジル(育って子は、ブラジル東北泊のレシフェ生まれとか聞いております)のそれぞれ違う3国の文化が織り成す人間模様、こうゆう関係もあるのだなと感心されられました。最近あや子さんは、オランダで屋台寿司を開店されており話題になっているようですが、写真はラオス旅行中のご家族3人の写真をお借りしました。


和田さん、私たちの40年の皆さん今日は。
2年前に娘とアルナルツ(主人)の3人で、ラオスに旅行したときのことを
紹介します。

1994年に4週間ほどベトナムを旅行し、旅行者をみるとカモとばかりによってくるのにうんざりしていたあとラオスにはいり、ほっとしたのを覚えています。
当時は首都以外は観光の許可が下りず、一週間ほど首都と近郊をうろうろしました。
首都から数時間バスで行った所。許可は出ていないけど、地元のひとが大丈夫というので行ったのですが、普通の生活が見られよかったです。雨が降り出し駄菓子屋で雨やどりをしていると、庭で髪の毛を洗ったりシャワーを浴びてる人、子供たちはシャワーをかねているのでしょうか、突然外に出てきて元気に駆けずり回っている。道は舗装されておらず赤土、いのししが出てくるは、数十頭の牛の移動・・・半日飽きないで見ていました。

現在は昔の面影はまったくなく、メインストリートはたくさんのツーリストとレストラン。旅行者がごろごろ横になってテレビを見ている。ひどい所は、そんな人でいっぱい。何十カ国も旅行したけどこんなのみたことがなく、なんだこれは???
(覚せい剤を楽しんでいるようでした。)私たちは自転車を借り、数十キロ先の鍾乳洞や洞窟を見て歩く。ひとつの洞窟はタイヤのチューブに乗り、おでこには懐中電灯をつけ、そのバッテリをおなかにのせ一人がやっと入れる入り口から水の上をぷかぷか浮きながら案内の男の子の後ろに続く。アルはカメラ、スライド、ビデオ、の見張りで入らず。なかは真っ暗で案外広く、溺れた経験のある私は少し流されただけで思わず悲鳴を、何かとても不気味な感じでした。娘はオランダでシンクロ2位のメダルが自慢なだけに水は大好き。そんな私を横目に見ながら、スイスイと動き回っていました。

今回はタイのバンコクに7月22日に着き、バスや小型トラックを乗り継ぎ、ラオスに向かう。みんな食べ物を買って乗り込み食べている。私たちも生のピーナッツを買い食べる。たいていの人は仕入れのため、両サイドに6人ずつギュウギュウに座り,間は荷物でいっぱい。一人の男の人が鶏を抱えて乗り込み、座る場所がなく
荷物の間に座り、私のまん前に座った。この鶏も近いうち食べられるのかと思うと、とても肉は食べられないと思った。それにしてもギブアップをしたのかこの人の鶏の扱いが慣れているのか安心した様子。彼が降りてレストランに入っていくのを見て、何か恐ろしいとおもった。というのも、1994年にベトナムに行った折、サイゴンから1日ツアーに参加した時の事。フランス人兄弟とその彼女(ベトナム人)と私たちの5人。南の小さい島で彼女が、”鶏のスープ食べない?”と言うので全員一致で賛成。それからまもなくして、ギャーというニワトリの叫び声を聞き、50分後にはテーブルにのっていたのです。
5,6羽のニワトリが飛び回っているなかでのこと。

途中タイで一泊、ラオスに入る。

タイ、ベトナム、カンボジアとの貿易の中継点としての役割も大きい町パークセーに着く。ここの郊外の農村で、農作業や木材伐採に使用する為10頭の像を飼育している。1時間半ほどの散策ができるというので事前に予約を要れ、山からおりて村で像に待っていてもらう。像にのるのはインド以来2年ぶり。私と娘が大人の像にのり、アルの乗った像は子供のせいか右へ、左へ、食べ物を見つけては食べて歩くので他の3頭の像に遅れをとるが、一生懸命ついてくるのがかわいい。乗っている本人とは対照的でユニークでした。

ラオスの最南部のメコン川にうかぶ島、4,000ほどある島のひとつに向かう。その先はカンボジア。まだ電気が通っていず、島一番のホテルでも夜9時には発電機が止まり、真っ暗になる。

そこから直線で1,000kmの距離を小象のようにあちこち寄り道しながら北上。
バスが雨漏りするので、あわててリュックを移動したり、後方部に山のようにココナツが積まれ、床もココナツでいっぱい。その上を歩いて席に着く。バスを自家用車のように使うので、あっちのお店、こっちのお店と止まりながらなので、バスの屋根も中も品物でいっぱい。出発するまで1時間あるいは2時間。
時間で発車するのではなく、荷物が積み終わったら発車するのです。

首都ビエンチャン近郊を自転車で走ったのですが、小さな村ではみんな手を振り、子供たちはとうりにとびだしてきて“サバデー”“サバデー”と声をかけでくる。まるで映画からでてきた有名人のようでした。

北の小さな町で、旅行者を見つけては自分で作った腕輪を売ろうとよってくる少数民族の女性たち。私たちが食事をしていると隣のお店の軒下で雨宿りをしながら腕輪を作っていました。要らなくなった服やサンダル靴など道々あげてきたのですが、
あげるのも難しいもので、むやみにあげると旅行者にたかるようになる。18歳を頭に3人の子がいるという控えめで、礼儀正しい腕輪売りの女性にあげようとホテルに取りに行きました。町を歩いているとしょっちゅうよって来るので、だんだん親しくなり、話は出来なくても好きな女性でした。ホテルから戻ると、アルは彼女からマッサージを受けており、隣の人もそれに習ったとか。私にもやると言ったけど私は遠慮しました。袋いっぱいの服を渡すと、両手で私の手を握り、ありがとうととてもうれしそうでした。
その間隣にいる友人が袋をガサガサとあさり、サーと1つ2つ取り、自分のTシャツはこのとうり穴があいているのだから、自分にもくれという。彼女は手まねで
2人でわけるわといっているのにネ。売るときも、彼女のを買ったのだから、自分のも買ってくれという。写真を送ろうと思い住所を聞いても名前を言うのみ。そこで近くの旅行会社に連れて行き、ここに取りに来るようにいいました。40歳という若さで、何の教育も受けられず、腕輪を売ったり、マッサージの仕事をし、週末には家族のもとに帰るという。同じ地球の上に生まれ、国が違うというだけで・・・・・複雑な気持ちでした。

以前カンボジアで子供にあめをあげたところ、十人ぐらいの子供が飛んで来たので
写真を撮ろうとしたところ、1人の子は真っ裸。恥ずかしそうに前を隠し、服をあげたくてもTシャツ一枚持っておらず、回りはお寺ばかりで買ってあげることも出来ず。それで旅行には、子供の小さくなった服やサンダル靴などをもってでるし、
Tシャツ一枚はいつでも手元に持つようにしているのです。

又レストランで、英語のメニューのあるところは、高くてもツーリストが入り、ますます儲かり、英語のメニューのないところは安くても、地元の人のみ。私たちの入ったレストランは母子でやっていて、英語はまったく通じず。それで私が台所にいき、指でさしていくつか注文。これをラオス語で書いてもらい、アルが英語で書き、私が日本語で書いて渡し、これを大きく紙に書いて表に出すよう手まねでいいました。こういうレストランが少しでも豊かになってくれることを願って!!!

8月も20日近くなり同じ道を戻るか、または飛行機でビエンチャン経由でバンコックにもどるか、あるいはボートでメコン川を下流、途中村落を見ながらタイの北の国境に出る一泊二日のコースの選択を迫られる。オーストラリアの女性と4人でボートを一台チャーターすることにきめる。グリーンディスカバリーという会社は少々高いけれど、少数民族をサポートしたりしているという趣旨が気に入り、ここに頼む。

これが又面白い。陸路が遮断されているので一度も外人を見たことがないと、村中の人がそれこそ村長さんまで出てくる。アルが学校が見たいといいだし、往復30分石ころ道を歩く。校庭では子供たちが、竹で作ったボールをバレーボールのようにネットを張った所で、手を使わず足で器用にけって、相手チームに入れるラオスのスポーツ。見ていても楽しいスポーツです。
舟に戻ると舟頭が、ガイドにものすごい勢いで怒りだした。30分余計に待たされたことの怒りのようで、ガイドも負けじとそれなら引き返すかという。いつ取っ組み合いが始まってもおかしくないといった感じ。村中が事の成り行きを見ている。2時間かけてきているので、ここで引き返されては明日の夕方の国境越えは無理なのでは・・・と私も少々心配になる。舟頭は残りの半額がほしいせいか、この場は一応おそまった。

又他の村ではポシェットをガイドが売り子から買い、私たちにお土産としてくれる。こういうことによって、観光客と少数民族との間をうまく共存出来るようにしているのでしょう。ここは眉毛がないのが美人という村で、女の人はみんな眉毛なし。美人とは何なんでしょうか。美人の原点を考えるのには面白い村です。

17:30分ここが今日の宿。村長さんの家で、奥さんの料理。村には何箇所かの共同の井戸があり、たくさんの女性がシャワーでこみあっていました。シャワーといっても3メートル四方がコンクリートになっているだけでオープン。体に布をまとってのシャワー。この村には55人の男の人がいて、そのうちの36人がボートを仕事としているとのこと。観光客とのトラブルが多いので、ボートマンに英語を教えるために派遣されたというオランダ人が、久しぶりのオランダ語に大喜び。ボランティアでただで習えているのに、1,2度来て来なくなると嘆く。
板張りの大きな部屋で夕食を食べ、地酒を飲み、蚊帳をいくつかつり、そこで寝る。

8月22日16時30分 タイに入国。
8月24日 8時30分 チェンマイから電車でバンコックに向かう。1日中電車の中から外を眺めている、なんでもない風景、これが私は大好きです。
1985年に歩いたチェンマイの面影はまったくありませんでした。



ブラジルから迎えた娘はおしゃれで、私たちのような地元のバスを利用しての旅行ではおしゃれどころではないと思うのですが、彼女は違います。14歳近くなり年頃ということもあるけど、私が用意した機能的な服では納得せず。旅行先で必ず服と履物を買い、町を歩く時にはそれを着てさっそうと歩きます。どこに行っても注目をあび、時には後ろからぞろぞろと男の子がついてくることも。1度など案内の男の子が、“あなたがきれいなので、みんな見ているのですよ。”と言うと、
娘の“知ってます。”と言う返事に、一瞬びっくり、そして大笑いしました。
そんなんで、ラオスが気に入ったようです。
 
彼女は4歳であったときに、すでに波の音を聞きながら、海に向かってダンスをしていました。そのリズム感は、もって生まれた典型的なブラジル女性です。

ラオスはけっしてリッチな国ではないけれど、時間がゆっくり流れ、暖かな人間とのふれあいは、昔の日本を思い出させ、心を豊かにしてくれるものでした。



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