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生涯現役を実行しておられる80歳のタクシー運転手、井田王人さんにお話を伺いました。
昨日ニッケイパレスの前にタクシーのポント(乗り場)を置く古い日本人の方にコンゴニアスの飛行場まで乗せて頂きましたがその時に『お元気ですね』との話のなかでこのポントの創設者の一人で80歳になられる運転手さんが現役で毎日朝の6時から頑張っておられるとの話を伺い感心しましたが、是非機会があればその最古の運転手さんの車に乗って見たいと願っていました。今朝コンゴニアスの飛行場にどっさり仕入れた日本食食材を入れた結構重そうなトランクを提げてタクシーを頼んだら一番前の車の運転手さんが近くにおらず2番目の車が繰り上げて来て呉れましたが、それが何と昨日話題に上がったポント最古の運転手さんの井田王人(IDA KIMIHITO)さんでした。道すがら何時もの悪い癖が出て運転の邪魔にならないようにと気を付けながら色々お聞きしました。ブラジル在住でも超大先輩にあたる戦前移民の方で色々苦労されたそうですが、タクシーの運転手としてニッケイパラセホテル専用のポントでの最古参として80歳になる現在も毎日働いておられます。
井田王人さんにお聞きした話を纏めて寄稿集にも掲載して置きたいと思います。写真は、コンゴニアスの飛行場で撮らせて頂いた井田さんです。


井田王人(イダ キミト)さんは、1928年生まれで8歳の時にご家族と一緒に1937年の戦前移民者のお一人として来伯、ブラジルに72年住んでおられる80歳のタクシー運転手さんです。現在運転免許書は、有効期限1年しか無く毎年更新しておられるとのことですが、毎日午前6時から夜まで12時間以上働いておられるそうです。1男、二女のお子さんに恵まれお孫さんが5人おられるそうです。
戦前移住者として最後に近い来伯でソロカバナ線のコーヒー園に配耕され契約期間を過ぎてからは、近くの日本人移住地で綿作、生糸生産等をやっていたようですが、太平洋戦争が勃発、日本語をしゃべったり日本人が集団を組むと警察に引っ張られる時代を過ごし御尊父が警察に理由もなく(ポルトガル語がまだ十分話せず訳の分からない不当逮捕)され子供心にも戸惑ったそうです。移住地内の日本語学校での勉強も戦争で中断したがご母堂が隠れて日本語を教えてくれたとのことで日本語を上手に書かれるようで『世界人類の平和を祈願』と云った文字をご自分で書かれ車の中に飾っておられました。移民船の中での思い出は8歳と云う年齢から記憶に残っていないが甲板における赤道祭と運動会については覚えていると懐かしそうでした。時間が許せば色々聞いてみたかったのですが、渋滞することもなくコンゴニアスの飛行場に着いてしまい残念でした。写真を撮らせて貰い私も井田さんにあやかり今後とも現役で遣って行きたいとの気持ちを強くしましたが、さていつまで続くでしょうか?
1982年に日本人街に4星のニッケイパラセホテルの建設、開店と同時にホテルの前にタクシーポント(乗り場)を18名の仲間(殆どが日本語がしゃべれる日系人)と共に市役所の許可を取り開設したとのことで既に26年間タクシーの運転手として毎日働いておられるそうです。創立当時からの運転手としては唯一の運転手でその後も日本語のしゃべれる運転手さんが次々ポントの権利を譲り受けて人気のあるポント(投資額を取り戻せる)として継承されて来たが最近はコロニアの老齢化、出稼ぎ現象で引退して行く日系運転手さんの権利を買い取る日系人がいなくなり最近では大半がブラジル運転手に代わって来ている中、唯一のFUNDADOR(創設者)の一人として頑張っておられる。御子さん、お孫さんにも恵まれており働く必要もないようですが、タクシーの運転者としての仕事が好きで辞められないとのことで体力と気力が続く間は現役として頑張って行きたいとのことです。勿論毎年の運転免許書の更新が出来るのは、長年、無事故を誇っているからの結果のようで私の質問に適確に答えながら注意深い運転をしておられました。
これまでの思い出では、大阪からブラジルに遊びに来ておられた不動産会社の社長さんがイグアスの滝を見に行きたいと言い出し15時間止まらずにぶっ飛ばし半日の滝の見学後またそのままトンボ帰りでサンパウロまで戻って来たとかで若かったとはいえ金輪際遣りたくない大旅行であったと懐かしそうに話しておられました。今でもその時の写真を送って貰い大事にしているとのことでしたので時間があれば井田さんの家まで行って見せて貰いたい衝動に駆られました。
『昔は良かったよ。』と語る井田さんは、毎週2度駐在員の奥さん方がPLゴルフ場に行きゴルフを楽しんでいる間、のんびり昼寝を楽しめて結構の実入りがあった。サントスとか1日貸切の仕事もあったし当時1000人からの子供が勉強していた日本人学校の父兄会や各種行事の際には引っ張りダコで仕事が入ったよ。とのことですが最近は、日本学校も生徒数が200人以下に減り、日本からの駐在員の数も減り奥様方でタクシーを使ってゴルフに行くと云った人は皆無になった。これも時代の流れかね。自分のポントの権利(現在6万レアイス=3万5千ドル=385万円)は、出来れば日本語がしゃべれる日系人に譲りたいと願っているが現在買いたいと云って来ているのはブラジル人だけでそのうちニッケイパレスの前のポントもブラジル人の運転手さんだけになってしまうかも知れないね。井田さんから頂いた名刺には【タクシー(日本語で対応いたします)】と書かれていました。ブラジル在住72年の移住者としての大先輩、戦前移住者で現役で社会に尽くしておられる井田さんには、本当に頭が下がる思いがしました。取材?に応じてくれた御礼の気持も込めて出した50レアイス札に実直にお釣りを戻す井田さんにこれまで日本語のしゃべれる正直な運転手としての誇りを感じました。『お釣りはいらないよ』との言葉にはにかんだ笑顔が印象的でした。移民100周年の今年、井田さんのような方が日本人移民への評価を高めて来た事を思うと一人でも多くの日本人、日系人が目立たぬ職場で頑張って居て呉れることを願わざるを得ません。
井田さんに負けずに頑張ってこの大好きな国、ブラジルで生きて行きたいと思います。



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