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消去法と加算法の狭間で(上)(中)編 赤嶺尚由さんの寄稿です。
『サンパウロ市長選挙に参加して』と題してソールナセンテ人材銀行代表で元邦字新聞記者の赤嶺尚由さんが新聞記者を辞めて実業界に転出された丁度30年前の1978年に帰化されてからのご自身の経験に裏打ちされたブラジル社会の政治面での長い流れを10月のサンパウロ市長選挙時まで辿り『ブラジルに関心を抱く方々には、これまでの政治 経済、社会の変遷(概略)を辿って見るのに、何らかのお手伝いが出来れば、それに過ぎる喜びはない』とのお気持で書き下ろしサンパウロプロ新聞の読書欄に掲載された原稿を送って頂きました。
使用ソフトの関係上(上)、(中)の歴史編と(下)の本編ともいえる2部に分けて掲載させて頂く事にしました。
写真は、史上最高の支持率を謳歌するルーラ大統領の公式の写真をお借りしました。


消去法と加算法の狭間で(上)
   サンパウロ市長選挙に参加して
                       サンパウロ   赤嶺 尚由

 私がブラジル国籍を取り、この国に帰化したのが一九七八年のことだった。日本人移住百周年記念行事の一環として、規模も大きく素晴らしい内容を伴った「現代日本の書 代表作家サンパウロ展」を開催し終え、大きな注目を浴びたばかりのコロニアの書道界の第一人者、若松如空(本名 孝司)さんが実業界で盛んに活躍していた頃、グループ企業の一部門の共営者にならないかという大変有り難い話が突然持ち上がり、そのためにどうしてもブラジル国籍を取得して置く必要に迫られたからであった。
地元のある邦字新聞の記者を辞めたばかりで、進路を決めかねていた私は、泡を食うようにして、その話に飛びついたが、国籍を取得するためには、納税証明や善行証明書などの入手を始め、多くの官僚手続きをクリアしなければならず、帰化できる当時の外国人は、一種のエリートみたいだった。こうして若松孝司さんとのあたかも賢兄愚弟に似た約三十年に亘る長い関係が始まったが、しばらくの間、肝心の初歩的なポル語さえ、ろくに話せないという風変わりな帰化ブラジル人のままでいた。

 「一般国民の間にいるよりは、自分の(愛)馬の体臭を嗅いでいた方が余程好きだ」というあの名(迷)言を残した最後の将軍フィゲレード大統領(当時)がやっと退陣して、代わりにサルネイ第一号文民大統領がプラナルト宮入りを果たし、六四年三月から発足した軍事政権が朽木の倒れるような終幕を迎え、二十一年振りに民事政権に復帰したのは、八五年三月のことだった。その頃は、まだ世によく言うところのシダダニア(市民権、或いは、単に人権)が大幅に制約されていて、軍靴の余韻がまだ絶えず残っているような何処かそんな暗い感じの世相のさ中にあった。
 サルネイ文民大統領も、国民の手によってではなく、国会で間接的に選ばれていた。自分たちの大統領を自分たちの手で選びたいという国民の悲願だった基本的人権の一つがやっと認められるようになったのは、八九年以降であり、その年の選挙で、まるで中原の鹿を射止める恰好で、当選を果たしたのが何と政界の風雲児に似たコーロル元アラゴアス州知事だった。ルーラ現大統領以下の錚々たる当時の実力者らは、この救世主然とした若き政治家の後塵をことごとく拝してしまった。
 あの時の大統領選挙には、民政復帰後の初の直接選挙とあって、当選したコーロル元知事以下、ルーラ元制憲議会議員(当時のPT党首の座を具志堅ルイス氏へ臨時的に譲って置く形での出馬)のほかに、最大与党だったPMDB党首の座に君臨し、右に左にまるで葦の如く絶えず揺れ続けたサルネイ政権を意のままに牛耳ったウリセス ギマランエス元制憲議会議長が最大の注目株として立候補していた。
しかし、一旦、投票箱の蓋を開けてみたら、この政界随一の実力者に対する評価は、想像以上に厳しく、むしろ最後から数えた方が早いという無残な順位に終わり、予想もしなかった苦杯を舐めさせられてしまった。と同時に、普段、政界の事柄に根から無関心を装っている一般国民が見るべき時には、見るべき事柄をちゃんと目を見開いて見ているのだぞ、というごく当然の事実を民政復帰直後にまだ惰眠を貪っていた政治指導者たちに対して、はっきりと証明して見せたものだった。その後、PMDBは、何事にもソロバンや秤ばかりを優先させてフィジオロジズモ(利権誘導主義)一片倒に走りがちな保守型の一派と、ネオリベラリズム(新自由主義)を掲げる進歩的な別の一派に分裂し、そのグループが現在に繋がるPSDBを結成、発展を遂げていく道筋を辿ってきたのである。
帰化ブラジル人になってから、ちょうど三十年、体の何処をどう切っても、まだ日本人の赤い血しか出てきそうになく、先ず読者にご理解とご海容をいただいて、自分の子や孫も生まれ育ち、一段と大切になった両国間に紛争のたぐいが万に一つでも勃発したと仮定した場合、どちら側の味方をすればいいのか、又、果たして決断よくそういうことが出来るのか、といった肝心の決意も覚悟も、左程定まっていない。いまだに余り歓迎されるような帰化人には確かになり切れていないということだけれども、ただ、国政選挙のたびごとに、地味で当然といえば当然の選挙の際の投票義務だけは、一度も欠かさず果たしてきている。
 この国の選挙は、大統領と上下両議員、州知事、州議員を選出する四年毎の総選挙と、同じく四年置きに全国で五五六三市の市長と、そこの市会議員を併せて選出する統一地方選挙とが合間をぬうように、ちょうど二年毎に交互で行われる仕組みになっている。その他に、大統領を選ぶのに直接選挙か間接選挙かのいずれにするか、また、銃器所持と大統領制か議院内閣制のどちらを採用するかの是非を問うプレビシット(国民投票)等も実施されたから、帰化後に合計十回を遥かに越す全国規模のこの種のイヴェントに参加してきたことになる。
帰化ブラジル人としては、まあ、過不足ない投票の実体験かな、とそれなりの自負も、抱きかけているところだ。そこで、先ず、その結論から言えば、洋の東西を問わず、最近の世界的な傾向かも知れないが、大統領選を始め、私が経験してきた今迄の殆どの選挙に共通していたことは、「ああ、これらの候補には、こういう優れた条件(資質)が数多く見かけられるから、必ず票を入れてあげよう。」という積極的で前向きの加算方式には基づいてはいなかったという事実である。
むしろ、「ああ、これらの候補にはこういう欠点の方が断然数多く目立つようだから、投票の対象から先に除外しておこう」といういわゆる消去方式に従って、悪い順からさっさとフルイ落としていくようなやり方を余儀なくされてきたということである。こういう後ろ向きの消極的な投票方式は、投票場に足を運ぶ有権者の心を次第にいつか萎えさせてしまうような気がする。又、単純に投票義務だけ果たして置けばいいや、とつい惰性的で投げやりになったり、肝心な投票をおざなりにしてしまいかねない。
早い話がこの候補にも現在進行形の欠点過失の方が目立つから駄目だ、あの候補にも過去の政治経歴に黒い汚点が多分にしみこんでいる様子だから、遠慮しておこう、とそんな具合に消去方式による投票を長年続けていると、いつも最後まで残って、仕方なく票を投じる形になる候補は、いわゆる<メーノスルイン>(より悪くない政治家)だけに絞られることにる。玉石混交の中の光る<玉>の部分に値する候補の絶対数が極端に少なくなり、その分、普通の<石>が目立つように思われてならないのである。
もう一つの問題は、加算方式に基づいて、有り余る優れた資質ばかりを寄せ集めるようなやり方で、選び抜かれた筈の指導者が見事に一般国民の期待に沿う素晴らしい働き振りを示し、成果なり実績を挙げたかというと、そうとは限らずに、むしろ、完全に裏切られてしまったてしまったケースの方が過去に枚挙の暇もなかったということだ。自分の出番を待つ間は、いくら駿馬に見えても、いざ実際に競争のコースに立たせて出走させてみると、ただの駄馬だったという期待外れが何分にも多いのである。
例えば、今年十月五日に行われたサンパウロ市長選挙のプリメイロ トゥルノ(第一次投票、若しくは、予選投票)の場合がそうだった。私は、投票場に足を運ぶまで、名の知れた2,3人の候補を除いて、残りの泡沫候補みたいなワンサといる有象無象たちの名前を全然知らなかった。だから、この予選選挙の段階では、総ての候補にバツ印を付ける恰好で敢えて白紙投票を試みた。
予備選から勝ち残って、十月二十六日のセグンド トゥルノ(第二次投票、或いは、決選投票)の段階に進出した上位二者の候補の名前を目の前にすると、さすがに、再びバツ印というわけにもいかないので、例の消去方式に基づいて、より<メーノスルイン>の候補と判断される側へ一票を投じた。そして、誰に入れたかは、申し訳ないが、個人情報とさせてほしい。いずれにせよ、結果的にそのものズバリ意中の候補が見当たらなかったことに、後味の良くない思いをしたことだけは、確かである。
少し余談になるのを許していただいて、今回の米国の大統領選挙で、真正面からチエンジ(ムダンサ=変革)を標榜して、圧倒的な強さで当選したばかりのバラク オバマ氏は、その演説力など、久し振りに彼の国の有権者が国の最高指導者の優れた資質を寄せ集めるように、言わば、例の加算法方式に基づいて、特に九月下旬以降、最高潮に達した金融危機に直面して、米国民が積極的に選出した自分たちの信頼に値する指導者である、と指摘してもよさそうに考える。そうでなければ、実に六二○○万票以上という空前の高得票は、覚束なくなる。どの国でも、勝てば官軍、負ければ賊軍が世の習いだが、選挙後の彼の言葉明晰と意味明瞭振りを見ていると、成る程と納得させられる。
ただ、既に指摘しておいたから、言わずもがなのことになるのだが、この加算方式に従って、出来るだけ優れた特質を寄せ集め積み上げる形で、選出された米国の若き新しい指導者がそのまま即期待通りの成果を上げ得るとは、まだ未知数で何ら保証できないのではないか。立ち向かわなければならない難問も、百年に一度という世界的規模の金融危機だ。オバマ氏自身、当選後の初の記者会見で、「我々がしなければならない選択のいくつかは、困難なものとなる筈だ。陥っている深い淵から脱出するには、時間が掛かり、容易ではなさそうだ」(フォリヤ紙第二面にあるFRASES=語録欄から)という内容の所信を表明して、一見早過ぎるようにも思える予防線を張っていた。(筆者は、ソールナッセンテ人材銀行代表)


 加算法と消去法の狭間で (中)
    サンパウロ市長選挙に参加して 
                   サンパウロ    赤嶺 尚由

 ごく最近の邦字新聞に載った記事を見て知ったのだが、選挙運動中、米国のバラク オバマ次期大統領が真正面から標榜したチェンジ(ムダンサ=変革)というキヤッチフレーズ(惹句)には、国の仕組みを根底から立て直し、とりわけ、貧困層にも住み易い国造をするという点で、単なるリフォーム<レフォルマ=変化)よりも一段と幅広くて強い語意が込められていると感じた。この判りやすい言葉を、素晴らしい持ち前の演説力を最も頼りになる武器にしながら、行き先々でここぞとばかり繰り出し、ものの見事に米国民の心を捉えてしまったようだ。
伝統的な米国の資本主義に裏打ちされ、そして、可能な限り官側の手による規制制約を排除した自由な市場重視型経済がこれまで絶えず長く踏襲(注 麻生首相がご愛嬌にも、踏<フ>襲(シュウ>と読み違えて、多くの日本国民の微苦笑を誘ったそうだが、本紙の賢明な読者の皆さんには、頭から<トウシュウ>と読んでいただきたいものである)されてきて、それらが行き過ぎて今回の金融危機という大きな試練と岐路に立たされる一因になってしまったが、オバマ大統領の誕生と共に、国家の再建を目指した文字通りの大きな変革が起きる予感を抱かざるを得ない。
二○○二年に初当選し、二○○六年に再選を果たした我がルーラ現大統領も、このオバマ氏より一足先に、しかし、全く軌を同じくするように、単なる変化ではないもっと強力なムダンサの旗色を鮮明にしつつ、特に貧困層が住み易い国造りの必要性を説いてきた。そして、この変革を含め、再選任期の折り返し点に差しかかった途中経過を見ると、無類のツキ男振りというか、持ち前の幸運にも後押しされて、今までの指導者に断然多かったメジオクレ(月並み 若しくは、平均水準並)を相当上回る実績を挙げつつあるように判断される。
ルーラ大統領個人に対する八○%という史上空前の支持率には、ただ驚くばかりだ。しばしば、国の内外を快適な大統領専用機で旅行して回っている時間の方がむしろ長いように思われなくもないのに、何でそんなに人気があるの?という疑問さえ絶えず頭の中を横切(よぎ)る。繰り返すようだが、どの国の政界でも、任期中のツキや幸運の原因や理由は、兎も角、立派な実力の内と評価されるものだ。運に恵まれずに、こと志半ばで挫折した者も、数多い。
現大統領の場合、先ず、その置かれた状況に応じて、向こう側から次々と運やツキのたぐいが勝手に扉を開け、政権自体を低空飛行からいつの間にか浮揚させてしまう印象を受けてならない。とりわけ、経済分野では、そうだ。大統領に就任する直前と直後に、先ず間違いなく大変な暴風雨に襲われ、小船のようにもみくちゃにされるだろう、と内外から要注意の予測が出ていたが、案に相違して、パロッシ財務大臣(当時)らの経済スタッフを先頭に立てて、懸念されていた荒波を何とか乗り切り、良好な評価を内外から勝ち得ることが出来た。
先ず、上昇気配のあったインフレを高金利等でコントロールして経済分野の安定化を図り、不安材料を段階的に払拭して行った。その手法は、政権交代に伴う実際問題となると、採用できる政策の選択幅がそう多くはないということの証明だが、全く相反した考え方のFHC前政権の政策に次第に収斂して行き、ごく類似したものになった、と盛んに揶揄された。
再選後には、国内景気を回復させ、雇用を促進して国民の間の所得格差を少しずつではあるけれども是正し、それまで希少価値だったCクラスに格付けされる中間所得者層を増やして車や家電製品等を盛んに購入させた。これで、漸く一億八〇〇〇万人前後の人口に相応しく信頼できる国内市場が築かれつつある点も指摘できる。
更に、その一方では、輸出に力を入れて、何代かの政権にまたがり、約二十年間というもの、平均二%強でずっと低迷してきていた経済成長の長期低落傾向にやっと歯止めを掛けさせた。特に、ここ一、二年は、四.%内外の持続可能型にさせかけてちょうど相乗効果が出始めたプラス面の諸点を指摘しておいていても、良さそうだ。
一方では、貿易黒字を主力にして積み上げた結果の約二二○○億ドルの外貨準備金が最近の金融タービューランス(大混乱)の頼もしい防波堤の一つになっている。BRICs諸国の中で、今回の金融危機に対して、より強い抵抗力を備えているような気もする。外国から融資借款の取り付けの困難さが増したことと、ほぼ同時進行形による国内からの激しい外資の引き揚げが目下の重要課題の一つに挙げられるが、これらは、現在の途上国の多くに共通したほぼ不可抗力の現象の一つだろう。
しかし、政治面だけに限ると、どうも問題山積の印象が拭えない。大統領自身にかつて金属労組の指導者という出自(しゅつじ)とその背景もあってか、政府の各部門、とりわけ、行政分野に地方労組幹部や中央労組指導者たちの進出が目立ち、中にはそれこそ夜郎自大的な目に余るのさばりを許してしまうという今のような状況に繋がって行った。労組出身者以外は、人にあらずというか、カフェぺケーノ(とるに足らぬ者)視する扱い方も散見された。
度重なる不正汚職を働く者に押しなべて共通した一つの心理は、既にやった事柄に関して、慣れやら不感症が生じることだろう。そして、それがこの次やる時には、白昼でも堂々ともっとデッカク盗(と)れ、といった具合に、先ず気持ちの面の傲慢さに結びつき、荒っぽい悪事が絶えず注意を引いた。又、そういった悪事の繰り返しを見ている肝心の一般国民も、同じようにだんだん諦観に似た心境に陥ってしまいがちになるものである。
更に、大統領の配下の閣内では、やがて意見の対立や確執が起こり、第一次ルーラ政権を誕生させた当時に、肝胆合い照らし、刎頚の友とも言うべき存在の実力者らが官房長官や財務大臣や日系の広報戦略担当大臣らがことごとく袂を分かち、四散して行ってしまった。ただ、彼らが今も水面下で隠然たる影響力を行使していて、二○一○年にもしルウセフ大統領が誕生すれば、前財務長官らの有力ポストでの入閣は、先ず間違いないものと目される。
それと比べれば、ネオリベラリズモ(新自由主義)という考え方を掲げ、嘴が長くて木肌を穿つ習性があり(政界改革の意味でか)原色の羽色をした森の中に棲む特徴のあるあの鳥を党のマスコットに仕立てていたその前の政権の首脳陣がそれでも少しは頭脳的に秘策を巡らし、自分らの仕出かした悪事がどうせ暴露されるにしても、極力次の政権に交代した後に先送りしたいと企んだのとは、ちょうど好対照を成しているようである。
通信部門には政治的な大型の利権が常に付いて回り、前政権下では、BNDS(開銀)が一枚噛んだ通信部門でのやり取りがこっそり盗聴されて表沙汰になり、当時の通信大臣の引責辞職騒ぎにまで発展、今尚古傷をいたぶられ、疼くことが度々ある模様だ。そして、今の政権下でも、内資系の二番手以下の通信会社同士を強引な手口で合併させるため、簡単に変えてはならない筈の通信事業規則を六ヵ月以上の手間隙を掛けてやっと実現、手回し良く大統領の裁可も既に得た模様だが、この業界に馴染みの深い可愛い子息が背後で暗に糸を引いているとの情報もある。
元々、血を流すことが嫌いなこの国では、世に言うところのイムプ二ダーデ(非罰主義=敢えて罰せずの風潮)のままで不正汚職事件の結末を迎えることが少なくない。イムプ二ダーデによく似た政治用語でもう一つのイム二ダーデ(法律上、若しくは、モラル面で果たすべき責任や義務を免除してやるいわば免責措置)という言葉も存在している。
例えば、労組幹部や同じ政党陣営の要人らが犯罪や過失を犯して限りなく灰色区域に踏み込んできても、目を瞑り見ない振りをして、やがてイム二ダーデ扱いになり、そういったことが繰り返されると、雪ダルマ式に積もり重なって、一段とイムプ二ダーデの雰囲気と状況を煽っている感じが無きにしも非ずだ。各国の透明度や公正度を監視する国際機関からこの国が政治経済面のモラル遵守の順位で、常に低い評価しか得られない理由の一つは、ここら辺にありそうだ。
今年のサルバドール市長選挙に出馬し、終盤までよく健闘してあわよくば当選を目論んでいながら、最後の土壇場で息切れして一敗地にまみれたDEM所属のACMジュニオール上議(バイア州の皇帝と呼ばれた故ACM州知事の直系の孫)が連邦貯蓄銀行や伯銀に今回の金融危機対策の一環として、企業や銀行を直接交渉し買収する権利を認める暫定措置に就いて、次のような数多い語録中の傑作を口にしていた。
「労組出身者がウジャウジャたむろしているこれら政府系金融機関にこういう(特別な)権限を与えるのは、政治的には、大変に危険だし、経済的には、破綻モノだ」(Folha紙第三面にあるPainel=政界ゴシップ欄より)と語っていたが、ことほど左様にこの頃の労組貴族は、すっかり怖い存在に変身したみたいだ。余談になるけれども、このACMジュニオールは、まだ弱冠25,6歳にしかならない新進気鋭の政界でやっと走り出したばかりなのに、往時の祖父と一家が築いてきた威光で以って、政界で早くも隠然とした影響力を行使している。近い将来、この国の大物政治家の一人になる筈である。
現政権のもう一つの問題は、釣ってきた魚(ボルサファミリア)だけをただばら撒いてやるような救済型(アシステンシアリズム)の社会政策を採用していることにあると見たい。それが社会政策そのものの実効力よりも、結果的には単に大統領個人の高い支持率を下支えしてきている形で推移してきている点等も、見逃してはならないだろう。
単に水揚げしたばかりの魚を分け与えるのではなくて、自分たちの手で魚の釣り方、或いは、せめて自分たちが食べる物を栽培するための手ほどきから一緒に教えてやる必要性が既に指摘されて久しい。そういう声に対する政権側の返答は、決まって「釣ってきた魚だけでも、一応やって置かなければ、最貧困層は、直面する目下の死活の急場さえ凌げまい」だった。 
それにも、確かに一理は、あるような気がする。しかし、いずれにしても、持続性のある経済成長を中心柱とした住み易い国造りや家造りを目的とした現大統領のムダンサ(変革)がまだ道半ばにあることだけは、確かだ。その意味でも、今年の統一地方選挙が二○一○年の次期大統領選にいかなる影響を与え、現職の意思を継ぐ者が果たして当選するかどうかが極めて注目されそうである。 (筆者は、ソールナッセンテ人材銀行代表)



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