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ニッケイ新聞編集部が選んだ コロニア10大ニュース2008
2008年度は、日本移民100周年記念の節目の年で1年間を通じてこの100周年関連行事がブラジル各地で開催され新聞、雑誌、ラジオ、テレビ等ミヂアでも大きく取り上げられ日本移民の歴史がブラジル人社会にも喧伝され認知された有意義な年となりました。
ニッケイ新聞編集部が選んだコロニア10大ニュース2008の前置きの部分を下記して置きたい。
 『百周年に明け、百周年に暮れた2008年。日本移民百周年と日伯交流年の今年は、1年を通じて両国で約1500の記念行事が実施されるなど、他の周年事業とは比べ物にならない盛り上がりを見せた。1月の開幕行事から、2月のカーニバルでは各地で日本移民がテーマに。6月に行われたブラジル側式典には皇太子さまがご臨席され、訪問された先々で大きな歓迎を受けた。著名人・歌手・文化団体も多数来伯。
慶祝行事はその後国内各地へと広がり、多くの伯メディアが移民の歴史、百周年を顕彰した。日本移民のその子孫の歩みがブラジル国の歴史の一部として認識された年だった。年が明ければ2009年。コロニア激動の1年を振り返り、今年もニッケイ新聞編集部が選んだ10大ニュースをお届けする。』
写真は、どれを選ぼうか迷いましたが、はやり6月の皇太子殿下来伯時の写真で飾ることにしました。ブラジリアの河野さん提供の晩餐会のスナップです。


(1)盛大だった百周年式典=全伯各地で節目祝う

 数年前から、徐々に盛り上がりを見せたブラジル日本移民百周年。六月二十一日のサンパウロ、二十二日のパラナ(ローランジア)など、全伯各地で行われた式祭典でその興奮は最高潮に達した。
 サンパウロでは、日本からの訪問者も含めた三万人を超える観客が一世紀の節目を祝い、パラナでは七万五千人が日本移民センターに集結し、感動のうねりを呼んだ。
 ドウラードス市(南マット・グロッソ州)、ポルト・アレグレ(南大河州)、サルヴァドール市(バイーア州)、サンベルナルド・ド・カンポ、レジストロ、リンスなどサンパウロ州の各市で記念式典を開催。日系人のほとんどいないアマゾンのマニコレ市でも記念パレードが行われた。
 これらの式典のなかには、ブラジル側主導による自発的な取り組みも多く、今までの周年行事とは一線を画すとともに、日系社会がブラジルの成員として完全に認識される結果ともなった。
 しかしながら、サンパウロの式祭典を統括したブラジル日本移民百周年記念協会(上原幸啓理事長)には、会場への入場券の配布問題や出場団体からの不満が噴出するなど、非難の声も多くあったことも挙げておきたい。


(2)官民挙げての大歓迎=皇太子さま、爽やかに

 ブラジリア、サンパウロ、サントス、パラナ(ローランジア、ロンドリーナ、マリンガ)、ベロ・オリゾンテ(ミナス・ジェライス)、リオ・デ・ジャネイロの八都市を九日間でご訪問になった皇太子さま。式典に参加されたほか、各地で熱烈な歓迎を受けた。 出迎えた市民らとも気さくに握手、あいさつされ、八二年の初来伯時に残されたさわやかなイメージそのままに、コロニアのみならずブラジル社会に大きな感動を与えた。
 ご接見では、長年の苦労を労われ、感涙にむせぶ老移民の姿もあった。ご公務のほか、サンパウロ州知事主催の夕食会では、ヴィオラの腕前を披露、リオではポン・デ・アスーカルに登頂され、上機嫌で撮影されるなど、親しみ深い日本のプリンスをアピール。
 なお、四月にあった東京の式典には、異例の天皇・皇后両陛下、皇太子さまが共にご出席。その直前には群馬県大泉に両陛下がご訪問、百周年に〃追い風〃を送られ、皇室とコロニアの強い結びつきを示すこととなった。


(3)デカセギ受難の年

 祝典気分に酔いしれた伯国側日系社会と違って、日本のデカセギにとっては受難の〇八年だった。
 〇七年末の法務省統計でブラジル人が三十一万六千九百六十七人と過去最高を記録。全百五十万日系人のうち、最大の集団地は七割が集中する聖州だが、二番目はパラナではなく、日本という時代を決定付けた。
 日本で犯罪を行い帰伯逃亡する国外犯処罰(代理処罰)問題では、まさに百年祭のあった六月に、静岡県湖西市で伯人同士の殺人事件が起きてしまい、あろうことか加害者が帰伯逃亡していたことが分かった。
 さらに、十一月には最初の国外犯処罰公判となった浜松女子高生ひき逃げ殺人事件で帰伯逃亡したヒガキ・ミルトン被告に、裁判所は四年間の社会奉仕と慰謝料約三百万円の支払いを命じたが、控訴。この問題では話題に事欠かない年となった。
 九月に起きた米国金融危機で急激に日本経済が悪化し、大半が非正規雇用のブラジル人は数万人規模で解雇され、路頭に迷って路上生活者が出たほか、教会やNGOに保護されるデカセギが続出したとの報道が相次いでいる。帰伯者の大半は再入国許可を取っているものの、例年と違って片道チケットで帰伯している。〇九年年頭からは異例の大量帰伯が予想される〃受難〃の年となった。


(4)〃ブラキチ内閣〃が発足

 日伯国会議員連盟会長を務める麻生太郎衆議が九月に首相に就任した。同首相は青年時代に企業駐在員としてブラジルに滞在した経験も持つ知伯派。新内閣には同議連幹事長で長年の知伯派、河村建夫官房長官をはじめ、ブラジルに縁のある議員が多数入閣、まさに〃ブラキチ内閣〃とも言える陣容にコロニアからも喜びの声が上がった。
 新時代の日伯関係への期待が高まるが、発足直後に世界金融危機が顕在化、その対応に追われる中で支持率も二〇%前後と低迷気味だ。
 一方、金融危機に伴う不況で外国人をはじめとする派遣雇用の打ち切りが社会問題化する中、政府として外国人の雇用や住宅問題、子弟の就学支援に乗り出すなど、多文化共生を視野に入れた方針を打ち出している。
 経済情勢の先行きは不透明だが、デジタルテレビやバイオ燃料のような日伯の将来にまたがる案件の前進とともに、ブラジル人はじめ在日外国人が直面する生活の困難を乗り越えられる施策を期待したい。


(5)過熱した伯国の百周年報道

 百周年に関する伯国メディア報道の過熱ぶりは、前代未聞だった。特にグローボTV局は、四月からSPTV(聖州版ニュース)で日本移民の歴史やコロニアを紹介するコーナーを作って毎日、五月からは全国版でも放送を始め、百周年を全伯に認知させる上で、多大な貢献をした。
 もちろん、バンデイランテスTV局、レージTV局、クルツーラ局などあらゆる局が百周年関連の報道をし、あらゆる階層の伯人にくまなく知らしめた。
 新聞の特集もかつてない規模だった。特にエスタード紙は五年ほど前から毎年移民の日特集の別冊を発行してきたが、〇八年には複数回も発行し、フォーリャ紙も続いた。パラナや南麻州の地方紙も別冊を組むなど、予想を遙かに上まわる慶祝熱に包まれた。伯国最大の週刊誌ヴェージャ誌も特集を組んだほか、様々な雑誌でも大きく扱われた。
 この過熱ぶりは世界のメディアにも波及し、フランスのル・モンド紙、リベラシオン紙、英国のBBC放送、中東のアルジャジーラに加え、EFE、AFP、ロイターなどの国際通信も世界中のメディアに向けて発信し、中南米はもとよりアジアなどの新聞にも多数掲載された。
 日本側メディアも四月と六月には百周年報道や連載記事が流されたが、すぐに北京五輪に切り替わり、伯国メディアの盛り上がりに比べるべくもなかった。


(6)日伯経済も新世紀へ

 日伯で移民百周年が祝われた今年は、また、両国の経済関係にとっても大きな前進があった一年だった。
 〇六年の地上波デジタルテレビ日伯方式採用に続き、六月末には甘利明経済産業大臣(当時)が現職大臣として二十四年ぶりに来伯。滞在中は大統領はじめ主要閣僚と懇談したほか、バイオ燃料、デジタルテレビ、資源分野など両国経済の将来に関わる多くの重要案件に道筋をつけた。
 両国の景気低迷にともなう八―九〇年代の「失われた二十年」をとり戻すかのように、日系企業の新規進出、対伯投資も増加。日本航空によるエンブラエル社の機体購入、ペトロブラス社の南西石油買収のように、二国間経済関係も再活性化の兆しを見せつつある。
 デジタルテレビでは日伯方式を中南米へ広げる動きが進み、聖市―リオ間高速鉄道に対しても折に触れ日本側が新幹線方式を売り込んでいる。三井物産や三菱グループのように、ブラジル側での人材育成を支援する動きも出始めるなど多面的だ。
 急速な盛り上がりを見せた両国経済関係だが、九月からの金融危機で一時停滞気味。トヨタ自動車など大手製造業の投資延期も伝えられており、来年以降の展開は不透明だ。再び「失われる十年」への入口とならなければいいが…


(7)著名人来伯ラッシュ

 各界の著名人がブラジルへやってきて、日伯の人的交流が盛んに行われた一年だった。
 皇室からは六月の皇太子さまご来伯に続き、九月には高円宮妃久子さまがブラジル、ウルグアイなど南米四カ国を訪問された。
 政治・経済界では経産大臣、農水大臣、文化庁長官ほか、六月の百周年式典では日伯国会議員連盟から麻生太郎会長(現総理)など十一議員が来伯。さらに二十以上の府県から知事、県議会議長クラスが訪れ、百周年、県人会周年記念を共に祝った。経済関係者も多数訪れ、BRICSの一員としての注目もうかがわせ更なる日系社会の役割を感じる年となった。
 また多くの芸能人、芸能団体が来伯し、コロニアに笑いや感動を届けた。雪村いづみさんと沢竜二さんの共演が実現。また聖路加国際病院(東京)理事長の日野原重明さん(96)や102歳の教育者、昇地三郎さんも来伯講演し、ご長寿パワーでコロニアを圧倒。
 今年のNHK紅白歌合戦に出場する宮沢和史さん、十年連続来伯の井上祐見さん、九十公演以上をこなした中平マリコさん、「緑の大使」谷本知美さんらが自作の百周年記念曲をひっさげて各地で公演。森ゆりさん、タンゴ歌手の冴木杏奈さんほか、〃里帰り公演〃を行った南かなこさんや「響ファミリー」も感動を呼び起こした。
 民族歌舞団「荒馬座」、江戸糸あやつり人形「結城座」、能宝生流の舞台や落語など古典芸能公演も各地で行われた。


(8)文協統合フォーラム

 十二月に聖市で開かれた「第二回文協統合フォーラム」には全伯十五の都市・地域から日系団体代表者が参加。「新たな百年の構築」をテーマに、二日間にわたり講演や分科会を通じて日系団体の将来、団体間の連携について団体・婦人・青年・事務局などの担当者が意見を交わした。百周年を祝うことが中心だった今年の日系社会の中で、数少ない〃百周年後〃を見すえた企画だったと言える。
 特に注目されたのは、日系団体間をインターネットでつないで情報を共有する「文協ネット」の将来性。そのほか、地域ごとの統合フォーラムの開催や若者の呼び込みなど、各団体による来年度の実行目標も発表され、ブラジルにおける日系団体・日系人の役割について参加者らは意識を新たにした。


(9)全伯に記念建築物

 百周年を記念して、今年はまさしく全国各地に記念の建築物がつくられた。
 マリンガの日本公園やロンドリーナの中川トミ広場、ベロ・オリゾンテの日本庭園、モジの百周年公園など、百周年・日本移民を顕彰した市民憩の場があちこちに完成。
 鳥居に限っても、本紙が把握しているだけで軽く十基を超える。記念碑にいたってはその何倍という数が建てられたはずだ。
 まさに建設〃ラッシュ〃だったこの一年。その背景には、連邦政府や州・市など行政の協力が大きかったことは言うまでもない。市の名所作りという以上に、移民と日系人がその土地その土地いに根づいて得た信頼のあらわれだった。
 五十年後、百年後、これらの記念建築のどれだけが元の姿を留めているだろうか。
守り伝えて行くための努力はこれから始まる。


(10)記念5百円硬貨=前代未聞の再鋳造

 日本の財務省が昨年四月に発表、三月に四百八十万枚が発行される予定だった百周年記念の五百円硬貨。当初のデザインとしては「桜の木とコーヒーの実」と、サントスにある「日本移民ブラジル上陸記念碑の親子像」が予定されていたが、親子像の製作者との著作権問題が発生する可能性があることが分かり、前代未聞の再鋳造となった。
 碑を設置した県連が財務省と使用契約を交わしたが、後に笠戸丸表彰のトロフィーを同記念碑のデザインで製作する段になって製作者の彫刻家に著作権があることが判明。その後も使用に関して合意に至らず、急きょ発表された再鋳造は日本のメディアでも大きく取り上げられ、コロニアの話題をさらった。
 県連側の著作権意識の薄さ、道義的責任も問われたこの一件。一歩間違えば巨額の賠償問題にもなりかねない出来事だった。記念硬貨はデザインを「笠戸丸とブラジル」に変え、六月十八日に発行された。


その他

 十大ニュースがほぼ百周年一色になってしまったため、触れることのできなかった出来事も多い。「その他」として振り返ってみる。
     ◎
 聖市を中心に数多くの記念展示会が開かれた。日系社会展をはじめ、中南米ではじめての規模となる江戸工芸展やヒロシマ・ナガサキ展。日伯の交流美術展に加え、日系画家・造形作家の作品展は日本でも開かれ、伯国美術界における日系作家の存在を知らせた。州政府や両国の大学によるシンポジウムも多数開催。
     ◎
 スポーツに目を向ければ早慶戦、高校選抜など野球・ソフトの選手が多数来伯して交流試合を開催。サッカーや相撲、バレーなども日本から訪れた。
     ◎
 日本から訪れたといえば、海上自衛隊練習艦隊の四年ぶりブラジル寄港が話題に。
また「友情の灯」や「神戸の水」のほか、北海道からは雪だるまが到着。リオ・聖市では浜松名物の大凧揚げも行われた。
     ◎
 人的な交流も活発だった。日本の外務省による日系青年・文化関係者の招聘に加え、日本からは地域リーダー交流で十一県から二十人が来伯。少年サッカー選手なども各県から訪れ、交流。
     ◎
 県人会の式典は十八に上った。中でも沖縄県人移民百周年祭典は五日間に渡り、母県・世界中から千五百人の慶祝団が訪れる賑わいだった。ほかにも熊本の県系人世界大会や、岩手の杉村濬第三代駐伯公使の墓碑改修など、各県人会で特色ある行事が行われた。
     ◎
 移民百一周年を迎える二〇〇九年もアマゾン入植八十周年、援協創立五十周年といった節目の行事が続く。今年着工した援協福祉センターは来年六月に完成予定。
その頃には海の向こうでも、今年四月に着工した旧神戸移住センターの改修事業が終了する予定だ。



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