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【活躍するJICAボランティア】 サンパウロ新聞連載特集
『ブラジル全国で活躍するJICA日系社会シニア・青年ボランティア。移住と日系社会支援を目的にJICAで八六年に設置された海外開発青年を前身とし、〇八年度までに約六百五十人がブラジルへ派遣された。現在五十八人のシニア・青年ボランティアがブラジルで日本語教育、高齢者福祉、日本文化など様々な分野において活動している。今回、そのうちの六人のシニア、青年ボランティアの活動を紹介する。』
上記の前書きの後、ブラジル全国で活躍する6人のシニア・青年ボランティアが紹介されています。前身の海外開発青年制度は、機関が3年間でその間に勤務地での生活設計を立て定住(移住)に移行することを支援する新しい若者の移住への道を開いたものでこのシステムを利用してボアリビアの三浦さん、アルゼンチンの相川さん等立派に現地に定住して活躍しておられます。
写真は5人目に紹介されている援協あけぼのホームで介護福祉士、ケアマネージャーとして働いておられる高井奈穂さんのサンパウロ新聞掲載写真をお借りしました。


活躍するJICAボランティア(1) サンパウロ新聞WEB版より

伯国に吹き込む清新な気風 人材育成の中核担う

ブラジル全国で活躍するJICA日系社会シニア・青年ボランティア。移住と日系社会支援を目的にJICAで八六年に設置された海外開発青年を前身とし、〇八年度までに約六百五十人がブラジルへ派遣された。現在五十八人のシニア・青年ボランティアがブラジルで日本語教育、高齢者福祉、日本文化など様々な分野において活動している。今回、そのうちの六人のシニア、青年ボランティアの活動を紹介する。

躾や、情操教育も重視 トメアスー日語校・織井千恵さん

 「少しでも使える日本語を教えたい」―。

 パラー州のトメアスー文化農業振興協会(海谷秀雄会長)が管轄する日本語学校(稲田洋一校長)で、青年ボランティアとして活動する織井千恵さん(二八、奈良県出身)の思いだ。

 日本語教師として〇七年七月から二年の任期で同地に派遣されている織井さんによると、同校には五歳から十三歳までの四十七人の生徒がおり、本人を含めて四人の教師が指導にあたっている。

 年間の主な行事は、二月から授業が始まり、ひな祭り(三月)、母の日、全伯作品コンクール(五月)、運動会(七月)、ピクニック(八月)、敬老会(九月)、ベレンでのお話大会(十月)、修了式(十一月)、能力試験(十二月)などがある。

 織井さんが担当している受持ちクラスは、十一歳から十三歳までの日本語が話せる生徒が四人。四人とも日常的に日本語を話すことができ、「日本に行って雪や桜を見たい」との具体的な目標を持っているという。

 織井さんは日本語の指導以外に、日本語能力試験対策講座や模範授業などの教師養成を週に四回行っている。

 日本語学校では、授業の終了時に生徒たちに掃除をさせるなど、日本的なやり方を実践させ、「あいさつや礼儀は特にやまかしく言っています」と、単なる日本語指導だけでない日常的な生徒の教育にも力を注いでいる。

 実際の授業では、「私だからできる例文」(織井さん)として、日本とブラジルを比較した例文を多用する。

 例えば、日本のアニメのキャラクターを例文に用いたり、「日本では使用後のトイレットペーパーをそのまま流す」ことなど日伯文化の違いを教えることで興味を引き、生徒たちは熱心に耳を傾けるという。

 「生徒に少しでも違うことを何回も言わせることで、彼らの考えを促すことができるのです」と織井さん。「授業の終わりに、おやつを持ってくる生徒もいて、『先生食べる?』と分けてくれたり、本当に素直で可愛い生徒が多いですね」と笑顔を見せる。

 教材そのものも、国際交流基金からの教材寄贈により、日本の教科書や「ワーク集」などがあり、「『日本の教科書はきれい』と生徒たちが喜ぶ」という。

 しかし、今後の課題がない訳ではない。

 同校の現在の日本語指導方法は、少しのポ語を交えながらも基本的には教師が日本語で日本語を教える「直説法」をとり、昨年七月以降はそれまでの年齢別授業から、生徒の能力に合わせて進級させる「完全レベル制」に変えた。

 「今年からレベル分けをしていますが、予定通りいきにくいことも多いです。また、できない子供をどうするのかなども考えなければなりません」と織井さんは、「今後のカリキュラムを安定させること」に重点を置いている。

 また、今後、JICAからの派遣がどれだけ継続できるかが不明な中、従来はボランティアがやっていた行事関連のプリントの保護者への配布など、少しずつ現地教師に任せていく方向で進めている。

 「せっかくボランティアとして呼んでもらっているので、自分ができることをトメアスーに少しでも還元できれば」

 トメアスー文化農業振興協会の副会長でもある稲田校長は、「日本語学校のことは九九%織井さんに頼っている形で、本当によくやってもらています。彼女が帰国した後、正直どうしようかと迷っています。今後は地元でやっていき、将来の心配もしなければならないとは思っているのですが」と話している。(松本浩治記者)

写真:生徒たちを指導する織井千恵青年ボランティア

2009年1月15日付


活躍するJICAボランティア(2) サンパウロ新聞WEB版より

意識の改革や疏通を アマゾニア厚生ホーム・兵藤時子さん

 「同じ日本語で話していても、相手が本当に分かっているのか、後でもう一度確認する必要があります」―。

 アマゾニア日伯文化援護協会福祉部が管轄するアマゾニア厚生ホームに、〇七年七月から今年七月までの任期で派遣されているシニア・ボランティアの兵藤時子さん(六二、愛知県出身)は、文化・習慣の違いによる職員への指導の難しさを実感している。

 記者が、ベレン市近郊アナニンデウアにある厚生ホームを訪問したのは昨年十一月半ばの午前九時半頃。入居者とともに唱歌などを一緒に歌う兵藤さんの姿があった。

 現在、同ホームには男性八人、女性十一人の計十九人が入居しており、すべて日本人一世。平均年齢は八十四歳となっている。職員数は、食事、リハビリ・介護のほか、掃除・洗濯、庭師、事務職、看護婦担当など全員で二十五人。月に一回、ベレンの援協から医師が診察に来るという。

 ホームでは午前中は「声を出して身体を動かすプログラム」が中心で、休憩の「おやつ」の時間をはさんで午前十時から本格的な活動が始まった。

 ラジオ体操をはじめ、フォークダンス、拍子木を持ちながら音楽に合わせて打ち鳴らしたりと、体力を使うプログラムは続く。その次は頭の体操。「今日は何日でしょう」から始まり、足し算、引き算などの計算問題を出題し、次々に入居者に答えてもらう。

 絶え間ない笑顔の中で「間違ってもいいから、大きな声で」と兵藤さんの声が飛ぶ。

 ホーム内の空間は広く明るく、大きな窓が開け放たれているため時折涼しい風が通るとは言え、熱帯の蒸し暑さの中、指導する側も大変なエネルギーを要し、汗が滴(したた)る。

 入居者と同じ昼食をご馳走になりながら、兵藤さんに話を聞く。

 入居者とも接するが、兵藤さんの主な仕事は職員への技術指導だ。

 一年目、勝手の分からない中で、職員たちに対して介護技術の講習などを行ってきた。

 「ポ語の問題もあったのですが、通訳してもらってもこちらの思っていることが伝わらなかったり、実現できなかったことが相次いだので、職員に自分で考えたことを実践してもらうようにすると意識が変わりました」

 その結果、職員たちがベレン市で援協とは別に行われている介護の講習会にも積極的に参加するようになり、援協が出せない費用を賛同者から寄付してもらうなど、職員の技術向上にもつながっている。

 昨年十一月からは、週末ごとにベレン市内にある平和劇場前のレプブリカ公園内で入居者が作った和紙人形や折り紙などの手芸品を兵藤さんたちが中心となって販売し、職員の講習会参加などを目的とした教育基金を貯める活動も実施している。

 「サンパウロへ行く研修もあり、職員たちにとっても励みになっているのです」

 その一方で、文化・習慣の違いから来る職員の指導に戸惑いもある。

 兵藤さんは「日系の職員には日本語で話すため、相手が分かっていると思いがちですが、案外と分かっていないこともあり、後でもう一度確認しています」とし、「高齢の入居者に対しても、相手が『ノン・ケ(嫌だ)』と言えば、こちらの人(職員)はすぐに作業を止めてしまいます」と入居者が本当に身体的に辛いのか、感情的なものなのか判断ができにくいのも現状のようだ。

 そうした中でも、「ブラジルの人は今日のことは今日。明日のことは明日と割りきってやってくれるところが、日本とは違って精神的にやり易い面もありますね」と兵藤さん。「最初に赴任した時には、入居者と職員のコミュニケーションがあまりなく、『笑い合えるレクレーションができれば』との思いで場をつくってきましたが、最近ようやく笑えるようになりました」と顔をほころばせる。

 十五年間、同ホームで介護職員として働く服部祥子さん(六〇、福岡県出身)は、「毎日の繰り返しの中で、新しい歌を作ったり、踊りを考えてくれたりと本当に助かっています」と兵藤さんの活動を評価する。

 そう言われながらも兵藤さんは「服部さんたちのように、これまでやってこられた人がいるから、入居者の信頼があるのです」と、ホームの活動が職員たちの貢献にあることを肝に命じている。

     (松本浩治記者)

写真:入居者に笑顔で接する兵藤さん(左端)

2009年1月16日付


活躍するJICAボランティア(3) サンパウロ新聞WEB版より

刺激し、啓蒙し、支援して 南麻州ドウラードス日語教師を育てる間山伸一さん

南マットグロッソ州日伯連合会に派遣されているJICA日系社会シニアボランティアの間山伸一さん(七十歳、北海道出身)は、同連合会が管轄するドウラードス日本語モデル校を中心に、同州や麻州クイアバで日本語指導をしている。

 間山さんの大きな役割は、日本語教師の育成と指導だ。

 「一人で突っ走っても誰もついてきません。刺激を与え、啓蒙して、徐々に側面から支援していく。私の仕事はあくまでレベルの底上げだと思っています」。

 間山さんは、北海道知内町の中学校で校長職を務めて定年を迎えた。現役時代は英語教師だった。

 日本語教育に関心をもったのは、文部省からアルジェリアの日本人学校に派遣されたときのこと。母国語であるフランス語しか話せない日本人の子に出会った。衝撃が走った。

 「今まで日本語教育を続けてきたスタートが、アルジェリアにあるんでしょうね」。

 定年後、日本語教育の勉強に力を入れた。函館市にいる外国人留学生たちへの日本語教師ボランティアに参加。

 二〇〇〇年には、JICA日系社会シニアボランティアの日本語教師としてアルゼンチンに派遣された。帰国後、札幌市で日本語教師資格を取得した。

 今回、間山さんのシニアボランティアとしての仕事は、教師研修会の講師、カンポグランデ、クイアバ、共栄移住地などにある八つの日本語学校への巡回指導、地元の日本語教師による作文集の編纂作業などだ。

 日本語教師の技術指導という任務を与えられた間山さんは、日本語が日系社会活性化のカンフル剤になると信じて精一杯取り組んできた。

 JICAで二度目の派遣だが、やはり赴任当初はつらい悩みもあった。

 勉強会を開こうと声をかけてもなかなか反応がもらえず、教師たちと打ち解けあうのに時間がかかった。

 教師たちの立場を最大限理解することに努めた。何があっても教師を注意、否定することはしない。指導を進めつつ、環境になじむことを大切にした。

 時間が経つうちに、周囲も間山さんの仕事を認めるようになった。用意した教材を使用してくれる教師も現れてきた。

 「うれしかったですね。自分が信じていることがみんなに伝わったんでしょうか」。

 日本語のプロとして仕事をしている教師たちのやり方を百パーセント尊重した。間山さんの指導は塩加減の調整程度。そして、日本語力向上、教師研修の大切さを啓蒙してきた。

 同モデル校の城田志津子校長は、「(間山さんの指導は)今の日本をみるいい機会。教師たちも生徒たちも関心を持ってくれていますよ」と評価。

 同モデル校生徒の小森美津江さん(十七歳、四世)は、「わからない言葉や私たちの知らない文化を教えてくれる先生です」と、間山さんを歓迎している。

 「教師たちのがんばりには敬意を払いたいし、しっかりした組織は見事。そんな環境にいられて本当に幸せです。結束、絆の強いここの日本語学校を日本の人たちにも見せてあげたい。そして、私はいつも日系社会の応援団でありたい」。

 二年の任期も、残り半年。間山さんはラストスパートに入った。

     (山口貴史記者)

写真:ドウラードスモデル校の前で間山さん


活躍するJICAボランティア(4) サンパウロ新聞WEB版より

自然体の日本語学習を アリアンサ日語校教師・平木基さん

 聖州ミランドポリス市にある第一アリアンサ日本語学校に〇八年八月、日本語教師・平木基(はじむ)さん(二三、大阪府出身)がやってきた。同校へのJICA青年ボランティア派遣は二度目、一期で打ち切りとなった長野県教師派遣(二〇〇五―〇七)の後を引き継いだ。

 二十四人の子どもたちが通う同校は、「信州村」とも呼ばれた移住地の日語学校。長野県からは今でも補助金が支給される。第一アリアンサの日系子弟は、約九割がここで学ぶという、継承日本語色が強い学校だ。

 新卒の最年少ボランティアは、高校、大学時代に三度訪伯。惚れ込んだブラジルに、「次は仕事で」とボランティアを志した。日本語教育は大学で専攻したが、実際に教えるのは初めて。

 同僚は教師歴七年のアグネス・ファイスタベルさん(二八、弓場農場出身)。二人で一緒に教えるチーム・ティーチング形式を取る。毎日二コマから五コマを担当し、途中に織り込んだ「会話クラス」は平木さんが担当する。

 「自然な日本語」を目指した同クラスは、平木さんが提案。当初、日本語を話すことを恥ずかしがっていた子どもたちも最近では随分慣れてきて、ゲーム感覚の遊びを織り交ぜた授業に笑顔が絶えない。

 「先生、サッカーします!」。休み時間には、子どもたちが誘いにくる。勉強を始めて数か月であっても、使いたい言葉はすぐに覚えてしまう。文法の正確さよりも、伝えたいことを口にする。コミュニケーションの達人たちだ。

 「せっかくネイティブ(母語話者)がいるんだから日本語のシャワーを浴びて、サバイバルできる会話力をつけてほしい」と平木さん。そのため自身は、「ポ語はわかりません」で通している。「その方が生徒たちが頑張って(日本語を)話すから」と茶目っ気のある笑顔を見せる。

 JICAから同校への教師派遣は二度目。ボランティアは「現地の自立支援」が目的だが、継続派遣を望む声は多い。それは人材不足など、短期では解決できない課題が残されていることを物語っている。

 過疎化が進む同地では、日語教師を目指す二世、三世がいないという問題を常時抱えている。「本当は(自立できるよう)日系社会が強くないといけないんだけどね」とアグネス先生が寂しそうに付け足す。

 このような事情からも、日本からの教師は「やはりありがたい存在」(アグネス先生)。それに加えて、最新の日本事情、会話クラスのようなアイデアなども入り、授業に広がりが生まれる。

 初教授に奮闘する平木さんは、同期ボランティアたちとの情報交換を密に行なう。「経験がない分、みんなに聞かないと」と授業研究に余念がなく、真摯な姿勢を崩さない。

 平木さんにはしかし、若さと経験の少なさにも関わらず、ある種の余裕が感じられる。

 「楽しくて効率のいい授業がもちろん理想だが、無理な場合は楽しさを優先させたい」と学生時代に感じた自らの体験を持って語る。

 保護者に促されて勉強している三、四世の子どもたちは、日本語学習の意義を見出すのが難しく、動機付けは弱い。その分、学習効果が上がらないこともある。

 そんな生徒たちに向ける平木さんの視線は温かい。「在学中わからなくても卒業後に気づくこともある」と気長。規範への順応や即成果を要求する「日本の学校」を持ち込む教師が多い中、大きな心を持って子どもたちに接している。

 若くて経験が少ないことはハンディにはならない。天性か、これまでの体験から培われたものかわからないが、その年齢には不相応なほどの思慮深さで、毎日第一アリアンサ日本語学校の子どもたちに向き合っている。

 (つづく、上岡弥生記者)

写真:会話クラスで「自然な日本語を」と取り組む平木さん(左端)


活躍するJICAボランティア(5) サンパウロ新聞WEB版より

大切な家族とのコミュニケーション 援協あけぼのホーム介護技術向上に励む高井奈穂さん

 ブラジル日系初の要介護高齢者専門施設として設立された援協あけぼのホーム(山口正邦経営委員長)には、現在四十九人が入所している。一世が三分の二を占め、車椅子生活者や痴呆などで介護を必要とする人がほとんどだ。

 介護福祉士でケアマネージャーでもある高井奈穂さん(三三、兵庫県出身)は、昨年七月から同ホーム五代目のJICA派遣青年ボランティアとして活動し始めた。

 商業大学を卒業後、「人の役に立ちたい」という思いとともに、身体障害者施設で働く道を選んだ。四年後、老人介護施設に移動。介護職に携わって十年目を迎える。

 あけぼのホームでは、日々の介護を行いながら現地の介護職員へ技術移転を図ったり、日本文化を取り入れたレクリェーションを企画・実施している。

 取材日は入所者とクリスマスツリーを作成。レクリエーション企画は今まで習ってきた押し花、ピアノ、書道経験を生かしている。

 その成果の表れか、ホーム受付では入所者が作った押し花付きの絵葉書が販売されていたり、廊下には手作りの葉書や折り紙が所狭しと飾られている。

 取材中、ポルトガル語を話せない痴呆入所者が現地職員に付き添われて、高井さんに話しかけてきた。高井さんは頷きながら日本語で返答し、安心した表情で去って行く入所者の背中を温かく見守っていた。

 高齢者の対応は手馴れたものだが、現地職員の固定概念を払拭させることが何よりも大変だという。「おむつを使用していても、トイレに行かせることは人間にとって大切な生活行動。でも、現地職員にはそのような概念がない」と苦笑いの高井さん。

 その上、ブラジルには介護福祉士という職業が存在しないため、知識を持たないまま高齢者の介護にあたる人が多いという。職員へ介護技術を「教える」のではなく「アドバイス」として聞き入れてもらえるよう努めている。

 休日になると、日本では考えられないくらいの親戚や友人が訪ねてくることに驚いた。「ブラジル家庭の絆の強さを感じる」と語る高井さんは、入所者の家族とコミュニケーションをとるため、休日返上で出勤することもある。

 最近では職員との信頼関係も確立され、仕事の報告や相談をされるようになった。「この仕事は大好き。関わる全ての人に教わることが多い」と笑顔を浮かべる。

 「技術はもちろん、持ってる知識を活用して何かを形に残したい」という思いから、現在滞伯中のJICA青年、シニアボランティアと介護マニュアルの作成にもあたっている。

 岸眞司朗ホーム長はそんな高井さんを、「今までの知識を利用して、ホームに合うように対応してもらっていて非常に助かっている」と評価。

 高井さんは、「介護知識が根付くよう、手助けすることがまだたくさんある。日系社会に貢献したい」と目を輝かせながら話していた。

(つづく、下松八重ひとみ記者)

写真:入所者の手をとりながら応対する高井さん(左)

2009年1月21日付


活躍するJICAボランティア 終 サンパウロ新聞WEB版より

日本文化や習慣指導も 桴捌き生甲斐に23年・蓑輪敏泰さん

 六月にサンボードロモで行われたブラジル日本移民百周年記念式典で、「千人太鼓」が披露され観客に感動を与えた。これを取りまとめたのはシニアボランティアの蓑輪敏泰さん(六〇、宮崎県出身)である。

 太鼓歴二十三年、日本に四十人しかいない太鼓連盟一級公認指導員の資格を持つ蓑輪さんと、太鼓の出会いは東京の大学に通っているときだった。「盆踊りで太鼓を叩く青年に目を奪われながらも、触れる機会はなかった」と当時を振り返る蓑輪さん。

 宮崎に戻り、「地元青年会議所が太鼓をしていることを聞き、昔の記憶がよみがえるとともに軽い気持ちで始めた」という。

 帰郷後は数学と社会科教師、さつまいも農家、塾経営、太鼓チーム(串間くるみ太鼓)の代表者と四足のわらじを履きながら、太鼓の腕を磨いていった。

 そして、海外で働く友人の影響を受け、ボランティアに参加することを決意。二〇〇七年七月に着任した。平日はサンパウロ近郊、週末になるとブラジリアやリオなど遠方地で指導にあたっている。

 サンパウロ市から六百キロ離れたジャーレスも指導地の一つで、二か月に一回訪れる。同地の「轟太鼓」は平均年齢十五歳、今年の全伯太鼓選手権大会で優勝し、来年三月に訪日予定となっている。

 練習が始まると、常に笑顔だった蓑輪さんの顔は引き締まり、首には笛、腰にはバチ、足袋を履き、生徒たちが持つバチの高さや位置、叩き方などを確認していく。リズムがずれている生徒には、腰からバチを取り出して一緒に太鼓を叩く。

 基礎練習が終わり、曲に入ると弱点や改善点をノートに書き込み、「体全体で表現する。左手の打ち込みが弱い」などと注意点を挙げるとともに、不調和だったリズムを修正していく。

 「ガムを噛みながら太鼓を叩いたり、寝転んで人の話を聞く子供もいて驚いた」と苦笑いを浮かべる蓑輪さん。「日本文化、習慣を教えることも私の仕事」という言葉どおり、休憩時間に地べたに寝転ぶ生徒がいれば注意し、太鼓以外の時間でも指導を忘れない。

 「太鼓は私にとって、癒しでもあり、生きがいでもある」。

 巧みなバチさばきで太鼓を叩き、残りのボランティア生活で更に基本を充実させ、次なる指導者を育てようと奮闘している。

(おわり、下松八重ひとみ記者)

写真:生徒と一緒に太鼓を叩きながら指導する蓑輪さん(左端)

2009年1月22日付



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