HOME  HOME ExpoBrazil - Agaricus, herbs, propolis for health and beauty.  Nikkeybrasil  編集委員会  寄稿集目次  寄稿集目次  通信欄  通信欄  写真集  リンク集  準会員申込  em portugues




和田所有の【古いスクラップブックより】(前篇)
表紙が黄色くなった安物のスクラップブックがある。1962年11月に国道14号線BR14と呼ばれていた開通後間もないべレンーブラジリアの街道をアラグアイア河に挟まれたバナナ型の島、ILHA de BANANALと呼ばれる所でピラルク(アマゾン鯉)の乾し肉と荷物の間に禁製品の鰐皮の乾したのを乗せたトラックに乗せて貰いべレンまで陽気で愉快な仲間たちと一緒に2週間近く旅をした。当時はまだ日本から持参した蛇腹の安カメラを売り飛ばさずに持っていたようで日本から持参のフイルムもあったようで何枚か写真を撮っていた。スクラップブックに貼り付けられていた写真をキャノンのIXYで撮りそれを一部加工したものを『私たちの40年!!』関連BLOGに掲載した。見ていただいた方のコメントと共に2度に分けて記録として残して置くことにしました。
写真は、当時のべレンーブラジリア街道の様子を伝える一枚を使用しました。


古いスクラップブックより(その1)
最近、古いスクラップブックブラジル1と云うのが見つかりました。セピア色に変色した懐かしい写真がスクラップされていました。何回かに分けて紹介して行くことにします。
その1は、「ブラジルで3ヶ月もするとこんないなります」とのコメントが付いているのでまだサンパウロ州にいる頃の写真ではないかと思います。多分谷一家が入植していたJAMIC経営のジャカレー移住地の伐採作業中に撮って貰ったものではないかと想像します。パラチー川が移住地の真ん中を流れ移住地がこの川の両側に広がっていました。どんな所だったか一度行って見たい移住地です。1962年の8月頃の写真でしょうか?
http://blogs.yahoo.co.jp/yoshijiwada/38428961.html

あや子さんのコメントです
すごい写真ですね。早稲田をでてブラジルで生活を始めた頃の写真ですよね。ブラジル人になりきってますね。貴重な写真、これから出てくる写真も楽しみです。

この写真は、早稲田の学生の頃に移住船に紛れ込んでブラジルに初めて到着した1962年のものです。2年の放浪ののち1964年に帰国、1965年に卒業して本式に移住しましたのでまだ学生の頃の写真です。これから色々当時の面白い写真を貼り付けますのでお楽しみに。。。

きっこさんのコメントです。
この写真の方は和田さんですか?希望に燃えているという笑みですね。
こうして開墾し 今の日系人の基礎を作られたことでしょう。
日本でいま ブラジルから来ている方々が職を失い 高い費用をかけて帰国されるという ニュースに胸が痛む日々です。
次を楽しみに拝見します。

1962年の写真ですので私の22歳の時のものです。あるぜんちな丸の同船者が入植された色々な移住地を訪ね仕事のまねごとをしながらの旅烏でしたので移住者の本当の苦労を知る由もない移住者としては失格の2年間の放浪生活でした。
日本に今も出稼ぎに行っている私たちの同船者もいます。ブラジルで生まれた2世、3世の方が多いと思いますが、仕事をなくしブラジルに帰国している人が多く出て来ているようです。
日本からブラジルに100年掛けて移住して来た日本人が25万人、90年代から増えだした日系ブラジル人の出稼ぎ者の数が既に30万人を超えているのですから逆流現象ですね。
日系ブラジル人の皆さんに温かい目を向けて下さい有難う御座います。

古いスクラップブックより(その2)
この写真は、何処で撮ったか全く覚えがない1枚です。どこかの滝の前のようですが、冬の季節なのでしょうね。セーターを来ているようですから。この写真と繋がる記述があればCHKして見ます。追々思い出すかも知れませんが。。。
http://blogs.yahoo.co.jp/yoshijiwada/38451132.html

この滝の写真は、サンフランシシコ河にあるパウロアフォンソ水力発電所の近くで撮ったものではないかと思います。サルバドールからマセイオに抜けるブラジル奥地の旅行中の写真ではないかと思います。

あや子さんのコメントです。
この写真は前の写真に比べズーと大人びた感じがしますが、ブラジルに入って何ヶ月目ぐらいかわかりますか。和田さんにとったら古いスクラップは、玉手箱を開けるようでしょうね。

もしバイヤ州を流れるサンフランシスコ河のパウロアフォンの水力発電所の近くの滝とすると1年ぐらいは経ていると思います。

古いスクラップブックより(その3)
この写真は、あるぜんちな丸の船内新聞「さくら」の編集室で何時もガリ版を刷って呉れていた藤岡和弘さん(船内では一番若い単身移住者でしたがもう65歳になっておられ現在北海道に住んでおられます)がサンパウロ近郊のボンスセッソにある果樹園の桃の木の剪定作業をしておられる所を訪ねた時の写真です。暫く彼とこの農場で桃の剪定を手伝っていたことがあります。冬の寒い季節だったと思います。
http://blogs.yahoo.co.jp/yoshijiwada/38468226.html

御免なさい上の写真は、桃の剪定でなしに桃の袋掛け作業です。珍しく私は、背広姿のようです。

きっ子さんのコメントです。
いろんな思い出がよみがえることでしょう・・・・
44年くらい前ですか?
このころは 日本でも キング牧師ではないですが 夢がありましたね。

1964年の東京オリンピックの前で日本ではオリンピックの準備(新幹線が開通した)で高度経済成長の走りの頃で国民全体が夢を持てる時代だったのですかね。1964年4月に一時帰国大学に復学、65年に卒業し再度ブラジルに戻りました。遠い昔の話しです。

古いスクラップブックより(その4)
これから国道14号線(べレンーブラジリア)のBR14をトラックでピラルクの干し肉の間に禁制品?の鰐皮を中に隠して2週間以上かけてバナナの島から開通間もない街道をまさかり、蛮刀、スコップ等を持って道を改修しながら2週間も掛けて走った時の写真を何回に分けて紹介しますが、その初めは矢張り私が写っている旅行中の写真、川でトラックを洗いながら水浴している時の写真を貼り付けて置きます。結構やせっぽちのひ弱な学生だったようです。
一枚目の写真では左端が私です。
二枚目の写真では右側が私です。
三枚目の写真では左側の一番奥(上?)が私です。
http://blogs.yahoo.co.jp/yoshijiwada/38486150.html

あや子さんのコメントです。
川でトラックを洗いながらというけど、こんなに深く入ったら抜けられなくなるのではないかと思うようですが、みんな楽しそうですね。若いってすばらしい!

あや子 さん おっしゃる通り『若いってすばらしい!』と思うようになりました。金もなく、心配もなくあるのは時間と元気さだけだったあの頃が懐かしいです。写真のトラックは、それはひどい開通後のブラジル主要幹線べレンーブラジリア街道を苦労して走りましたが、この川の河床は、砂利と砂の場所でタイヤーがめり込む心配もなく皆で川の中にトラックを止めて水浴を楽しんだ次第です。

斉藤さんのコメントです。
和田さん 1962頃BR14号線{土埃と洗濯板みたいなガタガタ国道}を2回くらいアナポリスからパライゾ デ ノルテをとうりBR14号からアラグアイア川に向かい西え200キロ泥道、合計1000キロ片道のトラック{6トン車}の旅を懐かしく思い出しました。

そうですか。斉藤さんも同じ頃にBR14号線を走られたのですね。当時の様子を如実に語る写真を何枚か披露しますので楽しみにして置いて下さい。バナナの島でピラルクの肉と鰐皮を積みべレンまで運びました。

和田さん 当時私の住んでいたアラガアセーマ郡からダグラス3型{DC3}機で牛肉{生}を週3回平均ベレンに運んでいました、BR14が出来るいぜんから、イイリャデ バナナールには牛の臓物で作った石鹸を{自家製}川を遡り売り歩いたこともありました{カヌーにヤマハの小さいエンジンを取り付けて}和田さん冒険写真楽しみにしてます、アラガリーナやインペラトリース町出てきますか!

斉藤さん 北ゴヤスに住んでおられただけに懐かしいでしょうね。ぼろカメラ(フイルムがなくなり途中で換金して終ったと思う)で撮った写真の一部ですが、アラガリーナ、懐かしいインペラトリース(マラニオン州)等の写真は残念ながらありません。途中の街道の写真は貼り付けます。

きっ子さんのコメントです。
いい思い出の写真ですね。みなさん 明かるい顔されて、その時代が映し出されています。 いい写真ですね。

何時も温かいコメント有難う御座います。本当に若いと云うことは一つの特権とも云えますね。好きなことをして前に進むだけ。言葉も良く分からない外国で皆と同じ気持ちで接しあう。もう一度戻って見たい時代です。

古いスクラップブックより(その5)
もう一枚私の若かりし頃の写真を披露します。乗せて貰ったトラックの運転手のジョゼーさん(ゼジンニヨーと呼ばれていました)とのツウショットです。後ろの岩山が気に入って写して貰ったものです。
持っていた写真は多分蛇腹式の安物カメラだったと思いますが、当時は、換金のためにの時計、携帯ラジオ、カメラが3種の神儀と云われれ困った時に売り払いました。まだフイルムも手持ちがあったのでしょう。
2枚目は働く子供達の写真でバナナを頭に乗せて売っていました。3枚目は私のドタ靴を磨いて貰っている写真で幾ら払ったのか覚えていませんが金があったのですかね?
http://blogs.yahoo.co.jp/yoshijiwada/38509291.html

和田さん

2月1日に移住研OB会の新年会があり、
貴君の若かりし時の写真を座興に披露しておきます。

菅間 さん
2月1日が移住研の新年会ですか。さぞ盛り上がることでしょうね。
私の写真より菅間さんの47年前の照川丸での写真、年末の集会の方が話題性があるのではないですか。
移住研の皆さんにも何人かにMLでお便りを流していますが、メンバー登録を希望される方がおられればお名前だけを知らせて下さい。メールアドレスは岡本幹事さんが作成した名簿がありますので当方で手続きさせて頂きます。
参加される皆さんに宜しくお伝え下さい。

きっ子さんのコメントです。
バナナ売りの少年の写真・・いい写真ですね。売れたのかな?・・・・
靴磨きの少年の一生懸命さが見えて いいですね。

今でもそうですが、バナナは安く栄養がある食べ物で田舎では主食の一つです。マンジョカ芋(タピオカ)の粉にピラルク(アマゾン鯉)の干し肉のスープ、安い食べものを食べていました。
靴磨きの少年に幾ら払ったか覚えていませんが一生懸命私のドタ靴を綺麗に磨いて呉れました。写真には写っていませんが確か彼は裸足だったと思います。貧しくても屈託のない笑顔が印象に残っていますが、この頃の街の子供には見られない親しみがありました。私が若かったからそう感じたのですかね。

古いスクラップブックより(その6)
昔懐かしい北ゴヤス(現在のトカンチンス州)の田舎で見られた牛車です。大きな木の車輪に大きな牛2頭か4頭で曳かせる。この牛車に揺られて旅したこともあります。
現在のBR14(べレンーブラジリア街道)は、全て舗装されておりバス、トラック、車が引っ切り無しに走っており牛車が横切ると云った光景は先ず見られないでしょうね。街道から中に入れば今でも農家(牧場)では使用されていると思います。この写真は先年娘たちを連れて行ったグルピーの街で撮ったのではないかと思います。(45年以上前ですが)
http://blogs.yahoo.co.jp/yoshijiwada/38525137.html

不思議な車輪ですね。こんなの初めて見ました。ところで、このような牛車は、Troleと言うんでしょうか。今、読んでいる本に昔のヒベイロン・プレート近郊の話で、”troleで四時間もかかるほど、離れていた。”という文章があるんですが、このtroleが何か分からなかったところ、この写真を拝見させて頂いて、もしかしたら、これっ?と思った次第です。

コメント有難う御座います。この車輪は木で出来ています。バラバラにならないように鉄の輪を外側に巻き鉄の鋲で止めています。最近は余程田舎に行かないと見られないと思います。
読んでおられる本にあるTROLEとあるのは、多分トレラー(引き車)のことでしょう。この牛車と似たものかトラックターで曳く荷台かも知れませんね。
大竹和三郎の葡和新辞典には、英語のtrolleyの訛りで手押し車、トロッコのことと書かれています。多分trailer(トレイラーと呼ばれている荷台のことで牛車かトラックターが引っ張る荷台に乗って4時間掛かる距離と理解すると良いでしょうね。

お陰様で、疑問が一つ解決しました。ありがとうございました。それにしても、この写真、のどかな田舎の光景で、味があってイイですね。牛が笑っているように見えるんですが。同じ本の別の所に、「牛と牛をつないでいる、くびきの部分に子ども達が乗って遊んだ。」とありますが、こんなのんびりした牛なら、そういうこともできたかもしれないと思いました。写真、楽しみにしてます。

コメント有難う御座います。現在読んでおられる本と云うのは日本語ですかそれともポルトガル語でしょうか?出来れば本のタイトルを教えて貰えませんか。大変興味があります。
写真の様な光景は最近は見られなくなりましたね。もっとも私自身がブラジル南部のポルトアレグレの町住まいですので仕方がないですね。もう少し写真が続きますのでご覧ください。

毎度、お邪魔してすいません。本のタイトルは、O Menino de Brodosquiです。画家Candido Portinariの幼少時代の思い出の本で
、1910年代の田舎の生活が描かれています。彼の絵がとても気に入ったのですが、日本語で彼の文献を探しても、全く見つからなかったので、勝手に自分で翻訳中です。また、参考にさせてください。

そうですか。O Menino de Brodosquiをご自分で翻訳中ですか。凄いですね。
昨年ベロオリゾンテのパンプリアの教会にあるポルチナリの代表作の一つタイルの壁画を見て来ました。写真を探して貼り付けて置きます。
1944年には、建築家オスカー・ニーマイヤー(Oscar Niemeyer)の招きに応じ、ミナスジェライス州ベロホリゾンチ(Belo Horizonte)パンプーリャ(Pampulha)の聖フランシスコ教会(Igreja Sao Francisco de Assisi)の聖フランシスコの生涯を描いたタイル画、14枚の『十字架の道行(Via Sacra)』、『聖フランシスコの悟り(Sao Franciso se Despojando das Vestes)』を完成。

知人からは、louca de Portinariと言われ、あきれられてます。写真、楽しみにしてますね。私も、パンプーリャに行ったんですが、感動しすぎて、うっかりして、写真をあまり撮って無くて、後悔してます。ウィキペディアの日本語版のポルチナーリの項は、私が書いたので、間違いがあったら、訂正、お願いします。

Praisovinyさんは何処にお住みですか?ブラジル?日本?
BLOGはまだ開設していないとのことですが、女性とありました。
当然ご自分でも絵を描かれるのでしょうね。
私がウィキペディアからコピペした内容は貴女が書きこんだものとは知りませんでした。立派です。ポルチナーリの少年時代の生活を記録した本を翻訳中とのこと。出来上がったら是非読ませて下さい。
ポルチナーリに付いて1万語内(1回分として)で書いて頂けませんか?『私たちの40年!!』寄稿集に収録させて頂きたいと思います。宜しくお願いします。

お気遣い頂き、どうもありがとうございます。ブラジルには、デブレやジュニオールなど、世界に誇れるような画家がたくさんいるのに、日本では、ほとんど知られてないので、とても残念に思っています。素人ですので、こういう場を利用させて頂けると、嬉しいです。また、ご連絡します。

宜しくお願いします。「私たちの40年!!」メリングリストにも参加頂けると嬉しいのですが、yahooのアドレスでもお持ちでしたら教えて下さい。手続きさせて頂きます。

古いスクラップブックより(その7)
北ゴヤス(現在のトカンチンス州)の西部にバナナの島と云うのがありこの地方では雨期になれば牛を島から乾燥地帯に追い出し乾期になれば草の多いバナナの島に牛を追いこむと云う仕事をしているバッケイロ(牛飼い)が沢山いますが、預かった牛の生まれた子牛の25%を貰えることになっており年中牛を追って移動しています。
この牛の干し肉またはアマゾン鯉の干し肉や鰐皮を集めて大市場であるべレンに運ぶトラックのキャラバン(仲間は3台でしたが途中増えたり減ったりする)にバナナの島での積み込みからべレンまで約2週間一緒の生活をしました。今日はその干し肉の積み込み場所の風景を紹介して置きます。
http://blogs.yahoo.co.jp/yoshijiwada/38557244.html

原さんのコメントが届いています。
大分写真帳の整理がすすんでいますね、珍しい写真を拝見しています。
何時か、何かの折に、写真展をしたらいかがですか。 勿体ないです。

写真見て頂いているとのこと有難う御座います。
安物の前に開く蛇腹付きのカメラでフイルムがある間だけ撮ったもので古い黄色くなったスクラップブックに糊で貼り付けている写真をIXYのカメラで撮り直したもので拡大もプリントも無理でしょう。
とても写真展に使えるような写真は一枚もありません。それでも青春の一コマとして歴史的な価値もあるかも知れませんね。 もう少し続きますのでご覧ください。

きっ子さんからのコメントです。
昨夜のNHK 特別番組で ブラジルの 「空飛ぶ富裕層」というのを見て和田さんの写真の持つ意味がいかに大きいか・・・・
本当に写真展を見ているようです。 ブラジル移民100年といっても このような写真こそ 100年の中の意味がわかります。
全部 スキャンですか? 大変な作業ですね。整理をしておくことの意味が大きいです。ありがとうございました。

何時ものご覧になって頂くだけでなく適切なコメント頂いており感謝しております。
古いスクラップブック(表紙にスクラップブックと書いている黄色い紙の新聞貼り付け版)にアトランダムに貼り付けている写真をIXYで狙いを定めて撮ったものでスキャナーに掛けるともう少しましな写真になったかもしれませんね。キャノンのEOSで撮ればもう少し画素の多い写真がとれるのですが、どうせBLOG掲載時にはサイズを落とす必要がありIXYで済ませています。それにしても便利になりましたね。写真をそのままカメラで撮ればそこそこの写真が出来上がるのですから。助かっています。
折角なので写真説明とコメントを付けたものを『私たちの40年!!』寄稿集にも残して置きたいと思っています。

古いスクラップブックより(その8)
BR14号線と呼ばれるべレンーブラジリアの街道は真っ直ぐに北に伸びる道ですが、ブラジリア建設と時期を同じくして開設された国道で開通したとは言えトラックでの旅は道を修理、建設しながらの旅はなかなか進まず2−3日ブルドーザが援助に来るのを待たないと身動きが出来なくなることもあり大変な旅でした。時を相前後して徳力さんがこの同じべレンーブラジリアを旅されたと聞いておりそろそろ御出ましかなと思っています。懐かしいでしょうこの風景は?
http://blogs.yahoo.co.jp/yoshijiwada/38568739.html

きっこさんのコメントです。
感動の連続です。
よく 記録して写真に収めておられたのですね。こまめな 和田さんならではのこと・・・・
今 西宮北口がすっかり変りましたが 45年前の写真など 人物(子供)ばかりで風景などないです・・・・
反省しても仕方がありませんが・・・ 和田さんのお若いころが しのばれます。

きっこ さん
45年前に今のデジカメがあればどうでしたかね。PCもなかったし撮りためても35年はチップのまま置いておく必要があったのでしょうね。PC、デジカメはほんの10年前位からの普及ですからね。ワープロが現れ使用し始めた80年代の後半は、驚きの連続でした。
きっこさんが云われるように45年前は、カメラもフイルム式で日本から持参したフィルムがある間だけ撮り現像は一部日本に帰ってからでした。カメラは当座の旅費に化けてしまいました。売るものと云えばカメラ、携帯ラジオ(結構貴重なものでした)、時計(腕時計、目覚まし時計)ぐらいでしたが貧乏旅行を続けるのに大変役立ちました。

古いスクラップブックより(その9)
昨日は、北に伸びる一本道と紹介しましたが、地図の上では、確かに北に一直線に伸びているようですが、実際は川、砂地、岩、坂道等があり大きなトラックが荷物を積んだまま横転していたり大変な旅でした。そんな様子を示す写真3枚を紹介します。次回は横転しているトラックを掲載します。
http://blogs.yahoo.co.jp/yoshijiwada/38602057.html

きっ子さんのコメントです。
現在のブラジルの発展の基礎ですね。若かったからおできになったこと、ご両親さま はどんなに心配なさったかと ふと思います。
また この地に行かれましたら、現在の風景も見せていただきたいです。
写真拝見していたら祈る気持ちになりました。

べレンーブラジリアは、現在ではブラジルの首都ブラジリアとアマゾンのべレンを繋ぐ国の主要幹線の一つとして完全舗装されており自動車、バス、トラックが引っ切り無しに走っています。
娘たち3人にお父さんが奮闘した街を見せてやりたくて家族全員でトカンチンス州のグルピーと云う町までポルトアレグレから車で出かけました。その様子などを下記に記載しています。
ブラジル中西部への6708kmの家族大遠征旅行の記録
http://40anos.nikkeybrasil.com.br/jp/biografia.php?cod=806
http://40anos.nikkeybrasil.com.br/jp/biografia.php?cod=807
http://40anos.nikkeybrasil.com.br/jp/biografia.php?cod=808




アクセス数 4475436 Copyright 2002-2004 私たちの40年!! All rights reserved
Desenvolvido e mantido por AbraOn.
pagina gerada em 0.1332 segundos.