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【魅せられたポルチナーリに付いて】 竹村 朋子さんの寄稿文です。
ブラジルの有名画家ポルチナーリに魅せられその虜になり一生の仕事としてポルチナーリの自伝O Menino de Brodosqui を翻訳しておられる元ブラジル駐在員夫人がおられます。YKKブラジル工場勤務のご主人と共にご家族でブラジル来られ二女の沙友理さんが同船者の藤間芳嘉師匠の手ほどきを受けられたとの画像掲示板への書き込みがあり『私たちの40年!!』MLのメンバにもなって頂いている竹村朋子さんです。竹村さんは、ブラジルでの生活に通常の駐在員夫人の道を歩まずポルチナーリとの出会いを大事にしてミナスジェライス州ベロホリゾンチのパンプーリャにある聖フランシスコ教会の聖フランシスコの生涯を描いたタイル画を家族を誘って見に行ったりポルチナーリの生家(博物館)を見に行ったり現在は富山に踊っても辞書を引き引きポルチナーリの自伝を翻訳しておられます。
WIKIPEDIAにあるポルチナーリの説明文を見付けて引用した所、実はそれは私が書き込んだものですとの連絡を受け恥を搔きました。写真も竹村さんご自身が撮られたパンプリーリャにある聖サンフランシスコ教会のものをお借りしました。


和田さん
富山在住の竹村です。
いつも、楽しい話題をありがとうございます。
ここ数日は、ポルトアレグレのカーナバルの様子、読むのを楽しみにしてますよ。
先日は、芳嘉先生の思い出についての私の雑文をサイトに掲載して頂き、ありがとうございました。
素晴らしい踊り手で師匠であった先生について、何らかの形でみなさんにお伝えしたいと思っていたので、こういう場を与えて頂けて、本当に有り難かったです。
御言葉に甘えて、カンジド・ポルチナーリについての雑文も送らせて頂きます。
何分、素人ですので、誤字・脱字はもちろん内容についての誤りもあるかもしれませんが、お気づきの部分がありましたら、和田さんの判断で訂正をお願い致します。
彼の作品の画像は、サイトから全作品がコピーできて、原稿にも掲載可能なのですが、著作権でひっかかるとご迷惑になるかもしれないので、自分で撮った写真のみを添付しています。
彼の作品について、書き始めれば、きりがないので、本当に雑感のみを書かせていただきました。まとまりの無い文章で、申し訳ありませんが、よろしくお願いします。
それでは。                 竹村 朋子

みなさん、こんにちは。富山県在住の竹村です。
 4年半のサンパウロ生活では、主人が勤務地のソロカバに住んでおりましたので、子ども3人と犬2匹の面倒を見る以外は、もっぱら、友人とブラジル美術の見学をしておりました。特に、MASP/サンパウロ美術館で、Cândido Portinari/カンジド・ポルチナーリのSérie Retirantes/ヘチランテス・シリーズ(日本語では、流民と訳せば良いでしょうか?)を見て以来、取り憑かれたというか、まぁ、ポルトガル語の勉強も兼ねて、一人で鑑賞・研究を続けております。みなさんは、ヘチランテス・シリーズ、もう、ご覧になりましたでしょうか?始めて見たときは、お世辞にでも“美しい”とは言えない絵で、何故、こんな立派な美術館に置かれているのかなと思ったほどですが、ブラジルの歴史を全く知らない私にでも干ばつで故郷を出てきた流民達ひとりひとりの苦しみや悲しみが迫ってくるような作品で、それまでは絵画にはあまり興味が無かったのですが、この絵を見て、初めて、絵画に圧倒されるという体験をしました。美術館の帰りに郵便局で切手を買ったところ、偶然、ポルチナーリの絵の切手で、何だか、この画家と運命的な出会いをしたような気分になったわけです。(画像は、1944年作のパンプーリャ教会の壁画。オスカー・ニーマイヤー設計です。その下は、55センターボスの切手。行方不明の作品で、情報収集キャンペーンにもなっています。)


お陰様で、駐在員夫人なら、最近は誰でも参加するカーナバルも見学にすら行くこともなく、旅行といえば、無関心な家族をひきつれて、ポルチナーリの絵を見に行くという、数年を過ごしました。私が知っているブラジルはサッカーの国でも、コーヒーの国でも、サンバの国でもなく、O Brasil de Portinari/ポルチナーリのブラジルです。
 現在、彼が幼少時代の思い出を綴った、O Menino de Brodósqui/ブロドスキーの少年を読んでいます。彼は、1903年サンパウロ州ヒベイロン・プレート近郊のコーヒー農園に生まれ、幼少期は、モジアナ鉄道沿線のブロドスキーという小さな町で過ごします(有名なグァタパラの北90キロほどのところ)。貧しいながらも、豊かな自然と昔ながらの人間関係を大切にしたコミュニティーの中で、彼は生涯を通じて忘れられない宝物となる少年時代を過ごしました。画家を志し、リオ・デ・ジャネイロに行き、苦労の末に奨学金を得てヨーロッパ留学を果たすのですが、ここで、自分の絵の一生のテーマを見つけます。「あそこ(ブロドスキー)にいた人たちを、ありのままの服、ありのままの色で描こう。」と。
 彼の生涯・作品については、息子であるJoãoが主催するProjeto Portinari/プロジェクト・ポルチナーリのサイトで、ご覧になれますwww.portinari.org.br/ ポルトガル語と英語のみですが、彼の5000点にも上る全ての作品が、分類され、見ることができる素晴らしいサイトです。ご興味のある方は、是非、ご覧になってください。">Bhttp://www.portinari.org.br/ ポルトガル語と英語のみですが、彼の5000点にも上る全ての作品が、分類され、見ることができる素晴らしいサイトです。ご興味のある方は、是非、ご覧になってください。
 本の中で、彼は、日本人移住者について、こう述べています。「日本人移住で、多くの家族が私たちの地方に連れてこられた。故国から、薄紙(多分、半紙だと思います。)や万華鏡などのたくさんの土産を持ってきた。日本人の墓地での埋葬は、私たちにとっては、物珍しいものだった。墓には、食べられる本当のごちそうが用意されていた。彼らの文字で書かれた碑文の板を、十字架のようにしておいた。アウレーリオ(墓地の隣に住んでいた少年)は、良い少年だったが、死者に何も残さず、全部を食べて、たくさんあったバナナを持ち去った。」ブロドスキーはサンパウロ州内で農園が広がっていたので、移民が多かったのです。彼の育った家は、現在、Museu Casa de Portinari/ポルチナーリ美術館として、公開されているのでhttp://casadeportinari.com.br/、一昨年、息子といっしょに行ってみました。ご存知の通り、エタノール景気で、ヒベイロン・プレートは活気がありましたが、ブロドスキーは、まるで、彼の自伝の当時のままのような平屋が続く小さな町で、今でも、村の人どうしはみんな顔見知りのようなところでした。周辺には遙か彼方まで続く、広大なサトウキビ畑。現在でも、肥沃な農土は、豊かな実りをもたらしているようですが、ところどころで、未だに手作業による厳しい労働(こういう労働者のみなさんをbóia-fria/冷や飯食いさん?というのでしょうか。)風景も見られ、ヒベイロン・プレートの富裕層との格差を覗いた気分でした。また、現在では、労働人口の7割がヒベイロン・プレートで日雇いの仕事をしており、仕事が無ければ、「新たなヘチランテス」の出現となるかと心配されています。ポルチナーリの愛した故郷は、その光景も貧困による社会的な問題も未だ残っているようです。(写真は、ポルチナーリ美術館。絵画はもちろん、家族が使っていた家具や食器も展示されています。離れにある彼が装飾した小さなチャペルは、家族や知人をモデルにして聖人が描かれ、秀逸です。)

Louca de Portinari/ポルチナーリ病?の駄文を読んで頂き、どうもありがとうございました。和田さん、声をかけて頂き、感謝しています。今後も、このサイトが話題豊富な楽しい場となりますよう、ご活躍を期待しております。
2009年2月24日    竹村 朋子


(コメント集)
竹村さん 静岡の松田です。
絵画好きな小生はポルチナーリのファンの方の書き込みを読ませていただくのは、嬉しいかぎりです。
小生もかれの素朴で力強い作品が好きです。
一年のうち 約半分はブラジルで過ごしている私も 機会がある度 MASP に行っています。
子ども達が小さい頃は パウリスタの近くに住んでいたので、散歩がてらによく行ったものです。
丸紅勤務時、担当していたパルプ工場の予定地がブロドスキーの近くでしたので そちらも良く行きました。
ブラジルの別荘も住所は ITU ですが 地理的にはソロカバが近いので もっぱら買い物などはソロカバに行きます。
小生の別荘は CASTELO BRANCO からSOROCABA にはいる 道路の料金所沿いのコンドミアム内です。
今回はこの不況で陣頭指揮をとるため急遽、帰国しましたが毎年この時期ははサン・パウロと別荘を行ったり来たりしていました。
かなり近いところにいらっしたのですね。
ブラジルで育ち美術学校にも通った私には ポルチナーリの魅力を理解される方いらっしゃるのは嬉しいかぎりです。
                  松田

松田 さん
松田さんもポルチナーリのファンですか。同じ趣味というか同好の士に出会うのは嬉しいものですよね。竹村さんのご主人は現在もソロカバの吉田工業(YKK)に勤務されておられまたブラジルにポルチナーリを求めて来伯される可能性もあると思います。YKKには日伯交流協会の研修生が毎年お世話になっていましたので知人も沢山います。
竹村さんのポルチナーリに付いての文を寄稿集にも収録する積りですが、ついサボッテしまい週末に成ってしまう予定です。WIKIPEDIAの日本語のポルチナーリの説明文を引用した所、実はそれは私が書き込みましたとのことで恥を掻いてしまいました。現在ポルチナーリの少年時代の自伝を日本語に翻訳しておられるそうですので何かあればお手伝いして挙げて下さい。
このメーリングリストを通じて色々な繋がりが広がることは嬉しいことです。

松田さん
はじめまして。富山の竹村です。
メール、どうもありがとうございました。
ポルチナーリファンの方とお知り合いになれるとは、本当に感激です。
ちょうど、5年前になりますが、先にブラジルに赴任した主人から、「サンパウロは、ポルトガル語が話せなくても、大丈夫、日本語が通じるよ。」と聞かされ、Bom dia!のあいさつも知らずに、子供3人と犬2匹を連れてサンパウロに行き、その後は、子供達の進学問題やら、犬の難病発病やらで、色々悩みもありました。(お恥ずかしい話ながら、難病の犬については、サンパウロにいる珍しい難病犬としてFlolha de São Pauloに掲載されたほどです。現在も日本で治療中。)その中で、暇な時間に、サンパウロの美術館を巡るのが、始めは息抜きだったのですが、今では、ポルチナーリの自伝を日本語に翻訳したいと思うようになりました。
何分、ブラジルに住んでいたのもわずかの間ですし、美術も専門ではありませんので、疑問もたくさんあり、あちこちに質問させている状況です。もし、松田さん、お時間がございましたら、お力を貸して頂けると、有り難いのですが、いかがでしょう。

和田さん
お陰様で、同じ趣味の方とお知り合いになることができました。どうもありがとうございました。
それから、ポルトアレグレのカーナバルの様子、お伝え頂き、感謝しております。久々に日本ですごす2月は寒いし、ちょっと寂しかったのですが、本場の様子が手に取るように分かって、元気が出ました。あのポルタバンデイラのミリンちゃん(さん?)の笑顔がとても良かったです。お忙しいとは思いますが、また、ブラジル情報、楽しみにしています。   
富山にて     竹村 朋子 

竹村さん
静岡の松田です
私も美術の専門家ではないので、どれほどお手伝い出来るかは わかりませんが、12才からブラジルで生活して32年 その後 両国を行ったり来たりの生活ですが、小生でお手伝いできることなら、何でもおっしゃってください、 半分?いや それ以上の隠居爺さんですから 時間的余裕はあります。
また美術館や博物館巡りも好きで機会があれば行くようにしています。
そんなに数多く訪れたわけではないのですが、一番記憶に残っているのはスペインマドリードのプラド美術館です。
気軽く何でもいってください、小生で出来ることであれば たやすいことですから。
                        松田

Blog を通じての竹村さんとの交信
昔懐かしい北ゴヤス(現在のトカンチンス州)の田舎で見られた牛車です。大きな木の車輪に大きな牛2頭か4頭で曳かせる。この牛車に揺られて旅したこともあります。
現在のBR14(べレンーブラジリア街道)は、全て舗装されておりバス、トラック、車が引っ切り無しに走っており牛車が横切ると云った光景は先ず見られないでしょうね。街道から中に入れば今でも農家(牧場)では使用されていると思います。この写真は先年娘たちを連れて行ったグルピーの街で撮ったのではないかと思います。(45年以上前ですが)

不思議な車輪ですね。こんなの初めて見ました。ところで、このような牛車は、Troleと言うんでしょうか。今、読んでいる本に昔のヒベイロン・プレート近郊の話で、”troleで四時間もかかるほど、離れていた。”という文章があるんですが、このtroleが何か分からなかったところ、この写真を拝見させて頂いて、もしかしたら、これっ?と思った次第です。

コメント有難う御座います。この車輪は木で出来ています。バラバラにならないように鉄の輪を瀬戸川に巻き鉄の鋲で止めています。最近は余程田舎に行かないと見られないと思います。
読んでおられる本にあるTROLEとあるのは、多分トレラー(引き車)のことでしょう。この牛車と似たものかトラックターで曳く荷台かも知れませんね。
大竹和三郎の葡和新辞典には、英語のtrolleyの訛りで手押し車、トロッコのことと書かれています。多分trailer(トレイラーと呼ばれている荷台のことで牛車かトラックターが引っ張る荷台に乗って4時間掛かる距離と理解すると良いでしょうね。

お陰様で、疑問が一つ解決しました。ありがとうございました。それにしても、この写真、のどかな田舎の光景で、味があってイイですね。牛が笑っているように見えるんですが。同じ本の別の所に、「牛と牛をつないでいる、くびきの部分に子ども達が乗って遊んだ。」とありますが、こんなのんびりした牛なら、そういうこともできたかもしれないと思いました。写真、楽しみにしてます。

コメント有難う御座います。現在読んでおられる本と云うのは日本語ですかそれともポルトガル語でしょうか?出来れば本のタイトルを教えて貰えませんか。大変興味があります。
写真の様な光景は最近は見られなくなりましたね。もっとも私自身がブラジル南部のポルトアレグレの町住まいですので仕方がないですね。もう少し写真が続きますのでご覧ください。

毎度、お邪魔してすいません。本のタイトルは、O Menino de Brodosquiです。画家Candido Portinariの幼少時代の思い出の本で
、1910年代の田舎の生活が描かれています。彼の絵がとても気に入ったのですが、日本語で彼の文献を探しても、全く見つからなかったので、勝手に自分で翻訳中です。また、参考にさせてください。

そうですか。O Menino de Brodosquiをご自分で翻訳中ですか。凄いですね。
昨年ベロオリゾンテのパンプリアの教会にあるポルチナリの代表作の一つタイルの壁画を見て来ました。写真を探して貼り付けて置きます。
1944年には、建築家オスカー・ニーマイヤー(Oscar Niemeyer)の招きに応じ、ミナスジェライス州ベロホリゾンチ(Belo Horizonte)パンプーリャ(Pampulha)の聖フランシスコ教会(Igreja Sao Francisco de Assisi)の聖フランシスコの生涯を描いたタイル画、14枚の『十字架の道行(Via Sacra)』、『聖フランシスコの悟り(Sao Franciso se Despojando das Vestes)』を完成。

知人からは、louca de Portinariと言われ、あきれられてます。写真、楽しみにしてますね。私も、パンプーリャに行ったんですが、感動しすぎて、うっかりして、写真をあまり撮って無くて、後悔してます。ウィキペディアの日本語版のポルチナーリの項は、私が書いたので、間違いがあったら、訂正、お願いします。

Praisovinyさんは何処にお住みですか?ブラジル?日本?
BLOGはまだ開設していないとのことですが、女性とありました。
当然ご自分でも絵を描かれるのでしょうね。
私がウィキペディアからコピペした内容は貴女が書きこんだものとは知りませんでした。立派です。ポルチナーリの少年時代の生活を記録した本を翻訳中とのこと。出来上がったら是非読ませて下さい。
ポルチナーリに付いて1万語内(1回分として)で書いて頂けませんか?『私たちの40年!!』寄稿集に収録させて頂きたいと思います。宜しくお願いします。

お気遣い頂き、どうもありがとうございます。ブラジルには、デブレやジュニオールなど、世界に誇れるような画家がたくさんいるのに、日本では、ほとんど知られてないので、とても残念に思っています。素人ですので、こういう場を利用させて頂けると、嬉しいです。また、ご連絡します。

宜しくお願いします。「私たちの40年!!」メリングリストにも参加頂けると嬉しいのですが、yahooのアドレスでもお持ちでしたら教えて下さい。手続きさせて頂きます。



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