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松本浩治記者の 【農業活性化に取り組む農場を訪ねて】  サンパウロ新聞WEB版より
第九回日系農協活性化セミナーの最後を飾る農業視察旅行が一月三十日に実施された。今年は、聖州カンピーナスの東山農場をはじめ、同市ペドラ・ブランカ区で主にゴヤバ栽培を行なう荻原農場と、セミナー第一回講演で北部イタリア・トレント移民の現状などを説明し、ジュンジアイ市トラヴィウ区で果樹生産をしているオルランド・ステッキ農場を訪問。南米四か国から約二十人が参加し、各地域の取組みを見て回った。(松本浩治記者)
上記書き出しのあるルポ記事がサンパウロ新聞に掲載されていました。『私たちの40年!!』メーリングリストでも流して置きましたが、寄稿集にも収録して記録として残して置きたいと思います。
まだまだブラジル農業界における日系農家の果たす役割は大きく果樹、園芸、蔬菜での活躍は見逃せない。
NHKのテレビドラマ『届かなかった手紙』の撮影セットが残されている東山農場も訪問したとの事、農場内にある東山酒造(農産)で生産する日本酒、味噌、醤油、寿司用の米酢を販売させて頂いており何度も東山農場には出掛けて行っており出来れば一緒に参加したいと思いました。
写真も第一回に使用されていたものをお借りして使用しました。


農業活性化に取り組む農場を訪ねて(1) サンパウロ新聞WEB版より

農村観光のモデル農場 東山農場目玉生産物に新品種導入

 第九回日系農協活性化セミナーの最後を飾る農業視察旅行が一月三十日に実施された。今年は、聖州カンピーナスの東山農場をはじめ、同市ペドラ・ブランカ区で主にゴヤバ栽培を行なう荻原農場と、セミナー第一回講演で北部イタリア・トレント移民の現状などを説明し、ジュンジアイ市トラヴィウ区で果樹生産をしているオルランド・ステッキ農場を訪問。南米四か国から約二十人が参加し、各地域の取組みを見て回った。(松本浩治記者)

NHKドラマで一躍名所に 開設80周年、コロニアの歴史刻む

 午前七時十五分、日本政府機関関係者の遅刻により、予定より三十分遅れて聖市リベルダーデ区のニッケイパレスホテル前を出発。「自分たちだったら置いていかれるところだね」とセミナー参加者から皮肉交じりの声も聞こえる中、一行を乗せた大型バスは東山農場のあるカンピーナスを目指して、アニャンゲーラ街道を北上した。

 時々、小雨がぱらつき、車窓からはブドウ畑がちらほらと目に入る中、午前九時に東山農場に到着。山崎チズカ監督制作の映画「ガイジン」の主人公をつとめ、同農場に暮らして四年になるという元女優の塚本恭子さんが、笑顔で出迎えてくれた。

 場内の土産品売り場では、地下百六十メートルから汲み上げた地下水と同地産のカフェを振る舞ってくれ、「これは本当にツーリズモ・ルーラル(農村観光)だね」と参加者も満足げな様子だった。

 塚本さんによると、同農場は昨年創設八十周年を迎え、昨年一年間だけで約一万人が同地を訪問したという。

 三菱財閥創設者・岩崎弥太郎氏の弟・弥之助氏の曾孫にあたるという岩崎透氏が姿を見せ、農場内をバスで案内してくれた。

 最初に見せてくれたのが、プチトマトのビニールハウスだった。種苗会社「サカタ」とのパートナーシップにより、「付加価値のあるものを作りたい」(岩崎氏)と、昨年六月くらいから栽培に着手。現在、二千二百本ほどが植えられ、ハウスの中には長径三〜五センチ大の赤い実が、どっさりとぶら下がっていた。

 「スイート・ハート」という品種のプチトマトは、濃厚な味で甘さが口の中に広がる。試食では、参加者が「美味い、美味い」と何個もつまんでいた。

 プチトマトの根本には、水分と液肥がセンサーで配分されるように工夫されている。二か月で最初の収穫があり、一本の蔓(つる)から半年で十五キロ分が獲れるという。まだ正式な製品化はされていないが、今年三月から試験販売を行う予定だ。

 次に、NHKドラマの「ハルとナツ」の撮影セットとして使用された昔ながらの移民の家屋を見せてもらう。岩崎氏の話では、一九二八年の農場創設当時、二千人の労働者が従事。現在は約二百人が農場内に住み、実際に働いているのは五十人程度だという。 

 セット用に〇四年に造られた家は、撮影しやすいように通常の倍の空間があるとし、「電柱や給水塔などが写り込むと時代考証的におかしいと言われ、隠すのが大変でした」と岩崎氏は撮影秘話を話してくれた。

 セット用の家の中には当時の机や釜、ランプなども揃えられており、外にはドラム缶式の風呂もあった。手掘りの井戸もあり、参加からは「このような井戸は、自分も小さい時に使っていた覚えがあるなー」と感慨深げに話していた。

 一行は農場の主産物であるコーヒー農園へと向かった。(つづく)

写真:プチトマトのハウスで説明を聞く一行

2009年2月7日付


農業活性化に取り組む農場を訪ねて(2) サンパウロ新聞WEB版より

『循環型農業』の実践 東山農場目指す減農薬栽培

 波のうねりのようなコーヒー園内をバスで通りながら、岩崎氏の説明に耳を傾ける。

 それによると、コーヒー農園の標高は六百から七百メートルで、農場全体では二百九十ヘクタールの土地に百四十五万本が植えられているという。平均収量はヘクタールあたり三十五〜四十俵で、二トン強。五月中旬から八月頃まで、完熟した実を収穫するそうだ。

 収穫は、JACTO(西村俊治代表)が世界で最初につくり、「一台で百人分の仕事をする」(岩崎氏)コーヒー収穫機も使用するが、半分は労働者による手摘みで行なわれている。

 農場内でひときわ高い場所にある展望台へと案内してもらった。同所からはコーヒー園が一望でき、街道の向こうには「百万人都市」と言われるカンピーナス市のビル郡も見える。また、幹線道路を隔てたところには、一九三四年に日本から進出した日本酒「東麒麟」と醤油の工場がある。

 さらに、同所から約五十キロの距離にビラ・コッポス空港があり、最近では付近に「新幹線」を通す計画があることを岩崎氏が説明してくれた。

 展望台の屋根の内側部分には、三菱の商標を模して木組みがなされており、屋根を支える板の部分には一九三二年の「護憲革命」当時の流れ弾だという傷跡が残っていた。

 東山農場では「循環型農業」を実践しており、コーヒーの皮の部分を牛糞やバガス(サトウキビの絞りカス)などと混ぜて、年間一千トンの堆肥を生産。コーヒーの肥料として使用している。

 「完全な無農薬は無理ですが、減農薬を目指しており、プチトマト生産もその一環です」と岩崎氏。近年の温暖化現象の影響で「(コーヒーの)豆が以前より小さくなっている」とし、例年の収穫期が五月中旬から八月頃まで行なわれる中、「昨年は九月いっぱいまで収穫し、収穫中にも花が咲いているものもあった」などとし、環境の変化も実感しているようだ。

 コーヒーは特上の「モーレ」を日本への輸出用として回し、「ドゥーロ」などの粗悪品は伯国内に出荷しているという。

 コーヒー園を後にし、一行は育苗場や農場内に植えられている各種植物などを見学。農場長だった故・山本喜誉司氏が一九三二年に日本に一時帰国した際に持ってきたという大きな竹とライチ(リシア)や、サンパウロの移民史料館に展示スペースが無いために預かっている、一九一三年当時のトラクターなども置かれていた。

 農場内をひとまわりして帰ってくると、塚本さんたちスタッフが軽食と飲み物を用意して待っていてくれた。

 昼食の試飲用にと「東麒麟」「純米酒」の二本を持たせてもらい、一行は午前十一時半農場を後にした。(つづく・松本浩治記者) 

写真:展望台から見たコーヒー農園

2009年2月10日付


農業活性化に取り組む農場を訪ねて(3) サンパウロ新聞WEB版より

ゴヤバを海外輸出へ 天候異変、害虫と戦う荻原孝之さん

 街道沿いのミナス風シュラスカリアで昼食をとった後、一行は午後一時に次の目的地である荻原農場に到着。昼食中に激しい雨が降り出したが、農場に着いて間もなく雨は止んだ。

 同地では荻原孝之氏(七九、広島県出身)と夫人の悦子さん(七三、二世)をはじめ、地元カンピーナス・ペドラブランカ地区日本人会の人々が歓迎してくれた。

 標高六〜七百メートルの農地には、約三十年前に接ぎ木したというゴヤバの木が並び、実の部分は害虫・鳥除けのために白い紙に覆われていた。

 明るい性格の悦子夫人が一行を先導。荻原氏とともに、参加者の素朴な質問に気軽に答えてくれる。

 カンピーナスと言えば、トマト生産で栄えたことで有名だが、同農場は現在ゴヤバ作りが主で、白色の「熊谷種」(八百本)と赤色の「カスクード種」(三百本)を栽培。そのほかに、桃、カランボーラ(スターフルーツ)、アセロラなどの果樹類も生産している。

 ゴヤバは、植えられている場所ごとに剪定(せんてい)時期をずらすことで年中収穫でき、「休む間もなく、一年中忙しいですよ」と話す荻原氏だが、その目は笑っていた。

 ゴヤバは、ドイツ、フランス、オランダなど主にヨーロッパへ出荷しており、「(熊谷種は)実が大きくて長持ちする」(荻原氏)ので、輸出用に適しているという。

 「昨年は五月頃から寒くなって(輸出用ゴヤバの)収穫が一か月遅れ、十一月に出すものを十二月に出した。そのお陰で昨年より少し値段も上がった」と笑う荻原氏だが、環境の変化はこの地でも顕著になっている。

 特に変わったのが雨の降り方だという。以前は全体的にまとまった形での降雨だったが、最近は局地的な土砂降りになることが多いそうだ。

 最近の問題は、ゴヤバに「PSILIDIO」と呼ばれる害虫が葉の中に入り込み、葉の側面が丸まるように枯れることだ。普通の害虫除けでは効果が薄く、対応策として「システミコ」という薬を入れている。

 ペドラブランカ地区には、約四十家族の日本人会会員が在籍し、その半分が現在も農業を営む。三年前の〇六年には、入植五十周年記念式典が行なわれ、半世紀の節目の年を迎えた。

 三十歳近くまで聖州ミランドポリスの第二アリアンサに住んでいたという中尾喜博さん(八二、鳥取県出身)は、モジダスクルーゼス、モイニョ・ヴェーリョなどを経てカンピーナスに転住した。

 養鶏をはじめ、ゴヤバや花卉生産なども行なってきたという中尾さんは「自然は、ごまかしがきかないからね。自分にとってはそれが楽しい。まあ、金持ちにはなれなかったけれど、子どもたちは大学を卒業したしね」と笑う。

 一行は、荻原氏たちにゴヤバのジュースなどを振る舞われながら、しばしの歓談を楽しみ、午後二時十五分、最終目的地であるジュンジアイに向けて出発した。

(つづく・松本浩治記者)

写真:ゴヤバの説明を行なう荻原氏(左)

2009年2月11日付


農業活性化に取り組む農場を訪ねて(終) サンパウロ新聞WEB版より

柿を主力に果樹の多角栽培 積極営農で成功のオルランド農場

 一行は午後三時、予定通りに最終視察地のジュンジアイ市トラヴィウ区にあるオルランド・ステッキ農場に到着した。

 同セミナーで講演も行なった(一月三十一日付け)オルランド氏(四八)の案内で、まずは農場内にある柿のパッキング・ハウスを見せてもらう。

 〇三年に設立されたNSV(ノッサ・セニョーラ・ダス・ヴィトリアス農業組合)の商標に「CAQUI DOS ANJOS(天使の柿)」と書かれた専用の箱に柿が詰め込まれ、出荷用に並べられていた。

 一九・二ヘクタールある同農場には、オルランド氏の親戚ら六家族二十二人が住んでおり、生産物は柿を中心に桃、スモモ、ブドウなども栽培している。

 セミナーでも話していたように、元々同地では一九〇〇年初頭からワイン用のブドウ(ナイアガラ種)生産を行なっていたが、戦後は果樹の多角栽培を実施。柿は一九五六年から始めた。

 傾斜した土地では、タウバテ、ラマフォルテ、ギオンボウの三種類が栽培され、一月から七月まで収穫が続く。

 「農場の収入を高めるために、三つの種類を植えていることに大きな意味がある」とオルランド氏。繁忙期には、普段は家屋でイタリア語を教授している夫人も収穫を手伝い、きちんと時間単位で賃金が支払われるという。

 果樹栽培技術向上のために、周辺の日系人からの指導を得たとのオルランド氏の説明だったが、十年ほど前に同地で柿の剪定(せんてい)を教えたのが、毎年の視察旅行のコーディネイト役で、今回も同行した羽場久夫氏だった。

 オルランド氏が、夫人がイタリア語教授に使用している部屋へと案内し、参加者からの質問を受け付けた。

 参加者からは、日本語の継承が難しくなる現状の中、イタリア移民はどのようにしているのかとの質問があった。オルランド氏は、「(子弟が)イタリア語を勉強するのは、自分がイタリア人という誇りがあるから」と説明し、「別の言葉を持つことで、新しい興味がわく」と話してくれた。

 次に、加工品の「柿の酢」の試飲が行なわれた。二・五キロの柿から、一リットルの酢ができ、酸度は四・五%。柿色と黒色の二種類があり、普通の酢に比べて甘味がある。リベルダーデ区の日本食料品店にも試験的に置いているという。

 午後四時、農場の裏手にあるトラヴィウ友好協会の会館に移動。館内には、テニス、プールなどの施設があり、「ボッシャ」と呼ばれる大小の玉を転がして得点を競うゲームを高齢の男性たちが真剣な眼差しで興じていた。

 同地に住む数少ない日系人である水木オルランド氏(六五、二世)は、二十年ほど前に聖州アチバイアから転住し、現在はNSVで加工生産される「柿の酢」の販売を担当しているという。

 「トラヴィウの人たちはすごく真面目で、そうでなかったら百年でこれだけのものを作りきれなかったと思う。私ら日系人に対しても、とても良くしてくれる」(水木さん)

 パラグアイ・イグアスー移住地から参加した嶋谷洋一さん(四九、山形県出身)は、同セミナーに参加した感想として「ブラジルの生産競争の激しい中で、良い物を作っていけば生き残れるということを強く感じた」と満足そうな様子だった。

 また、アルゼンチンのメルコフロールで花卉市場経営の手伝いをしているという山脇ユカさん(四六、パラグアイ生まれ)も「アルゼンチンの日系人は少ないですが、ブラジルはこれだけたくさんの人がいる中で、よくやっていると思いました」と感心していた。

 一行は午後四時半、会館を後にし、帰路へとついた。

(おわり・松本浩治記者)

写真:柿の説明を行なうオルランド氏(左)

2009年2月12日付



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