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“野球移民”も乗せて 36年度最後の移民船 あるぜんちな丸出港【神奈川新聞記事より抜粋】
同船者の中に八名の豊和工業に技術移住者として呼寄せられた“野球移民”がいました。その中の一人に神奈川県出身の名取満臣さん1943年6月20日生まれがいました。名取さんは八名中、唯一人ブラジルに住み着いておられ現在もサンパウロ市在住で宝石商として日本との貿易を手掛けておられます。名取さんより横浜出港時の様子を伝える貴重な当時の神奈川新聞の切り抜きを提供して戴きました。雨の中を見送られて出航する36年度最後の移民船「あるぜんちな丸」との説明書きで大きな出港風景の写真が掲載されています。私には出港当時に雨が降っていた事は全く記憶にありませんが、それぞれの人が思い思いに最後の故郷に思いを馳せて船出した事だけは確かな様です。新聞に出ている後藤忍さん一家、ガルアッペス移住地に赴任された室伏豊さんの消息もこれを手掛かりに探して見たいと思います。


南米移住者二百十二名(35家族百六十二名、単身者五十人)を乗せた大阪商船の移民船あるぜんちな丸(一万八百六十三トン)が三十日午後五時半横浜港大桟橋から出港した。同船は神戸で四百八十人の移住者を乗せ、ブエノスアイレスへ向かうがこれが日本政府が送り出す三十六年度の最後の移民船で、大阪商船では横浜から同年度中に千九百四の南米移住者を送り出した。
あるぜんちな丸には“野球移民”としてブラジルサンパウロ州モジダスクルゼス市の紡績機械製作豊和工業会社へ就職する川崎市東渡田四ノ十三名取満臣君(十八)=食品店経営、猪之助さん(五二)の三男=ら五人が乗って行ったが名取君は浅野学園高校をこの春に卒業したばかり。昨年の夏高校野球県大会に投手として出場,二回戦で茅ヶ崎高と対し、完全試合を成し遂げたが準々決勝で法政二高に惨敗した球歴の持ち主。
野球移民は三十三年早大野球部がブラジルへ遠征したときに豊和工業との間に話がまとまった。名取君らは技術移民として渡ったが「来年行われる予定の南米大陸初のノンプロ大会に出場する」とはり切って新しいボールやバットを大事そうにかかえて船に乗り、母校浅野高のブラスバンドや応援団も見送りにかけつけ「がんばれよ」と野球場と同じような声援を送っていた。
またサンパウロ市の河野耕地へ行く藤沢市鵠沼五七四三農業、後藤忍さん(三一)一家四人と県立農業改良普及場技師でミカン栽培の専門家の室伏豊さん(三二)も日本海外協会がアルゼンチン・ミッショネス州ガロアペの日本人入植地につくった農業試験所長として赴任するために乗船した。

平成14年6月9日 日本がワールドカップで初勝利を飾った記念すべき日にタイプ・アップする。     和田 好司





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