HOME  HOME ExpoBrazil - Agaricus, herbs, propolis for health and beauty.  Nikkeybrasil  編集委員会  寄稿集目次  寄稿集目次  通信欄  通信欄  写真集  リンク集  準会員申込  em portugues




アマゾンで夢見る大企業家 農業から不動産業へ サンパウロ新聞WEB版より
今年は、アマゾン移民80周年の年に当たり9月中旬にはアマゾン移民発祥の地トメアスー移住地、べレン、マナウスの3か所で記念式典が開かれる。トメアスー移住地での式典を仕切る実行委員長が同船者の海谷秀男さんで、あるぜんちな丸第12次航の仲間である。トメアスー移住地に入植した仲間を南伯から訪ねようと計画している。
このアマゾン移民80周年に合わせ邦字新聞のサンパウロ新聞、ニッケイ新聞がこぞってアマゾン関係の記事を企画、掲載して80周年を顕彰している。
その内の一つ掲題の『アマゾンで夢見る大企業家 農業から不動産業界へ』で岩間健さん(59歳、三重県出身)を紹介して呉れています。我々よりずっと後の移民船が無くなった後の1975年の飛行機移民のお一人で敢えて苦労を覚悟で夢の持てる北伯に入り日本でトラックの運転手として貯めた資金でピメンタ栽培に従事、農業資本の蓄積をベースに不動産業に打って出て今、その事業が大きく伸びようとしている。アマゾンの中流、サンタレンでの岩間さんの今後の事業家としての成長が大いに期待出来る。
一人でも多く岩間さんのようにアマゾンの大地で頑張って居られる方を見付けて報道して頂きたい。
写真もサンパウロ新聞掲載のものをお借りしました。9月にアマゾンで岩間さんとお会いする機会があれば嬉しい。


サンタレン赤城山OBの異色・岩間健さん

 「初めて日本に帰った時は感動して、もう死んでも良いという感じだった」―。パラー州サンタレン在住の岩間健(いわま・たけし)さん(五九、三重県出身)は、渡伯して十二年後に一時帰国を果たした時の喜びを、こう語る。コショウ栽培を経て、現在は同地でマンションなど五軒の不動産を建設・経営し、自ら電気の配線を行なうなど内装を整えたりと多忙な日々を送っている。

胡椒景気で大きく飛躍 日本出稼ぎの経験も、現在ビル5棟所有

 三重県鈴鹿市の実家は米や茶などを栽培する農家で、長男の岩間さん自身も農業は好きだった。しかし、後継者問題で父親と話が合わず、「日本が面白くなく、十五歳の時からブラジルに行きたいと思っていた」という。

 高校を中退して夜学に通いながら、ブラジルに行くことを目的に長距離運転手の仕事に就き、四年間で三百万円の資金を貯めた。一般人の月給が五万から七万円の時代、岩間さんの月給は三十万円と高額だが、「気を抜ける時が無い」生活だった。

 「赤城山」の海外移住センターで半年間の農業研修を経てブラジルに渡る際、事業団(現:JICA)側から「サンパウロは『移住』ではなく、『移転』。どうせ行くなら『ピラミッドの頂上に上れる=成功』確率の高い北伯」を勧められ、七五年に飛行機で渡伯した。

 「ブラジルに行くなら日本で結婚しておいた方が良い」との助言を受け、渡伯前年に海外移住婦人ホームで紹介してもらい、現在のあつ子夫人(五七、静岡県出身)を七七年に花嫁移民として呼寄せた。

 岩間さんが最初に入植したのは、パラー州のサント・アントニオ・ド・パラー。パトロンのもとで世話になり、コショウ栽培に携わり、三年間を同地で過ごした。四年目に独立し、先輩日本人の世話で七八年にサンタレンに土地を購入。

 「長距離運転手で大事に貯めてきた金を、その時に初めて使った。本当に嬉しかった」と岩間さんは、「虎の子」の貯金を長年の夢の実現のために注ぎ込むことができたことを、目を細めて振り返る。

 当時は日本人一世も数多く、ほとんどの人がそうだったようにコショウを植え、最初は一万本から徐々に増やし、最盛期には約八万本にまで至った。

 「サンタレンの魅力は(コショウの)病気が無かったこと」と岩間さん。その間、ベレンでコショウの病気について二年間勉強したことも、後のコショウ農園運営に大きな成果をもたらした。

 「こまめにトラッタメント(管理)すれば、コショウは結構、長持ちした」

 八七年にはコショウ価格が高騰して当り、渡伯してから家族揃って初めて日本に一時帰国することができた。

 その後、九一年には日本に出稼ぎに行きながらも、サンタレン近郊でコショウを植え、収穫の時期に戻るなどしていた。 値段の安い時にコショウを倉庫で寝かせ、高騰を待って「売り」に出したことなどで儲けた。

 コショウ栽培は二〇〇二年まで続け、その後はコショウで得た資金を元手に事務所などが入居する商業ビルやマンションなどを建て、賃貸業を営むことに。

 その間、「昔は十人ほど居た」という岩間さんのような雇用青年が日本に帰国したり他の場所に移転したりし、「今は誰も居なくなった」という。

 現在、五棟目のビル建設を自宅横で行なっている岩間さんは、子供たちが独立したこともあり、「これが落ち着いたら、今後は半年は日本、半年はブラジルに住む生活を行ないたい」との考えを持っている。

 「ここでは友人が居ないのがつまらない。やはり、友人との付き合いが一番大事やね」

写真:サンタレンに住む岩間さん

2009年6月27日付



アクセス数 4581636 Copyright 2002-2004 私たちの40年!! All rights reserved
Desenvolvido e mantido por AbraOn.
pagina gerada em 0.1762 segundos.