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【息子・健介が教えてくれたこと】 徳力啓三さんの月刊誌【致知】8月号の致知随想欄掲載の原稿より
人間学を学ぶ月刊誌【致知】chichiが最近人気があり良く読まれているそうですが、ブラジル倫理の会の徳力啓三さんが8月号の致知随筆欄に掲題で原稿を掲載させており1冊送って頂きました。早速読ませて頂きましたが、一度徳力さんのお宅を訪問した時に健介君にもお会いしており息子を思う父親としての徳力さんの思いがひしひしと伝わって来て涙を誘う随筆です。皆さんにも是非読んで頂きたいと思い徳力さんにお願いして原稿をワードで送って頂きました。昨年のアナポリス、ブラジリアの忘年会にもご夫妻で参加して頂いており徳力さんの零れるような笑顔に皆さんが感心しましたが健介君を亡くした年だったのですね。近い将来ポルトアレグレにも来られてブラジル最南端のシュイまでご夫妻で訪問したいとの事ですので是非ご一緒させて頂き出来ればウルグアイまで出掛ける事が出来ればと念願しています。
写真は、本日子供たちに撮って貰った写真を自分で取り込み処理したものを送って下さったそうで写真の取り込み作業等今後色々使用できる事が分かり自信を付けたとのコメントと共に送って頂いた徳力夫妻の写真です。何時もながら笑顔が素晴らしいご夫妻です。


息子・健介が教えてくれたこと
徳力啓三

 別れの時は不意に訪れた。
 昨年一月十五日、朝九時半頃、かねてより病気療養中だった息子・健介のいる二階の部屋から妻の呼び声が響いた。すぐに他の子供たちと駆けつけると、ベッドで仰向けになった健介の口の両脇から茶色の液が溢れ、すでに呼吸もできない状態になっていた。救急車が来るまで「健介! 健介!」と皆で呼びかけ懸命に体をさすったが、健介はそのまま帰らぬ人となった。
 三十七歳。短かくはあったが、不自由な体で人の何倍も密度の濃い人生を生き抜いたと思う。
 健介が生まれたのは一九七〇年。アマゾンへの夢を抱き、ブラジルの日系企業で働き始めて三年たった時だった。生後三か月たっても光を追わず、眼科医の診察を受けたところ、網膜の焦点を結ぶ部分が剥離しているため、左眼はまったく見えず、右眼がわずかに見えるだけであることが判明。あらゆる治療を試みたが、願いも虚しく治癒には至らなかった。
 いま思えば、すぐにでも会社を飛び出してアマゾンへ行こうとしていた私を、まだ時期尚早と健介が体を張って止めてくれたのではないかという気がする。その後も健介の存在が、暴走しがちな私に、大事な局面で常に自制を促してくれた。
 幸いにしてその後会社では、サンパウロから二千百



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