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「日本へ出稼ぎに」 中平マリコさんが帰国挨拶  サンパウロ新聞WEB版より
掲題の記事を『私たちの40年!!』のメーリングリストに流した所、ピンダモンニアガバウにお住みの工業移民のお一人の吉田文彦さんから軽々しく【出稼ぎ】に行くと言った言葉を使用するべきでないとのご意見が出されメーリングリスト御仲間で色々出稼ぎ談義のコメントが飛び交いました。移民と云う言葉と共に出稼ぎと云う言葉に付き色々考えさせられる機会が得られました。皆さんのコメントを出来るだけ時系列に従い話題が繋がるように拾い集めて寄稿集に収録して置くことにしました。
写真は、サンパウロ新聞に掲載されたものを其の侭お借りしました。


「日本へ出稼ぎに」 中平マリコさんが帰国挨拶  サンパウロ新聞WEB版より

二〇〇四年以来毎年来伯し、各地で慈善ショーを開催している歌手の中平マリコさんが七十一日間の滞在を終え、十七日帰国の挨拶に来社、「一年間出稼ぎに訪日します」と粋なあいさつをして離伯した。中平さんは六月十一日、六年連続で来伯、トメアス、ベレン、バストス、タグアチンガなど各地の福祉施設などを訪問、慈善ショーを行った。〇四年の初来伯で「大地の中に残っている日本の心が好きになった」とその後毎年来伯、ブラジルは「愛と希望と勇気や夢を与えてくれる所」と惚れこんだ。

 六月、乗ってきた飛行機がグアルリョス空港の上空に差しかかった時「やっと戻ってきた」と感極まり突然涙がこぼれ、また、最後のショーの十六日の救済会憩の園では、翌日の帰国が悲しく舞台で突然泣き出すほど心はすっかり日系人となっていた。来年六月のカンピーナスでの日本祭に出演するまでブラジルを離れるが、心が日系人の中平さんは帰国と言わず、「六月まで出稼ぎに行ってきます」と友人、関係者に挨拶しており、吉岡黎明救済会会長の案内で帰国の挨拶に来社した十七日も同じように「出稼ぎに行ってきます」のあいさつ。

 中平さんは軟骨の機能障害で障害手帳二級を公布されている障害者。それだけに福祉に関心深く、福祉施設入居者などを慰めるため毎年来伯、懐かしい日本の歌を披露して慰問している。来伯経費は自費。今回も七十九歳の母親も中平さんの施設慰問行脚に同行した。

(コメント集)
吉田:日本へ帰国することを「日本へ出かせぎ」という表現で冗談を言っていますが、実際日系人の中にはやむを得ず、家族と別れ、住みなれた土地を離れ、泣きながら日本へ出かせぎに行ったものも少なくありません。日本に行っても幸せになれなかった出かせぎも少なからずいます。従って、出かせぎという言葉はこちらでは忌諱されています。単なる帰国を「日本へ出かせぎ」といっても決してこちらでは共感を得られません。従って冗談にでも帰国を出かせぎに行くなどというべきではありません。
吉田文彦

和田:吉田 さん
歯に衣着せぬ辛口のコメント有難う御座います。コロニアの御意見番と云うか吉田さんがこのメーリングリストで内容をCHKして呉れていることは有難く嬉しい事です。今後とも宜しくお願いします。
吉田さんがご指摘されているようにブラジルから出稼ぎに行っている方の数は相当数ですよね。コロニア150万人として30万人以上とすると5人に一人は何らかの形で日本に出稼ぎに行っているか行った経験があることになり大抵の家族では最低一人、家族全員で出掛けている人たちもいますよね。2世、3世、4世と云ったブラジル生まれの人たちだけでなく『私たちの40年!!』関係同船者の仲間でも家族をブラジルに残しあるいは生活の基盤をブラジルに置きながら現在も日本で出稼ぎをしている仲間もいます。
私の娘、長女弥生は連邦大学の新聞学科を卒業と同時にJORNAL TUDO BEMと云うポルトガル語新聞の記者として2年間東京に出稼ぎに行っているし末娘小百合は、日本国籍を利用してワーキングホリデイーシステムで2年間、ニュージランドとオーストラリアに出稼ぎに行っていました。わたしも年に一度は日本に出稼ぎに出掛けています。従い個人差はあると思いますが、出稼ぎと云う言葉にそれ程過敏に反応する必要はないのではないかと思います。中平まり子さんも出稼ぎと云う言葉の持つ積極的な観点から軽い気持ちで使われたのではないかと思います。サンパウロ新聞の記者がそれを肯定的に捉えて見だしに使用したのではないでしょうか?
中平さんご自身のコメントが頂ければ嬉しいですね。

和田:MLのメンバー皆さん 『出稼ぎ』と云う言葉を一緒に考えて見たいと思います。
吉田さんがコロニアの御意見番としてコメントして呉れていますが、我が家でも最近私が書くコメントをCHKするとの目的で恵子がこのMLにも参加して呉れており話題の共有が図れることになり喜んでいますが、この吉田さんの書き込みに共感されたようで『出稼ぎ』と云う言葉は、雪に閉ざされた地方の人が東京、関西に冬の間だけの季節労働者として文字通り稼ぎを目的として家族を残し出稼ぎに出たのがその始まりで多くの日本人はこの出稼ぎと云う言葉また出稼ぎ者に対してある意味での偏見を持っていることは確かであり我が家の娘たちが出稼ぎに出掛けた等の発言は穏当でなく許せないとの指摘を受けており私は出稼ぎと云う言葉にもっと積極的な意義、知らない所に出向き生活をする、人生経験を積む、何かにチャレンジすると言った面もあるのではないか?それ程この言葉に過剰反応する必要はないのではないかと説得していますが、恵子はそれはあなた一人だけの考え方で世間一般の風潮、出稼ぎと云う言葉の持つ否定的な意義(生活の為のもっと切羽詰まった稼ぐだけの生活がベースにある)を換える力はないと譲らず貴方の訪日が出稼ぎだとの定義は別にして少なくとも弥生、小百合が日本及びニュージランド、オーストラリアに出稼ぎに行ったと云う発言は取り消して欲しいとの事ですのでこれを取り下げさせて頂きます。言葉は生き物とは云え自分勝手にその言葉の持つ意味、内容を規定、人に押し付けるのは許されないと指摘されています。
皆さんのコメントをお願いしたいと思います。

光田:出稼ぎ
田舎から都会に稼ぎに行く(おもに単純動労)サンパウロ新聞は国語辞典とイミダスを購入するのが急務。
和田様も広義の意味では、出稼ぎも間違いないかもしれませんが、ふつうは、商用と観光、友人訪問と言うと思います。(日本で炎天下に公園の草刈をするとは思えません)
ブラジルは、階級社会なので奥方様の意見、娘さんの意見が正論かと・・・
歌手の人も受け狙いで話したんじゃないんですか?

和田:光田 さん
出稼ぎは矢張り出稼ぎなのですかね。勝手な解釈、新しい意味を加えようとしても一般には認められないと云う事でしょうか?私が日本に年に一度出稼ぎに行くと云う表現には無理があると云う事でしょうか?日本で炎天下に公園で草刈りをしないと出稼ぎにならないのでしょうか?

あや子:和田さん
出稼ぎというと、本来なら家族といっしょに生活したいけどお金を稼ぐためにやむおえず長期に働きに出るという感覚が私にはあります。
だから和田さんのいうのは、私にはジョークにとれました。
ただ中平さんの場合、ブラジルが好きでズーと留まっていたいという思いが根底にあるが、生活費を稼ぐためにそこを去らねばならないという思いであのことばが出たのだと思います。
私は彼女のその思いを素直にすてきな表現だと思いましたが、それは実際に私の回りに出稼ぎの人を見たことがないので、吉田さんのような配慮が出来ませんでした。
人を傷つける気などさらさらないのに、ことばってむずかしいですね。
吉田さんの投稿でまた一つ勉強になりました。

大内:大内@鎌倉です。
「デカセギ」について、今日の朝日新聞がこんな記事を出していました。考えさせられる内容です。
私個人は「出稼ぎ」という言葉に対して決してマイナスのイメージは抱いてはいませんが、やはり南米の日系人の方の前では軽々しく使う言葉ではないように思います。
デカセギの苦境、劇で訴え 日系ペルー人労働者ら
2009年8月29日

 南米から「デカセギ」で来日した日系人が、昨年来の不況で突然解雇され、帰国を迫られる例が相次いでいる。そんな厳しい現実を、日系ペルー人労働者らのアマチュア劇団がコミカルに演じ、活躍の場を広げつつある。市民に外国人労働者の苦境を広く知ってもらい、日系の労働者にも自省と奮起を促そうとの試みだ。
 「クビになったんだけど、仕事ないかな」「オレもクビ。寮を追い出されるから、しばらく泊めてよ」――。
 劇団セロ・ウアチパの最新作アミーゴス(仲間たち)は、体調を崩して解雇された出稼ぎのペルー人が仲間を頼るが、みんな失業中だとわかり、治療代も払えず困り果てるというストーリーだ。
 01年に立ち上げ、東京を拠点に演目は約20作品。高校や国際交流団体からの公演依頼が増え、今年6月には日本ラテンアメリカ学会に招かれて学者たちの前で演じた。
 メンバーの日系2世、久保山ルイスさん(44)自身も昨年末、2年余り働いた横浜市内の電子機器製造会社を解雇された。専門学校に通う2人の子を抱え、再就職しようにも日系人とわかると面接を断られる。雇用保険は7月上旬に切れた。妻のギッセーラさんも昨年10月末、弁当工場を解雇されると家計に負担をかけまいと帰国した。
 「日本人もみんな苦しいから仕方がない」。ルイスさんはそう言うが、妻に雇用保険が出なかったのは、保険料の企業負担を嫌った勤務先が外国人を保険に加入させなかったからだ、とも漏らす。7月末、神奈川県内の製箱工場にようやく職を得た。
 台本は劇団員全員で練る。日系ペルー人と日本人が5人ずつ。劇団員で神奈川県内の労組では外国人労働者からの相談にも乗る日系ペルー人のナカホド・モニカさん(46)らが案を持ち込む。人材ブローカーに「日本の組合はヤクザ」とうそをつかれて組合加入を断念させられる実話や、給与未払い、残業代ゼロといった現実をちりばめる。
 批判のまなざしは日系人にも向けられる。最新作では病気になって会社に社会保険への加入を求めた主人公が、上司から「加入しないと決めたのはあなたでしょ」と断られる場面も。手取り額が減るのを嫌がり、社会保険に入りたがらない日系人労働者の現実を映し出すものだ。
 劇団員のセサル・ホルダン・イケダさん(64)は横浜市内のチーズ加工工場で働く。「私たちがデカセギに来た理由や日本での暮らしぶりを、いろんな人に知ってもらいたくて始めた。劇なら日本語が苦手でもメッセージを伝えられると思った」
     ◇
 外国人労働者のうち南米出身者は、大半がブラジルとペルーから来ている。それぞれの人口が多い上位10都市の統計では、昨年末ごろを境に大半の都市で外国人登録の数が減少。今年6月末までの8カ月間で、ブラジル人は7万9467人から約6800人、ペルー人も1万4698人から約300人減った。自治体の担当者らは「解雇された日系人が、帰国せざるを得なくなったからだろう」と見る。
 日系人は90年の出入国管理法改正で、3世までは特別な技術などがなくても日本に長期滞在でき、職種を問わず働けるようになったため来日が急増。外国人登録数で見ると、日系人の大半を占めるブラジル人とペルー人は07年には計37万人を超え、法改正前年の89年の約20倍にまで増えた。
 多くが自動車や精密機器、加工食品などの生産現場で「単純労働」を担ってきたが、昨年末の金融危機以来、業績悪化などを理由に解雇が急増した。日系人を解雇した後に、国の研修・技能実習制度で来日した中国人を低賃金で働かせている例や、雇用維持のために支給される助成金を国からもらいながら日系人のみを解雇している例もあり、神奈川シティユニオンの村山敏・執行委員長は「会社は経営が苦しいからというが、悪質な解雇が多い」と指摘する。(岩田誠司、金成隆一)

和田:大内さん
貴重な情報有難う御座います。8月29日付朝日新聞の記事には写真も掲載されていましたので写真(グラフを含む)と共にお借りして下記URLでトラックバックを貼り転載させて頂きました。
【オランダ語】の話題と違い【出稼ぎ】は、何かと取り扱いに困る(正面から取り組み辛い)話題かも知れませんね。アンテナを張って貴重な新聞記事を見付けて下さい感謝しています。
http://blogs.yahoo.co.jp/yoshijiwada/41708824.html

中平:吉田様 和田様 恵子様 あや子様 光田様 大内様
> 単なる帰国を「日本へ出かせぎ」といっても決してこちらでは共感を
> 得られません。
> 従って冗談にでも帰国を出かせぎに行くなどというべきではありません。
厳しいご指摘を本当にありがとうございました。心から感謝を申し上げます。私の発した言葉で吉田様はじめ多くの方の心に不愉快なお気持ちを少しでも抱かせてしまったとしましたら、本当に申し訳なく心からのお詫び申し上げたいと思います。 
また、和田様ご夫妻にもご心配と、ご迷惑をお掛けしましたことを心からお詫び申し上げます。
ただ、決して冗談で「日本に出稼ぎ」と言う言葉を使った訳ではないことをご理解いただくにはどうしたらいいのだろうと、吉田様のメールを読ませていただいてから毎日考えておりました。
若輩者がメールをお出ししていいものだろうか? 簡単にメールの中で私のすべての気持ちを語り尽くせるのだろうか?
許されるものならば、すぐにでも飛んで行き吉田様と直接お目に掛かりお話しをさせていただけたら.....とも思いました。
いろいろ考えた末、やはりちゃんと自分の気持ちをお伝えしなくては.....と、はじめてメールをさせていただきます。 
素直な気持ちを記させていただきます。読み進んでいただけましたら幸いに存じます。
ただ、書き進む中、失礼な表現、無知な表現があるかも知れません。その時は、どうぞ、平にご容赦下さいませ。
ブラジル、パラグアイに行かせていただき6年目を終えた私。たった6年かも知れません。ましてやいつも2~3ヶ月と言う短期間の滞在、まだまだ不勉強な私です。が、渡伯させていただくたびに、(移民された)多くの方々とたくさんのお話しをさせていただきます。
最近では出稼ぎ経験のある方(日本で、ブラジルで、パラグアイで)ともよくお話しをさせていただく機会が増えてきました。 
そして、お話しを伺うその都度、その都度、感動を受けたり、ショック
を受けたり、私なりにいろいろなことを感じ、学び、多くの事を考えさせられています。
> 実際日系人の中にはやむを得ず、家族と別れ、住みなれた土地を離れ、泣きながら日本へ出かせぎに行ったものも少なくありません。
> 日本に行っても幸せになれなかった出かせぎも少なからずいます。
吉田様のおっしゃる通り(全ての方ではないと思いますが)いろいろな環境の中から「出稼ぎ」と言う決断をされ日本に来られたと思います。夢や希望を抱いて来られた方もいると思います。しかし、そんな中、祖父母や両親から聞いた日本の良さとはかけ離れた環境の中での生活に様々な思いをされ、中には悲しい思いをされた方も多くおられると思います。
移民された方々と直接触れ合わせていただいたり、歴史を伺うたびに、「移民された方」、「出稼ぎで日本に来られている方」の日本の中での位置づけや捉えられ方に、いつも私の中で「何故だろう?」と言う疑問を感じてなりません。
毎年、帰国するたびにいろいろな所で、ことあるごとに、私の知るかぎりのブラジル・パラグアイのお話しをさせていただきます。 
最初の2~3年はよく嫌みを言われました。「ブラジルや移民の話しばかりのあなたのコンサートには行かない」と言う人もいました。
「名誉が欲しくて自費活動や寄付活動を続けるているの?」「そんなことして何になるの?」と馬鹿にされ揶揄もされました。
今までの私でしたら、自分の生活がありますから皆さんに合わせていたと思います。 でも、2004年から変わりました。
お爺ちゃん、お婆ちゃんがよくおっしゃいます。
「私たちは祖国日本を心から愛しています。日本の皆さんに私たちが遠い地で頑張っていること、日本の皆さんを思っていることを忘れないで下さいと伝えて下さい。」と。いろいろな事情の中、他国にわたり、語り尽くせないご苦労をされたはずなのに、お話しをお聞かせ下さる真剣なお顔、優しい笑顔を私は忘れることが出来ません。 いえ、一日たりとも忘れたことがありません。
どうしたら皆さんの優しい心に応え、役に立てるのだろうと考え続けています。
そんな時、ブラジル、パラグアイのお爺ちゃん、お婆ちゃん、老若男女
の日系の皆さんと約束をしていました。
「目で見て、耳で聞いて、心で感じたすべては本当に凄いです。若輩者の私かも知れませんが、私の知るかぎりのことを日本の中に、少しずつ話してゆける人間であり、歌手になります」そして「いつまでも変わらず正直に話してゆきます」と。
ほんの一部ですが.......、
大国の中で語り尽くせない苦労をされながらも、日本人としての誇りを失わず、日本の魂(誠実、勤勉、実直、どんな困難にも負けない不屈の精神、人への慈愛、敬愛)を守り頑張って来られたことを。
その一途さ(一筋な心)が、それぞれの場所で認められ、信頼され、とても尊敬されていることを。
先人の....、親の....、背中を見て育った方々が、親に恩返しをしたいと大変な努力をされたお陰で、多くの日本人、日系人が、ブラジルやパラグアイ社会で認められ、成功され、尊敬されていることを。 
昨年の「ブラジル日本移民100周年」の年、ブラジル国から「今のブラジルがあるのは日本人のお陰です」とまで言わせ、ブラジル国民も一緒になってお祝いをして下さっている様子を拝見した時の感動は一言で言い表す事が出来ません。
あの大きな大国の中に「日本国此処にあり」とブラジルに溶け込みながらも頑張り、存在を示された....本当に感動です。
そして、今、ますます「日本」を継承してゆくには......と日々、考え、努力されている皆様を私は心から尊敬しています。
我が身体の中に流れる赤い血に初めて日本人としての誇りを持たせていただきました。頑張る素晴らしさを教えていただきました。
いろいろな場所へ行かせていただく中、いろいろな場面に遭遇します。
感動と驚きはいろいろなことを私に与えてくれています。
そして、こんな事も思います。
あちらこちらで公演させていただく時、いつも思います。名もない私が日本から歌を届けにきていると言うだけで、皆さんは優しく親切に接して下さいます。そのおかげで言葉の違いや生活習慣の違い、環境の違いに怯えることなく母も私も安心してブラジル・パラグアイで過ごさせていただいています。
そんな時、いつも思います。いろいろな事情の中で、日本に出稼ぎに行っておられる方々のことを......そして、私は話し、問います。
もし、移民始まって以来の歴史が日本の中に正しく語り継がれていたら.....? 
同じ血の流れる同胞の方が来られていることをもっと深く知っていたら......?
「出稼ぎ」と言う言葉の持つ意味はどんなものだったのでしょう......と。
日系人の方々に対する接し方はどんなものだったのでしょう......と。 
私自信、自分がその時代を生き、その立場だったら.....どうしていただろうと思います。きっと情けない結果を招いたと思います。
そしてもう一つ、心から感謝をしています。
身体障害2級で24時間の痛みと闘いながら活動する私に「命が尽きるまであなたの身体の痛みが少しでも楽になる様に祈ってますよ」「来年も元気に帰って来るのよ。楽しみに待っているからね。」と言って下さるお爺ちゃんや、お婆ちゃん、老若男女の皆さん。
おこがましいかも知れませんが、今では皆さんは私にとってかけがえのない大切な方々なのです。
そんな皆さんに何がお返し出来るのだろうかと考え続けています。
(恥ずかしながら正直に)私は決してお金持ちでも裕福でもありません。その上、健康優良児だった私が17歳の時に舞台の事故に遭い、その後遺症が34年経った今、身体障害2級という形で24時間の痛みと、現在進行形の動作の鈍さと言う形になって身体に表れています。
その為、今までの様に順調に働けている訳ではありません。今では地道に稼ぎ出せるものと頑張ってきた貯蓄の中から活動を続けています。 
時々こんなお話しを伺います。「ボランティア活動は自分の生活が成り立った余裕のある人がするものだ」と。 その言葉からすると、肉体的にも金銭的にも私の行なっている活動は無謀かも知れません。でも「もうお前はいらない。来なくてもいい」と言われるまで、私の出来る限りの範囲で今の活動を続けて行きたい.と思います。決して無理はしないで.....努力し続けたいのです。 
何故なら、学ばせていただく全てのことが私に「頑張る力」と「生きる
力」を与え、愛と夢、希望と勇気に繋がっています。
ブラジル、パラグアイの方々と触れ合わせていただけなかったら、身体のこの痛みと闘えていたかどうか.....自信がありません。  
今の私は存在しないと言っても過言ではないくらい心から感謝をしています。そんな私の「決心」が「出稼ぎ」と言う言葉になって口から出ていました。本当に上手く言えませんが、偏った見方の中から生まれた感情かも知れませんが、そんなこんなのいろいろが、6年目を迎えた私の心に「郷愁」を抱かせ、自分も出稼ぎの一人だと思ったのです。
でも、いかなる理由があるにせよ、もっと慎重に発言するべきだったと思っています。
> 出かせぎという言葉はこちらでは忌諱されています。
吉田様の厳しい言葉を真摯に受け止め、言葉の意味を深く受け止め、胸
に刻み、今まで以上に言葉を大切に、人として恥ずかしくない生き方をこれからもしてゆける様に努力し続けたいと思います。 
貴重な経験をする場を与えていただけたこと、自分の心を見つめ直す時間を与えていただけたこと、和田様に心からの感謝を申し上げます。そして、貴重なご意見を下さい ました恵子奥様、光田様、あや子様、大内様にも心からの感謝を申し上げます。本当にありがとうございました。
最後にお返事が大変遅くなりました事も重ねて心からお詫び申し上げます。
左肩の症状が思ったより進行しており、来年は、ブラジルでの手術を考
えなくてはならなくなりました。
その為、先行して手術の為の検査、国内の先生との相談や診察、各関係機関への問い合わせが帰国後から連日続いておりました。
いろいろ動作が鈍くなり行動が遅くなって来た私です。が、これからも変わる事なく頑張って参りたいと思います。
どうぞ、これからも宜しくお願い申し上げます。
2009年9月1日   中平マリコ

和田:中平 マリコ さん
帰国後何かとお忙しくしておられるようですね。
吉田さんの書き込みに心を痛められ2度ほどお電話を頂いておりましたが、中平さんの心情を吐露されたメールを読ませて頂き真摯な気持ちでまたブラジル、パラグアイのファンの皆さんの期待に応える意味で日本で旅費をため来年も遣って来たいとの気持ちで活動を続けるためと身体障害者としての肩の治療費を日本に稼ぎに帰るとの気持ちの表れで使用された『出稼ぎ』との言葉が物議を醸し申し訳なかったとのお便りは、十分理解できるもので説得力があると思います。
同じ中平さんの帰国の挨拶を取り扱ったニッケイ新聞では、出稼ぎと言う言葉は使用されておらず矢張り中平さんの使用した出稼ぎと言う意味の内容を理解した上で見出しに取り上げたサンパウロ新聞の記者の新聞記者としての感覚を私は褒めて挙げたいと思います。新聞の見出しとしてはサンパウロ新聞の方が少しセンセイショナルな言葉を使用したが上に読書を動かしたのではないかと思います。(良い意味でも悪い意味でも)
私の娘達が出稼ぎの経験があり、私も毎年出稼ぎに出掛けるとの表現は、顰蹙を買ったようですが、私は良い意味で移民とは人生の選択であり出稼ぎはこの移民の延長線上にあるものと理解しており出稼ぎが肉体労働をする季節労働者だけのものだとは思っておりません。もっと積極的な人生の選択、新しい経験、冒険、夢の実現への努力と捕らえたいと思います。



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