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【ベルリンの壁】 20年前にベルリンの壁を見に行かれたあや子さんの思い出です。
現在オランダにお住まいのPHILIPPOあや子さんが丁度ベルリンの壁崩壊時に1000km離れたベルリンの近くにお住まいのお友達を訪ねて現地まで車で行かれた時の思い出を纏めて送って呉れました。歴史的な出来事として身近な方の貴重な思い出を寄稿集に収録して置きたいと思います。当時はデジカメ等は、現在ほど普及しておらず多分VIDEOを撮ったかも知れないとの事ですが適当な写真が見つからないとの事ですので当地CORREIO do POVO紙の第1面に掲載されていたベルリンの壁崩壊20周年の記念式典の写真を使用しました。皆さんから頂いたコメントも一緒に収録して置きます。


和田さん、皆さん今晩は。オランダからです。
ベルリンの壁崩壊からもう20年という歳月がたつのですね。
この日は木曜日でした。アルは当時教師をしていたので金曜日まで仕事。土曜日の夜、叔母さんの誕生パーテイに出て日曜日の朝早くに車でベルリンに向かいました。
ドイツの高速道路の上にかかる橋にたくさん人がいて東ドイツから来るトレビーというのでしょうか。おもちゃのような車に手を振っている西ドイツの人々。何か感動的な光景でした。
壁の所に着いた時はすでに3時半、車から壁の所まで歩いている間にどんどん暗くなり心ばかりあせっていました。町の中は車がそこらじゅう、みんな駐車違反。警察もそれどころではない、歴史的な感動的な日でした。壁の所に行くと、壊された壁から

www.youtube.com/watch?v=PHpye0M34JQ&NR=1

この歌を歌いながらロウソクを手にどんどん西側に来る人々。
真っ暗な中、コンコンコンコンとトンカチで壁のひとかけらをもって帰ろうと頑張っている人、壁の上を歩いている人、今でも当時の情景が脳裏に焼きついています。
これより3年ほど前に、東ドイツにいる友人に会いに東ベルリンに行った事があります。私達がいくら招待状を出しても許可が下りず、私達が壁の向こうに行くことにしたのです。チェコスロバキアとポーラとの国境近くに住む友人が数時間かけてベルリンにトレビーでやってきました。
西ベルリンは東ベルリンの中にあるので東ドイツの中を走らなければならず、途中の塔の中から人が見ているので制限速度100キロぴったりで走らないと捕まるからといいながら1時間走りました。
この時まで私は西ベルリンが島のような状態で東側にあるというのを知りませんでした。ベルリンは地下鉄が一周すれば元に戻るのですが、西側は各駅オープンですが東側は一駅を除いて真っ暗、時々銃を持った兵士の人影を見ました。
唯一オープンの駅で降り一日観光ビザで入国。友達夫婦と会い、ホテルを予約するというのでいくが、どこも満員と言って断られる。3回目には断られたあとお金をにぎらせ、突然OKといった具合でした。
お店の前に50人ぐらいの人がずらーと並んでいるので何かと聞くと、バナナでも入荷したのだろうという。30分後には誰もいないといった情景。
私達は西側の友達の家にいたので、毎日彼らの手に入らない物を買ってもって行ったのでした。
日本の和太鼓の公演があったので、彼らと別れたあとこれを
みることにしました。友達が試しに自分が買いに行くといっていくが売り切れ。私達が行くとあります。外貨がほしかったようです。
共産圏の国には行ったことがなかったので、とても印象に残っています。 ここからですと1000キロちょっとでしょうか。
翌朝6時ごろ家にもどり、1時間ほどねて彼が出勤したのが、なにか昨日のことのようです。
ベルリンの壁崩壊を見たさに走り、いたのは数時間。でもとても価値のある一日でした。
あや子



(コメント集)
あや子 さん
20年前のベルリンの壁崩壊を真の当たりに見られた時の思い出、有難う御座ます。当時の旅行の写真が残っていないでしょうか?あれば1枚だけでも送って下さい。寄稿集に収録して置きたいと思います。

和田さま、みなさま、ご無沙汰いたしております。
夏木@大阪です。
あやこさん、
 貴重な東西ドイツのお話読ませていただきました。
冷戦終結の象徴、ベルリンの壁崩壊から20年が経つのですね。その時に歌われたのがアメイジング・グレイスだったのですか。
 アメイジング・グレイスは元々はスコットランド民謡で、アメリカに渡ったスコットランド人により歌われたのですが、訴えかけるような哀切なメロディが過酷な条件の下、農場で働く人達の心をとらえ、歌い継がれ今日では、霊歌と紹介されることがあるようですね。
 今回、あやこさんが貼り付けてくださったアメイジング・グレイスはたゆたうように流れますね。
 夏木には少し歌い辛いテンポですが、こちらのほうがより曲のイメージに添っているのでしょうね。

夏木@大阪さん
お帰りなさい。懐かしい人がカムバックです。丸木さんから落馬されて体調を崩しておられ暫くはPCも無理とか伺っていましたが、このお便りを見てまた洒脱なメール、大好きな大阪弁のお便り等が見られるようになりそうで浮き浮きしております。神戸の内田さんも正木さんのお便りが見られなくなり淋しがっていましたよ。これから是非またお便りを続けてください。

和田さん
寄稿集に収録してくださるとのこと、ありがとうございます。
ビデオを持っていったのは覚えていますが、カメラはどうかなァー。 もっていったとしてもデジタルではないのでおくれないでしょう。
これは余談ですが、その後の西ドイツの援助もすごかったですよ。半年後に行ったときには高速道路をどんどん作り、臨時トイレを設置。昼夜働いているようでした。もともとは一つの国の強みですね。
でも数年前に行ったときの話では、東の自衛隊に所属している人のほうが西の自衛隊の人より給料が低いと言っておりました。
あや子

夏木さん
お久しぶりです。そしてアメイジング・グレイスの説明ありがとうございます。
以前夏木さんが書かれた犬のお話、あのワンちゃんはいまでもいっしょに住んでいらっしゃるのですか。 又続きを送ってください。
うちのベービー文鳥は片足が障害鳥でした。それでもたくましく育っていますよ。
人間のように文句なんて言わず、片足をかごにひっかけて立ったり、まるでバレーリーナのようです。
自分をなんとかいい状態にもっていくよう工夫しています。
メール出来るようでしたら送ってくださいね。お待ちしています。
あや子

あや子さん
なんと感動的なシーンを目撃されたのでしょう。
あの歌が流れ、東から西へ来るひとびと。どんな心境だったのでしょうね。
ドイツ、ドイツ 世界に冠たる我らのドイツでしょうか。
ロシアのくびきからやっと逃れることができた、安息感でしょうか。
家族、親戚で東西に分かたれた人が普通にあえる、という普通のよろこびを涙とかみしめたのでしょうか。
国際政治の複雑なあやのなかで実現したドイツ統一。ちょうど1年前ドイツに出張したとき、10月3日が Tag der Deutschen Einheit ですねと必至で覚えたドイツ語で現地の人に伝えた。Yes it is! costly but....でした。ドイツ人。私は筋を通す彼らが大好きです。
弓の”己正しくして後発す” に似通う心情です。
もし、我が国が東西、あるいは南北に分断された状態にあったとしたら、とても、本来論、べき論からの統一はおぼつかないでしょう。既得権、権益まみれのこの国。立ち直ってほしい、はやく気づいてほしいと思います。
神戸灘住吉
内田雅夫

夏木さん 和田さん あや子さん
あや子さんのベルリンの壁のお話。いいなあと思い別投稿しました。そのあと、5秒くらいあと、夏木さんの投稿を拝見。なつかしかったです。
アメイジンググレイスはスコットランド民謡だったのですね。よく耳にするので、ああいい歌だな、と思っていました。今回、あや子さんのWEB紹介でで歌詞もわかったし、歌うようにします。
実は、外大弓道場は音楽ホールのような効果もあり、私は、寒いときにだれもいない、きっと、誰も来ないだろうなと確信できる日に稽古したあと、このような歌を大きな声で独唱??します。この歌も一つ、歌ってやろうと思います。一度、見回りのガードマンさんにみつかりヘンな顔をされました。ああてれくさ。
弓の稽古が満足に出来で何かをつかみ、そのあと、しみじみと歌をうたう。ちょっと変人ですね。スコットランド民謡はぴったりな歌たちです。字余りの歌が氾濫している世の中、特に若い人たちに美しい旋律、美しい詩の歌をうたってほしい。明治時代に訳詩をつけた音楽家は必ず漢籍の素養があり、すばらしい日本語の歌詞をつけています。
カラオケにはまずない歌たちです。
興奮してぱっと出てこないですが、夏木さんならご存知の通りです。
あや子さん、ありがとう。
内田雅夫

和田さま、みなさま、こんにちは。
夏木@大阪です。
あや子さん、
> 以前夏木さんが書かれた犬のお話、あのワンちゃんは
> いまでもいっしょに住んでいらっしゃるのですか。
  はい。来年2月で10歳になりますが、元気で
 一緒に暮らしていますよ。
  ジャンプを覚えて、飛んでは喜んでいます。
 褒めてもらえるのが嬉しいのでしょうね。
> うちのベービー文鳥は片足が障害鳥でした。
> それでもたくましく育っていますよ。
> 人間のように文句なんて言わず、片足をかごにひっかけて
> 立ったり、まるでバレーリーナのようです。
> 自分をなんとかいい状態にもっていくよう
> 工夫しています。
  一生懸命生きている!素敵なバレーリーナ鳥さんなのですね。
 生きとし生けるもの…いとおしいですね。
 Kittyのジャンプの写真です。上手でしょう!?

和田さま、みなさま、こんにちは。
夏木@大阪です。
内田さまWrote
> 弓の稽古が満足に出来で何かをつかみ、そのあと、しみじみと歌をうたう。ちょっ
と変人ですね。スコットランド民謡はぴったりな歌たちです。字余りの歌が氾濫して
いる世の中、特に若い人たちに美しい旋律、美しい詩の歌をうたってほしい。明治時
代に訳詩をつけた音楽家は必ず漢籍の素養があり、すばらしい日本語の歌詞をつけて
います。
> カラオケにはまずない歌たちです。
 ほんとうに綺麗な日本語を聞く機会が少なくなりました。
先頃、内田さまと同じ思いの作家の掲載に夏木が少し言葉を
乗せてみました…。
 ※紡いで編まむ言の葉を〜国際人への途〜
 作家の水村美苗氏が「…このままだと娯楽としての日本語は残っても、
思考する言語であり続けられるかどうか」と、一石を投じておられました。
 また、日常会話ができる英語能力があっても、英語が読めない、
書けないでは外国では優秀な日本人になれない、とも・・・。
水村氏は続けて・・・
「明治時代は、社会の根底に当時の国際語であった漢語の素養があり、
それを学ぶことで、抽象的な思考になれていた。それが基礎にないと
西洋の言葉の翻訳などできません」
「彼らには漢文読み下し文というものがあり、外国語の翻訳に
慣れていたのです」
 難しいことはさて置きまして・・・。
双 浮 双 浴 緑 波 微・・・そうふ そうよく りょくは かすかなり
不 解 人 間 有 別 離・・・かいせず じんかんに べつりあるを
…なかよく並んで泳いでいる鴛鴦のあとの波が微かに揺れ動きます。
 お前たちは知らないのでしょうね。人間にある哀しい別れというものを。
 歌うように流れる言葉の美しさにはっとさせられます。漢詩でなくとも、
昔、といっても戦後しばらくは、そんな名訳を夏木たち団塊の世代は、
目にも耳にもしていました。
わが児よ いとしの汝を 父君の形見とし・・・ダニー・ボーイから
今日もよぎりぬ 暗き小夜中 真闇に立ちて・・・菩提樹
御身をば慕いて…略…とこしえに 思はむ・・・春の日の花と輝く
 漢語は真の日本語ではない、という研究者もおられますが夏木は
大和言葉同様、大切に守り残したいと願う言葉です。
以下、ダニーボーイ(=ロンドンデリー・エアー)アイルランド民謡の歌詞です
1我が児よ愛しの汝(なれ)を 父君(ぎみ)の形見とし
 心して愛(いつく)しみつ 今日まで育てあげぬ
  古き家を巣立ちして 今はた汝は何処(いずこ)
  弱き母の影さえも 雄々しき汝には見えず
2果ても無き彼(か)の路の 彼方(あなた)に汝は行きぬ
 空しき我が家を見れば 亡き父君思はゆ
  足下の草叢(くさむら)より 立つはさえずる雲雀
  ああ我も強く立ちて 我が家の誉れ守らん

夏木 さん
お便りと写真有難う御座います。写真がありましたので下記BLOGに転載させて頂きました。
http://blogs.yahoo.co.jp/yoshijiwada2/3295207.html

夏木さん
美しい言葉。それはその国に暮らす人々が日々の糧として明日への希望へとつなぐものです。
現代のように、刹那刹那を刹那的な言葉でつなぐ歌では癒されることもなくましてや夢が希望が生まれようはずがありません。
特に若者たちは国語と国語の背景となる美しい日本人の心根を教育の現場では全く教えられておらず、団塊のわれわれが震えるように感動する詩も彼らには無縁のようです。
夏木さんが今回教えてくれた言葉には流れるようなみずみずしさがあります。
私のような年寄りが感動するのに若い人には理解できない。
漢籍は中国語というよりも人類共通の哲学であると思います。昭和や平成といった元号も漢籍の古典からひかれております。無知な記者がなぜ中国語からとるのかとか言うことがありますが、これでは、と思います。
ダニーボーイより増して次の二行がよみがえりました。
これは昨年、夏木さんのメールで書いてあったと記憶します。 
あの細香さんについての紹介の文章のなかで。記憶違い
でしょうか。なつかしい。
双 浮 双 浴 緑 波 微・・・そうふ そうよく りょくは かすかなり
不 解 人 間 有 別 離・・・かいせず じんかんに べつりあるを
どうしたらこんな全身の皮膚が粟立つような表現ができ読む人をしてその現場に引きづり込むのみならずまさにその当人の思いを思わせるようになるのでしょうか。
永遠に生き続けることができる言葉。不老の薬のようです。
内田雅夫

内田さん
あの時の感動がよみがえり、思わずメールを送ってしまいました。
実は母があまりいい状態ではないので、心が落ち着かず内田さんに
返事がかけないでいました。 ごめんなさい。
明日、日本に発ちますので、しばらくメールともご無沙汰になると思います。
きっと内田さんも興味があると思いますので、下記をごらんください。
www.worldfolksong.com/closeup/amazing/root/page1.htm
アメイジング グレイスは私も好きで、オランダ人と話していてますます
興味を抱きました。
そんなんでしばらくは返事かけませんがあしからず。
あや子

夏木さん
Kittyの写真ありがとうございます。
夏木さんもほめてあげるのですね。
私もメチャほめやってます。
10歳、元気いっぱいですね。
私からもカッコイイジャンプだと
Kittyにお伝へ下さい。
あや子



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