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【出たぞ! リオのカーニバル −この感動をあなたに−】 伊豆山康夫さんのカーニバル参戦記
和田さん、皆さん 僕の拙い文章がブンバ誌のサイトに載りました。お暇な方はご覧下さい。 鼻くそを穿くるよりはましかも知れません。又、来年、踊るアホになりたい方は、ご連絡下さい。伊豆山
www.bumba.com.br/index.php?page=outros&item=471
こんなお便りと共に伊豆山さんからリオの名門チーム、マンゲイラの一員としてのカーニバルへの参戦記を送って呉れました。来年もまた参加されるかどうかはわかりませんが、ブンバ誌では参加希望者を募っているとの事ですのでリオのカーニバルの観戦でなしに参戦希望者は是非参加して見られる事をお勧めします。踊る阿呆に見る阿呆同じ阿呆なら。。。
写真はブンバ誌のサイトに掲載されている伊豆山さんの正装姿(70歳を過ぎているとは思えぬ少女のような姿、向かって左側)を使わせて頂きました。
尚、メーリングリストに寄せられたコメントも一緒に収録して置きます。


出たぞ! リオのカーニバル
−この感動をあなたに−

一昨年、まさかの逆転で、女房が『お先に、チャオチャオ』とあの世に。 置いてきぼりとなった私は、細川多美子さん率いるBumbaサンバ隊に入れてもらって、リオのカーニバルに出場することにいたしました。 『どうせアホなら踊らにゃ損』と云うことでしょうか。 
Bumba隊は、毎週月曜日夜のパンデイロ教室の仲間、駐在員、駐在員夫人、日本から参加のカーニバルキチ、等々の混成部隊です。そして、部隊を受け入れてくれるのは、緑(Verde)とバラ色(Rosa)がシンボルの由緒あるマンゲイラです。
大型のセミレイト、結構楽チン貸し切りバスで、リベルダーデを出発。バスが Dutra街道に出るや否や、早々に、今年のテーマ曲を唄う練習が始まります。どうせブンバ隊のことです。酒でも喰らって、リオまで高いびきだろうと思っていたら、とんでもない! さあ大変。長々したポ語の歌を、簡単に覚えられるはずがありません。仲間達も、簡単に唄えるずはないと思っていたら、大間違い! 隊の皆さんは何処かで猛練習して来たに違いない。スラスラ〜スラスラ〜と唄うのです。びっくりです!

お暇な方は、下記サイトをご覧あれ。マンゲイラの主題曲が載っています。
http://ocarnaval2009.com/samba-enredo-da-mangueira-carnaval-2009

この長々した難しい歌を、いとも簡単に、ランランランラランランと皆さん唄うのです。そう。聞こえて来るのは女性の声だけ。僕はサンバは、黒人のデッカイおっさんのしゃがら声でなければサマにならないと思っていましたが、意外です。澄んだ音色の天女の声も悪くないのです。僕は大和なでしこを、あらためて、惚れなおし、いえ、尊敬しなおすことと相成りました。
こりゃだめだ。早々に、覚えるのを諦め、隊長の多美子さんのアドバイスを素直に受け入れ、歌い出しと、終わりだけ覚えて、真ん中は、口をパクパクして、誤魔化すことにいたしました。歌の練習はやめた!

フラメンゴ海岸のホテルノーボムンドにチェックイン。トラブルもなく、部屋の割り当ても終わり、それぞれ、各自の部屋へ上りました。このホテル、旧いけれど、綺麗に改装されて、結構心地よい部屋で、満足感十分。荷物を部屋に置いて、早速、砂浜を踏みに、一人で海岸に向かいました。
以前、今は亡き義兄がこのホテルの直ぐ裏側に住んでいたことがあったので、数え切れないほど通った海岸までの途です。義兄が毎朝、釣をしていた場所に立ち、一時(いっとき)思い出に耽り、ホテルに帰りました。
夜は自由行動でしたが、何となく、皆さん集まって、ビールジョッキを片手に取り留めのない話をして心地よい時間を過しました。お互いに名前も知らない方々も、同じ目的でここに居ること、又、カーニバルの開放感もあって打ち解けます。天女も羽衣を外し、ビールで乾杯。
ホテルに戻ると、我々がデスフィーレ(行列)に着るファンタジア(変装用衣装)が届いていて、各自の名前の付いた自分用の超特大ゴミ袋を探します。我々に振られたファンタジアは、オペラの舞台衣装のような、派手な西洋貴族の装束で、一方の肩には大きな財宝箱、もう一方にはアメリカンインディアン戦士が頭に付けるような鳥の羽が付いていて、ピンクと黒の二色、頭の天辺から、足の先まで一点の隙もない、きらびやかな衣装です。さすがはリオのカーニバル。我々、末端の者にまで、超豪華な衣装を着せるのは流石と感心しました。それにしても、この重装備で、後期高齢者の仲間入りした僕が、一時間近いサンバの行進ができるだろうか、昔、山登りで鍛えた足腰だけれど、少々心配です。

次の日、昼は一日観光、夜、サンボードロモに他の隊のデスフィーレ(行列)の観戦に行きます。我々の出番は明日の晩だから、今日は、観客席からカーニバルを楽しむ趣向です。
僕らが会場に着いたときは、もう満席で、最上段で立ち見するしかなさそうでしたが、連れのX子さん、居並ぶ人の垣根を掻き分け掻き分け、どんどん前方に進みます。彼女を見失わないように、僕も必死に連れの後を付いて行き、強引に上席を二人分確保。やれやれ。 
毎年、テレビで、リオのカーニバルを観て来たから、特にその豪華さに驚くことはありませんでしたが、本物の色彩を生で観て、その美しさに圧倒されました。彼らの色彩感覚には、我々、東洋人では思いもつかないものがあるのです。とにかく凄い。頭に沁みる感動を味わいました。大型ハイビジョンのテレビを通しても、この生の色彩が我々に与える感動は伝えられない。  
寝不足に弱い僕は、前年のチャンピオン、ベイジャフロールの白と青の色彩の祭典を観てから、そろそろホテルに引き上げようと思い、連れのX子さんに、明日があるから、もう帰ろうと云いました。X子さんは「いやだ。」と申します。最後まで観ると夜が明けます。僕は、X子さんを置いて、一人でホテルに帰ることにしました。危険なことで評判のリオで、それも真夜中に、女性一人置いて帰るのには抵抗がありましたが、何しろ連れはとても逞しい。「ま、いいか」と、 夢中で観覧中のX子さんを置き去りにして一足先にホテルへ。暫らくして、X子さんは、無事、ご帰還。やれやれ、一安心。

さて、次の日の晩はいよいよ本番。我々の出番です。午前1時頃、ファンタジアの衣装を纏ってホテルのロビーに集合。集合の寸前まで、仮眠をとっていた僕は、多分、眠気まなこで、モタモタしていたのでしょう。皆さん心配顔で「大丈夫ですか?」と、僕に問い掛けます。「ぶっ倒れても、Mさんが居るから大丈夫」。Mさんは美女、日本からJICAのプログラムでブラジルに来られている老人介護の専門家なのです。「まかしとき!」Mさんから 歯切れのよい返事が返って来ました。ハハハ愉快、愉快。 
全員バスに乗り込み、さあ、出発。バスは夜の街をひた走りにサンボードロモに向かいます。突然、闇夜にバンババンと花火。今、我々の前のチームが会場入りする合図の花火です。遠くに怒涛のような歓声があがります。
サンボードロモ脇の広場でバスを下り、宝石箱を担いだオペラ装束に身を固め歩いて行くと、アベックや家族連れに呼び止められました。写真を撮らせてと云うのです。カメラのフラッシュに囲まれ、ヒャー、コリャ、スター並だ!「馬子にも衣装」とはこのことだ! ポーズをとって写真をとらせ、人々の「Obrigado!」 「Obrigada!」の声を背に受けて、集合所に向かいます。集合所には予め番号をふって、各自の場所が決められてあって、所定の番号の場所に並びます。 
さてさて、この集合所は大変な苦難所でした。テレビで放映される集合所は広々していて、マイクが露出度満点の美女に向いインターヴューしたり、サンバを踊って見せてもらったりで、とても楽しそうな風景が常なので、そんな光景を真近に観ることが出来るものと、内心この集合所を楽しみにしていたのですが、全くの的はずれです。優雅な場所は、主役、準主役の特権らしい。僕ら、その他大勢、エキストラ組の居場所は、そんな甘いものじゃありません。とにかく、前後左右、びっしりと人垣に囲まれ、直立不動を崩せない状態です。そう。首都圏の通勤電車です。その上、頭のてっぺんから、足の先まで、しっかりと重装備の衣装に覆われているのです。気温は真夜中でも30度を越していて、汗だくだく。 皆、イライラが高じてきて、前の人達、地元から参加のブラジル人達ですが、暑さに我慢出来ず、文句を云い始めました。これは一寸、まずい。僕は「Hoje é carnaval!(今日はカーニバルだよ)」と後ろから声を掛けると、文句云ってた連中は、一瞬振り返り、僕を見つめましたが、「そうだよな」と納得、皆の顔に笑顔が戻りました。やれやれ。

斜め前に、裸で踊っても、十分様になりそうなきれいな女性がいて、彼女もぶ厚い衣装に耐えかねて熱い熱いとしきりに言うので、貴女なら、Pelada (裸)でソロで踊らせてくれるでしょうに。何で、こんな衣装を着なければならないの?と云ってやりました。彼女は、一人おいた向こう隣の男性(これもかなり美男)の方向に目を向けて、「一緒に出る為には、しょうがないでしょ」と云います。「彼、旦那?」と僕。 「そう」と彼女。それでは熱いくらい我慢するしかありませんね〜。
そのうち水売りの兄ちゃんが、「Agua gelada! (冷たい水だよう!)」と声張り上げて来ました。水売りは大繁盛です。前の美女は、旦那に水買もらって、がぶ飲み。オシッコが出たくなったらどうするんだろうと心配です。案の定、ものの10分も経たないうちに、彼女がオシッコに行きたいと云い始めました。トイレは近くにないし、例えあっても、とてもこの満員電車状態から抜け出しトイレに行くのは不可能です。周りの人が、漏らしちゃえと云います。そのうちに、彼女の「ああ漏れちゃった!」で、皆大笑い。美女は得ですね〜、もし僕がオシッコもらしたら、周りは鼻つまんで僕を睨んだことでしょうに……。 

ドドーン、ドドーン、パチパチと大きく花火。いよいよ僕らの出番です。周囲に緊張が走ります。進行係のおっちゃん、おばちゃんが、僕らの隊列の外側から必死に怒鳴ります。「列を乱すな!」 「もっと声を上げろ!」 「動け!」。のろまが列を乱したり、動きが悪ければ、チームは減点されます。皆、必死です。世紀の祭典の幕開けに緊張が爆発寸前! 後ろの方から、我が大和なでしこ隊の、低いけれど澄んで美しい歌声、そう、バスの中で僕が感激した天女の歌声が聞こえてきました。そして直ぐに、天女の声は周囲の大声に飲み込まれて行きました。
僕らバンデイランテス隊は強烈なライトと歓声を浴びながら、サンボードロモに突入して行きます。僕の前にゴム球のように、派手に飛び回り跳ね回る地元のおばちゃんが二人居て、すごいパワー。カメラマン達は、ゴム球おばちゃんをパチパチ狙い撮りしています。僕は体力の消耗を少なくする為、派手な動きはしないで、もっぱら肩を大きく揺すって、宝石箱と反対側の鳥の羽が派手に動くようにしました。そうすれば、体はそんなに動いていないのに、外目にはかなり派手に動いているように見えるはずと思ったからです。
強いライトが上方から照らされているので、観客、一人一人の表情は見えないけれど、我々と一体になって、サンバのリズムに皆が揺れているのが分かります。Mangueira! Mangueira! の声援も聞えます。審査員席の近くでは、皆ひと際激しく動き、声を張り上げ、そして次第に出口に近づいて行く。歓声は徐々に後側に移り、やがて我々にねぎらいの声、Obrigadoが飛んでくる。僕が日本人と分かると、Obrigadoがアリガトーに変わり、労ってくれます。親指を立てた握手も沢山交わしました。
漸くあたりが静かになり、鬘(かつら)を脱ぐと、夜風が頭の芯まで沁みて何とも心地よい。笑顔、笑顔、又、笑顔。仲間は皆、満足感で満たされている様子です。僕が倒れたら、介抱してくれるはずだった老人介護専門員のMさんも居ます。「ぶっ倒れなくて残念 ! 貴女に介護してもらいたかったのに!」と云うと、「わたしも残念!」とすかさず彼女の切り返し。「うう〜ん、まいった〜」。一本とられた感じです。 
ホテルに戻り、未だ閉店中のレストランから、特別に頼んでビールを出してもらって、皆で乾杯。僕らのカーニバル2009の幕を、無事満足感に浸りながら閉じることになりました。

Sou o cara do povo, Mangueira 
Eterna paixão
A voz do samba é verde e rosa
E nem cabe explicação

俺達マンゲイラは永遠の情熱だ!
サンバの声は、緑にばら色。 
えっ? 何故だ? そんなこと知るもんか!!

2009年吉日 (70過ぎても元気いっぱい情熱いっぱい伊豆山康夫)


(コメント集)
和田:伊豆山 さん
お便り有難う御座います。カーニバル体験記、写真と全文を下記BLOGに転載させて頂きました。
週末にでも最初の写真を使用して『私たちの40年!!』の寄稿集に収録させて頂く積りです。
尚BLOGでは5000文字までの制約があり2回に分けての掲載と成っています。
出たぞ! リオのカーニバル −この感動をあなたに− 伊豆山さんからのお便りが届きました。
http://blogs.yahoo.co.jp/yoshijiwada2/3987597.html
http://blogs.yahoo.co.jp/yoshijiwada2/3987673.html

菅間:伊豆山さん
お久しぶりです。菅間です。
一年経つのは早いですね。昨年のカーニバルからあっという間ですね。昔の仲間に転送しておきます。

伊豆山:菅間さん
返事が遅れました。 申し訳ありません。
菅間さんのお陰で、ルカさんにお会い出来ましたが、又、懐かしい昔の仲間と会える日を楽しみにしています。

大内:伊豆山先輩
お久しぶりです。KWV平成3年卒の大内です。70歳を過ぎてリオのカーニバルに参加とはすごいですね。私も先輩のパワーにあやかりたいものです。

伊豆山:大内さん
応援メッセージありがとうございます。
お互いにワンゲルで足腰鍛えていますから、大丈夫です。
12月5日(土)に、KWV OBの イヤーエンドパーティーをやるそうですよ。
幹事はS54年卒の石倉さんとのことです。

赤嶺:<長編なれど 退屈させず!>
伊豆山さんの手になる全く久し振りの長編<リオのカーニバルへの参戦記>(小生が勝手につけた仮題)を退屈せずに楽しく1挙に読み終えました。本業の会社経営に没頭しながら、こういうお遊び、いや、生活をより豊かにする努力とか、心掛けと言い直しますか、そういう事柄にかけては、誰にもヒケを取らないある一定の水準に達したと思しき粋人に相応しい大変リズミカルな文章だと思いました。Bumba誌の編集長である細川多美子女史の厳しいチェックのお手も多少は入っているのでしょうが、最も基本的な<文は、人(柄)なり>の印象を充分に漂わせているな、と感じさせてくれました。
小生は、すでにお知らせいたしましたように、いつも午前5時半ごろでしょうか、起きがてらに、これまで折角のご厚誼ご交際を賜りながら、幽明境を異にしてしまわれた方々のご冥福をお祈りしながら、黙祷を捧げていて、その中に、伊豆山さんの今は亡き敏子お母様や玲子令夫人のお名前も御座いますが、今後は「ほれこの通り、ご主人は、日々の生活の中で、仕事並に、或いは、それ以上に、しっかりと抜け目なくエンジョイすることを忘れていませんよ!」と、お伝えさせていただこうかな、と、目下思案投げ首しているところであります。

伊豆山:赤嶺さん
ご講評、恐れ入ります。 何時も、法要を頂きありがとうございます。
後期高齢者にもかかわらず。 こんな馬鹿やっていられるのは、馬鹿やってるお陰かも知れないと、自分で勝手に、馬鹿の理由付けにしています。 (赤嶺さんのおっしゃるように、道楽はほどほどにしないと、会社潰しますね。)
多美子さんから、半分に縮めて欲しいと云われましたが、これ以上
縮めると(既に三分の一はカットしてあります。)云いたいことが云えなくなると、応じませんでした。
ただ、紙がもったいないから、雑誌には載せないで、Webだけに掲載するようにとは提案させてもらいました。



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