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移民乗船記念碑 神戸港で建立除幕式 海外移住史を後世に 日伯関係者ら300人出席【ニッケイ新聞2001年5月5日より転載】
私たちが1962年4月2日に神戸港をあるぜんちな丸第12次航として南米に移住してきましたが、5月12日のサンパウロにおける四十周年の集いの席上、同船者の一人窪津章さんご夫妻(岡山県出身)が【2001年5月5日付けのニッケイ新聞】を持参してこられ昨年の4月28日に行われた移民乗船記念碑の除幕式にご夫婦で60余名の慶祝祝賀団の一員として参加されたとのお話を伺いました。除幕式直後に撮られた写真と共にお借りした新聞のニュースを皆さんとも共有したいとの気持ちで転載させて戴きました。窪津さん有難う御座います。



【東京支社】神戸港は、人や文化、物流の窓口であると同時に日本を代表する海外移民の基地であった。そのシンボル神戸港移民中汚染記念碑は、まさに神戸市民をはじめとする日本人が力をあわせての建立となった。海外へ旅立った移民と移住国で活躍する日系人とをつなぐ深い絆。「心の証」の像ともいえよう。
四月二八日。序幕式典開始前、神戸メリケンパークにある神戸海洋博物館のホールでは、海外からの慶祝・使節団の歓迎会が笹山神戸市長ら列席のもとで催された。
神戸港乗船記念碑実行委員会の平田幸廣会長は、「私は一九七七年から四年間、社用でサンパウロに駐在していました。ブラジルにゆかりのある人間で、この記念碑を立派に完成しなければと心に定めて努力してきました」と挨拶。  
昨年の訪伯の折、サントスの上陸記念碑を見ての感銘を語った。
「実行委員会は本日の除幕式を持って解散しますが、移住センターの保存というもう一つの課題があります。海外の皆様からも引き続きご声援をお願いしたいと思います」と言葉を結んだ。
使節団代表としてブラジル日本文化協会・岩崎秀雄会長、ブラジル日本都道府県人会連合会・西谷博会長、ブラジル兵庫県人会長・尾西貞夫会長、アントニオ上野氏が挨拶にたった。
歓迎会につづき、午後五時二十分。記念碑が建つ神戸港メリケンパーク南端の会場で除幕式典が挙行された。
3百人を越す参列者の中にはブラジルからの出席者六十余名の姿があった。
「この記念碑は、実行委員会が中心となって市民団体に広く呼びかけて実現したものでございます。本日の除幕式には遠くブラジル、アメリカ、パラグアイなどからも日系人の皆様がご参加いただいております。
潮風に司会者の声が乗る。実行委員会・平田幸廣会長の感謝の辞。兵庫県・貝原俊民知事、神戸市・笹山幸俊市長の祝辞が続くなか、薄い雲のなかを夕日が傾いて行く。
九十三年前の一九〇八年四月二八日、第一回ブラジル移民七八一人と自由移民を乗せた「笠戸丸」は、午後五時五十五分神戸港を出港した。同時刻が、刻々と近づいている。 
間もなく神戸港に停泊する汽船の汽笛が鳴りわたった。五時五十五分、紅白の幕が落とされた。
新天地へ向かう若い夫婦と男児の家族像が、柔らかな夕日をあびてあらわれと、大きな拍手に包まれた。
記念碑の説明パネルの陶板には、移民船のシンボルとして一九〇八年当時の「笠戸丸」復元画が焼き付けられている。作者は船舶画家の第1人者野上隼夫氏。また神戸と移民の関係、移民略史も記されている。
除幕式終了後、六時十五分から神戸海洋博物館エントランスホールでレセプションが催された。同館内で、四月二九日より五月三十一日まで、移住関係の写真展も開催されている。

昭和初期移民モデルに製作者の菊川さん語る。
移民乗船記念碑の「移住家族像」の製作者菊川晋久さんは、「二〇〇〇年一月八日だったと思います。実行委員会から二名の方が訪ねてこられたのです」と、制作へのかかわりについて語った。
神戸港乗船者記念像実行委員会は、兵庫県、特に神戸市で具象彫刻をしている彫刻家の中から三人を選考しコンペ(競技設計)を行った。「締め切りは二月二九日。約四五センチの小さな雛型(エスキース)を提出しました」三人のなかから菊川氏に決定した。
「明治初頭のハワイ移民から始まり、移民は各地に渡っています。そこには深い歴史があります。裸像による表現もありますが、服を着せた像となると、時代や季節によって服装が違いますから…」
菊川さんは、時代想定を多くの移民がブラジルヘ向かった昭和初期の十年までとし、季節を夏として構想を練った。当時の男性の服装は、カンカン帽(麦わらを固く編んだ夏用帽子)に三つボタンのスーツであったという。
「ブラジルから来た人によりますと、そんな帽子かぶっていなかった。ブラジルに行ってからかぶったけど、という人もいましたが、昭和初期はモダンで、特に港町神戸ではモダン帽子をかぶっていました。そんなことも考え、男性像を作りました。女性はひだつきのワンピースです」
ブラジルへの農業移民は、北米など他国と異なり、三人の労働力を持つ家族移住を原則とした。その歴史的事実などを踏まえて、今まさに外国に移民する若夫婦と子供の三体の家族像となった。
「男性像は、拳を握って新しい大地で開拓する決意を全身で表しています。一歩前に足をかけているのは新天地での船のタラップでもいいでしょう。女性像は共に働くということで一歩足を踏み出し、子供の肩に手をかけ、親子の愛情を表現しています。子供像には、親と共に行く水平線の彼方にある夢と希望を表しました。子孫繁栄、未来を考えて女児を加えて欲しかったとの声もありましたが…」
二〇〇〇年五月半ばから須磨区の自宅アトリエで制作が始まり、母子像が出来上がったのは二月、三月に父親像が出来、順次鋳造所へ搬入され、ブロンズ像に仕上げられた。
菊川さんはこの記念像をボランティアで制作した。記念像「移住家族」は、神戸港メリケンパークで、日本の海外移住の歴史と世界で活躍する日系人との絆について語りつづけることだろう。

平成14年6月17日タイプアップ 和田 好司




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