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【大束さんが客観的な視点から纏められた岸本伝】
日本学生海外移住連盟のメンバーを中心としたML『夢・ベテラン』(現「国際夢ネット21」)を主宰されている大束員昭さんが岸本晟さんに付いてお話を伺う形で纏められたのが掲題の【大束さんが客観的な視点から纏められた岸本伝】です。昨年末にメーリングリストに3回に渡り投稿されていましたので御本人の岸本さんに奥様との写真を送って頂き『私たちの40年!!』の寄稿集に収録させて頂く事にしました。
岸本さんは、兵庫県人会の副会長としても活躍されており『私たちの40年!!』寄稿集にも【「日本国定年退職者伯国移住計画案」アイデア提唱=伯国で悠悠自適な生活を=日本の年金生活者を呼ぼう】と云う寄稿が掲載されています。
岸本さんご夫妻の写真は一昨年日本移民100周年祭の神戸での祭典に参加後出雲大社に出掛けられた時に撮った写真だそうです。


岸本さんの転業(1):運命の転機
旧ML「夢・ベテラン」時代からのメンバーで、ブラジル農業界で着実な活躍をしておられた、岸本晟さんは、現在サンパウロで「岸本・整体・鍼灸治療院」を開業して14年目をむかえておられます。
そんな岸本さんに、なぜ、どのようにして、鍼灸師の道に転業されたのか、私はかねてからお尋ねしたいと思っていました。
最近の出稼ぎ帰国者への心配事などを話し合っていた時、『岸本さんはどのようにして鍼灸師の資格を取られたのですか? もしかして出稼ぎ帰国者などにも参考になりそうなので、ご迷惑にならない範囲内で聞かせていただけませんか』と、切り出したら、『鍼灸師の資格がそんなに簡単に取れると思ったら大まちがい』と言うきつ〜いお灸をすえられました。しかし、粘りに粘った末、もしも参考になるのならというご厚意で、色々お聞きすることが出来ましたので、ご本人のご了解の上、ご紹介することにします。
岸本さんは学生時代(1961)ブラジルの農業事情実習調査団に参加され、正味11ヶ月間、サンパウロ、パラナ、サンタカタリーナ、リオグランデ・ド・スール、ブラジリアと多岐にわたる調査をされて帰国。
大学(兵庫農科大)卒業後、さらに1年間園芸専門学校で勉強し、実習先の一つリオグランデ・ド・スール州ペロッタス市の山口長俊氏の姪にあたられ、南国鹿児島育ちの奥様と結婚されて移住(1965)と言うきわめて着実な性格、かつ幸運な方です。
移住されてからは、南伯組合の試験農場、野菜種会社(現・南米サカタ社の前身)の立ち上げ参加・品質改良担当、さらに新しい種会社の立ち上げ・技術担当役員などの他、日本語の専門書(2冊)、ブラジル人と共著でポルトガル語の専門書の発表など、ブラジル農業界に貢献度が高いことを認められ、国際協力事業団の優良移住者招待制度により訪日し、農業高校などでブラジル農業事情の講演をされたり、同じく国際協力事業団の要請でアマゾンのトメアス、カスタニアル、モンテアレグレの日本人入植地で有機農業の指導にあたっておられた等、まさに順風に帆を揚げたような活躍をされておられました。
そんなある日の夜中、1973年(33歳)、ご自分の運転する車が、雨の降るサンパウロ州アチバイア市近くの街道でスリップし、崖下に転落、奥さんは背骨の手術が必要な大きな事故を起こされました。
これが岸本さんにとっての運命の転機になったそうです。
岸本さんについては、グーグル・ブラジル語版で、「Akira Kishimoto」 で検索されると、沢山紹介がありますが、農業技師時代の著書「土壌管理と施肥」・栄養バランス・土壌改善・作物の健康の紹介
(ポ語): www.apiai.sp.gov.br/noticias/noticias.php?id=1549&tipo=1 があります。
次回は奥様の背骨骨折大手術のお話。
大束

岸本さんの転職(2):奥さんの手術から、鍼灸師への決意
岸本さんには、出稼ぎ帰国者に参考になるお話しだけをお聞きするという条件で、メール交信をはじめたのですが、話しが進むうちに、事故に会われた後の色々な幸運や慎重な人生設計のお話しなどをお聞き出来て、有益な情報も多いと判断して、詳しく収録します。
さて、岸本さん運転の車(フォルクス)は、1973年7月23日の夜中、帰宅途中でアチバイア市近くの国道走行中、突然の雨と強風にあおられてスリップし、崖下およそ3メートルくらいすべり落ちてしまいました。幸い、衝突も転覆もなかったので、岸本さんも、助手席に安全ベルトで縛られていた二人の息子さん(7歳と5歳)も怪我はなかったのですが、後部座席におられた奥さんは外傷はないものの背中に強い痛みを感じて、体を動かせない状態でした。
車のヘッドライトが点灯したままだったのが幸いして、直後に通りがかりのトラックが停ってくれて、運転手と助手(二人ともブラジル人)が様子を見におりてきてくれましたが、奥さんの痛みが激しいことと、雨と強い傾斜で足場が悪いことから、頑強な運転手が一人で奥さんをトラックまで担ぎ上げてくれました。後から分かったことですが、この一人で抱き上げて運び上げた方法が正しかったそうです。
運転手には岸本さんのお住まいの町ではなく、隣町のアチバイア市のサンタカーザ病院へ運ぶように依頼して、岸本さんはその場に息子さんたちと居残りました。
岸本さんは、その後、救急に駆けつけてくれた車で、息子さんたちと一緒にサンタカーザ病院に夜中の2時ごろ着きました。そこには岸本さん家族のかかりつけの医師、ナガヒロ山口整形外科医(下記注釈)が勤務していていましたが、当夜は出勤日でなかったのでサンパウロの自宅に電話したところ、早朝に駆けつけてくれて、背中の具合と痛み、両足が動く事を確認し、看護婦に処置を指示して、二日後の彼の出勤を待ちました。
診断は、事故時の強い前後の揺さぶりと、衝撃による胸推11番と12番の背骨が前後に食い込んでしまった症状で、骨折はないが手術以外には治す方法がないと告げられて、岸本さんは医師に全てをゆだねて、いかなる結果も受け入れる決意をして手術に立ち合われたそうです。
約2時間半に及んだ大手術は、背骨にドリルで穴を開け鋼鉄線で固定し、背骨の突起を折り取り背骨の横に埋め込み一つの背骨に成長するまでギブスで固めるもの。岸本さんの耳には、奥さんの背骨を器具で折り取る音が今でも記憶に残っているそうです。
手術後、病室に運び込まれて、まだ麻酔の効いている奥さんの頬を、医師は激しく叩いて意識を戻し、足を動かすことを命じたところ、両足が動いたのを確認し、手術が成功したことを告げられ、結果次第では半身不随になる大手術だったことを聞かされて、岸本さんは心から、感動と感謝に震えられたそうです。
6ヶ月間、胴体をギブスで固めてベッドに寝たきりの生活を続けられた奥さんは、長いリハビリ治療の後杖で歩けるまでに回復されたが、少し右足に痺れが残ったのと、倒れると一人で起き上がるのが困難なので、一人での外出は出来ませんが、家事は全てこなさるまで回復されました。
岸本さんは、この大事故で、精神的にも大変落ち込んだ生活をされていたそうですが、仕事は多忙を極めていたので、鍼灸師の道へ進もうと決心されるまでは時間がたちましたが、おおよそ下記のような要素があるそうです。
* 子供の頃から、按摩、マッサージ等をして人を癒すことに興味を持っていた
* 奥さんが、この事故と手術については、愚痴と泣き言を一口も発したことは無いこと
* 奥さんの回復後も、時おり右足と腰部に痛みが走る事があり、薬で一次しのぎをするのでなく、局部への血流を促し、酸素補給を良くするためのマッサージと鍼灸で治療が最も有効だった
* 農業指導の仕事は出張が多く、奥さんも歳を重ねるにつけて、痛みとか痺れが起こる頻度も多くなる傾向があったので、出来るだけ近くにいて痛みを分かち合いたかった
* 仕事で、ブラジル各地の農家を訪ねている間に、農業者が健康面においていろいろな問題を抱えていて、習い始めたばかりの鈴木式整体療法を試みたところ大変な好評を得たことで治療師の道を選択することが、奥さんのためになると考えられた
それらの縁で、鈴木式柔(やわら)整体療法を本格的に習得するため、1991年より当時の伯国東洋医学振興協会会長鈴木朝治先生に弟子入りをし、以後農業コンサルタント会社で生計を立てるかたわら、資格取得の長い奮闘が始まったのです。
努力が実って、1996年にサンパウロ市に現在の「岸本・整体・鍼灸治療院」を開設されたのである。結果的にはお弟子入りから、治療院開設まで5年間を要したが、経験医療なので、治療技術上達のため、その後も二人の先輩鍼灸師のところで研修を続けておられるところが、岸本さんの言う「甘いものではありません」と言う所以でしょう。
岸本さんは現在の整体・鍼灸師になっていなかったら途方にくれていたと思うと、治療師としてのバックボーンを作って頂いた故・鈴木朝治先生にはいつも感謝しておられる由。そして、そのお礼の心で、患者さんお一人お一人の診断と治療に心をこめられているそうです。さらに、九州帝大の故・原志免太郎博士のように、この種の職業の特徴である"生涯現役"で、後継者育成も含めて頑張りぬかれる決意とのお話しです。
「岸本・整体・鍼灸治療院」は他の二人の日系ブラジル人(代替療法師と婦人科医)と一緒の建物で患者さんへのサービスがし易い形を考えおられるそうです。
鍼灸・指圧の効用などについてはインターネット検索で詳しく調べることが出来ますが、「岸本・整体・鍼灸治療院」の専門分野は、頭痛、偏頭痛、寝違い、メニエル病、扁桃腺炎、肩の拘縮、五十肩、腱鞘炎、指と腕の痺れ、背骨の問題、腰痛、 前立腺肥大、坐骨神経痛、椎間板ヘルニア、膝痛、静脈瘤、こむらがえり、踵の痛み、イボ・魚の目、小児喘息、慢性疲労、繊維筋痛症、等です。
やはりグーグルブラジル語検索で Akira Kishimoto とインプットすると、
www.clinicamedicaquantica.com.br/acupuntura.php で、岸本さんのお写真入りで、「岸本・整体・鍼灸治療院」が紹介されています。    
注釈: ナガヒロ山口医師(当時34歳)は、岸本さんの学生時代の実習先引受人のお一人で、かつ岸本さんの移住引受人のリオグランデ・ド・スール州ペロッタス市の山口長俊氏の息子さんで、奥さんの従兄・妹にあたる人です。
次回は岸本さんが実際にたどってこられた資格取得の道のりを紹介
大束

岸本さんの転業(3・終り):資格取得の道のり
それでは最後に、岸本さんが歩まれた資格取得の道のりを教えていただきます。
1973年(33歳): スリップ事故
1988年:奥さんの介護と生計保障の両立を図る目標で、アグロラチーノ有限会社を設立、農業コンサルタントと有機肥料の販売を開始
1991年:農業コンサルタント業と平行して、当時の伯国東洋医学振興協会会長の鈴木朝治氏に師事し、鈴木式柔(やわら)整体療法を修得(2年間)
1992年12月:ANDEMO(伯国東洋医学振興協会)修了=鍼灸・マッサージ・指圧・整体・吸圧物理療法
1995年8月:リオ州立専門学校・ABACO聡伯院・鍼・指圧学校修了=リオ州公認の鍼・指圧資格取得
1996年8月:サンパウロ市ビラ・マリアナ区に「岸本・整体・鍼灸治療院」開設
2000年10月:中田定和氏のもとで、1ヵ年間和柔整体を研修
2000年12月:小渡良博氏が主管する鍼灸道場で1ヶ年の鍼灸研修
2009年末: 顧客数1.300人。
なお、岸本さんの追加情報では、
(1) 出稼ぎ帰国者で鍼灸師の資格取得に挑戦している人がいる話は聞いたことがある
(2) 公認資格取得の学校を卒業するには2年かかるが、仕事をしっかりと始めるには、技術を磨く期間を入れて、平均5年くらい
(3) ブラジル人は勿論、外国人でも永久滞在ビザがあり、ポル語力があれば取得は可能
(4) 目の不自由な人でも立派に自立している人もいる、
(5) 独立当初は出張治療も可能
岸本さんが卒業された ABACO Colegio Brasileiro de Apuncultura のホームページ:
www.abacocba.org.br/pages/home.asp

大束





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