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【奥アマゾンのマデイラーマモレ鉄道。】 荒木 昭次郎さんの寄稿が届きました。
産業開発青年隊の一員でブラジルではイタイプダムを始めブラジル各地のダム建設に携わって来られた文字通りのダム男、荒木昭次郎さんから現在建設中のボリビアとの国境地域の奥アマゾンのMADEIRA-MOMORE河のダム建設地の近くを走っていた鉄道(観光用に一部の路線を復活させる計画がある)の写真と共に『悪魔の鉄道』に付いて纏めた原稿を送って呉れました。
私も1963年の早稲田の大学生だった潜り移住者の時期にこの鉄道でブラジル側の終点、グジャラミリンまで旅した経験があり大変懐かしい地域です。その内、観光用の鉄道が敷設、動き出せば是非もう一度行って見たい土地です。
先年、荒木がお住みのベロオリゾンテを訪問させて頂きましたが、今年の5月に末娘がミナス州で結婚式を上げる予定になっておりまたお会い出来る機会があることから楽しみにしています。
写真は、荒木さんが送って呉れたポルト・ヴェリオの街にあるMADEIRA MAMORE鉄道の駅にある汽車です。歴史を感じさせますね。


和田さん、
アマゾン奥に建設されたマデイラ−マモレ鉄道について、その説明と写真も撮りましたので送付します。
駅周辺とか線路それに機関車、客車を整備中で、来年は観光用にサントアントニオまで往復する予定だそうです。
写真は機関車とポルトべーリョ駅周辺、それに1902年当時に外人宿舎に作られた給水塔です。

奥アマゾンのマデイラーマモレ鉄道。
このマデイラーマモレ鉄道は延長366キロ、別名「Ferrovia do Diabo ( 悪魔の鉄道)」 と呼ばれ、俗に枕木一本に一人の犠牲者を出したと言われる難工事でした。難工事といっても地形的とか技術的な問題ではなく、アマゾンの大自然の激しさで、マラリア、黄熱病、アメーバ赤痢の大病が猛威をふるい、それに労働条件、食事なども最悪で多くの死者と脱落者が出た事です。時にはインジオの襲撃で被害もでたようです。
では、なぜこのような所に鉄道が必要だったのか、以下に中隅氏の「悪魔の鉄道マデイラ・マモレ」と中武幹雄氏の「奥アマゾンの日系人」から一部引用いたします。
海を持たない内陸国は世界のどの国でも小国で、その歴史は悲劇的なところが多い。南米の内陸国はボリビアとパラグアイだが、両国の現状を見ると、海を持たない国の発展がいかに遅れるものであるかを如実に示している。ボリビアは1884年に唯一の海に面したアントファガスタン地方を隣国チリに奪われてしまい、海への出口を失ったボリビアは、アマゾン河を下って大西洋に出るルートを開くため必死の努力をする。
特にゴム景気の僥倖が見えてくる1860年代から、ブラジルとボリビアを結ぶゴム鉄道の建設を熱望していた。まだこの頃はアントファガスタン地方はボリビア領だったが、アマゾン低地のゴムをアンデスの天険を越えて太平洋に運び出すことは、当時の技術と道路事情ではまず不可能だった。
地理的に言っても、ボリビア領アマゾンであるベニ河、マドレ・デ・ディオス河沿岸のゴムは、そのまま河を下ってブラジル領のマデイラ河に出した方が早いのである。
マデイラ河はアマゾン河支流随一の大河で、河口マナウスから約1400キロのポルト・べーリョ(現ロンドニア州州都)までは比較的容易に航行出来るのだが。ポルト・ベーリョ上流6キロの地点にサント・アントニオ(現在ダム建設地点)の急流があって航行出来ない。更に上流になると次々に滝、急流、浅瀬が現れ小舟も通れない場所が続く。(サント・アントニオダム上流にはジラウダムも建設中)。
以上のような訳で鉄道建設を強行するわけです。が、内実は現アクレ州領有とか両国の政治的な駆け引きが強く影響されていたようです。
この鉄道工事にはペルー下りと云われる日本人も数人加わっていたようですが、名前などは未だ不明です。ですが1914年にボリビアはマデイラーマモレ鉄道の終点から、もう45キロの鉄道をリベラルタまで延長工事を行い、この時リベラルタ側の工事を請け負ったのは、日本人八木宣貞と言う日本の大学出で移民としてペルーに渡った、明治男の気質と気概を持った人だったそうです。
奥アマゾンはブラジル、ボリビアそれにペルーが隣接しており、ペルー下りと言われる日系人の子孫が5世、6世と繋がって、日系人の面影は全然ないそうですが、日本の苗字を持って日系人としての意識と誇りを持っているそうです。このように世界最大の森林と淡水の宝庫と言われる奥アマゾンは歴史的に日本とは細く永い繋がりがあります。

(コメント集)
荒木さん
懐かしいマデイラーマモレ鉄道の現在の写真を送って頂いて有難う。
私は、1963年にこのマデイラーマモレの鉄道に乗ってグジャラミリンまで行き川を渡りボリビア側のグヤラミリンからマラリア撲滅のためにDDTをまいて回る小船でリベラルタまでいきました。もう一度行って見たい青春の思い出が詰まっている地域です。




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