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【碓氷 茂】さんの生前の情報をお持ちの方はおられませんか? 内久根 節さんが知りたがっておられます。
『私たちの40年!!』ホームページを通じて長野県上田市にお住まいの内久根 節さんが何時も南米への移住者を送りだす移住監督官としてブラジル、アルゼンチン等に出向いておられた御尊父のお友達であった【碓氷 茂】さんの生前の情報をお持ちの方おられたら是非聞かせて欲しいとのご希望を寄せておられます。現在65歳になられている内久根さんが中学の頃のお話で時代と共に既に風化してしまっているかも知れませんがそれだけにもしやとの気持ちでこのホームページにお気持を寄せられたのではないかと思います。昔の話でインタネット等の資料として残っていない当時の話だけに情報収集は難しいとも思いますが、ブラジルへ移住して来られた方で移住監督官として同じ船でお世話になられた方が居られましたら是非ご一報下さい。お願いします。
写真は、内久根さんが送って下さった2009年度の上田市の「初雪」の写真です。
(注)その後内久根さんから碓氷 茂さんの写真を送って頂きましので差し替えて掲載させて頂きます。


上田市仁古田にお住みの内久根 節さんから下記お便りを頂きました。
「戦後の南米移民の協会に居て時には移民団長をされた碓氷茂さんという方の足跡を追っています。手掛かりがありましたら教えて下さい。

内久根 節 さま
お便り有難う御座います。
お尋ねの碓氷茂さんに付いて出来る範囲で調べて見ましたが消息を掴むことが出来ませんでした。碓井さんは現在ブラジルに住んでおられるのでしょうかそれとも日本に住んでおられるのでしょうか?
今後ともお手伝いしたいと思いますが、その手始めが掴めなくて困っています。もう少し詳細(何時頃、何処の県の移住者協会で活躍されていたか内久根さんとの繋がり等)が分かれば焦点が絞れるのですが。。。
今後ともどうぞ宜しく。
もし尋ね人として文と写真で『私たちの40年!!』の寄稿集、メーリングリスト、BLOG等掲載されると具体的な反応があるかも知れませんね。ホームページは現在156万回のアクセスを記録しております。
ご連絡お待ちしております。

ご丁寧に、ありがとうございました。
早速ですが、碓氷茂さんについて私が知っていることをお知らせします。
碓氷さんは長野県(現;佐久市)生れ、蚕業で全国的に名を馳せていた上田市に出来た「小県蚕業学校」から京都大学を卒業し、当時の拓務省に入りました。
当然のように満蒙開拓団の送り出しが仕事で、終戦直後には新潟市の現地事務所にいたようです。
戦後は、そのまま南米移民の仕事に就き、何度か移民船で現地まで行っておられました。
父と蚕業学校からの親友であったことから、帰国すると必ず我が家に来て1〜2泊。この時期に私は接点が持てたのです。
父と酒を酌み交わしながら、「ウルグァイが、パラグァイが・・」とか、ビニールに包んで持ち帰った土を見せて「この土は何の栽培に・・・」などと話すのを傍で聞いていました。
ですから、碓氷さんが来るのは待ち遠しく、来ると傍に張り付いて南米の話を聞きましたから、小さいながらにも南米は地球のどの辺りかを知ったし、世界の国々の名は南米から覚えました。
何年かして私が中学になろうとする時期は、群馬県の安中高校の校長になっていたと思います。
兎に角、人生のかなりが海外移住に関係したヒトですが、その接点以外のヒトとなり・移住の何をしたのか・その功罪は〜等など見えなかった碓氷さんの足跡を知りたいと思っているのですが。
急ぎません。もし少しでもお判りになりましたら、お手数ですが、お教え願いたく思っております。
   長野県上田市仁古田576−6
      内久根 節(うちくね たかし)拝
  ※この土地で生れ、大学以降は東京で、家族は東京に置いたまま一人帰って菜園をやっています。

内久根 節 さま
貴重な碓氷 茂さんの逸話を綴って頂き有難う御座います。公人として活躍された方ですので消息(思い出話し)をお持ちの方が多いのではないかと思いますが最近の検索に引っかかる新しい情報は見つからないようで残念です。御相談ですがこの内久根さんの文章を其の侭『私たちの40年!!』寄稿集に掲載させて頂き公開で皆さんに協力を願う事にしたいのですが御同意頂けるでしょうか?『私たちの40年!!』は現在146万回のアクセスがあり多くの方がアクセスして呉れており碓氷 茂さんを検索すると当然この欄が引っ掛かり目に停まるのではないかと思います。少し時間は掛かりますが確実な情報が寄せられるのではないかと期待出来ます。サンパウロにある邦字新聞に訪ね人的な記事にして頂いて公開調査をする方法もありますが、先ずは『私たちの40年!!』の寄稿集に掲載させて頂きたいと思います。
付きましては碓氷茂さん関係の写真がお手元にあれば提供頂きたいのですが。。。若し無ければ尋ね人(調査依頼)の内久根さんの近影か畑で仕事をしておられる写真を1枚提供して下さい。
宜しくお願いします。
(追伸)内久根さんは上田市にお住まいですか?先年上田市にお住みの上田勝繁さんを訪ね家のすぐ傍まで田圃があるお宅を訪問する機会がありました。早稲田の学生の時にも学友の三橋某の実家を訪問し数日泊めて貰い2度目の訪問でしたが新幹線の建設中でした。別所温泉の確か桂木別館の大きな部屋を取って貰い(1泊4万8千円で高いなと思いましたが某作家がこの部屋で小説某を書き挙げた部屋だとかの説明を受け女房が喜んでおり満足したのを覚えています)。信州の鎌倉と云われており沢山の御寺を訪問し徳川秀忠を困らせた真田幸村親子の活躍振りに夢を馳せました。小諸なる古城の畔、美しヶ原に牛と平和の鐘を見に行きました。大変懐かしい場所です。

いろいろご配慮を頂き、ありがとうございます。
早速ですが、私個人としては直ぐにでもお願いしたいところですが、ちょっとお待ち願いたいと思います。
と申しますのは、碓氷さんのご遺族の一人と連絡を取って、その方と相談してみたいと思います。
この方も、昨年初めて探し当てたのですが、お父さまの仕事について殆どご存知無かったようでして。
その方との相談ののち、必ず連絡させて頂きます。
  要用のみにて  内久根 拝

和田 様
今、そちらは何時でしょうか?
何かとご配慮いただき、ありがとうございます。
早速ですが、碓氷さんのお嬢さんと相談の結果、掲載を了解して頂きました。
前回も書いた内容に補足するかたちで、書かせて頂きます。
碓氷さんは、長野県(現;佐久市)生れ、蚕業で全国的に名を馳せていた上田市の「小県蚕業学校」から京都大学を卒業し、当時の拓務省に入りました。
当然のように満蒙開拓団の送り出しが仕事で、終戦まで新潟市の現地事務所にいたようです。
戦後後は、そのまま南米移民の仕事に就き、何度か移民船で現地まで行っておられ、ブラジルだけでなく南米各地に足を運んでいました。この時の肩書は「団長」だったように思います。
父と蚕業学校からの親友であったことから、帰国すると必ず我が家に来て1〜2泊。この時期に私は接点が持てたのです。
父と酒を酌み交わしながら、「ウルグァイが、パラグァイが・・」とか、ビニールに包んで持ち帰った土を見せて「この土は何の栽培に・・・」などと話すのを傍で聞いていました。
決して豪快という人では無く、朴訥というか寡黙というか素朴な感じで、相手に安心感を与える人でしたし、話し方も静かでありながら、引き込むような力を持っていました。そんな時、父はただただ「うんうん」と頷いて聞き入っていました。
ですから、碓氷さんが来るのは待ち遠しく、来ると傍に張り付いて南米の話を聞きましたから、小さいながらにも南米は地球のどの辺りかを知ったし、世界の国々の名は南米から覚えましたし、いつしか「大きくなったら南米に行こう」などと思うようになった思い出があります。
何年かして私が中学になろうとする時期は、群馬県の安中高校の校長になっていたと思います。
兎に角、人生のかなりが海外移住に関係したヒトですが、その接点以外の社会でのヒトとなり・移住の何をしたのか・その功績は〜等など
見えなかった碓氷さんの足跡を知りたいと思っているのですが。
だいぶ後のことですが、南米銀行(?)頭取をされた(この辺も記憶が曖昧で、間違っているかも知れません。申し訳ありません)宮坂さんという方と交流が続いていたようです。この宮坂さんのお宅が東京目黒区にあったそうです。
私ももう65歳になりましたから、碓氷さんをご存知の方も少ないでしょうが、ちょっとでも手掛かりがあればと願っています。
写真は、古いモノクロ写真がありますが、写真屋さんに持参してデータ化してお送りします。
〜 ☆ 〜 ☆ 〜 ☆ 〜 ☆ 〜 ☆ 〜 ☆
ケラ生態研究所 実践部
  主任研究員 内久根 節
長野県上田市郊外 野暮楽圃場内
     
   ⇒ ⇒ ⇒ これは私がシャレで名乗っている架空の団体名です。
   ケラとは、春先の田植え時期に現れるあの「おけら」です。
   このケラは、水面を泳ぐ・畦に穴を掘る・畦を登る・歩く・空中を飛ぶ
   しかし、大きな池は泳げない・トンネルは掘れない・岩は登れない・遠くまで歩けない・遠くには飛べない
   ことほど左様に、自慢するほどのことは出来ない。言い換えれば、「何をやっても中途半端」
   これは正しく、私自身では。
   というお粗末です。
追伸
上田に来られたことがお有りだそうですが、いつごろですか?新幹線建設中というと長野オリンピック直前ですね。
別所の桂木別館とは、今「桂荘」でしょうか。
なんだか、ご縁がありそうで・・・
今、戦国武将ブームで、幸村をはじめ真田一族は観光大使のような存在です。
私は、自分の田舎である上田に小屋を建てて菜園をやり、晴耕雨読を気取っていますが、なかなか本は開きませんし開いても根気が続かず数ページで眠くなる昨今です。
カミさん以下家族は東京で、一人気ままに暮らしています。もし機会がありましたら、どうぞご一報を。

内久根 さん
お手数を掛けました。再送有難う御座います。プロバイダーに連絡して9:03から11:19迄の間に届いていたメール5-6通が停電により忽然と消えてしまっており残っていないかCHKして貰いましたが一度落とすとプロバイダには残らないシステムに成っているとの事で救出不能でした。停電の前に内久根さんのメールを読み始めていたので助かりました。
ご遺族のお一人お嬢様の了解も得られたとの事すので初雪の写真と共に簡単な説明を付けて寄稿集にこれまでの交信を纏める形で収録させて頂くことにします。
出来るだけ早く作業をする積りですが2-3日お時間を下さい。
古い写真が出来上がればこの初雪の写真と取り替えたいと思いますので宜しくお願いします。
又日本でお会いする機会があればと願っております。

(コメント集)
内久根さん
GOOGLEのケノーベルから上田市エージェントがこのBLOGを見つけてリンクしてくれております。出来れば内久根さんが住んでおられる場所等をGOOGLEマップ等にリンクしておくと良いかも知れませんね。

しばらく音信不通で申し訳ありませんでした。
上田の内久根です。
ご相談申し上げている碓氷さんについて、氏の写真をとアドバイスして頂きながら時間ばかりが過ぎまして。
なかなか写真が見付からずに難儀しておりましたが、何とか一枚。
モノクロで縦4cmほどの写真でしたが、お送りします。
何年前のものか今では知る人が居ないのですが、後ろの家屋はご本人が訪ねた知人宅だそうです。
お手数をお掛けするばかりですが、なにとぞ宜しくお願いします。

今日は冬に逆戻りで朝から雪です。
数日前まで暖かい日が続き、その初日は気の早いヒバリが空高いところでさえずり、山あいではウグイスも鳴き方を練習していましたが、この数日は冷え込みそうです。

〜 ☆ 〜 ☆ 〜 ☆ 〜 ☆ 〜 ☆ 〜 ☆
ケラ生態研究所 実践部
主任研究員 内久根 節
長野県上田市郊外 野暮楽圃場内



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