HOME  HOME ExpoBrazil - Agaricus, herbs, propolis for health and beauty.  Nikkeybrasil  編集委員会  寄稿集目次  寄稿集目次  通信欄  通信欄  写真集  リンク集  準会員申込  em portugues




静岡の松田さんのお知らせから始まった徳力啓三さん、松村茂樹さんの話題提供と皆さんのご意見
静岡の松田さんが見られたテレビに徳力さんと松村さんがインタビュに答えブラジルでも東北地震の被災者を温かく引き受ける用意があるとの発言に移住と云う観点から問題を捉え、現在では被災者が安易にブラジルに移住する可能性はないしするべきでないとのご意見が飛び交いました。何時も物事を真正面から受け止め投げ返す倫理の人、徳力さんがこの問題に真剣に取り組み『私たちの40年!!』メーリングリストのメンバーの皆さんが呼応、メーリングリストの本髄とも云えるBATEPAPO(意見交換)が出来ました。皆さんの真摯な意見を取り纏めてHPに収録して置きたいと思います。まだまだ同じテーマでBATEPAPOが続くかと思いますが、今日までの所を掲載して置きます。
写真は、サンパウロの『私たちの40年!!』OFF会での徳力さんの写真を使用しました。ご意見を寄せて頂いた皆さんに感謝します。


徳力さん、松村さん 静岡の松田です。
今日午前中 日本のブラジル人向け TV局の番組の中で お二人のインタビューが放映されました。 先週末のインタビューでしょうか? 報告まで。
松田

松田さん ご連絡有難うございます。
5月18日、ブラジル日系協会(京野吉男会長)およびブラジル宮城県人会(中沢宏一会長)発起の「東日本大震災復興にブラジルの我々は何ができるか」の第2回意見交換会に参加しました。
徳力さんは持ち前の知識、経験を基に活発な意見を出しておられました。
日本への外国人観光客が激減したと報道されて心配していましたが、私が見た4月から5月の日本は華やかな桜やツツジの花と緑に燃える木々に囲まれた、美しい里でした。GW週だったのか、観光地は大勢の人出で車の渋滞も見られ、レストランもお店もお客さんが入っており、日本は元気だなと感じ、東日本は必ず立ち直る事を確信しました。ブラジルに帰って、友人、知
人に日本観光のPRをしています。
インタビューではこれからも続くであろう日本の地震に不安を抱いておられる方をブラジルは暖かく迎えて呉れるだろうと話しました。すでに、広大な土地と資源の多いブラジルには韓国、インド、中国の会社が続々と進出して来ています。日本も負けたらいけないと話しました。松村拝

松田様、松村さま
投稿拝見致しました。
大震災後2月たったら、世の中が何らかの形で変ってくるのではないかと、何となく考えておりましたが、NHKのニュースや日本から到着する月刊誌などみていると確かに 新しい考え方が出てきているように思います。又世界でも、福島の事故をみてこれではいけないという大反省をし、新たなエネルギー政策を決めている国も出てきました。当事国の日本だけがモタモタしている感じですが、当MLの皆様はどのように感じられておられますか。
私の見るところ考える所を添付にしてつけております。お暇な方は見てください。
松田さまはIPC・TVのインタビューを見られてどのような感じを受けられましたか。時たま会合が終わった後、話を聞きたいとのことでしたが、極短い時間であり、私は余り印象に残っていません。
確か現代の日本人がブラジルに移住しても、私たちの時代と違い、この国土でこの風土に馴染むことが出来るのだろうかという疑問を呈したはずです。
松村さんもおしゃっておられるように、ブラジルの方は、日本人を確かに暖かく受け入れて呉れるような気がします。移民100周年がすみ、日本人はブラジルでよく働き、日本人に任せておけばキチトやってくれるというような雰囲気は確かにあります。天災の多い、資源の少ない日本を出てブラジルの大地で、力一杯働きたいという若者がいるのであれば、私たち日系人も、諸手を挙げて受け入れ準備をするでしょう。
日本に出かけておられる方々の中にも、子供や孫のことを考えると、このまま 日本に留まるより、苦労があっても、ブラジルに戻りたいと言う考えがあるとも聞いております。何しろブラジルは伸び盛り、日本が停滞している間に国民 総生産も日本の半分位になり、これから10年もすると、横並びになることも 予想される時代です。ブラジルを見直す良い機会であります。
長くなりました。日本の中のブラジル日系人の日本の将来に関する見方などお教え頂くと有り難いです。徳力啓三

徳力様 松村さま
ブラジルサイドで話してた 受け入れに関しては 小生個人としては 共感しています。
しかし現在の日本では ブラジルへ移住を考える人は0%にちかいと 思います。
被災した人たちのなかに、国内で受け入先が 有るにもかかわらず 町の避難所から離れたがらない人がいるのが 現実です。
また 海外で老後をすごす計画をしているひとの 大半も生活費が安く、近い 東南アジアが主な対象の国々になってるみたいです。
日本はブラジルに住んでいる日系人には近い国でも 日本人には世界で一番遠い国 みたいです。 それに治安、交通、医療保険 その他、色々な面でのマイナス要素を考慮すると なかなか踏み切れない ハードルもあると思います。
私も32年 ブラジルに住み 今でも行ったり来たりする生活で ながい時は半年ブラジルに住み ブラジルも大好きですが 理性で判断すると まだまだ日本が住みやすいし 日本人の真の優しさ これは最高です。
日本人は元来心配性でいつも問題提議をしているので 外から見ると 色々な問題が見えますが、正反対の国民性のブラジルの方が深刻な問題を色々抱えてると小生は見ています。
小生も最終的にはブラジルへ帰ることになると思いますが、このまま日本に住んでも良いとも思っています。
私の様にブラジルと日本を行き来している者よりも 日本にずっと住んでいる方や富田さん、丸木さん みたいに ブラジルに住んでおられない方たちの客観的なご意見も お聞きしたいですね。   松田

丸木で〜す
終戦後に日本の戦災孤児をアマゾンに受け入れられたエリザベス・サンダース・ホームというのがありましたね。たしか、澤田大使夫人で三菱財閥創始者直系の方と記憶します。ここカナダのトロントでも東北地震津波による孤児を引き受けると申し出てる日本人(民宿を経営されてる僕の小学校の後輩)が居ます。全世界から、このような申し出が続出するといいですよね。オランダ系ブラジル人の家内も乗り気なのですが、生来優柔不断な僕のほうが躊躇してます。これを機会に、僕も消極的な性格を改めようかな・・・。

松田さま、松村さま,私たちの40年の皆様
松田さまの被災者のブラジルへの受け入れに関してご意見に敬意を表します。本当に日本人の考え方を深く洞察されております。
私はこの度の自然災害に対して日本人がとった行動に対し、驚嘆し、それにたいする心得えを、大人から子供まで充分持っている日本人のすごさをしみじみと感じております。やはり日本民族という人種は、自然と共に生き、自然の中に神を見つけ、災害事態を自然に受け入れる「くせ」をDNAの中にしまい込んでいるのですね。
これだけの大災害の最中にあって、復興を心より願い、民族としての力に 変えてゆくのですね。日本全国の人々が被災者と同じように、自分もその中に入り込み、苦しみを分かち合う姿は、見ていても実にたのもしい。小さな子供までが募金にはげみ、皆さんがそれに答えておられる。
この大苦難を通じて日本人は今までちょっとばかり贅沢をしすぎたから、一段と身を引き締めていこうとしているように見受けられます。ブラジルの様に自然災害の少ない国から、救済の手を差し伸べようとしても、それは結果的に救済にならず、かえって故郷を離れ、地球の裏側で人生を作りなおす愚をすすめるようなものになると思われます。
松田さんが指摘されておられるように、日本の凄さとうのは、はやり日本
人の持つ心のやさしさにあるのではないでしょうか。日本特有の文化、四季の香り、自然の麗しさ、桜の花吹雪ひとつをとってみても、それに勝る景色はありえないと日本人は考えているのではないでしょうか。
お金では買えないものが日本には一杯ありますね。人々の暖かさ、皆が仲良くお互いに譲り合いながら、質素にそれでありながら心豊かに過ごす術を知っている。西洋文化から生まれた弱肉強食、金銭至上主義、お金を集める資本主義、平等を謳いながら格差の大きい共産主義、どれとも 反する日本の文化をなんと呼べばよいのでしょうか。
資源の豊かなブラジルには、日本にあるものが何もないのかしれません。
少なくとも、定年退職されてた方々が、この国ではすごせません。日系人が 何ぼ頑張っても、日本に住む日本人のもつ細やかさ、日本人のお互いを
思いやる心には、到底達せるものではありません。
ブラジルに日本人を受け入れる最大の功徳は、多分ブラジルの大地と緑を 生かした食糧生産をすることぐらいでしょう。アメリカ人も中国人も一生懸命ブラジルに入ろうとして努力しています。日本人もこの点では頑張らないと いけないのではないでしょうか。しかしそのような事は、極一部の企業家が 来れば済むことで、個人としての日本人が国を離れてするべきことではない のですね。
何が起ころうと日本人はやっぱり日本に住むべきと、松田さんのご意見を読みながら、私はそれを感じました。それが幸せというものかもしれませんネ。
カナダ、メキシコ、オランダ゛にお住まいの方々のご意見を是非ともお聞きしたい。
日本にお住まいの方も、改めて日本人を語って下さい。楽しみに待っております。 徳力啓三

和田さん、私たちの40年の皆さん オランダからです。
私も日本が災害でメチャメチャなので他の国に住むというのは、もっとメチャクチャ
だと思いました。
日本から出て他の国に行くのには、それぞれの思い入れがあって出るのであって
それがあるから、頑張れるのです。
どこの国にも利点欠点があり、カルチャーがあり、言葉があり、常識があります。
日本で通る常識も、他の国では通用しないことも多々あります。
災害にあい何もないところからの出発は大変ですが、カルチャー、言葉、日本の常識はすでにもっています。
オランダに何十年も住んでいる人でも、年老いて日本に帰っていく人もいます。
日本で生まれ、育った人間はやはり日本に根っこを置いてきているのです。
震災に関係なく、行きたかったのでこのさい思い切ってという人は別ですが、
私には勧められません。
あや子

あや子さん 私も同感です。
日本、日本人、日本人の思いやり、これがあるからこその日本で、私は、そんな日本を嫌い、離れようとする日本人がいるとは思えません。それはすでに外国人です。
中米のパナマに駐在しているとき、たまにメキシコに出張し、日航機が日の丸を尾翼に輝かせ駐機しているのを見るだけで、なみだが出てきました。ようしがんばろう。日本人だから。はずかしくないように。と思いました。
自分のためでない、みんなのために、それが最後は自分に巡ってくると思い奮い立たせました。
東北の人たちを見て、それを思いました。たぶん、中国、韓国、ロシアもそれを見て、日本政府はあなどれても日本人がいるかぎり、滅多なことで手出しは
できないなと思い知ったと思います。
憂きことのなおこの上に積もれかし限りある身の力試めさん
です。

内田さん
お久ぶりです。
>憂きことのなおこの上に積もれかし限りある身の力試めさん
>です。
儒学者 熊沢蕃山 のことば。
私は知りませんでしたので、勉強させてもらいました。
弓道を極めている内田さんらしい!
こういう心意気でいれば、何かが起こっても毅然として立ち向かえるのでしょう。
海外に見せた日本人の災害後の態度、誇りに思います。
あや子

あや子さん こんにちは。
この短歌は、私の住んでいるふるさとである神戸市東灘区住吉が
昭和13年(1938)7月5日に、阪神大水害といわれる河川の大氾濫で当時の
武庫郡住吉村の横田村長が、村民に向けて呼びかけた復興の、さあ、がんばろう、のビラのなかにあり、初めて知りました。
また、その後、新戸部稲造の「武士道」にも英文で紹介されていることを知りました。
武士の矜持、責任感、自己鍛錬などがすべて奉公のためであり、だからこそ、この短歌のように鍛えているのだという主旨でした。
熊沢蕃山のことばとは、あや子さんのメールで知りました。有難う。
横田村長の呼びかけ、村の職員、被災村民がこの武士の矜持を理解し必死で復興にあたったものです。7年後、第2次世界大戦で、また大空襲でやられ、また、阪神大震災でも、やられましたが、みんな、人のせいにせず、自分でできる事をやり、がんばりました。
東北の被災者に、それを見ます。本当に日本人って、すてきです。子供たちにもきっとこの矜持、心の持ち方を引きついていきたいと思っています。
内田雅夫

あや子さんの後に続いて、私の意見を送ります。
アメリカ北カリフォルニアに19年、オランダに12年住んでいますが
私もあや子さんの意見と同じように、震災から逃げる形での他国への移住は
お勧めできません。
移住して、新しい国に根をおろすと言うことは、その国に信頼できる人がいるからやっとこさ出来ると私は思います。
言葉の壁、異文化や習慣になれるまでの経済的サポート、、、
被災地から日本国内の他の地で、根を張るより、しなくてもよい苦労がうん十倍もあると思います。 そしてその苦労をしてもまわりに家族や友人がいない老後の生活より、海外に出る理由がないのなら日本で踏ん張って復興された方が実りが多いような気がします。
海外移住できる人は、それなりの運命を背負って生きているという気がしています。
一人でも気丈に新地で人生を切り開けることに生き甲斐をもてるそうゆう性格の持ち主でない限り、海外移住は、とても大変なことです。
若ければ若いほど、教育機関を通じて、土地の友人や人間関係も深めることが出来ると思いますが年をとってからの移住は、想像する以上に、難しいことです。
「住めば都」というのは、 自分の心で、 「自分の都」に出来たものだけが
味あうことが出来る、満足感だと思います。
日本は今、新しい姿に脱皮して、日本らしく日本人らしく、もう一度出直せる機会です。
頑張りましょう、過去の価値観を変えることで  「心の都」に住むことが出来るのではないでしょうか。
価値観は、変えることが出来ます、 変えないと復興は時間がかかりすぎます。
新しい価値観を持つことで、 「今を生きていること」が喜びとなるのではないでしょうか。
地球上で逃げられる場所はないのです、どこに住んでも、自分の人生を生きることからは
逃げられません。 オランダより、ゴーエン千葉香織

オランダのあや子さん香織さんの移住に対するご意見は、御尤もで私も同感です。移住と云う人生の選択は、各個人により大きく違うもので私達のあるぜんちな丸第12次航の同船者681名の内3分の1に当たる200数十名は1962年当時15歳以下でした。移住が自由意思で認められたのは18歳以上で北海道から来た藤岡君が最年少の18歳でした。それ以下の皆さんはご自分の意思で移住して来たのでなく御家族(家長の選択)で移住して来られた訳でです。
現在の若者にはこの移住と云う選択肢どころか海外が存在する事すら認められ難いご時世とか。最近では商社に勤めても海外勤務は嫌だとか云う若者も多いとのことです。
我々の頃は、各大学に海外移住研究会などと泥臭いサークルが存在し【俺も行くから君も行け、狭い日本に住み飽きた。シナには4石の民が待つ】とか歌っていました。
拓殖大学と云う立派な建学の精神を持つ元気のある拓大が現在も存続していると思うのですが、拓殖大学の移住研究会OBの会の事務局長を自認してお世話をしておられる井川 實さんに是非昨今の拓大気質がどう変動して来ているのか最近の若者の物の考え方等に付いて教えて貰いたいですね。

和田様
 ごぶさたですみません。小生このところ『駄作三昧』の世界に穴籠り状態ですが、皆様のメールはすべて拝読しています。
 このたび「いまどきの若者の移住観」についてコメントせよとのご指名をいただき、いくつか所感を述べさせていただくことにします。
 1.50年前の沸き立つような海外移住熱は、いま日本のどこを探しても、かけらも見つからないと思われます。
   私の母校拓大から海外移住研究会が無くなってからもう30年になります。
   去る5月22日横浜で「日本学生移住連盟OB会発足式」に出席した際、日大と東京農大および
   北九大の学生さんたちが来てくれましたので、いろいろ話しましたが、
   「海外移住や海外での活動についてはみんな興味をもっていますが、海外へ移住したいと思ってい
   る者は一人もいません」ということでした。
 2.一般的に今年の大学卒業者の就職は困難を極め、一人の学生が100社もの企業の入社試験をうけ  ても内定が取れない、という状況ですが、それでも外国の企業を受験したり、海外へ移住する人はいないようです。多分外国の一流会社を受験するだけの語学力が不足しているためでもあるでしょうが、それよりも、「安全・安心・安易」を求める若者がほとんどで、冒険を指向する若者は皆無なのではないでしょうか?
 3.しかし、一部中国や韓国の企業が日本の優秀な技術系の学生を採用する努力をしている、という情報はあります。
   もしかして、あまり望ましいことではありませんが、近い将来、わが国の若者は、「自ら望むのではなく、国内に就職口がないために、海外へ就職・移住する」ようなことになるのでは・・・?
 4.日本学生移住連盟OB会が生まれたので、和田さんや富田さんのような移住経験豊富な先輩方のアドバイスをいただき、日本の学生達にもっと広い世界への飛躍を勧めたり、移住を支援したりするようになればよい、と期待しています。
 以上、大変お粗末な報告ですが、あくまでも小生の所感として述べさせていただきました。
 皆さま、ごきげんよろしく・・!
井川 實拝      

井川 さん
想像していた通りの最近の若者像ですね。移住といった泥臭い言葉は使用しないにしてももう少し若い人たちに夢を持って欲しいというより持たせて遣りたいと思うのですが、いらぬお節介なのでしょうかね。そうは云っても我々の同船者の代表格の一人鹿児島県人会長(県連会長も兼務)の園田昭憲さんは、現在も私財を注ぎ込み毎年鹿児島県から実習生(昔は全額彼が支給していた研修生)を数名呼び寄せて日伯の架け橋となる人材を養成しており、サンパウロ新聞の鈴木編集長が推進しているNPOチャレンジ・ブラジル(ブラジル留学をサポート) 運動(日本ではサンパウロ新聞社の福岡支局長の吉永拓哉記者が責任者)、軸足をブラジルに移したブラジル日本交流協会の実習研修生受け入れ制度等、地味な仕事を通じて幾らかでもブラジルに関心を持ちブラジルで若い時期に生活して見たいと望む青年たちにチャンスを与える活動が続いているのも事実でこの灯は消さずに続けて行って欲しいものと願っています。
執筆三昧の生活との事、少しだけでもこの『私たちの40年!!』メーリングリストにも投稿頂けると大変嬉しいです。

私たちの40年の皆様
  徳力です。沢山の方々のご意見有難う御座いました。
 「被災者の方々をブラジルが受け入れればいかなるか」という松田さまのご意見から始まった今週の話題、オランダにお住まいの素晴らしき女性 ゴーエンさんとあや子さんによって
震災を受けた方々を他国に移り住まわせることは「めちゃめちゃ」な考え方と指摘うけました。
やっぱり移住とは、自分の意思で自分の意思達成のために蛮勇を奮って自分の人生をかけることと定義されているようですね。
 和田さんによるとアルゼンチナ丸第12次航には15歳以下の方が681名中200数十名、自分の自由意思で移り住んだのではないとのこと、また井川さまによると、現在の日本の若者の中には、自分の意思で海外に住みたい、活躍したいと思うものは皆無であると断言されております。
 日本人は「我に七難八苦を与えたまえ」とか言って、苦難にはめっぽう強くできているようです。内田さんの「憂きことの尚この上に積もれかし限りある身の力試さん」にもやはり、武士道における心の置き方が示されているように思います。与えられた環境の中で最大の力を発揮し、滅私奉公させたら日本人の右に出る民族はないと思います。
 どのような苦しみにも耐え抜ける素質を持った日本人はもういないのでしょうか。今世界で活躍している若い人たちを見るにつけ、やっぱり日本人だと思わず叫ぶことがありませんか。
 40年から50年前、海外を目指した日本の青年たちはどれだけいたでしょうか。和田さんやメキシコの富田さまも関係されていた日本学生海外移住連盟には、大よそ65大学/で約2000名ほどの学生が参加していたと推定されています。大よそですが、一学年20万、4年制でざーと計算して80万人、海外雄飛と騒がれた時代でも0.250%、(4000人に一人位)、その中で実際に海外移住をした人は多く見ても400〜500位と私は想像しています。0.025%(4万に一人)では数字にもなりません。戦後の移住者数は6000万の全人口で6万程度ですから、0.001%位のものでしょう。(1万人に一人の割合) 
 あの当時でさえがこんな数字でした。今ならばもっと少ないはずです。もともと故郷を離れることの嫌いな日本民族です。今更海外移住を薦めようとすることこそ大きな誤りがあるものと思います。
 しかしながら、ゴーエンさんにしても心優しきあや子さんにしても、素敵な勇気を奮い起こし、海外生活を「我が都」となさっているではありませんか。丸木さんにしても富田さんにしてもまたブラジルにお住まいになっている方々を一把一絡げにしては申し訳ありませんが、それぞれが己の移住人生に大きな誇りをもっていらしゃるとお見受けてしています。
 チャンスがあれば、10万人に1人か2人の日本人が海外に夢を求めて飛び出そうとしているはずです。被災者だけでなく、日本全体を覆う閉塞感を打ち破るためにも、私たち海外の生活の妙味を知っている者たちが、その手引きをする必要があるのではないでしょうか。
 私は小さい頃よりアマゾン移住を夢みて育ち、学校をでてからブラジルに渡り、既にブラジルで45年、その間2回に分けて約10年をアマゾンの開拓に従事しました。いまは若い方々が夢を追って海外で活躍されることを応援したいと常々考えています。日本人がより日本人らしくなるためには、やっぱり日本以外の国々で何年か暮らすことを勧めたく思います。
 震災後の日本の立ち上がりは、容易ではありません。50年前の日本には、戦後の立ち上がりという大きな目標があり、それにしゃにむに突入してゆきました。今は年老いた人が多くなり、贅沢が身につき、責任のがれをしようとする人が多くなったようです。やはり世界は広い、いたるところに青山ありと、海外に住む我々が語りかけようではありませんか。
皆様がたのご意見をお聞かせ下さい。                
                       2011年6月11日



アクセス数 7584580 Copyright 2002-2004 私たちの40年!! All rights reserved
Desenvolvido e mantido por AbraOn.
pagina gerada em 0.0229 segundos.