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麻生悌三のブラジル不思議発見 20 ブラジル植民地軍のアンゴラ奪回と100年間のブラジルによる統治
麻生さんのブラジル不思議発見7月号は、歴史ものでブラジル発見の1500年以後の世界の動き特に海運国のスペイン、ポルトガル、オランダ、イギリスの動きアフリカのアンゴラからの砂糖栽培に従事させる黒人奴隷の供給を目指しブラジルが宗主国のポルトガルの植民地のアンゴラに軍隊を派遣100年間も統治し奴隷を供給していたとは驚きの歴史です。
付録のバンデランテス探検隊のインヂオ狩りの話も大変面白くサンパウロ市内、イビラプエラ公園にあるバンデランテスの像の写真も送って呉れており写真はこれを使わせて貰う事にしました。
付録2の鷲掴みの語源とも云えるブラジルの猛禽類のオウギワシの話も面白いです。送って頂いた写真はBLOGの方に掲載して置きます。


ブラジル不思議発見 −20 ブラジル植民地軍のアンゴラ奪回と100年間のブラジルによる統治

ポルトガルがブラジルを発見した、70年後位から、砂糖栽培が勃興した。東北伯のレーシフェを中心とする、砂糖農場、輸出等は、ユダヤ商人の主導で始まった。1588年に
スペインの無敵艦隊がイギリスとの海戦で壊滅されて以来、海上の覇権は、オランダ、イギリスに移行されつつあった。 オランダはスペインの統治下にあったが、1566−1581年迄、独立戦争を戦い、1581年に独立した。一方、ポルトガルは、1580−1640年の80年間スペインと合体した。オランダにとって、スペインと組したポルトガルは、敵国となった。当時の大西洋貿易は、欧州からアフリカに物資を運び、奴隷を仕入れて、中南米に運び、帰路は砂糖を欧州に持ち帰る、三角貿易だった。オランダはこの砂糖と奴隷を手中に入れるべく、ブラジルのバイヤ州に1624年に侵攻し、1年後引き上げたが、1630年になると、オリンダ沖に70隻の艦船と7200名の兵士を集結し、上陸し州都レーシフェを占領し、1654年迄の24年間、マラニョン州まで占領を広げ統治した。一方、アンゴラは1490年にポルトガルが植民を開始した植民地で、奴隷の供給基地でもあった。1641年にオランダは侵攻し占領した。ブラジル(砂糖)とアンゴラ(奴隷)の2拠点を手中に入れた。困ったのはブラジルである。砂糖農園はオランダの統治下に置かれ、ドサクサ紛れに、奴隷の逃亡が相次ぎ、逃亡奴隷の部落、キロンボも増加した。その上、奴隷の供給源を押さえられて、奴隷も入ってこない。白人農場主にとっては、まさに、泣き面に蜂であった。 黒人奴隷の代わりに、インジオを捕獲して奴隷にする方法もある程度、効果があったが、農耕労働経験と体力のある、黒人には敵わなかった。インジオ奴隷の3倍の値段でも黒人が選ばれた。(狩猟採集民のインジオには労働経験もなく、共同作業を行う社会性も無かった)ブラジル植民者は本国のポルトガルに窮状を訴え、アンゴラ奪回を要請した。然し、ラチがあかず、ブラジル植民地軍(義勇軍)のアンゴラ侵攻作戦は支持したが、援助は資金も武器も兵力も与えなかった。当時、奴隷市場はサルヴァドールとリオデジャネイロが2大市場で奴隷商人が集まっていた。奴隷商人が鳩首会談の結果、植民地義勇軍を組織してアンゴラを自ら、奪回する、驚天動地の作戦を打ち出した。植民地義勇軍が大西洋を逆に越え、独力でアフリカの宗主国植民地を武力で奪うなどは、世界史に例がない。資金は奴隷商人のカンパで行い、義勇軍司令官はリオデジャネイロ州知事が就任した。
1645年5月8日、第1回アンゴラ派遣軍はリオから、リオ州知事フランシスコ ソウトの指揮のもと、5隻の艦船に300名の水兵、200名の兵士、若干のインジオ兵士を乗せて出帆した。又、サルヴァドールから、艦船4隻に200名の兵士(混血兵士が主体)が出帆した。第一陣はアンゴラの集落Quicombo郊外に上陸したが、早速、オランダと同盟した部族の攻撃を受ける。司令官フランシスコは1646年に毒殺されている。それでも、奴隷2千人をリオに連行して帰国した。2年後の1648年リオ州知事サルヴァドール サーを指揮官とする15隻の艦船と1200名の兵士が5月12日にリオを出帆した。事故、難破により、4隻減り、11隻がQuicomboに到着し、首都Luandaに進軍、8月12日にはオランダ守備隊と交戦し撃破。結局、6回に亘る、義勇軍の派兵により、1648年、ブラジルはアンゴラ奪回に成功した。オランダ軍により追われ、ゲリラ化したポルトガル人入植者が、ブラジル上陸軍を支援し、部隊を先導したのも勝利に繋がった。それから、約100年間、ブラジルによる、アンゴラ統治が行われた。1750年ポルトガルのアンゴラ再統治が、ブラジルの国内の政変に乗じて工作され、ポルトガルに移政され、1975年のアンゴラ独立まで続く。尚、オランダが占領していた東北伯は1654年にブラジルがオランダ軍を駆逐し旧に復した(オランダ軍との戦闘では、黒人との混血で編成した兵士が活躍し、アンゴラ侵攻にも加わった)。

付録 バンデイランテス探検隊
15−18世紀にかけて、ブラジルの主としてサンパウロ地方に入植した、ポルトガル人により組織された、民間組織で、代表一家の家紋の旗(ポ語で旗の意)を掲げた一団で
1580−1670年の90年間は、主として、インジオを捕獲し、奴隷に売り飛ばす、、
活動を行った私兵集団である。今日に於いても、サンパウロの主要ハイウエイの名に、バンデイランテスの名称を残している。ラポーゾタヴァレス、フェルナンジアス等は代表的なバンデイランテスの名称である。1670−1750年の80年間は、奥地の金を探して歩いた。ブラジルの奥地探検、領土拡大にも貢献は大きい。1570年から約1世紀、ブラジルの砂糖栽培は隆盛期で、アフリカの黒人奴隷の労働力に労働を依存していた。奴隷の供給源たるアンゴラをオランダに占領され、枯渇した労働力を補う為もあり、インジオを捕獲し黒人の代替え奴隷とした。元々、インジオは狩猟採集民で労働には不向きであったが、パラガイを中心として部族を形成していたガラニー族は、農耕経験もあり、社会性もあった。これに目を付けたバンデイランテスは大量に捕獲し、奴隷に転用を決めた。捕獲作業は敵対する部族ツピーを兵士として利用した。パラガイまでの道中には、中継基地も設け、農場を開き食糧の確保も計った。ガラニー族はイエズス会宣教師が主催する、教化部落で共同農耕生活を送っており、それを、襲撃、捕獲し、サンパウロまで連行し、南伯の農場に奴隷として売り飛ばした。この90年間に捕獲したガラニー族の数は30万人とも云われている。
最初は、無抵抗であったガラニー族も、余りの被害に、イエズス会の協力のもとに武装をはじめ、抵抗した。それに加え、パラガイ駐屯のスペイン軍もバンデイランテスに抗戦するようになり、やっと、インジオ奴隷狩りも沈静化し、ガラニー族は壊滅を免れた。バンデイランテスは白人子弟を将校に、中堅の下士官は混血がしめ、下級兵士は、ツピー族インジオと云う構成で数千人が一団となり、教化部落(ミッション)を襲撃した。
写真はイビラプエラ公園内のバンデイランテス記念碑

付録 = ジャングルの空の王者オウギワシ
メキシコからアルゼンチン北部のジャングルに猛禽類で最大かつ最強の鷲、オウギワシが生息する。英名はHarpy Eagle、ポ名はHarpia若しくは Gaviao Realと呼ばれる。オスの成鳥は体長約90cm、体重7−10kg、翼を広げると、長さ2,5mになる。重さ
10kg位の獲物を軽々と運び、23cmもある足の鋭い爪は中型の狼を殺傷する力がある猛禽類で屈強の鷲である。密林の木々の間を飛び、猿、ナマケモノ等を捕らえる。特に
ナマケモノの天敵で、木にかじり付くナマケモノを引っ剥がし、18mぐらい垂直に上昇し巣に運ぶ。放牧中の小型のヤギ、羊も餌食になる事もあり、腐肉をむさぼるコンドル等の猛禽類とは異なり、生きた動物を狩る、猛禽類最強の鷲である。わしずかみと云う言葉があるが、鷲の握力は強い。とくにこの鷲の握力は140kgあり、鋭い爪は獲物の筋肉を裂き、瞬時に致命傷を与える。
写真はオウギワシとつめ
2011年7月1日
麻生



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