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【希望大国ブラジル】 産経ニュースWEB版より(第2部)
2011年に入って日本でのブラジル関係の話題が特集として取り上げられているが、産経新聞の【希望大国ブラジル】は、現地取材を基にした読み応えのある連載として非常に評判がよい。現在第4部まで掲載されBLOGでも毎回転載させて頂きメ―リグリストでも流していますが、今回第2部を『私たちの40年!!』ホームページにも収録して置くことにしました。産経新聞の説明では『地球の反対側で興隆する大国、ブラジルの実像を伝える連載の第2部は農業や鉱業、石油といった資源をめぐる現状を報告する。』との事。日本が国力を注ぎ込み開発したセラード開発の結果は、その果実、恩恵は、そっくり中国に持って行かれその陰にコチア産業組合、南伯産業組合等を瓦解させ呑み込んでしまった事実も記載している。
写真は、『かつて不毛の大地だった「セラード地帯」。円形農地が並ぶ世界有数の穀倉地帯へ生まれ変わった=ブラジル・ミナスジェライス州』の説明文が付いている同紙の写真を使用しました。


第2部(1)不毛の大地を誇りに変えた セラード開発
航空機の窓から見下ろすと、巨大な円形の農地が地上絵のように、いくつも地平線まで続いていた。南米ブラジルの中央部、「セラード」と呼ばれる熱帯サバンナ地帯。灌漑されたまるい農地の一つ一つが、この国の「希望」を描いていた。
 首都ブラジリアから南へ180キロ。ゴイアス州の小さな町を訪ねた。上空から円形に見えた農地は直径860メートル。見渡す限り大豆の濃い緑の葉が風に揺れていた。まるい形をしているのは、灌漑用の大型機械が円の中心を軸に24時間でひと回りして散水するためだ。
 農場主の一人、オズマル・サルバラジオさん(44)は一家で東京ディズニーランドの15倍に当たる790ヘクタールの農地を耕し、主に大豆を栽培している。わが国の農家の平均農地は2・2ヘクタール。イタリア系の大柄なサルバラジオさんは「世界が必要としている食料を、わが手で生産していることを誇りに思う」と話した。
 BRICS(ブラジル、ロシア、インド、中国、南アフリカ共和国)と総称される新興国の一角、ブラジルの上昇を豊かな資源が支えている。特に農産物は、FAO(国連食糧農業機関)の2008年の生産統計によれば大豆が5924万トンと米国に次いで2位。サトウキビ、オレンジ、コーヒー豆は1位だ。
 「大豆王」と呼ばれる巨大農場主も各地に生まれ、バイア州西部の辺境地帯にある企業農場は4万3千ヘクタールの農地で大豆と綿花、トウモロコシを輪作し、年間に大豆2千万ドル(約16億円)、綿花1億4千万ドル(約114億円)を全世界へ輸出している。
 セラード地帯は2億400万ヘクタールと日本の5・5倍、ブラジル全土の24%をも占める。ポルトガル語で「閉ざされた」を意味するセラードは、かつて土壌と気候の問題から作物の育たぬ不毛の大地だった。希望の農地へと変えたのは、日本とブラジルが官民合同で行った国家プロジェクトだった。
 プロジェクトを担った日伯合弁の農業開発会社「カンポ」のエミリアノ・ボテリョ社長(63)はブラジリアの本社で「この地が日本の資金と技術で世界の穀倉地帯になったことはブラジルと日本の両国にとって誇りだ」と話した。
 37年前、不毛の大地に当時の田中角栄首相が降り立った。
「果実」はそっくり中国に
 1974(昭和49)年9月16日。田中角栄首相を乗せた日航特別機はブラジル上空を飛んでいた。眼下には不毛の大地セラードが広がっていた。
 セラード地帯の中央に位置する首都ブラジリアで、ガイゼル大統領と会談した田中首相は「広大な国土と豊富な資源のある貴国との提携を深め、資源の長期的、安定的な供給を確保したい」と持ちかけた。
 前年の73年、わが国は石油ショックと米国による大豆禁輸という2つの危機に見舞われ、田中首相は「資源外交」に乗り出した。訪伯直後に文藝春秋が掲載した2本の記事が発端となり金脈問題を追及され首相辞任に追い込まれたが、彼が敷いた路線は79年から2001年まで22年にわたった「日伯セラード農業開発協力事業」に結実した。
 わが国は、この事業によって7州21カ所で計34万5千ヘクタールの農地を造成し、灌漑を整備し、入植した717戸の農家を支援するため、投融資を実行した。融資は日伯で折半し、日本のODA(政府開発援助)は279億円に上った。さらに技術協力を行い、延べ115人の専門家を派遣した。セラード開発の生みの親であるアリソン・パウリネリ元農相(74)は「当時のわが国は米国の技術に頼らざるを得なかった。日本は必要とした人材を派遣し、精密度の高い器具を多数贈与して、長年にわたり協力してくれた」と話す。
強い酸性土壌
 セラードは有史以来、強い酸性土壌のため、見捨てられた土地だった。
 ミナスジェライス州のセラード地帯にあるカンポ社農業技術センターのジェラルド・リマ所長(50)によると、土壌のpH(ペーハー)濃度の理想は6程度であるのに対し、セラードは4・5から5。リマさんは「5より低いとアルミニウムの害が植物に現れる。小さな差のようだが作物の栽培には決定的な悪影響を及ぼす」と説明する。
 酸性を中和するため石灰を入れて土壌改良を施し、合わせて品種改良と、大型機械による灌漑を進めた。
 80年から3年間、栽培の専門家として農林水産省から派遣された岩田文男さん(79)は「われわれ以前に米国の大学院生らが研究に来ていたと聞いた」と振り返る。研究の結果、セラードで大豆を生産できることが分かったことから、未来のライバルとなるブラジルへ技術を与えないため引き揚げたという。
失われる森林
 「セラードでの大豆の増産分がそっくりそのまま中国へ輸出されている」
 伊藤忠ブラジル元社長で97年からカンポ社の日本側代表である副社長を07年まで務めた筒井茂樹さん(75)はこう指摘する。
 セラード地帯で生産される大豆は、75年の31万トンが09年は3682万トン。34年間で118倍に増え、ブラジル産大豆の6割を担うまでになった。
 ブラジルの大豆輸出は09年、2586万トンで米国に次ぎ2位。このうち中国向けが1594万トンと61%を占める。00年からの9年間で9倍近く増えた。中国は大豆を自給していたが、所得向上に伴って植物油や食肉の消費が急増し最大の輸入国となった。輸入量は97年の287万トンから09年は4255万トンまで増えた。
 筒井さんは「ブラジル一国が中国の食料危機を救っていると言える」と話す。
 中国への輸出が増えるとともに、セラード開発は90年代から世界最大の熱帯雨林、アマゾンの南部マトグロソ州などへ広がった。その結果、同州だけで97年から07年までに、ほぼ北海道の面積に相当する760万ヘクタールの森林が失われたという。
     ◇
 地球の反対側で興隆する大国、ブラジルの実像を伝える連載の第2部は農業や鉱業、石油といった資源をめぐる現状を報告する。

第2部(2)繁栄の陰に日系人の犠牲 セラード開発
「菊地農場 ファゼンダ・キクチ」という山吹色の看板が緑の大豆畑に立っていた。ブラジル中部ゴイアス州。不毛の大地を穀倉地帯へと変えたセラード開発で生まれた農場を訪ねた。日系2世の菊地アルトゥル良一さん(65)は「どうぞ。まずカフェを召し上がってください」と丁寧な日本語で出迎えた。
 両親は戦前に北海道から移民し南部パラナ州で農業を営んだ。9人の子供のうち男4人は1983年、ファゼンデイロ(農場主)を夢見てこの地へ来た。当初は780ヘクタールを所有したが、現在は300ヘクタールという。
 「10年ほど前にコーヒー相場が暴落し借金ができて土地を売らざるを得なかった。今年は大豆も綿も相場がよいので期待している」
 菊地さんは「そろそろ相場情報が始まるので」とテレビの衛星放送をつけた。出荷する大豆は「穀物メジャー」と呼ばれる欧米の穀物専門商社を通じ中国や米国へ輸出される。米シカゴの穀物相場は、菊地さん一家の生活に直結していた。
金利高騰に苦しむ
 農業移民だった日系人はセラード開発でも先駆けを務めた。中核は日系の農業協同組合「コチア産業組合」だった。戦前に日本移民が作り、戦後の最盛期には組合員1万5千人を数えた南米最大の農協だった。
 コチアと「スール・ブラジル農産組合」の日系2大農協はブラジル側の求めに応じ、組合員の子弟をセラードへ入植させた。80年代後半、ブラジル経済は物価上昇率が最高で年率2708%というハイパーインフレに見舞われた。日伯両政府などから融資を受けていた農家は、インフレに連動した金利高騰に苦しんだ。
 両政府からの融資を代行した銀行が実行をわざと遅らせ、市場で運用して金利を稼ぐ不正も横行したという。パウリネリ農相の特別補佐官として開発に携わった日系2世、山中イジドロさん(75)は「銀行の不正流用があったのは事実だ。だが、誰も責任を取らなかった」と証言する。
 日本人移民史「百年の水流」で知られるジャーナリスト、外山脩さん(69)によると、コチア、スール両農協は借金に苦しむ入植者のため、つなぎ融資のつもりで銀行融資を受けた。ところがこの金利もインフレで高騰し、両農協の財務は一気に悪化した。
 日系人の日本への出稼ぎも急増した。両農協は94年、他の理由も重なり相次ぎ解散した。外山さんは「日系社会の支えだった2大農協という『城』が落城した。セラード開発の陰には日系人の死屍累々のしかばねがある」と指摘する。繁栄は日系社会の犠牲の上に成り立っている。
金利高騰に苦しむ
 農業移民だった日系人はセラード開発でも先駆けを務めた。中核は日系の農業協同組合「コチア産業組合」だった。戦前に日本移民が作り、戦後の最盛期には組合員1万5千人を数えた南米最大の農協だった。
 コチアと「スール・ブラジル農産組合」の日系2大農協はブラジル側の求めに応じ、組合員の子弟をセラードへ入植させた。80年代後半、ブラジル経済は物価上昇率が最高で年率2708%というハイパーインフレに見舞われた。日伯両政府などから融資を受けていた農家は、インフレに連動した金利高騰に苦しんだ。
 両政府からの融資を代行した銀行が実行をわざと遅らせ、市場で運用して金利を稼ぐ不正も横行したという。パウリネリ農相の特別補佐官として開発に携わった日系2世、山中イジドロさん(75)は「銀行の不正流用があったのは事実だ。だが、誰も責任を取らなかった」と証言する。
 日本人移民史「百年の水流」で知られるジャーナリスト、外山脩さん(69)によると、コチア、スール両農協は借金に苦しむ入植者のため、つなぎ融資のつもりで銀行融資を受けた。ところがこの金利もインフレで高騰し、両農協の財務は一気に悪化した。
 日系人の日本への出稼ぎも急増した。両農協は94年、他の理由も重なり相次ぎ解散した。外山さんは「日系社会の支えだった2大農協という『城』が落城した。セラード開発の陰には日系人の死屍累々のしかばねがある」と指摘する。繁栄は日系社会の犠牲の上に成り立っている。
穀物メジャー支配
 菊地さん一家のように生き残った日系農家の中には、成功者も出た。セラード開発はブラジルを農業大国へと押し上げ、アグリビジネス(農業関連産業)は2008年、GDP(国内総生産)の26%を占め輸出総額の35%に上る。
 わが国はこんなにもセラード開発へ協力してきたのに、種や肥料、農薬の提供から輸出まで大豆市場を支配するのは穀物メジャーだ。大半の日本の商社はブラジル産大豆をシカゴの穀物市場で購入している。
 三井物産は07年、ブラジルで11万ヘクタールの大豆農場を持つ欧州のマルチグレイン社へ出資し、今年1月の追加出資で連結子会社化した。丸紅は09年、ブラジルの穀物大手アマーギと提携し、取引の半分はメジャーに頼らず直接買いつけている。
 丸紅が昨年、ブラジルでの穀物取引強化のため、現地トレーダーを雇用したところ、直後に中国の穀物企業が数倍の報酬を示してヘッドハンティングにきたという。

第2部(3)「土地なし農民運動」を訪ねて 農業大国もう一つの顔
柱は竹。屋根は黒いビニールシートをかぶせただけの、テントとも小屋ともいえぬ「住居」が数十棟並び、広場には赤い旗が翻っていた。ブラジル南部パラナ州の奥地。農地を持たない人々を組織して不在地主の遊休地を占拠する社会運動「土地なし農民運動(MST)」の野営地である。
 MSTは1984年、パラナ州で設立された。憲法の「あらゆる土地は生産活動に利用されなければならない」との条文を法的根拠に遊休地を占拠し、何年もかかる裁判闘争に訴える。勝訴すると国が強制的に買い上げ、占拠者たちへ借地権が分配される。
 2009年の時点でブラジル全27州のうち24州に組織され、四半世紀で37万家族が農地を得た。現在も13万家族が野営生活を送る。
 訪ねた野営地は「ホーチミン」と名づけられ、1年2カ月ほど前から70家族が占拠していた。80キロ余り離れた町のタイヤ整備工場で働いていたというアントニオ・ベナンシオさん(47)夫婦は、すえたにおいのする薄暗い「住居」で訴えた。
 「最低賃金ではこの年齢になっても農地を買えなかった。農地がほしい。土地があれば家も建てられる。安定した生活が送れる」
大地主が43%所有
 ブラジルは植民地時代の大土地所有が残り、ブラジル地理統計院の06年の統計によると農家の1%にすぎない大地主が全農地の43%を所有する。MSTに対しても、農場主が雇った自警団との衝突で占拠者が死亡する事件が後を絶たない。
 上智大学の田村梨花准教授(39)=ブラジル社会学=は「労働党政権はMSTを重要な支持母体としている。ルラ前大統領も大農の土地を小作人へ分配する農地改革を進めると約束したが、実際は大規模なアグリビジネス(農業関連産業)を支援してMSTの批判を招いた」と指摘する。
 今回訪ねたパラナ州サンジェロニモ地方のMST事務所。机に置かれたノートパソコンに、キューバ革命の英雄、チェ・ゲバラのシールが貼ってあった。
 指導者のルイス・サリスさん(43)は「労働党政権になってわれわれは警察の監視から外れ、国から支援もあったが、最終的には農地改革は進まなかった」とし、今年1月に就任したジルマ・ルセフ大統領についてこう述べた。
 「ジルマはわれわれをよく理解している。改革が進むことを期待している」
 ルセフ大統領は裕福な家庭に育ちながら「左翼の闘士」だった経歴を持つ。
進む大規模企業化
 不毛の大地を穀倉地帯へ変えたセラード開発には、わが国の戦後農地改革と同様、政治的安定のため保守的な自作農を増やす狙いもあったという。結果的には80年代後半からの経済混乱により小規模自作農は相次ぎ撤退した。残った農家がそれらの農地を買い増し、大規模企業化して輸出用大豆を大量生産している。
 MSTのサリスさんは「われわれは家族農業でブラジル人向けの食料を作っている。アグリビジネスのような遺伝子組み換え作物は作らず有機農業を心がけている」と話す。そこには世界で存在感を増す農業大国のもう一つの顔がある。
 ホーチミン野営地の近く、4年にわたる裁判で54家族が各12・5ヘクタールを得たばかりの植民地「ローザ・ルクセンブルク」を訪ねた。ロシア革命時代のドイツの女性革命家の名である。
 別の野営地と合わせ9年待ったというパトリシア・クルスさん(32)は、以前はサンパウロの会社員だった。野営地で生まれた長男、ブライアンちゃん(1)を抱き「希望だけが支えだった。コーヒーと米とフェイジョン豆とトウモロコシを植えたい。乳牛を飼いたい」と満面の笑みを浮かべた。

第2部(4)世界企業がなぜ沖縄に? 製油所買収のペトロブラス
沖縄県の小さな町にブラジルがあった。那覇市の東隣、西原町の海沿いにある製油所「南西石油」。2008年にブラジルの国営石油会社「ペトロブラス」が米エクソンモービル系の東燃ゼネラルから55億円で買収した。広大な製油所を訪ねると、黄と緑のブラジルカラーがあふれていた。
 南西石油は1972年操業。1日に最大10万バレル(1590万リットル)を生産する。珊瑚礁の海に年季の入った桟橋が延び、2隻のタンカーが停泊していた。
 社員160人のうちブラジル人は10人ほどで大半が日系人。広報責任者の日系2世、豊村ネルソンさん(46)がオレンジ色のつなぎ服姿で案内してくれた。ブラジルで超深海油田「プレサル」の生産基地を訪れた際、作業員が着ていたものと同じだ。「燃えにくい特殊素材を使っており本国から送ってもらう」という。
 環境安全課長の幸地伸さん(54)は沖縄で生まれ育ち、81年に入社した。「買収されるまでペトロブラスを知らなかったが、管理システムが近代的なことに驚いた。沖縄はブラジルへの移民が多く、どこか親近感がある」と話す。
メジャーと肩並べ
 ペトロブラスは深海油田の開発で石油生産量を2010年に日産216万バレルへ伸ばし、欧米の巨大石油資本「石油メジャー」と肩を並べた。同社の時価総額は10年、ブラジルの国内企業で1位、世界全体で6位。石油会社としては英蘭ロイヤル・ダッチ・シェルや英BPを抜き去り3位に躍り出た。
 それほどの世界企業がなぜ沖縄なのか。
 ペトロブラス東京事務所長で南西石油社長の日系3世、川上オズワルドさん(56)は「アジア進出を狙っていて、製油所が必要だった。ペトロブラスが輸出を増やす上で重要拠点にしたいと考えた」と話す。
 ペトロブラスは06年にも日本で合弁会社「日伯エタノール」を設立し、サトウキビを原料とする燃料「バイオエタノール」を3%含むガソリンの販売を始めた。南西石油とともにブラジルからエタノールを輸入し首都圏へ出荷している。
 日系人の存在も大きい。ブラジルの日系社会で沖縄出身者は最も多い。豊村さんは「沖縄は日本で一番ブラジルに近い文化。南西石油を通じて日本との関係も強化する」という。
 東日本大震災を受け、南西石油は製油量を通常の日産約5万バレルから1・7倍に増やした。電力不足の打開に向けて、東京電力の火力発電所の燃料となる重油を供給するためだ。
視線の先に中国市場
 視線は中国にも向いている。中国の石油消費量はこの10年で倍増し、半分以上を輸入に頼っている。沖縄は上海までの距離が約850キロと東京までの約1570キロよりはるかに近く、地政学的な利点を持つ。川上さんは「沖縄は本土よりも中国に近い。石油消費の伸びている中国が魅力的なのは間違いない」と話す。
 ブラジルからの進出企業は01年、東京都内で在日ブラジル商工会議所を設立した。会員は現在90社に上り、日本の中には意外と多くのブラジルがある。
 世界最大の鉄鉱山会社「バーレ」もその一つだ。06年にカナダの資源会社「インコ」を買収し、同社が所有していた三重県松阪市のニッケル工場を傘下に収めた。そこは、わが国最大の年産6万トンを誇り、バーレのアジア拠点にも出荷している。
 ブラジルへの企業進出コンサルタント、輿石信男さん(48)は「ブラジル企業の目は中国へ向いている。日本進出は中国への足がかりとしての位置づけが多い」と指摘した。

第2部(5)世界が買いにきた鉄鉱山 激化する資源争奪戦
鈍色(にびいろ)に光る広大な鉄鉱山は、高純度の鉄分を含んだ土のにおいでむっとしていた。コマツの大型パワーショベルがうなり、巨大なダンプが砂ぼこりを立てて行き交う。ブラジル中部ミナスジェライス州の鉱山地帯にある「ナミザ鉱山」。
 この鉱山の一部が2008年に売り出され、ロシア、インド、中国という当時のBRICsの企業が買いにきた。国際入札の結果、日本の商社・製鉄6社と韓国1社の企業連合が激しい争奪戦を制した。出資総額は約31億ドルと当時の為替レートで2815億円。近年のわが国の対伯投資としては突出している。
 得られた権益は、鉄鉱石を100%輸入に頼るわが国の国内需要の1割に当たる。最大の40%を出資した伊藤忠商事で当時、買収を手がけた鷲巣寛執行役員(53)は「中国の製鉄会社は背後に政府系ファンドがついていた。資金力はけた違いで最後まで競り合った」と振り返り、続けた。
 「世界の成長を支えているのは先進国間ではなく新興国間であることを日々実感している。商社が収入源にしようとしているのは資源であり資源高の状況を作っているのは中国だ。われわれは中国へ対抗すると言いつつ中国で稼いでいる」
中国から巨額投資
 ブラジル中央銀行の統計によれば、中国の対伯直接投資は01〜09年の9年間で計2億1500万ドル(173億円)にすぎなかった。
 昨年に入り、鉄鉱山や油田の権益、農地の取得、送電会社の買収といった数十億ドル規模の投資が相次ぎ明らかになった。判明分の総額は150億ドル(1兆2093億円)ともいわれ、国別でトップに躍り出たが、ブラジル中銀の統計上は3億9200万ドル(316億円)で20位となっている。
 ジェトロ(日本貿易振興機構)中南米課の二宮康史課長代理(36)は「タックスヘイブン(租税回避地)など中国外から投資しているのだろう。中国からの巨額投資はブラジル人に脅威に映る。こうした印象を薄める行動ではないかと推測される」と指摘する。
 04年5月、中国への主力輸出品である大豆の輸送船が中国へ入港する際、農薬で汚染されていたとして中国政府が受け取りを拒否した。ブラジルでは、買い取り契約を高値で結んだ中国側が、契約を履行したくないため言いがかりをつけたとして猛反発が起きた。拒否は翌月に解除された。
 ブラジル外務省の元官僚は7年たった現在も「中国はこうした行いを平気でする国だ」と話す。
決断遅い日本人
 リオデジャネイロの旧市街に、知日派の重鎮を訪ねた。エリエゼル・バチスタ元鉱山エネルギー相(87)。世界最大の鉄鉱山会社「バーレ」の総裁を長く務め、日伯協力事業の大半に携わった。
 「今の日本人はよく分からない。決断のスピードが遅いために、ブラジルで築いてきた資産を失いつつある。逆に中国人、韓国人のアグレッシブな戦略は30〜40年前の日本人のようだ」
 子息の実業家、エイキ・バチスタ氏(54)は資源会社「EBXグループ」を率い、米誌フォーブスの長者番付で資産300億ドル(2兆4186億円)と世界8位。昨年相次いだ中国からの鉄鉱山や油田への巨額投資を複数受け入れ、リオデジャネイロ州で建設が進む港湾施設「アス・スーパーポート」にも工場や造船所が進出するという。
 エリエゼル氏は子息の活躍ぶりに目を細めつつ、親愛の情を浮かべてこう語った。「多くのブラジル人は今でも日本人に信頼を置いている。日本人さえ決断すれば、まだ遅くはない。往年以上の緊密な関係が築けるだろう」
=第2部おわり
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