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麻生悌三のブラジル不思議発見 25 キラービー (殺人蜂)ブラジルから南北米大陸に拡散した狂暴アフリカ蜂 
麻生さんの12月号ブラジル不思議発見は、キラービー(殺人蜂)ですが、付録が豪華です。私も2009年にアマゾン移民80周年記念式典にべレンを訪問した時に見かけた綺麗な数字の入っている蝶を見ました。88だったと思います。サンパウロの旧日本人街(現在は東洋人街と呼ばれている)の中心地の地下鉄リベルダデ駅の近くが奴隷の絞首刑場になっていたとの話は初めて聴く話です。確かに教会があり写真を撮ったりしていますが中に入ったことはありませんでした。機会を見つけて行ってみます。
毎回、珍しいブラジル発見を一つ一つの話題としても成り立つ豪華付録を惜しげもなく提供し話題が枯渇するのではないかと心配していますがまだまだ息の長いブラジル不思議発見が継続する事を願っています。麻生さん有難う。
写真は、主題のキラービー(殺人蜂)を使用、残りはBLOGに掲載させて頂きます。


ブラジル不思議発見 −25 キラービー (殺人蜂)ブラジルから南北米大陸に拡散した狂暴アフリカ蜂 
ブラジルは蜂蜜採取用の蜜蜂を欧州から導入し養蜂を行っていた。欧州系蜜蜂は性格はおとなしい蜂だが、暑さに弱く 年中、花が咲いている東北伯に不向きであったし、採蜜量もアフリカ系蜂に比べて劣っていた。アフリカ蜂は性格は荒く、女王蜂が巣箱から逃げて、原野の祠などに営巣するなどの欠点も持っていたが、欧州蜜蜂とかけ合わす事で、品種改良する構想を持った。品種改良試験はサンパウロ州のリオクラーロ農試で行われた。
1956年に誤って、女王蜂と働き蜂の1群が檻から逃げ出す事件があった。逃げ出したアフリカ蜂は近郊の養蜂家の欧州蜜蜂と交雑し、アフリカ系蜜蜂の範囲を広げていった。
アフリカ蜂は攻撃的性格で、攻撃も執拗で逃げる標的を1kmぐらい追跡する。又その毒性も強く、500回刺されると、ガラガラ蛇に1回咬まれる毒量に匹敵すると云われている。1970年までに、ブラジルで200人位がアフリカ系蜂に刺されて死亡している。生息範囲も欧州系蜂との交雑を繰り返しながら拡大し、南はアルゼンチンの北部、北は1990年にはメキシコに到達している。アメリカでは2003年にカリフォルニアの一部まで到達しているようだが、寒さに弱いため、その辺で北上は止まっている。 温暖なフロリダ州では、この蜂が入ったら処置なしと危惧しているが、どうやら、最近入った模様だ。フロリダの在来種とアフリカ系ミツバチの交雑種が確認されている。アメリカ全体で1990−2003年の間に、アフリカ系蜂に刺されて14人が死亡している。
養蜂箱1個には3万―5万の蜜蜂を収容するが、女王蜂は1匹でオス蜂は3−5%、残り
95%以上は働き蜂である。女王蜂が逃げ出し、他所に巣を作ると、働き蜂もあとを追って、逃げ出し、野生化した1群が出来る。欧州系蜂に対してアフリカ蜂の遺伝子は優性であり、交雑すると、アフリカ蜂の特性が出る。
(写真は女王蜂を囲んだアフリカ系蜂)

付録 ウラモジタテハ (Diaethria)
南米原産の蝶の仲間で、ウラモジタテハと云う蝶は、羽の裏側に、まるで、数字のような模様を付けており、仲間同志で識別できるらしい。模様は数字の88と89が最も多く、種類によって、いずれかの数字に統一されている。ブラジルではボルボレッタ 88とか89と呼んでいる。蝶としてはモンシロチョウぐらいの小型の蝶で、森林地帯に生息する。異種同志が交雑しないという事は、蝶がこの模様で識別していることだろうか(それとも、同種同志でフェロモンを出すとか他の識別があるのだろうか)
(写真はウラモジタテハ)

附録 Capela deSanta Cruz das Almas dos Enforcados(絞首刑囚の霊を祀るサンタクルス
   礼拝所)
サンパウロの中心街リベルダージ広場は150年程前はLargo de Forca(絞首刑広場)と呼ばれた,公開絞首刑が執行された場所である。今、地下鉄リベルダージ駅の出入り口のある辺に絞首台を設置し、犯罪を犯した黒人奴隷、インジオが殆どだったが、処刑された。
広場とリベルダージ大通りの角に教会が建っている。表題の長たらしい名前の教会である。
1776年に最初の礼拝所が建てられ、火事で数回、焼けて,建て替えられた。ブラジルは1876年に死刑制度が廃止されて今日に至っているが、それまでは、ブラジル各地で最高刑の死刑が執行されている。1888年に遅ればせながらブラジルも奴隷解放令が発布され、300年続いた奴隷制度が廃止されたが、時の大蔵大臣ルイバルボーザの命令で、奴隷に関する、一切の記録、資料、拘束器具、証拠品が焼却され、今日、ブラジルには、僅かな証拠品。記録しか残っていない。この教会の内部は外見より広く、100人近く座れる長椅子が置かれ、正面の祭壇や天井のステンドガラス等,ごく一般的な教会の内部であるが、左右の壁際には数体の使徒の等身大の木造があり、それらが,すべて、黒く塗られている。黒人奴隷の霊魂を意識しての配慮だと思う。半地下には参拝者がロウソクを灯す部屋があり、コンクリートの台に水を張り、埋め込まれた釘にロウソクをさし、灯す火は年中、消えた事がない。リベルダージ広場から,Rua Estudanteを20m程下ると、坂道の途中に右折する道があり、Rua Beco de Aflitosと呼ばれる小道の行きどまりに、小さな教会があり、Capela de Aflitosと呼ばれている。この教会の辺りは、カトリック教徒でない、インジオ、罪人、身元不明者を埋葬する墓地であり、その墓地の礼拝堂として、1779年に建てられた。1858年にコンソラッソン市営墓地が造成され、この墓地の遺骨は全て,移され、墓地は閉鎖された。この教会の裏側は今は高速道路が走っている。今でも、掘り残した遺骨が、周囲のビルの下に埋まっているという噂はある。この墓地の礼拝堂に死刑囚を留置する牢屋があって、死刑執行数日前に刑務所より移され、50m先の広場で首を吊られ、埋葬に戻ってくる仕組みだった。1821年、ブラジルが独立する1年前、シャギーニョと呼ばれた、サンパウロ生まれのポルトガル系の青年兵士がサントス兵営に勤務していたが、ポルトガル本国から派遣された兵士と、現地採用の兵士との給与の格差の不満から、数人で反乱を起こした事件があった。反乱は即,鎮圧され、シャギーニョは逮捕され死刑の判決が下された。1821年9月21日リベルダージ広場で公開絞首刑が執行された。1トン以上の重さに耐える新品の麻縄を首に架けられ、吊るされたが,なんと。2度も麻縄がプッツリ切れて、見物の観衆から、執行を止めろの怒声が上がったが、3度目の執行で絶命した逸話があり、助命しようとした、過去に吊るされて死んだ、霊魂が麻縄を切ったと信じられている実話が残っている。別名サンパウロの幽霊寺とも呼ばれている。
(写真はサンタクルース教会とアフリット礼拝堂)
2011年12月1日
麻生



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