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国家事業救った8人の侍=知られざる戦後移民秘話=ニッケイ新聞連載(その2)
イタイプ発電所建設に多大の貢献をした日本産業開発青年隊員8人の活躍は、ブラジルの基礎産業の裾野を広げ、下支えした総勢300名の通産省派遣の開発青年隊員の代表的な話題としてニッケイ新聞で大きく取り上げて呉れていますが、70年台のブラジルの奇跡と言われる熱い時代からブラジル発展に何らかの形で携わって来れた我々戦後移住者のブラジルに置ける生活とダブル時代で有り一つの歴史として残して置きたい好材料の読み物です。
話題と資料、写真を提供された荒木昭次郎さん、袋崎雄一さん及びそれを持ち前の筆力で上手く表現、纏められたニッケイ新聞編集長の深沢正雪さんに感謝します。
写真は、産業開発青年隊の生みの親、親父さんとして隊員の尊敬を集めている長沢亮太さん直筆の荒木さん所有の掛け軸をお借りしました。尚、長沢隊長は、あるぜんちな丸第12次航の移住副監督として私達と同船されました。


ニッケイ新聞 2012年6月2日付け
国家事業救った8人の侍=知られざる戦後移民秘話=第5回=「あれしかない」秘策考案=世界初のスライド型枠工法
 
〃8人のサムライ〃の先陣となった二人がイタイプーの現場に呼ばれたのが78年4月。この時点で工事の進捗状況はわずか5%。それから雨季が始まる10月までに仮排水路を完成させろという不可能に近い特命だった。荒木は当時41歳、袋崎は33歳だった。
 「仮排水路」といっても深さ30メートル、幅約300メートルもあり、「仮」とはいえ、これだけでも文句なしに巨大工事だった。アマゾン川ばかりが目立って他が霞んでいるが、パラナ川も世界有数の大河だ。それをダム本体で堰きとめる前に、仮排水路を脇に作って迂回させる工事だ。
 もしこの特命が果たせなければ、パラナ川が増水している間は工事全体が中断となり、工期の1年延長は必至だった。
 その時の様子は『青年隊四十年史』(97年)にも、「わずか数カ月の短期間にそれを実行するだけの技術が、当時のブラジルにあったのか? 専門家の間では疑問視する向きもあり、世界の建築関係者が注目していた。それだけに国家の名誉にかけても期間内に完成させねばならなかった。ところが現実には、とても間に合いそうもない厳しい条件下に置かれていた」(56頁)と説明されている。
 8カ月はかかるといわれた仮排水路工事を6カ月以内で――状況を把握した2人は冷や汗をかいた。とんでもない特命であったが、袋崎の心中には秘策があった。
 「あの吊り橋のやり方をダムに応用できないか」とのアイデアを袋崎は出し、荒木に相談した。吊り橋を支える鉄筋コンクリート製の主塔を「スライド型枠工法」で作ったことがあり、それを使うことで日程短縮化が図れるというものだ。
 袋崎は「イツンビアラの現場で大体の技術的なめどはついていた。イタイプーではこれを使わないと間に合わないと確信した」と思い出す。
 荒木も最初は半信半疑だったが、すぐに図面を引いて計算をくり返した。「我々は、この工法を小さいものでしかやったことがなかった。当時、この工法でダムを作った例は世界でもなかった。僕らが初めてだった」。
 コンクリート型枠工法では通常、高さ2・5メートルの型枠を設置してコンクリートを流し込み、固まってから型枠を撤去し、その上方に新しく型枠を設置することを繰り返す。袋崎はその工法を応用して、コンクリートが固まったら型枠を特殊な油圧ジャッキで引上げて、その上にコンクリートを流し込むことを繰り返すことで工事を短縮化できると考えた。理論上では、30メートルの高さでも24時間体制で生コンを流し込んでいけば1週間で終わる。
 ただし、複雑な立体曲線を描く巨大構造物を形枠でどう作っていくのかという大きな技術的問題があり、現場での試行錯誤を通して解決していくしかなかった。その一助に特殊な油圧ジャッキをスウェーデンから1500台も取り寄せた。
 特別な工法を使うとの噂を聞きつけた米国の建築会社から、共同でやらないかとの申し込みがあったが、「この技術は社外極秘」としてロナンが断った。
 未確立の技術で世界最大の巨大建造物を期日までに仕上げる工事を任されたことで、〃サムライ〃たちはとんでもない緊張を覚えたに違いない。
 荒木はあまりのストレスから胃潰瘍になり、さらに排便したら真っ黒になっていたことに気付いた。医者に診せたら十二指腸潰瘍だと診断された。ところが入院するヒマはないと「薬を注射してもらって治した」と豪快に笑う。袋崎も工事の最後の最後に倒れてしまい、「4日間ほど立ち上がれなかった」と思い出す。(敬称略、つづく、深沢正雪記者)
写真=世界で始めての工法で作られた仮排水路(手前のタービン4本部分)

ニッケイ新聞 2012年6月5日付け
国家事業救った8人の侍=知られざる戦後移民秘話=第6回=「まだ帰っちゃいかん」=新たな特命、ダム本体も

 ドゥーーン。腹に響く爆破音が現場に響いた。仮排水路の上流側と下流側の入り口の壁を爆破した音だ。すごい勢いで水が入り込み、一気に20メートルの高さまで水位が上昇した。おかげで浚渫船が激流に流されて沈没するという予想外の事態が起きたほどだった。
 雨期開始寸前の10月14日、無事にイナウグラソンにこぎつけた。世界の建設業界から「ブラジルには不可能」と見られていた工事の出だしが完了したのだ。これでパラナ川は仮排水路を迂回できることになり、本流があった部分をせき止めてダム本体の工事を続けることが可能になった。
 裏方を担った〃サムライ〃たちは静かな充実感に満たされていた。
 荒木は「これで終わった。元の現場に戻ろうと思ったら『帰っちゃいかん』と言われた」とふり返る。「どうしたんだろう」と思ったら、「ダム本体の堤体工事もやってくれ」と頼まれた。こちらの方も工程が9カ月間も遅れていたことから、新しい特命が下った。荒木は「苦労が認められたんだと喜んでやりましたよ」と思い出す。
 ダム本体のタービンが入る〃ダムの心臓部〃の施工も、袋崎らに任された。もっとも難しい建築技術が要求される部分だ。この現場には4年間いて、例の工法を完成させた。
 スライド型枠工法は、今ではブラジル中に普及し、一般的な工法になった。袋崎は「あれ以前、ダムを作るのには70カ月かかったが、今では40〜45カ月でできるようになった。それぐらい画期的な工法だった」とふり返る。現在、伯国においては水力が全発電量の83%を占めるが、その多くのダム建設に青年隊員が関わった。
 イタイプー建設にサンスイ社の営業代表として参画していた平崎靖之(66、広島)は「あの頃ね、〃イタイプーの三羽烏(がらす)〃として現場では有名でしたよ。荒木、袋崎、黒木でしたか」と懐かしそうに言う。「だってロナンさんといえば、ダム建築業界で知らない人はいない有名人です。その彼がいつも懐刀のように大事にしていたジャポネースが3人いた。彼らが居ないとまともな仕事にならないって。それが三羽烏ですよ」。
 サンスイ社もセメント運搬用袋を大量に納入すると同時に、日本の精電舎と協力して、特殊な技術で作られた継ぎ目のない作業用カッパを数万着納入し、現場で喜ばれたという。
  ☆    ☆
 ダム本体の高さは196メートル、提頂長は約8キロもある。日本最高の黒部ダムより10メートル高く、16倍も長い。貯水湖の表面積はなんと琵琶湖の2倍に相当する1350平方キロで、貯水量にいたっては日本にある約2600ものダムの総貯水量を上回る290億立方メートルを誇る。
 ダム本体には20機のタービンが設置されているが、イグアスの滝の水を全部寄せてもタービン2機分の水量しかないというから、湛水量の多さが分かる。
 全伯のセメント工場がフル稼働し、輸送機関が総動員されたことは言うまでもない。まさに国家の威信をかけた世紀の大プロジェクトだった。
 袋崎は工事が終了した時の気持ちを、「ルーベンスから、こんなに大きな現場で計画通りに運んだのは世界でも例がない。よくやってくれた、といわれた時は本当に嬉しかった」とふり返った。ルーベンスとはイタイプー建設時の発電所側の責任者で〃ミスター・イタイプー〃と呼ばれたルーベンス・ビアナ・デ・アンドラーデ初代専務理事のことだ。(敬称略、つづく、深沢正雪記者)
写真=サントアントニオ・ダム工事現場の様子。イタイプーでも同じような光景がくり広げられた(写真提供=荒木)
コメント集 
和田:荒木さん 5月末にベロオリゾンテに戻って来ておられる筈ですね。
今回のニッケイ新聞連載の「国家事業を救った8人の侍」の話題と写真を提供しておられる荒木さんからの直接のコメントがないのは寂しいですね。
この『私たちの40年!!』ML、寄稿集でもダム男として有名ですが是非何かコメント下さい。

ニッケイ新聞 2012年6月6日付け
国家事業救った8人の侍=知られざる戦後移民秘話=最終回=現場に必要なのは責任感=伯国社会に溶け込んだ人生
 
30年前の1982年11月5日正午、ブラジル大統領ジョアン・フィゲレード、パラグアイ大統領アルフレッド・ストロエスネルが完成したばかりの堤体の頂上部を両国側から歩み寄り、そぼ降る雨の中を水門の始動ボタンを押すイナウグラソンを行なった。特別に仮設された観覧席には5千人が集まっていた。
 ジョルナル・ド・ブラジルによれば、パラグアイ大統領は「これは輝かしい未来への扉であり、産業発展への限りない好機をもたらすものだ」とあいさつした。
 上部の水門が開くと500メートルものスキージャンプ台のような形をした越流部を通って、毎秒700トンの余水が加速をつけて下り始めた。最下部のあご状にツンと上を向いた部分では、完成を祝う祝砲のように壮大な噴水となって空に吹き上がった。
   ☆   ☆
 ゴイアス州アナポリス在住の袋崎雄一に4月3日朝、ようやく電話がつながった。最大手の建築会社オーデブレヒトと契約し、大型ダム工事をコンサルタントする袋崎は、ペルー奥地の現場から帰ってきたばかりだった。
 「僕は工業高校出てきただけで、あったのはやる気だけ。あとは全部ブラジルの現場で習った」。袋崎はイタイプー発電所を手がけて以来、中南米各国の大型ダムに関係してきた。毎日のように伯字紙を賑わす、アマゾン地域で建設中のベロ・モンテ、サントアントニオなどの設計にも関わっている。「ブラジルに来なかったら、世界でも有数のこんな大きな仕事に関われなかったと思う」と移住に悔いはない。
 普段は日本語を使わないらしく、電話の途中で流暢なポ語のフレーズが混じる独特のしゃべり方をする。単語だけポ語を借用する普通の一世のコロニア語とは違い、長いフレーズまるごとのポ語を混ぜる二世のしゃべり方のようだ。19歳で渡伯したが、その後の人生をブラジル社会に溶け込んで過ごしてきた戦後移民独特の雰囲気を醸す。
 興味深いことに、一般社会で生きてきたからといって、日本人であることを捨てた訳ではない。むしろ「日本人性」を強く求められた。
 あちこちの現場に呼ばれる理由を問うと、「ブラジルの現場に一番欠けているのは責任感。ダムのように巨大な資金が必要なものは、工事が遅れるととんでもない費用がかさむ。だから期間内に完了することが何より重要だが、それが難しい」。さらに、いろんなアイデアを駆使して施工の簡易化と工期短縮を可能にしてきたから、各社から引っ張りだこになった。
 08年頃に関わったトカンチンス川のエストレイト・ダムでは袋崎が責任者となり、9千人の労働者が働いた。荒木を始め、多くの青年隊の仲間も呼んだ。「あの時は1年間で4日間しか休まなかった」。あまりの重労働に身体を壊し、心筋梗塞の初期症状に襲われた。「毎日3回血圧を測りながら、それでも仕事やったよ」と笑う。
 今のブラジル技術者にもっとも欠けているもの、伯国の発展のために必要な要素、日系人が子孫に継承させるべきものがここに例示されている。
 生涯の大半を南米中の現場20カ所余りで過ごしてきた荒木もまた、今も〃初志〃を仕事机の前に掲げている。写真の通り、「青年よ 富士のごとく 美しく雄大に 尊厳なれ」と力強い筆致で描かれた、青年隊生みの親の一人、長沢亮太建設大学校所長直筆の額だ。
 今ではBRICsの一国として世界経済の表舞台に躍り出たブラジルだが、その発展の陰には、朝に晩に霊峰富士を仰ぎながら国土開発を誓った青年隊員らの初志があった。荒木によれば青年隊の1割は土木関係の仕事に就き、当地の産業社会に溶け込んでいる。
 「国家プロジェクトの助っ人の役割を果たした自負心は?」と問うと、「全然ないね。各人の役割を果たしただけ。ブラジルのためとかいうんじゃなくて、自分のためですから」と荒木は笑い飛ばした。奢らず、誇らず、個人主義なところが、これまた戦後移民らしい。(敬称略、終わり、深沢正雪記者)
写真=今も荒木の机の上に掛けられている長沢亮太所長直筆の額(写真提供=荒木)
(コメント集)
あや子:荒木さん、お久ぶりです。深沢正雪記者の書いたものは好きで興味をもっていつも読んでいます。今回は荒木さん登場でよけい興味をもって拝見いたしました。和田さんのいうダム男という意味、よくわかりました。以前豆腐の型を送っていただいた時に、きちんとラインを引いて書かれた文字をみて人間性がうかがえました。
これからも良いお仕事をお続けください。

荒木:和田さん、あや子さん、オランダ香織さん、皆さんお早うございます。
ニッケイ新聞記事で深沢編集長に侍の一人におだて上げられて恥ずかしい限りです。最初の話では、イタイプー工事の事で話しを聞きたいとの事でしたのでしたが7回に渡る記事となり驚きました。最終回を待って和田さんに記事を記載いただいたお礼を申し上げる積もりでしたが遅れまして申し訳ありません、和田さんありがとうございました。最終回に書かれていますが、私たちは別に国家の大事業に関わっていたとかの意識はなく、これで少しは業界に名が知られて仕事もし易くなると思っていました。90年からサラリーマンを止めて、工事計画のコンサルタントとしての仕事にありつけありがたく思っています。
月曜からやはり関わっているアマゾン地方のダムについての会議がサンパウロであり、昨日から又サンパウロ市に近いジュンジアイ市に住む息子の所に来ています。月曜から又アマゾンのダム現場行きになりますが、暇をみてスイス旅行で特に印象に残ったマッターホルン行きを写真と一緒にまとめてみたいと思っています。
あや子さん、トウフ作り型の説明についてのご指摘ありがとうございます。あの時に送っていただいた「ダーマ・ダ・ノイテ」夜の貴婦人、もう二度ほど咲いてくれ元気に育っています。



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