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「あるぜんちな丸」50周年 同船会終え「やって良かった」 12/06/22 サンパウロ新聞WEB版より
先日サンパウロ出張時にサンパウロ新聞の松田正生記者と語り合う機会があり、『私たちの40年!!』のあるぜんちな丸第12次航の着伯50周年の集いは、一応無事終わりホットしているが大成功の評価の裏に一抹の寂さと虚しさを感じており同船者会は、これで終わりにしたいと伝えた事を記事にして呉れています。
5月11日の前夜祭、12日の式典、13日のサントス日帰り旅行とのべ150人以上の参加があり、ボリビア、アメリカ、日本からの参加者に加えブラジル各地からの参加者を迎え「やって良かった」との気持ちは強いのですが、この50年の集いが陽の当たる場所での陽を受けている者だけの集いでなかったかとの思いもあり是非参加して頂きたかった仲間の顔がなかったのが非常に寂しく感じ、これを最後にしようと心に誓った。これからも強い絆に引かれまた集まることは有ると思うが、大々的な55年、60年と云った会合は私が中心に成っては、あり得ないと思う。集まって下さった仲間にお礼を云って置きたい。
写真はいち早くPDFでサンパウロ新聞をメールで送って呉れたリオの山下さんの新聞切り抜きを使用したい。


【既報関連】移民船「あるぜんちな丸」第12次航の着伯50周年式典が5月12日、聖市で催された。数多い同船者会の中でも同航海の集いは大きなものの一つ。式典には国内外から約80人が参集して旧交を温めた。半世紀の様々な人生が詰め込まれた同船者会。実行委員長として奔走した和田好司さん(南大河州ポルト・アレグレ市在住)は「やって良かった」と喜び、「こういう大きな形で集まるのは最後でしょう」と話す。

同船で渡航した681人はブラジルを含む4カ国へ移住。コチア青年、南米産業開発青年隊、花嫁移住、野球移民、南伯呼び寄せ雇用農、海協連計画移住地への入植者など、戦後移住の多様さを表す人々が乗り合わせていた。

最初の同船会が催されたのは着伯40年の2002年。船内新聞「さくら」の新聞班長だった和田さん、高野書店店主の故高野泰久さんら関係者が中心となって準備を進めた。

記録映像作家の岡村淳さんによる記念映像「40年目のビデオ・レター」も制作。この時に集まった資料や寄稿で記念誌を出版する計画もあったが実現せず、ホームページ「私たちの40年」を開設してそこに記録を残している。

聖市で開かれた40周年式典には約100人が訪れ、07年には45周年を祝った。10年の「助走期間」(和田さん)を経て迎えた50年の祝いは前夜祭からサントスへの小旅行まで3日間。ボリビア、パラグアイ、米国、日本など国外や、聖州、パラー、アラゴアス、バイーア、リオ、ミナス、パラナ、南大河州など国内各地から縁の人たちが集った。

ボリビアの参加者には移住後初めて訪伯した人もあったという。「『来る機会もなかっただろう』とずいぶん喜んでくれた」と和田さん。北伯トメアスーや北東伯のマセイオ、リオのフンシャル移住地など各地からの参加者の様子にも触れ、「見るだけで、やって良かったと思う」と話す。

「歴史に残る成功した同船会」。ただ、その一方で「祝える人だけの祝いだったのかもしれない」との思いもあるという。以前の集いには来たが今回は参加できなかった人、「私にそぐわない」と言う人もいた。和田さんは「『大成功』という言葉をいただいたが、寂しい思いもした」と振り返り、自身としては「大きな集まりはこれが最後」と気持ちを語る。

編集・管理するホームページは閲覧数230万回を超え、今では同船者に限らず移住、日伯交流の記録を残す場として続いている。「健康、気力の続く限り、これからも続けたい」という和田さんは「移住者の3分の1は15歳以下でした。自分の意思でなかった人も含め、『移住して良かった』と一人でも多く思ってほしい」と語った。
2012年6月21日付 サンパウロ新聞

(コメント集)
丸木で〜す
野球移民というのがあったとは知りませんでした。僕達の同船者(昭和66年年末神戸出帆)にはゴルフ移民の市木さんが居ました。ヤクルトから派遣されゴルフ場をつくると申されてました。野球では散水チームのエースになった真藤進君が居て、甲板でキャッチボールしてましたがボールをなくさなかったのはコントロールがよかったのでしょう。コーチとして招かれたフジヤマのトビウオ真木昌さんなんかは、さしずめ水泳移民でしょうか。
高野書店とは懐かしいですね、表紙がレシーフェのグラビア画像の本を高野書店へ売り払って僕はサンパウロを発ちオニブスでレシーフェに行きました。南のポルトアレグレへ行こうかなとも思いましたが、あの表 紙の熱帯写真に惹かれ僕をレシーフェに向かわせたのでした。高野書店はともかく、コンセリェーロフルタードの太陽堂書店に大きな眼の美人が居たのを想い出します。

和田:丸木さんに取っても移民船でのブラジルへの移住は、色々の思い出が詰まっているようですね。サンパウロからブラジルの北に行くか?南に行くか?丁か半か、出た賽の目が北、レシフェに行ったからオリンダの奥さんと巡り合えその後の人生が展開したのですよね。人間の一生なんて解らないものです。その時その時に出た賽の目に従い最善を尽くす。悔いのない一生に繋がりましたね。残りの人生を大事に過ごして下さい。

和田:松田 さん 21日付のサンパウロ新聞の記事をリオの山下さんが送って呉れました。私もサンパウロ新聞のWEB版でも読ませて頂きました。
私の気持ちをもう少し出して貰いたかったですが、上手く纏めて頂いており感謝します。
松田正生記者の記事として『私たちの40年!!』HPにも収録させて頂きます。有難う御座います。
http://blogs.yahoo.co.jp/yoshijiwada2/30636102.html



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