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【東欧見聞録】 丸木英朗さんの紀行集です。(続編=おわり)
丸木さんの奥さんは、ブラジル北伯のレシーフェ近郊のオリンダのオランダ系の方でそのルーツを訪ねる東欧の旅をお二人で訪ねる旅は、奥さんが教会での礼拝、丸木さんがビールの痛飲と面白いヤジキタ道中を楽しませて頂きましたが、大量に送って頂いた写真が訪問先の記述と上手く整理できずちぐはぐになっている部分もあるのですが、この『私たちの40年!!』寄稿集には写真を1枚しか使用できず今回の続編も丸木さんご夫妻の写真を使用する事になりました。続編は、その11から18まででザルツブルグ、インスブルック、ミューヘン、パリまでの紀行です。丸木さんの一番書きたい部分は、お後が宜しいようでと品位を保つ意味で遠慮されています。伊豆山さんが同じコースで訪問したいとコメントされていますが、確かに一度は行って見たい魅力満載の東欧ですね。丸木さん有難う。


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ザルツブルグ
 だんだん車窓からの眺めが素晴らしくなるオーストリアの田舎町を3時間かかりザルツブルグに到着。初期の新幹線にもあったビュフェカーがついており、途中うまいオーストリアビール3種類を飲み較べました。ホイートビールが一番こくがありました。
ザルツブルグやインスブルックにもアルプス純水の地ビールがあるので楽しみでした。食堂車でのミネストロームもカレーもおいしくて退屈しない汽車の旅でした。宿泊先はノボテルやIBISなんかと同じアコード系のマーキュリーホテルで中心街から離れた住宅地にありました。中級ホテルでも冷蔵庫の飲料水は高いので、チェックインして直ぐに水を買いに出かけました。なんと、隣のガソリンスタンドがコンビ二兼業でした。
ドイツでもオーストリアでもガソリンスタンドがコンビニになっており実に便利です。 
その隣がセクシーな看板のナイトクラブ、続いてsaitoと読める靴屋さん。こんな所にも日本人が住み、これらすべてのフランチャイズを経営してるのです。
 なにはともあれ、ミラベル宮殿の庭園まで地図を頼りに徒歩で出かけました。ホテルの向かいの街角に大きな楽譜の地球儀が置かれ、さすがに音楽の都モーツアルトの生まれた街と実感。道順を尋ねながらミラベルに来ると高山植物の花盛り、聞きしに勝る見事な庭園でした。この宮殿は大司教が愛人と15人の子供の為に建てた曰く付きの建造物。新教の牧師と違い、カトリックの神父は結婚出来ないので愛人を囲ってるのです。聖職とは名ばかりで、信者に説教する神父の実生活が伺い知れるあくどい宗教家の史実を垣間見ました。
 美しい庭園では音楽学校の生徒らしき若者がバイオリンを奏でてました。映画サウンド オブ ミュージックのロケされた噴水やペガサス像の背後にホーエンザルツブルグ城塞が聳え、息を飲むばかりの絶景にしばし見とれました。庭園にはカラヤンも学んだ音楽院モーツァルテウムがあり、この新市街にはモーツアルトが育った家もあるのですが、モーツアルトの生家のある川向こうの旧市街へ脚を伸ばしました。
 マカルト小橋のたもとに指揮者の巨匠ヘルベルト フォンカラヤンの生家があり、玄関で写真を撮り感慨もひとしお。その橋の網目の欄干には色とりどりの錠があって幸せを祈る文字が書かれ、日本の神社の絵馬のようです。小橋を渡れば旧市街で、京都の錦小路より細い道の両側には土産物屋とレストランがひしめきあってます。このシュタイン小路には世界中でクリスマスに歌われる「聖しこの夜」の作詞者の生家があります。

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 モーツアルトの生家を見てから、バチカンより大きな大聖堂に参拝し、馬車で市街見物することにしました。ザルツブルグ音楽祭の会場付近の散策からユダヤ人街の説明を受け、サウンド オブ ミュージックの主役マリアが居た尼僧院を見上げる辺りで停車してくれ撮影しました。降りて見なさいと言われ奇妙な町並みはゲトライデガッセ、通りに張り出した鉄製の看板はアイデアと美しさを競い合ってる趣き。この奇妙な看板も撮っておきましたが果たしてちゃんと写ってるかどうか。モーツアルトの銅像も写したのは言うまでもありません。
 馬車の御者は新市街への橋を渡り、モーツアルトの育った家の前を通り河畔のザッハーホテルの横を走りミラベル庭園まで送ってくれました。庭園内のシェラトンホテルで一休みし、庭園の入り口にあるレストランで地元の料理の夕飯としました。前が宮殿、広い並木道に面した古風な小さな建物でしたが地ビールのシュティーグルの喉越しの心地は最高でした。戦前の東京では今日は三越、明日は帝劇と言うのが有閑マダムの合い言葉だったとか。マリアは日本で暮らしてた頃に帝劇で観劇した「サウンド オブ ミュージック」に感激したそうで、この芝居は日本語でしたから言葉の判らないけれど、以前にもブラジルで映画を観たことがあり筋書きを知ってたのでした。
それ以来、ニューヨークに住んでた頃にブロードウエーのミュージカル「The Sound of Music」鑑賞したこともあって、オーストリアに行くなら是非ザルツバーグのロケ地を訪ねてみたかったのです。
 内外の著名演奏家と各界の名士の集うザルツブルグ音楽祭のある夏は大賑わいだそうです。ヘルベルト フォン カラヤンは30年以上も地元の音楽祭でタクトを振っており、フルトヴェングラーはじめアルツーロ トスカニーニ、ブルーノ ワルター、カール ベーム等々世界的な指揮者は殆ど夏をザルツブルグで演奏活動してたとか。今ではバカブンドの僕も、学生時代は労音の安い切符を買って上田仁指揮の東響や朝比奈隆指揮の関響を聴きに行き、アメリカ勤務中も日本へ出張すれば高輪のN響練習場で無料の演奏を聴きに行ったものです。こんな高尚な話をしてると、小さな街の大きなナイトクラブでの取って置きの話をしにくくなったので、ご想像におまかせ。
おあとがよろしいようで。 

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インスブルック
 アルペンスキーの猪谷千春選手が日本代表としては初の銀メダルを獲得したコルチナ ダンペッツオでの冬季オリンピックで滑降、回転、大回転の三冠王に輝いたオーストリアのトニー ザイラーが映画「白銀は招く」の主演を演じたのがインスブルック。
学生時代から、一度はあんな所で滑ってみたいと夢見ておりました。
 ザルツバーグからは一等車コンパートメントで二人のチリ在住ベネズエラ人と一緒でした。イタリアのベローナ行きにインスブルックで乗り換えるとのことで、降車の際には車内から僕達の重いスーツケースを降ろしてくれ大助かり、文字通り旅は道連れ世は情け。メールアドを交換して今度は南米のどこかで会いましょうと言ってアディオス。駅からスキージャンプ台が近くに見え、ウインタースポーツの本場に来た実感がしました。このアルプスのど真ん中にある街は既に2回も冬季オリンピックが開催されたチロル州の州都です。
 都心から少し離れた公園前にある小さなホテル ベストウエスタン ライプチッヒホフは新しくて清潔でした。チェックインももどかしくフロントで教えてもらった道順を徒歩で市内へ向かいました。途中、チロル州観光案内所でチロル帽を買いました。
僕は幼稚園で「チロルの子供達」と言う劇に出て、その時から本物のチロル帽が欲しかったので、70年以上経ってようやく手に入れました。喜びひとしおです。
これからは、寒い冬のカナダでも頭の寒さは防げます。
 アホな事ばっかり書いて前置きが長くなるのは僕の悪い癖です、ご容赦願います。
観光案内所では、先ずは何よりもインスブルックのシンボルの黄金の小屋根を観に行きなさいと言われ旧市街の中心に来たら、なんとカバーがかけられ改装中。以前はパリの凱旋門が改装中、バチカンの大伽藍が改装中、東京駅丸の内側が改装中とか名所旧跡に縁がないのかな。その直ぐ横には、レースのように華麗な装飾の、なんとも奇妙きてれつなヘルブリングハウスが建っており、華やかな飾り漆喰が施されてました。
 土産物屋のひしめく通りを人の流れについて行くと、そこが王宮の玄関でした。
マリーアントワネットの母にあたるマリアテレジアは、生涯の殆どをインスブルックで暮らしたとか。隣には宮廷教会と民族博物館、神学校が連なります。
例に寄って?僕達は建物の中には入らず、そこに停まってた観光馬車に乗り王侯貴族になったつもりで市街見物。

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 ドイツ人女性の御者は歩行者天国の大通りまで走ってくれる大サービス。マリアはビデオカメラを取り出し、大声でしゃべりながら撮影してました。旧市街は、どこにいっても珍しい建物ばかりで、元々は建築家になるつもりだったのでフィルムを参考にスケッチ クロッキーするそうです。ドイツ騎手?は富豪の邸宅の多い高級住宅地にも案内してくれ、単なる観光では不可能な市民の実態まで垣間見る事が出来ました。
馬車が河畔にさしかかると、どこかで見たような光景に思い当たるのはパステルトーンの家並です橙、黄、緑、青、等々の建物が並んでました、3年前に行ったポルトガル!
 ウルトラモダンなコンベンションセンター前で降り、馬車から観て面白そうなところを歩きました。絵の好きなマリアは、フリードリッヒ通りの街頭画家の作品を買いたたいてました。値切ってる合間に、僕は地ビールを飲ませる酒場の街頭テラスで1リットルの大ジョッキでご機嫌でした。アメリカでも冬場にはボストンのサミュエルアダムスでは季間限定のアルパインビールがありますが、ここのはほんまもんのアルプスの水ですからこたえられません。
 中世のような旧市街から道幅の広いマリアテレジア通りに出て、万年雪のアルプスの景観を堪能するまで撮影しました。まるで道路が飲み屋になったかの如きカフェテラスの花盛り、見事な花壇で囲われてるのです。地元オーストリア料理の店はポルカ等の軽音楽、イタリアのリストランテはカンツォーネ、フランスのビストロはシャンソン、いずれも楽団の生演奏で酔っぱらった客が調子はずれで陽気に歌ってました。待ってましたチャンス到来、こんな事もあろうかとポケットに忍ばせていた手の平サイズの歌声喫茶の歌集を取り出し僕は蛮声張り上げエーデルワイスを歌いました。それは僕の学生時代、紙の乏しかった初期の歌声喫茶の歌集ですが、現在の豪華な歌集と較べれば時代の違いを思い出させます。客席を回る楽士は歌に合わせ演奏してくれ盛り上がりました。妻のマリアはブラジルなまりのドレミの歌、ドへミファソハシド♬ そうそう、戦時中の日本ではト音記号も敵国語が禁止されハ二ホへトイロハで、ド〜ミ〜ソ〜でなくハ〜ホ〜ト〜と発声練習させられたものでした。道と言うよりは広場のような両側のビル街は、どれもこれも実にユニークな建築物で飽きが来ず写真家には宝庫ですよ。広場?の中心には聖アンナ記念柱が聳え、塔の上には聖母マリア、台座には聖アンナ像。そこからアルプスの峰を背景に凱旋門。こんな所で飲みだしたら、もう眼の正月に耳のカーニバルと口は極楽。なにかが物足りなくムズムズし出したら、ありましたありました目的の場所が!写真が良く写っておれば、とくとご覧ください。何事起ったかハプニングは、おあとがよろしいようで。

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ミュンヘン
 アルプスの山々を後にインスブルック駅からの列車は眼で見ても判る傾斜してる坂道の鉄路を下降して行きます。1時間ばかりでオーストリアとドイツとの国境らしい所にさしかかりましたが、税関も見当たらずEU統合を実感しました。いずれは米州も欧州のように統合され、カナダからブラジルまで自由に行けるといいな。
 僕達の4個のスーツケースを見た親切な方がローゼンハイム駅で、空港ならここですよと教えてくれ降車されました。僕達は終点のミュンヘンまででしたので、お礼を言ってアウフヴィダゼーエンしました。ヨーロッパ屈指の大都会だけに駅舎もモダンで立派なホールで一等車のプラットホームにはポーターが待機してたので助かりました。
 路面電車のガスタイク文化センター停留所の前で地下鉄ローゼンハイマー広場駅からは隣のホリデーインまで地下でつながり便利のいいノボテルにチェックインしました。近くのガソリンスタンド(コンビニ)で飲み水を買い、ついでにサッカー欧州カップ記念ドイツチームの帽子を十ユーロで買いました。ドイツは準優勝戦で敗退しスペインが優勝しましたね。さぁ今度はブラジル開催の2014年のワールドカップ、日本は出場出来るのかな。それより、2016年に南米初のオリンピックがリオデジャネイロで開催されるのは見逃せません。それにしても、ここミュンヘンではオリンピックの最中にイスラエル選手殺害の悲劇がありましたから、今年のロンドンは要注意ですね。
 いつの間にか話がそれましたので元に戻し、文化センター内のフィルハーモニーのポスターにはズービンメッタ指揮と表示されてましたが、トロント交響楽団常任指揮者の演奏をミュンヘンで聴くまでもないと観光に出かけました。都心までは地下鉄で二駅ですので天気もよかったので路面電車の線路づたいに歩き、城壁趾のイーザル門で一休み。この辺りからは道路一杯のカフェテラスで賑わう大都会の雰囲気を見せてました。
 グロッケンシュピール時計人形塔で有名な市庁舎前のマリエン広場に到着、ここが地下鉄各線の交差する都心です。徒歩での観光は後ですることにして、先ずは広場で多数待機してる観光三輪車に乗り、主な見所を説明付きで回りました。走り出して直ぐの奇妙なカナダのトッテンポールのようなのはマイバウム(メイポール)。ここはヴィクトアーリエンマルクト野外市場の標識。大都会のど真ん中に牧歌的な雰囲気があり、大きなビアガーデンもありました。

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 トランペットの音も高らかな楽団の生演奏に合わせ、老いも若きも楽しそうにビールの泡が溢れる大ジョッキを傾け歌ってるのを横目で見て涎が出てきました。英語で説明してくれる輪タクのおっさんは裏町のユダヤ人街を走り抜け、ゼンドリンガー通りのアザム教会(聖ヨハン ネポームク教会)に着き、マリアが中に入り礼拝してる間に僕は三輪車で昼寝しました。豪華絢爛たる装飾の彫刻やスタッコ飾りは美の凝縮とか。そこからは、どこをどちらの方向に走ってるのか判らず繁華街を過ぎ、オペラの殿堂であるバイエルン州立歌劇場前の広場で停まってくれました。広場の真正面が世界で僕の最も好きなビール シュパーテン直営のシュパーテンハウス。広場にせり出したカフェテラスで生ビールを一杯飲んで三輪車に戻り又もや観光。そこから始まるマクシミリアン通りは有名ブランドのブチック街で、運ちゃんによれば一番安い商店街。予約客しか店に入れないビバリーヒルズのロデオドライブの商店街に匹敵するのかな。
 さて、ここからがミュンヘン観光の目玉でもあるバイエルン王家の本宮殿。ナポレオンも度肝を抜かれたという華麗な宮殿は、イギリスのエリザベス女王の居城バッキンガム宮殿よりも規模が大きく威厳があります。1918年の王政崩壊後は博物館や宝物館になってます。人の持ち物を見ても腹ふくれる訳でもなく少し賢くなるだけですから、入場せず通り過ぎました。それよりも、ミュンヘン サッポロ ミルウォーキー、ビールの本場で本生飲もう。
 そこから郊外に出て英国公園の中で降りて覗き見したのは、完全ヌードで日光浴してる金髪娘の群れ。家内に耳を引っ張られ車に戻り選手交代、公園内は僕がペダルも軽くサイクリング。王国時代の軍需省で現在は軍事博物館になってる壮麗な建築物の前では、お上りさんの老夫婦の質問に運ちゃんが答えてました。ドイツ語ですから何を言ってるのか全く判りませんでしたが、第3次大戦の計画でも話してたのかも。
 大学町を素通りしてから、待望の飲屋街を通過の途中に世界一楽しいビヤホール「ホーフブロイハウス」の場所を教えてくれました。向かいがハードロックカフェーで新旧競い合ってる感じでした。僕達は大阪やグアダラハラや世界各地のハードロックカフェーのTシャツやジョッギングスーツを持ってますが、ここのは高くて手が出せません。夕食は楽しく行こうとホーフブロイハウスに入りました。体育館のように広い店内は長椅子ですから他の客と同席になり、インスタント飲み友達が出来るようになってます。中央のステージでは午前11時から午後11時まで専属楽団が連続演奏しており、飛び入り歓迎ですから楽士と客の掛け合いで盛り上がってます。酔いに任せて僕もタクトを振って楽団の指揮をやりました。ドイツ歌曲を日本語で歌ったのは勿論です。オクトーバーフェストには、又来て大ジョッキ十杯ぐらい飲み干したいです。

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 二日酔いの翌日には、道を覚えた辺りを散策することにしました。先ずは地下鉄でマリエン広場まで行って直結してるデパート「ガレリア 買うホーフ」でアメリカの税関で壊されない錠つきのスーツケースを買いました。日本と同じく最上階がレストランでバイキング料理、好きな物を好きなように調理してくれ、ビール会社直営の生ビールも自分で注げる大サービス。雨がやんだので、最古の教会の前にある宗教具専門店で木製の十字架を買いました。歩行者天国になってる広いノイハウザー通りに出ると、聴き慣れた歌声が聞こえてきました。ロシアから来たドンコサック合唱団の街頭演奏でした。初めて聴くほんまもんのロシア民謡、感無量でした。動画にした筈が興奮のあまり写真側のボタンに切り替えていたようで音声が入ってませんでした。僕は耄碌したのかも。
 この通りは花園の様で見事な造園は道行く人達の眼を楽しませます。城壁の正面入り口カールス門の手前の農協前に僕の干支である猪の像があり記念撮影しました。農協の隣のミヒャエル教会はカバーがかかり改装中でした。ここがかの有名な反宗教改革のシンボルです。カールス門の前の広場には見事な噴水があって、路面電車に沿って重厚なビルが林立するビジネス街らしきビル。中央駅まで整然とした官公庁の建物、戦災にあってないのだろうか不可思議でした。近郊には城郭や博物館が多いのですが、東欧三ヵ国で城は厭というほど見て来たので、それよりも世界一うまいビールが飲みたく、シュパーテンハウスへと向かいました。
 今度は屋内の席に案内され、メニューを見てもドイツ語がひとことも解らないので、まごまごしてたらハングル語のメニューとロシア語のメニューを持ってきました。僕が韓国人、家内がロシア人と思ったのでしょうか。今では、その両国民旅行者が多いのでしょう。近くの席に居たポルトガル人女性がドイツ人のご主人とメニューの説明してくれ、僕はビールに合うバイエルン風盛り合わせ、家内は小羊料理、うまいのなんのドイツの食べ物がまずいとはもう言えません。ブロイマスターの話では、ドイツの代表的ビール会社レーベンブロイもシュパーテンも、今ではベルギーに本社のあるブラジルのアンベブの傘下に入りアメリカのバドワイザーも含めたグループ企業。そう言えばカナダのラバッツブルーも、そのグループに入った時に野球チームのブルージェイズをケーブルテレビのロジャーズに売却し、野球場もスカイドームからロジャーズセンターに改称。1992年と93年にワールドシリーズ連勝したカナダ唯一のメジャーも往年の面影なく金曜観戦の度に自棄酒。ビールの話が又もや脱線。いやぁ、それにしてもミュンヘンのビールはうまいの一語に尽きます!

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パリ
 フランスにも寄り道しましたが、題名と関係ないので写真だけ貼付けておきます。
モンパルナス近くにある聖母マリアが現れた場所に建てられた奇跡のチャペルに参拝。     
 家内が売店で土産に大量の奇跡のメダルを買ってる隙に、同じ売店でこのチャペルの説明が日本語で印刷された一枚の絵ハガキと切手を買い、近作の映画「一枚のハガキ」で好演した高校同級の絵沢萌子に郵送しました。彼女とは毎週木曜にメソジスト教会の英語バイブルクラスに共に通った想い出があります。
 この前パリに来た際にはムーランルージュでフレンチカンカンを観たので、今回はリドでの豪華絢爛なショーを観劇しました。パリ滞在中、大統領就任式に出くわし、喜びに沸く群衆と一緒にラマルセーユを唄いシャンゼリゼーを行進しました。
1789年7月14日のフランス革命もこんなだったのかと、この国の歴史を想い起こしバスチーユ牢獄趾で感慨に耽った旅でした。




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