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麻生悌三のブラジル不思議発見 38 フランスとの伊勢海老戦争−1963年
明けましておめでとうございます。麻生悌三さんのブラジル不思議発見は、珍しい話題≪フランスとの伊勢海老戦争―1963年≫です。ブラジルは、過去パラグアイ戦争を経験しているとは云え本格的な外国との戦争の経験は無く(第2次世界大戦にヨーロッパ戦線に派兵していますが)、このフランスとの伊勢海老がアルゼンチンとイギリスのフォークランド戦争のような惨事に至らなかったことは幸いでした。たった6隻の伊勢海老漁船保護のためにフランスのドゴール大統領は艦隊を送った。アメリカの介入もあり事無きを得たこの伊勢海老戦争と現代日本が直面している隣国との一発触発の危険な関係を重ねて見ると学ぶべき点があるのではないかと思う。
写真は、麻生さんが送られた巡洋艦Barrosoとリオのポンデアスーカルです。


ブラジル不思議発見 −38 フランスとの伊勢海老戦争−1963年

伊勢海老は高級食材の一つである。普通のエビは孵化から産卵まで、1年だが、伊勢海老は4年近くかかり、それだけに、乱獲による資源の枯渇から回復が遅い。海底の岩礁地帯に棲息し、熱帯海域に多いい。ブラジルの東北海域は伊勢海老の好漁場として知られているが、近代的装備の漁船が投入されたのは、比較的に新しく、1960年代からである。
海底が岩礁の為、底曳きのトロール漁は不可能で、刺し網漁(海底に連続した網を垣根のように張り、移動する伊勢海老を絡める)もしくは、かご漁(金網製の籠の中に魚等の餌を入れ、誘い入れ、入った伊勢海老は出られなくなる)である。ブラジルの場合はかご方式である。従来、フランス漁船は、西アフリカ(ナイジェリア、カメル−ン、ガーナ)の漁場で、刺し網漁をしていたが、乱獲による資源の枯渇で、ブラジル東北伯(フォルタレーザからレシーフェにかけての沖)に着眼し、1960年頃から操漁調査を始めた。此処で、領海とは自国海岸より12海里(21,6km)を云い、経済圏が及ぶ排他的経済水域とは200海里(360km)を云い、大陸棚の地下資源等の領有権を云う。1961年3月ブラジル政府はフランス漁船3隻の領海内での調査漁業の許可を180日間与えた。東北伯のブラジルの漁業関係者は、資源保護を理由に、これに反対していた。1月(調査期間は期限切れ)ブラジルの哨戒艇イピランガは海岸より、10海里の沖合で、違法操業中のフランス漁船カシオペアを拿捕し、フォルタレーザに連行した。海軍省の方針で翌日、釈放されたが、この頃より、フランス漁船の領海侵入が増加する。伯仏両国間の外交交渉も活発化する。この頃(1963年)のブラジルはジョーン ゴウウラル大統領であり、一方、フランスはドゴール大統領であった。戦争と云っても、一発の弾丸も撃たず、爆撃もなかったが、双方が、艦隊を動員し、一触即発の状況だった事は確かだった。
1963年1月30日、ブラジルの哨戒艦コインブラ要塞号は、フェルナンドノローニャ島付近で操業中の3隻のフランス漁船を拿捕し、ナタール港に連行した。リオのフランス大使は、ナタールに飛び、漁船の釈放活動を行い、罰金を払い釈放され、領海外まで哨戒艇が3隻を見送った。2月8日ゴラール大統領は6隻のフランス漁船に限り、特別に操漁の許可を与える旨発表した。(どういう外交交渉があったか発表されていないが、入漁料支払い等充分な見返りがあったと思われるも、結果的にはフランスのゴリ押しが勝った格好だった)東北伯の漁民、州政府は当然、猛烈な反対運動を開始した。この大統領令が結果的に、伊勢海老戦争の発端となった。フランス漁船は禁止されている、トロール網を使用していると、漁協は抗議し、海軍も拿捕した漁船に搭載している事を確認した(岩礁地帯ではなく,砂地の海底で使用したものと思われるが、イセエビが棲息しているかは不明)。
漁民が操業していた筏、ジャンガーダがフランス漁船と接触し、壊されたと云う抗議もあった。フランス漁船排除の声が日々高まり、ナショナリズムの高揚が緊張を高めていった。
2月20日、ブラジル政府は、フランス漁船6隻を許可した特別操漁許可を取り消す事を決定した。これに対し、フランス政府はBrasil nao eh pais serio(ブラジルは誠実な国家ではない)との声明を発した。ブラジル政府は、フランスに対し、外交交渉の中止を伝達した。
フランス政府は、ブラジルの40海里洋上で操漁中のフランス漁船の安全を護る為に、艦隊を派遣する事を決定した。艦隊は当時最新鋭の空母クレメンソーと巡洋艦1隻、これに護衛のフリゲート艦5隻(フリゲート艦とは排水量2千屯以下の軽駆逐艦で対潜、対空及び魚雷攻撃装備の艦),哨戒艦3隻 に給油艦1隻で構成され、空母はジェット戦闘機、攻撃機60機搭載可能な新鋭艦で当時ブラジルがアメリカから買った、ポンコツの空母ミナスジェライスでは到底、対抗出来ない戦力だった。結局ブラジル空母は出動もしなかった)。仏フリゲート艦Tartuはアフリカ西海岸に居た為、一足先にブラジル海域に急行した。
ブラジル政府も陸海空軍と緊急会議を開き、巡洋艦2隻、駆潜艇4隻、潜水艦2隻の東北伯への急派が決定され、空軍も長距離偵察機P-15,16、爆撃機B-17の1隊がナタール、レシーフェ空港に派遣された。いよいよ風雲急を告げ、ナタール、レシーフェ,サルヴァドールは臨戦体制がひかれた。
ブラジルの海空軍の装備は殆ど第二次大戦時の米軍の貸与品で、海軍は大戦中ドイツのU-ボートから輸送船団を護衛する目的で貸与された艦船をそのまま引き続いて、使用しているケースが多かった。艦船も装備もオンボロであったが,此処に来て、ブラジル海軍の実情が露呈する。艦のメインテナンスが行き届かず、戦闘行動が満足に出来ない巡洋艦が主力だった。それに、アメリカから供給される弾薬が不足しており、開戦30分以内に弾丸が尽きるストックが実情だった。海戦など到底、不可能な状態だったが、フランスもブラジルの実情を全く知らず、却って、実力を買い被っていた形勢すらあった。この実情はブラジル海軍省の首脳部は熟知しており、毎日、脂汗を流しながら,やせ我慢をし、早く紛争が終わらないかと、神に祈る気持ちだったと推察する。 戦火が近ずくにつれ、双方に影響力のある、アメリカが難色を示し、特にブラジルには、アメリカが貸与した武器を使用して、友好国フランスと戦争をするなど持ってのほかとクレイムして来た
アメリカの後ろ盾なしに、武力行使など無謀なこと、軍部でなくても理解出来た。
2月22日、国家安全保障委員会が招集され、ブラジルの自衛権の発動とフランス艦隊の即時引き揚げ勧告をフランス政府に行うよう、在パリのブラジル大使に指示した。こうした中、フランス巡洋艦De Grasseの通信傍受により、フランス艦隊は大西洋のど真ん中で、
ブラジル向けに航行中であることが判明した。一方、空軍はB-17爆撃機4機と長距離偵察機数機の配備を完了した。B-17爆撃機は艦船を対象とした爆撃訓練に乏しく、実戦で果たしてどれだけの効果があるか疑問だった。開戦になれば、フランスのジェット艦載機が、
ブラジル艦船に襲い掛かり全滅の恐れもあった、護衛戦闘機の護衛がない、旧式爆撃機など、あっという間に、たたき落とされる。(プロペラ機とジェット機の戦闘能力の違いは、月とスッポンで、朝鮮動乱勃発時、アメリカは重爆撃機B-29を日本から北朝鮮に飛ばしたが、ミグ戦闘機の迎撃にあい、かたっぱしから撃墜され、B-29は廃止となった)
2月27日、ブラジル偵察機はレシーフェ沖合100海里でフランスのフリゲート艦Tartuを発見した。Tartuの近くには、6隻の漁船が集結していた。敵艦見ゆが打電され、ブラジルの駆潜艇Para及びParanaの2隻が急行し、監視を引き継いだ。巡洋艦Barrosoは修理途中であったが、レシーフェに急いだ。(巡航速度20ノットが必要だったが、11ノットしかだせなかった)主力艦Tamandareはリオでまだドック中だった。
3月7日、巡洋艦Tamandareは急遽リオを出航したが、エンジン不調に陥り、サルヴァドール入港した。Barrosoに引き渡す筈だったエンジン部品はTamandareに積み込んだが、
渡されぬまま、サルヴァドールに入港した。主力艦2隻が参加できなければ、頼みの綱は
駆潜艇4隻による水雷攻撃だけだが、魚雷にも問題が発覚する。
3月28日、すったもんだの外交交渉の末、フランス艦隊と漁船の引き揚げが下され、ブラジルも警戒中だった、2隻の駆潜艇Greenhigh,Mauricio Diasの撤収が発令され、レシーフェに帰港し、オペレーションは平和裏に終了した。ブラジル艦隊の実情は海戦をやれる状況では全くなかったし、フランスはブラジル艦隊の実力を買い被り、警戒しすぎたのが実情で、これが、結果的に戦火を遠ざけた。フランス艦隊は、ブラジルの基地攻撃機の行動範囲外に釘ずけになり、2隻の潜水艦の攻撃を警戒して、4隻のフリゲート艦を艦隊の対潜用護衛に残せざるをえなかった。結局、戦闘海域にいたのは、フリゲート艦Tartu
1隻だけだった。ブラジルはドゴールが、まさか6隻の伊勢海老漁船の為に艦隊を派遣するなど夢にも思わなかった。1982年に起こった、アルゼンチンとイギリスとのフォークランド紛争でも、アルゼンチンの誤算があり、まさか、英国が艦隊を派遣して挑んでくるとは考えていなかった。英国は勃発と同時に、豪華客船クイーンエリザベス号を兵員輸送船に改造転用、原爆搭載用の重爆撃機Vulconを通常爆弾用に1か月で改造し、大西洋のど真ん中にある英領の孤島アセンション島に進出、米軍の空中給油の援助で、ポートスタンレイ空港の滑走路を爆撃し、アルゼンチンのトラの子のミラージュ戦闘機の進出を阻止し、空母艦隊を派遣し制海、制空権を確保し、フォークランドに敵前上陸し、制圧した。欧州人と南米人の考え方の相違かも知れないが、いざ、戦争になると気質の違いが出てくる。結局、フランスは国際裁判でブラジルと争うことになり、両国に強いメッセージを送ったアメリカの意図の通り、両国の軍事衝突は回避された。
―フランス艦隊概要
空母クレメンソー=2,2万屯型空母で、艦載機60機搭載の最新鋭空母。
巡洋艦De Grasse=1万屯型で1961年建造の最新鋭巡洋艦。
フリゲート艦=5隻
哨戒艦=3隻
給油艦=1隻
―ブラジル艦隊の概要
巡洋艦2隻=Tamandare,Barrosoの1万屯型旧式巡洋艦。Barrosoは1936年建造、1951年ブラジル海軍に編入、1975年廃艦。
第二次大戦時の米軍の払い下げ駆潜艇8隻
潜水艦2隻=iachuelo,Humaita。両潜水艦ともエンジン不調でレシーフェに係留したまま動けず。フランス艦隊は最もこの2隻の潜水艦を警戒していたらしい。
基地航空隊=B-17―4機。基地に張り付いた儘、結局動かず。
巡洋艦の主砲は弾丸不足だった、頼みの綱は魚雷攻撃だが、ブラジルが保有する45本の魚雷の内、12本は本オペレーション以外の艦船に在り、33本を持っていたが、12本しか正常な状態でない事が判明(整備不良)。フリゲート艦1隻に2本ずつの魚雷では、1回だけの水雷攻撃で弾が尽きる状態だった。こうした、実情が公になったのは、数年あとになってからで、この紛争を契機として、ブラジル海軍の装備近代化が着手される。
ゴウラール大統領は1年後の1964年に軍部のクーデターで失脚し、ウルガイに亡命する。
(写真は巡洋艦Barrosoとリオのポンデアスーカル、伊勢海老)

附録 アマゾンのピンクイルカ
アマゾンカワイルカ(英名 Amazonia Pink Dolfin ポ名 Boto Cor de Rosa)と云う淡水イルカがアマゾン上流から下流まで広く分布している。このイルカ幼生の時は、体色は灰色であるが、成長するとピンク色に変わる。太平洋にはピンクイルカは棲息しているが、大西洋には生息していない為、太平洋に生息していたピンクイルカが6500−7000万年前にアンデス山脈が急激に隆起したのが原因で、陸封された子孫であると云われている。アンデス山脈が隆起する以前は、アマゾン河は太西洋から太平洋に向かって流れていたが、隆起により、今日のように大西洋に向かって流れるようになった。このイルカは、
3500万年前の原始的形態の鯨と極めて、形態が似ているため、生きているクジラの化石と呼ばれている。成長すると体長はオス2,8m、メス2,3mになり体重も100−
160kgになる。とがった口ばしと、嘴の先には剛毛が生えており、川底の泥の中から、
貝類を探す役目をなす。水中で音波を発し、反響音で水中の障害物を除け、濁った川中を自由自在に泳ぐ。アマゾンの民話の中で、誰でも知っている民話に、このカワイルカが夜、、
美男子に化けて、、出てきて、乙女をかどわし、妊娠させると云う、夜這い物語があり、
週末に行われる,バイレと呼ばれる、ダンスパーテイーに見知らぬ,イケメンが現われると、あいつはボッツー(イルカのポ名)だと、かげ口を叩かれる。カワイルカのペニスは
サイズ、形も人間様に似ており、それから出た、民話と思われるが、未婚の乙女の腹がふくれだしたら、親父はボッツーだのとの、噂話に花が咲き、噂の風がヤシの葉を揺らし吹き抜ける。
(写真はピンクイルカ)
2013年1月1日
麻生



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