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徳力リポート「皇居の奉仕でご先祖に会えた」最終回 富田さんからのお便りです。
和田さん&私たちの40年の皆さん、
大好評の徳力啓三氏の「皇居の奉仕でご先祖に会えた」第三部・最終回をお届けします。

徳力さんは今回の「皇居の奉仕」によって、海外に住む日本人が常に探し求めている、自己のアイデンティティーに巡り合えた、と私は思っています。私たち日本人、特に海外に住む日本人が自分の身元を知ることが、アイデンティティーを確立することである、と私は考えます。
河合隼雄博士はアイデンティティーをこう定義しています。「アイデンティティーというものは、自己自身によって見出されねばならない。しかし、その自己の固有性は、他者との関係のなかで確かめられねばならない」

徳力さんは本稿の最後に、こう書いています。「万世一系の天皇家はやっぱり私らのご先祖と繋がっています。したがって私はこの度の「皇居の奉仕」でご先祖に会ったことになります。間違いなく私はご先祖に会ったと思います」。
「ご先祖に会った」ということは、取りも直さず「自分の身元を知った」ことになるのです。

 「真の日本人はブラジルにいる」とよくいわれます。真の日本人の一人が書いた、自分探し、アイデンティティー探しのレポートの最終回を下記のブログでご覧ください。
http://blogs.yahoo.co.jp/stomita2000/24677191.html

Shinzo Tomita


皇居の奉仕でご先祖に会えた(最終回)

ブラジル日本会議・第7回皇居勤労奉仕 第三部
  皇居勤労奉仕は、昭和20年5月に空襲で焼失した宮殿の焼け跡を整理するため、同年12月に宮城県内の有志が勤労奉仕を申し出たことが始まりであり、それ以降、全国の有志による勤労奉仕が行われています。ブラジルからの参加は今回で七回目にあたります。
この稿は日本学生海外移住連盟OB(三重大卒)でもある、徳力・第7回皇居勤労奉仕団団長の報告・第三部、最終回にあたります。「アメリカ便り」に貴重な皇居勤労奉仕のレポート掲載の機会を与えてくださった徳力氏に深甚なる感謝の意を表します。なお、本稿の写真は徳力氏と石田幸作氏の提供によるものです。

       徳力啓三(ブラジル日本会議・第7回皇居勤労奉仕団団長)
4日目は赤坂御所の掃除でした。皇居より西の方、明治神宮の手前にあたるところにあります。皇太子殿下がお住まいになっているところです。赤坂御苑には、皇太子殿下の東宮御所があり、他に4宮家−寛仁親王、秋篠宮、三笠宮、高円宮のご邸宅があります。お堀で囲まれてはいませんが、その面積は50ヘクタールもあるそうです。年に二回、春と夏には園遊会が開かれるところです。丁度1週間後の4月19日には春の園遊会が行われるので、お池の周りの道路の清掃をすることになりました。



赤坂御用地に於ける記念撮影
 
 皇居と同じで、休憩所から作業場までかなりの道程があり、てくてくと歩きます。作業に入る前に、赤坂御所でも記念写真を撮りました。園遊会の会場をバックに、26名の笑顔が並びました。広大な面積ですから作業場になかなか着かない。あちこちに業者が入って、テントを建てたり、駐車場の整備をしたり、雷の落ちた木を整理したり、作業用の車輌も次々にはいってきます。そんな中での作業でした。

 14.00には皇太子殿下の「お会釈」がありました。東宮御所の前庭に奉仕団が整列し、お待ち申し上げていると、皇太子殿下お一人でお出ましになりました。皇太子妃殿下の雅子さまは体調不良でお出ましになられませんでした。玄関先よりお出ましになった殿下は、そのまま奉仕団の各グループの御前に御立ちになりました。挨拶をお受けになり、一言二言言葉を交わされ、次々に移ってゆかれます。万歳三唱を受けられ5分ほどで玄関に戻られました。昨日とは打って変わった簡素な「お会釈」でありました。

 再び作業に戻り、これが本当に最後のお勤め、皆頑張りました。3時半作業終了。4時には赤坂離宮より退出となりました。皇居の勤労奉仕はこれですべて完了しました。

 ホテルに戻って今夜のお別れ夕食会の準備です。4日間を共にしたオイスカの6名の方、名取市の海岸林再生の会のみなさん4名、それにブラジル大好きの日本在住のブラジル組3名の方とは、もう滅多なことではお会い出来ないかもしれません。浜松の駅の近く、ホテルからのシャットルバスがある便利なところ、アルファインテルの千田さんが案内をしてくれました。
 呑み助組みとそうでない組にわけたところ、呑み助組は1/3、だのにそうでない組は生ビールを殆ど全員が註文、呑み助組は、お酒か焼酎。たちまち賑やかになり、勤労奉仕を熱く語り合ったものです。


四日間一緒に作業した、日本赤十字社の皆さん
 
 奉仕団解散の日になりました。4月13日土曜日。大部分の団員はホテルをチェックアップ、荷物をもってバスに乗り込みます。今日は、明治神宮を参拝です。日本会議の松村事務局長もホテルまで来て下さり、明治神宮へ案内くださり、正式参拝の手続きをして下さいました。

明治神宮は山の手線の原宿の近く、皇居の西側にあり、赤坂離宮を真ん中にして明治神宮外苑、明治神宮内苑と連なっています。外国に侵略されることなく日本を近代国家のひとつに育て上げられた明治天皇・昭憲皇太后をお祀りした神宮です。緑溢れる境内は沢山の参拝客で一杯でした。バスを降りて直ぐ巨大な鳥居がありました。日本一の大きさで、高さ12メートル、笠木が17メートルもあるそうです。奉仕団は団長を先頭に、内陣奥深くまで連れてゆかれました。献納したブラジル有機コーヒーが三宝に乗せられ鎮座していました。神職の打ち振る御幣を受け、指示にしたがい玉ぐしを奉納、2拝2拍手1拝します。団員の皆様が後ろに控えて下さっているので大安心。見事に拍手を合わせてくれました。
次にお神楽殿に廻り、お神楽の奉納です。伊勢神宮でお神楽の奉納は見たことがありますが、施主になったことはなく、初めての経験でした。ただ座っているだけですから、楽なものですが、日本の神道のなんたるものかを知らず、知ろうともしなかった自分を見つめておりました。参拝のあと、明治神宮の事務局長が挨拶に来られ、中庭で参拝記念の写真を撮らせていただきました。やっぱり皇居の勤労奉仕に対する敬意というものでしょうか。身近に日本の神道を感じることが出来ました。
 
そして、このあと明治神宮外苑に廻りました。ここには聖徳記念絵画館を中心として明治神宮野球場、国立競技場や明治記念館などがあります。私たち奉仕団は絵画館に案内されました。ここには明治天皇のご在世中のご事跡を、当代一流の画家の手によって日本画、洋画それぞれ40面、合計80面の壁画に表現され、展示されています。とても1時間では見て廻れないほどの重量感がありました。近代日本の重要な事跡が、くまなく示されています。日本人なれば、ここに来て、正しい歴史を知るべきです。皇居でも感じたのですが、わずか100年前に何が起こったのか知ろうともしない人は日本人と呼ぶに値しないのではないでしょうか。ブラジルに住んでいるとはいえ、あまりにも日本の歴史を知らなさすぎたと思います。皇室を中心とした日本の歴史こそ、世界に誇れる人類社会の見本ではないでしょうか。

 昼食は日本会議・千葉が主催して下さいました。今年の2月に來伯され、交流を持つ機会に恵まれました。今度は日本でお会いすることになりました。昨日赤坂御所から見えたホテル・ニューオオタニの17階ラウンジが会場でした。ブラジル組全員13名が揃って招待を受けました。日本会議・千葉のお方は來伯された7名の他に女性の強力な会員の方が3名加わり、心温まる応対をしてくださいました。江口会長より、待望の安部政権は、日本をきっとすばらしい国に生まれ変わらせ、若者に夢を与えられるような国になると明るく語って聞かせてくださいました。21世紀の世界は日本より発信する新しい思想で導かれるようになるであろうとも示唆されました。先生は首相に近いところに居られるお方だけに、非常に力強い説得でありました。約2時間、景色のよい回転ラウンジでおいしいものを沢山一杯頂きました。
この昼食会でもって、奉仕団の解団式となりました。団員はそこより東京駅に向かい、それぞれの故郷に或いは観光に出かけてゆくことになります。
あわただしいお別れでした。奉仕団の皆さんはたいへん協力的な方ばかりでした。ろくな挨拶を交わす暇もなく、東京駅前のバス停で短く「さよなら」といいつつ、それぞれの目的地に向かって散らばってゆきました。これで奉仕団の一部始終おわります。



「私たちの40年」の会主催・ブラジル皇居奉仕団歓迎会、4月9日、於:両国・霧島 (撮影・石田幸作)
前列左から、石田雅子(奉仕)、山本、森若、徳力啓三(奉仕団長)、富田
中列左から、杉浦和子(奉仕)、徳力洋子(奉仕)
後列左から、石田圭一(奉仕)、伊豆山(在ブラジル)、杉浦、工藤、五味、石田幸作(奉仕) 敬称略

最後に一言、私は、皇居でご先祖様には会うことはできませんでした。でも、ご先祖のご先祖、そのズーと前の日本の祖先に会ったような気がしています。たぶん日本人なら、誰もが感じることであると思うのですが、皇居にお住まいになっているお方をして、現代のこの今という時に繋いで下さっているのではないでしょうか。昭和、大正、明治の緒帝と遡り、第33代推古天皇までは歴史学者もはっきりと認める血筋、第10代崇神天皇辺りから初代神武天皇までは神話の世界と云われています。が今があって、初代がないという歴史はありません。奈良にいけば厳然と神武天皇をおまつりした橿原神宮がある。その上には日本を生み育てた天照大神が伊勢神宮におわします。そこまでさかのぼると私ら如き下々までが万世一系の中に組み込まれてしまう。日本国と言うユーラシア大陸の東の果ての島国の中では、当然起こるべくして起こる血統の為さしむるところと私には思えます。

世界で唯一、われ等日本人は現代の今も日本国に生きています。お伊勢さまが見守る中、しっかりと生きています。天皇陛下も私ら庶民も同じように生きています。皇居の盆栽が生き続けているように、われ等も生き続けます。万世一系の天皇家はやっぱり私らのご先祖のご先祖と繋がっています。従って私はこの度の「皇居の奉仕」でご先祖に会ったことになります。間違いなく私はご先祖に会ったと思います。日本人として旅をするなら、世界中のどんな世界遺産を訪ねるより、どのような観光地にも勝る、より身近な「皇居」を訪ねるべきと思います。

 奉仕団解散の後、女房と関西の友人を訪ねた。吉野の桜を目掛けたが、桜は散ってしまい明日香に廻った。明日香の駅の次の駅が橿原(かしはら)駅であった。私の故郷は、松阪であり、子供のころより橿原神宮のことは聞いていたが、参拝したことはなかった。偶然ながらこうして初代天皇である神武天皇をおまつりしている橿原神宮にお参り出来た。また故郷松阪には2日の滞在予定であり、時間的にも無理だし、観光シーズンかつ遷宮が近いため、大変な混雑で、車で内宮にいくのは無理だと言う。それでもねばって、早朝の可能性をきいた。早朝参拝なら混雑はなく、松阪から25km、車で30分の道程だ。朝方4時に起き出し出発、小雨が降る中、玉砂利を踏んで内宮に参拝した。10月にはご遷宮がある。20年ごとに立て替える神殿はもう出来上がっていた。あたらしい日本がそこからきっと生まれる。朝もやの中、光り輝く金色の堅魚木(かつおぎ)が燦然と黄金色に輝いていたのが印象的であった。 
                    おわり


コメント集
和田:富田さん 徳力レポートを上手く三回に分け手持ちの写真を使い見やすく纏めて呉れて有難う御座います。
徳力レポートもこれで皆さんの目に触れて感動を齎す事でしょう。
私は、二回に分けて『私たちの40年!!』寄稿集に収録させて貰う積りでしたが、富田さんの3部作をそのまま踏襲して3回に分けて掲載する事にします。
写真が1枚しか貼り付ける事が出来ませんので適当に選びます。又通常は、私が書くイントロ、リードの欄も富田さんの文章をお借りする事にします。
と云う事で最終回も下記にトラックバックさせて頂きました。
http://blogs.yahoo.co.jp/yoshijiwada2/32927270.html


徳力:富田さま 最終回読ませていただきました。
富田さんの前文の素晴らしさ、改めて自分の書いた所を読みました。
まさに己のアイデンテイテイ―探しの旅でありました。
こうして自分の書いた文章が、少なくとも富田さんに感動らしきものを伝えることが出来ただけでも、とてもうれしいです。そのうえ、このような形に仕上げてくださったことに深く深く感謝します。
どんな世界遺産を見に行くより、皇居での4日間の奉仕をする方が、どれだけ沢山の思いを残せるかということが、このつたない文章の中から感じ取っていただければ、望外の幸せです。
富田さんのおかげで、奉仕団の団長を引き受けたことの幸せを、今になって感じております。ありがとうございました。

和田:富田さん 徳力レポート大3回を下記URLで『私たちの40年!!』に収録して置きました。大変有難う御座います。徳力さんがご自身がコメントしておられる通り富田さんのお陰で奉仕団の団長を引き受けた事の幸せを、強く感じて居られる事でしょう。こうした愛国心を持っておられる仲間を誇りに思います。



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