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栗本 克彦さんの「わたしのページ」を見つけました。
ブラジル移民関係のHPを検索していて偶然、栗本 克彦さん(大分県在住)の「わたしのページ」を見つけました。栗本さんは、元大阪商船にも勤務しておられ我々のあるぜんちな丸第12次航の航海当時大阪商船大阪本社に勤務しておられたとの事。北朝鮮から歩いて38度線を越えて帰国され、数奇の人生を歩み70歳を越されてご自分のHPを開設、管理更新を続けておられ『私達の40年!!』HPとも共通点が多いことからリンクを貼らせて頂く事にしましたが、HPの第7章「南米航路移民船」を寄稿文欄に転載させて頂きます。是非「わたしのページ」の続きをHPでご覧下さい。写真は、若き頃のあんです丸乗船の時のものをHPから転載させて頂きました。栗本さん有難うございます。今後も宜しくお願いします。


  わたしのぺージ   第7章
               南米航路 移民船
私が南米航路の移民船 A丸の三等船舶通信士として乗船したのは
もう40年も前・・・青春真っ盛りの1958年である。
ブラジルでは移民50周年を祝う移民祭りが行われていた。
明治41年(1908年)笠戸丸でブラジル移民が国策として始められた。
19万人近くが移住し、第二次世界大戦で中断し、戦後ブラジル移民は
昭和27年に再開され、戦後苦難の時代に年間4ケタの移住者がブラジルなど
海外に渡った。しかし日本の経済発展を背景に次第に減少しいつた。
 
現在はブラジルから大勢の二世三世達がUターンし日本で働いているのを見ると、
隔世の感がある。 当時は航空路はなく、船で太平洋を渡り、ロスアンゼルスから
メキシコ沿岸を南下し、パナマ運河を通過して南米東岸をぐるっと一周し
サンパウロの外港サントスまで40数日の航海・・・東回り南米航路で、
年12回、毎月神戸で1000人の移民が乗船し、横浜が日本の最終港であった。
 
A丸の出帆が迫ると岸壁と船をつなぐ色とりどりのテープの波が
右舷の端から端まで隙間もないほど一面におおってしまった。
移民達はデッキに折り重なって日の丸の旗を振って無数の歓送に応えている。
出帆のドラが鳴ると横浜市警のプラスバンドの"蛍の光"が高鳴り、送る者も
送られる者も、夢中で小旗やハンカチを打ち振り、泣き崩れる顔がいくつもあった。
一万屯の巨体から汽笛が大桟橋一杯に鳴り渡ると同時に A丸はすべる様に
港を離れる。 テープの波はざわめいて、船の動きにしたがってスルスルとのびて
別離の未練を断ち切るように無残にちぎれた。 「元気でねー」「さようならーー」
移民船の船出は盛大な中にも、胸の詰まる淋しい出帆風景で、ジーンと目頭の
熱くなる情景である。 日本の陸地が見えなくなり、船が大海に乗り出しても
しばらくは胸がふさぐのをどうすることも出来なかった。
全長156m、幅20m、その船室にブラジル、アルゼンチンへの移住者約千名を
乗せて北米・パナマ経由南米に向う。
   
あるぜんちな丸 10863d             あめりか丸 8343d
    姉妹船  あふりか丸 8343d                 

   ぶらじる丸  10100d                さんとす丸 8516d
     写真はいずれも1950年代から1960年代にかけて南米航路に就航した移民船である。
私は40年も前の1958年Feb.ー1959年Mar.の1年余、あめりか丸に乗船した。
 
全航程40数日 "小さな社会"の船内で過ごす移民達の船旅を楽しんでもらおうと
運動会、演芸会、映画会などの催し物が開かれる。 子供達のために船内学校、
大人達のためにブラジル語教室も始められた。
船は単調な航海が多いが、A丸での航海はまことに多彩であった。
船がメキシコ海岸沖を一路南下するにしたがって船内はうだるような暑さになって、
甲板上にキャンバス・プールが作られ、デッキは人々ですずなりになり賑わう。
 
パナマ運河を出ると丸い窓に赤道近い太陽が眩く照っていた。
海の女王ミス A丸を選出して・・最大の行事 "赤道祭"が行われる・・・・
ベネゼィラのラガイラ、アマゾン流域のベレム、ブラジルの レシフェ、リオ と
寄港しながら、いよいよサントス入港である
A丸の奏でる蛍の光のメロデー、タラップを降りる移民達、
永久に再び見れぬかも知れない船尾の日の丸を仰ぐ移民達の目に涙が浮かぶ。
私は新天地での成功を祈りながら手を振って見送った。
新しい運命の開拓に向って移住者達の去って行った船内は静かであった。
サントス港を出た A丸は南十字星のもと、
一路 タンゴと情熱の港 ブエノスアイレスを目指して走っていた。

笠戸丸が描かれたブラジル移民50年祭のペナント
  



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