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≪天長節の式辞≫ 古谷敬治さんの70年前の思い出です。
小学校入学当時(戦中)の事を良く覚えておられますね。
私は15年生まれですので戦後になって疎開地の福井県武生市で小学校に上がり2年生の頃に神戸に戻って来て神戸の小学校に転入しましたが、武生ではカタカナから勉強を始めていたのに神戸ではひらがなの教科書で戸惑ったのを覚えている位で小学校時代の思い出は全くありません。感受性が少なかったのでしょう。
添付の≪天長節での式辞≫及び≪教育勅語≫読ませて頂きました。今朝見たNHKの八重の桜で山本覚馬がこの教育勅語を手にする場面を見ました。確かに最後に「ギョメイギョシ(御名御璽)」と書かれていました。
当時の小学生だった古谷さんの残された≪天長節での式辞≫は、タイムスリップして貴重な書き物と思いました。お借りして当時の小学生の生きた感想として『私たちの40年!!』寄稿集に収録して置きたいと思います。歴史的文書として残して置く価値のある文だと判断しました。
写真は、天長節からして恐れ多くも天皇陛下の写真をとも思ったのですが、70年も前の話ですので一昨年着伯50周年の集い前夜祭で撮らせて貰った古谷さん(右側から二人目)の写真を一先ず使わせて貰うことにしました。古谷さん近映を送って頂ければ取り替えます。


入学して間もなく「天長節」の日がやって来た。四月二十九日である。
厳粛な式典が始まる。
 ”今日の佳き日は大君の 生まれ給いし佳き日なり……”と在校生全員で天長節の歌を唄う。ピアノを弾くのは、袴を胸高につけた根元「女先生」である。
  校長先生が白い手袋をつけ、モーニング姿で壇上に登る。続いて新川教頭先生。
「最敬礼!」
の声で私たちは教えられたとおり、手のひらが膝に届くまでの深い深いお辞儀をする。
 ”ギイッ”と奉安殿の扉が開く音がする。上目遣いで眺めると、するすると薄い白幕が左右に分かれている。天皇、皇后の御真影が姿を現す。
「なおれ!」 の声で頭を上げると、教頭先生が黒い四角いお盆に入った巻紙を、校長先
生の前にうやうやしく差し出す。校長先生は最敬礼をしてから巻紙を受け取り、
「朕おもうに皇祖皇宗……」
と教育勅語を奉読し始める。その間私たち児童は、先生を含めて全員が頭を下げて拝聴しなければならない。奉読が進んでしばらく経つと、決まってあっちこっちで鼻汁をすすりあげる音が聞こえ始める。上目遣いに見る校長先生のの視線は、まだ巻紙の中ほどだ。まだまだ続くのだと思うと、余計に鼻をすすりあげたくなる。
  物音一つしない式場は、教育勅語奉読の間、鼻をすすりあげる音と、わざとらしい咳の音だけが支配する。
「御名御璽」という呪文のような言葉を聞くと、「ああ、やっと終わった」という思いで、みんないっせいに吐息をつきながら頭を上げることができるのだった。そのあとは、校長先生のお話。話の途中 ”畏れ多くも”という言葉を聞くとみんな姿勢を正した。その後は必ず”天皇陛下におかせられましては”と続くからだった。
  式典の唯一の楽しみは、終わると小学校の徽章を象った紅白の落雁が配られたことだった。家ではこの落雁を神棚に供えてから、家中で一かけらずつ味わうのだった。


(BLOGへの関係書き込み)
ニッケイ新聞 2013年12月6日
400人超が皇室の弥栄を願う=今上陛下お誕生日祝賀会史料館や総領事公邸で盛大に

写真=移民史料館に展示された両陛下の肖像画の前に整列する来賓ら


 今月23日に80歳を迎える天皇陛下のお誕生日を祝して5日、午前は移民史料館、昼は在聖総領事公邸で祝賀会が開かれた。ブラジル日本文化福祉協会、サンパウロ日伯援護協会、ブラジル日本都道府県人連合会、アリアンサ日伯文化連盟、ブラジル熟年クラブ連合会の5団体が共催した前者の会には約60人、後者には約400人が出席し、今上陛下のご健康と皇室の弥栄を願った。
 史料館での祝賀会は両陛下の肖像画の前で行われた。木多喜八郎文協会長の祝辞の後、在聖総領事館の佐野浩明首席領事は「陛下は80歳という高齢を迎えながらも、私を滅して日本国民や世界中の人々の平和について常にお考えになっている。そのお気持ちを受け止め、私も全体のことを考えて生きていく意識を持ちたい」との決意を語り、「日系社会の益々の発展を期待している。日本政府も含め良いチームを組んで共に頑張っていければ」と語った。万歳三唱は県連の園田昭憲会長、乾杯の音頭は援協の菊地義治会長が務めた。
 新井知里さん(75、長野)は96年の宮中歌会始に入選し宮中に招かれるなど、過去2回天皇皇后両陛下に謁見。「尊い存在でありながら、そのお気持ちを非常に近しく感じている。80歳を迎えられるということで飛んできた」と笑顔で話し、坊明美さん(78、愛知)も「ご高齢であられながら精力的に活動なさっているのは本当に素晴らしく尊い」と肖像画を見つめた。
 総領事公邸での祝賀会に出席したプロミッソン在住の安永忠邦さん(93、二世)は「四大節(四方節、紀元節、天長節、明治節)はお祝いの日として最重要視されてきた」と天皇誕生日の重要さを語った。
 ピラチニンガ文化体育協会の酒井清一会長(85、二世)は、4月29日の昭和天皇誕生日には必ず運動会を行った過去を振り返り、「今でもこの時期にいくつかの運動会が開催されるのは当時の名残り。習慣が続いているのは喜ばしいことだが、今上陛下の誕生日の日に行うことも大事かと思う」と語った。
 アラサツーバ文協の元山光男会長(84、二世)も「天皇誕生日を祝う行事が今の若者の意識に欠けている。日本の教育にもっと力を入れてほしい」との願いを語った。ミラカツ市の長田栄治さん(90、沖縄)は「天皇崇拝の意識は帰化しても変わらない。皇室のさらなる繁栄、ご健康を心から願う」と祝意を表した。


和田さん、皆さん 古谷です
流石サンパウロです。これほど多数の方々が今上天皇の誕生日祝賀に集まったのには、感銘しました。
「弥栄」と言う文字を見て、僅か乍ら、何十年かタイムスリップしました。
現在、日本の祝祭日は年に15日ありますガ、戦前は、四方節/紀元節/春季皇霊祭/天長節/神嘗祭/明治節/新嘗祭程度しかなかったと記憶しています。何しろ、餓鬼の頃の(小学1-2年)事とて、良く覚えていません。
私は、昭和18年04月に神戸市の西須磨小学校に入学しました。入学当時は、まだ国内は戦雲急を告げる状態ではなく、穏やかな時期でした。上述の祝日の何日かは、学校でも祝日の行事が行われました。無論、授業はありません。母はは祝日に限って革靴を履かせて呉れました。それが嬉しくて、イソイソと出かけました。全校生徒(1-6年生)を講堂に集めた中で、モーニング姿の校長が厳かに教育勅語を読み上げるのを、頭を垂れて聞くのが、小学一年生には大変苦痛でした(添付資料ご参照)。「チンオモウニワガコウソコウソウクニヲハジムルコトコウエンニ・・・・・」何の事か、サッパリ分かりません。最後の「ギョメイギョシ(御名御璽)」を聞いた時はホッとしたものです。君が代斉唱の後、紅白の饅頭を貰って、小走りに帰宅したのを、覚えています。
「弥栄」なる文字を読んで、忘れていた過去を思い出し、駄文を認めました。
妄言多謝




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