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丸木英郎さんの南伯3州とブラジリア訪問記です。
『私たちの40年!!』メーリングリストのメンバーの皆さんなら丸木さんの超人的な記憶力には、何時も驚かされているので慣れっこでしょうが、その記憶力は、年と共に衰えるどころかドンドン新しい事実も吸収してその記憶力を増しています。今回奥さまのマリアさんが35年勤務したブラジル外務省(トロントのブラジル総領事館)を退職された記念の南伯3州及びブラジリアを訪問されたメモ程度の得意の記憶力を発揮した訪問記が送られて来ましたので寄稿集に収録して置きたいと思います。
写真は、トロンンとの日加タイムスの色本編集長の義父に当たる浦上画伯のブラジル最高裁に飾られているBANDERANTES画像の前で撮られた御二人の写真を使わせて頂きました。


丸木で〜す
ブラジリアにあるブラジル最高裁は原告、被告、傍聴人以外は週末土日祭日のみ観光客として入廷許可されており、色本夫人の御尊父の絵画を鑑賞したいと申し出たらプロトコール オフィサーから特別入廷許可されました。いつも、家内の里帰りに付き合いブラジルに来ても、実家のある熱帯の東北地方と僕が住んでたサンパウロで「なつメロ合唱の集い」に参加するぐらいでしたが、今回は家内の任期満了による退官手続もあり35年ぶりにブラジリアにも滞在してます。

いつもの里帰りは2週間ぐらいでしたが今回は十週間の長旅で、南伯三州にも足を伸ばしました。サンパウロ州と共に日系人の多いパラナ州ではクリチーバ在住のユニークな体験をされた日本人三方に会いました。昨年末にトロントの我が家に来られたことのある学生寮経営者の石田さん、奥さんがドイツ系三世で去年初めて37年ぶりで訪日帰省された池田さん、僕の大学後輩で環境庁長官としてクリチーバを世界有数の理想都市に改造された中村さん。いずれも、移住当初の生活では辛酸を舐めたと語られ僕のバカブンド暮らし同様で話が合い、移民仲間の絆を感じたクリチーバ滞在でした。空港には石田夫妻が迎えてくれて、日光ホテルにチェックインし豪華なシュラスカリア(ブラジル式バーベキュー)ジャルジン グリルに案内され池田さんと合流。37年ぶりの日本で駅で切符の買い方も判ら今浦島ぶりを披露され、家内が日本に住んでた頃と池田さんが移住された頃が殆ど同時期で話が弾んでました。両人とも日大工学部卒ですが、最近までお互い面識なかったそうです。石田さんは日系企業での本職のエンジニアとしての体験は腹立たしいことばかりで、安定した学生寮経営の傍ら始めたモテル(🏩)が大当たりで大繁盛し現在は5軒目の建設中。赤線地区にプリンスホテルのネオンサインが輝いてます。三人の子息息女は無料の連邦大学を出て長女は空軍病院の外科医、次女はハイテク企業のシステムエンジニア、末っ子が日本のアイシン精機へ出稼ぎ中。ダイニングルームには夫人の母校である学習院の文字が焼き付けられた徳利がありました。景観の美しい山岳列車に乗りパラナ州の山と海を観光、日本の何処かで乗った貴婦人汽車の感じでした。大阪府立大の後輩でもある中村さんが招いてくれたリストランテ ヴェネーザでは注文しなくてもテーブルに各種の料理が並び、いかにも店の常連と判りました。市長の片腕として都市計画に腕をふるった彼は、市長が知事になってからも乞われて州政府の環境庁長官になったもののスキャンダルの巻き添えになり辞職。戦死された父親を知らない池田さんは、ブラジルの叔父を頼って来たものの相手にされず辛酸をなめ、香料事業に成功され37年ぶりの日本では神奈川県藤沢にある母校で講演されました。

聖カタリーナ州のブルメナウはオクトーバーフェストで賑あうドイツ系住民の街で家内がどうしても訪問したいと云っていた夢の多い街で美味しい地ビールが有名。その名も聖ビールとアイゼンバーン。そう言えば、聖パウロ州の保養地カンポス ド ヨルダンにもバーデン バーデンという名のホップの効いたコクのある美味しい地ビールがあります。ビール党の僕はブルメナウで地ビールを飲む夢をようやく果たせました。文句無し喉越しが良くうまかったです。

家内の夢は、南米のスイスと呼ばれる南大河州グラマード訪問でした。ポルトアレグレ空港に出迎えてくれたのは和田夫妻、2011年にリオで開催されたマスターズ水泳パンアメリカン大会で僕が銀メダル2個授賞した際に移民仲間を集めて祝勝会をやってくれた張本人。シェラトンにチェックイン直後、ホテル前の表参道に似た通りのパブで再会の乾杯。翌朝、奥さんのアトリエ見学、陶磁器、書道、墨絵等々は連邦大学化学教授退官後に始めた多趣味。アトリエに隣接し長女の経営する日本語と英語教室、長女の弥生さんはアメリカのハイスクール卒で日本でポルトガル語新聞社に勤められブラジルへ帰国。和田ご夫妻の運転でグラマードに向かい、レストラン エーデルワイスで昼食。30年以上前、ブラジリアの鉱山エネルギー省から派遣されトロントで研修されてたゴビ君が経営するエーデルワイスでしたが、本人は病気療養中で故郷のゴヤス州に居て留守。地元料理と地ビール「RASEN」2リットルジョッキを空け螺旋状に酔っ払いました。椰子なみきもなく、埃ひとつなく整然とした街並み、家内はグラマードはブラジルではないと申します。同船者の石田さんがグラマードまで1時間半の山道をポーランド系の奥さんと一緒に会いに来てくれ48年ぶりの再会も感動的でした。グラマードの麓のイグレジーニャの街にもオクトーバーフェストの看板がありました。

ポルトアレグレから直行便ノンストップでブラジルの首都ブラジリアに飛び、旧友の豪邸でiPadのキーを叩いてます。広大な庭園に建つ館のソロモン夫妻はゴビ氏と同じくトロントで研修後、ブラジリアでタンデン発電機の製造業を開業し、停電の多い中南米では需要に供給が追いつかない盛業。現在はブラジル随一の工科大学ITA卒の子息がハイテク技術のハードとソフトを開発され、インドから特許を買い取り意図のオファーまであるとか。このシリア系アレキサンダー ソロモン君がトロントに来た当時は為替レートも理解できない経済知識で、エレクトロニクス以外には何の興味も示さなかった若者でした。いみじくも、松下幸之助が「世の為になる物を作れば、金は後からついて来るんや」。当時は、橋本蔵相のプラザ合意の前で1ドル三百円ぐらいで、ブラジル通貨では20クルゼイロぐらいで、日本人は三百円も出さないと1ドルを買えないのにブラジル人はニ十クルゼイロで1ドルが買えるからブラジル通貨の方が日本円より値打ちがあるとアレキサンダーが言ってましたが、経済知識なんかない奴のほうが金儲けがうまいと思い知らされました。



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