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2015年新年の富田さんの5229km8日間の北米「半」横断の旅(その2)
富田さんの年末年始の北米「半」放談の旅の「グランドキャニオン」編と「化石の森と白い砂漠」編をコメント集と共に寄稿集に収録して置く事にしました。走行距離5229kmを一人で運転されたカーマニアの息子さん、大学生のお孫さんとの3代に渡る富田家の男達の旅は快適だったようです。皆さんのコメントも面白く記念になる旅の記録を喜んでおられるのではないかと思います。旅先での写真は、BLOGの方で見て頂けると思いますが、広々としたアメリカ大陸の雄大さを感じさせて貰えました。話題のグレーハウンドバスには是非乗って見たくなりました。名札に何と書けば良いか?など想像しています。写真は、富田家3代の皆さんのグランドキャニオンの落日をバックにした記念写真を使わせて貰いました。


アメリカ便り「グランド・キャニオンの巻」  富田さんからのお便りです。

和田さん&私たちの50年の皆さん, 合衆国「半」横断の旅「グランド・キャニオンの巻」をお届けします。大峡谷は見上げるものだと思っていた私は、上から見下ろすことになろうとは想像もしてませんでした。そして我々はグランド・キャニオンを「力強く我々の魂を鼓舞してくれる景観」と賛美する、アメリカ人に共感を覚えました。
 母なる道路「ルート66」もレポートしました。ご用とお急ぎでない方は、ぜひ下記のブログをお訪ねのうえ、アメリカ合衆国「半」横断の旅「グランド・キャニオンの巻」をご覧いただければ幸いです。
http://blogs.yahoo.co.jp/stomita2000/26370045.html
Shinzo Tomita



アメリカ合衆国「半」横断の旅 グランド・キャニオンの巻
「地球上で最も力強く我々の魂を鼓舞してくれる景観の一つであるグランド・キャニオンは、我々の五感を刺激し圧倒する。想像を絶する長期間継続した、コロラド河による浸食等の地質作用の結果である、荒々しく力強い岩石の形状と色彩、そして何よりその規模の大きさが我々を圧倒するのである」

とグランド・キャニオン国立公園のパンフレットは大峡谷を紹介している。「力強く我々の魂を鼓舞する景観」とは如何にもアメリカ的で面白い。
 以下は日本的な「我々を癒してくれる優しい景観」とは異質のグランド・キャニオン訪問記である。
 1月2日、午前11時ザ・ウイン・ラス・ベガスを後にして、グランド・キャニオンに向け出発した。グランド・キャニオンはラスベガスと同緯度にあるが、直通道路がないので、いったん南下してキングマンで40号線に乗って東に向かう。
 ところで、この40号線はアメリカ人が「母なる道路」または「アメリカのメインストリート」と呼ぶ「歴史的ルート66」の大部分を継承して、高速道路として生まれ変わったものだ。1926年に開通したルート66は、シカゴとカリフォルニアのサンタ・モニカを結ぶ、大陸横断の重要な道路だった。そしてアメリカ南部のメキシコ国境沿いを大西洋岸のフロリダ州・ジャクソンヴィルと太平洋岸のサンタ・モニカを結ぶルートが、州際道路10号線である。
今回、我々は奇しくもアメリカの「海岸から海岸までーcoast to coast」を結ぶ二本の主要高速道路を親子三代で走ったことになり、我々の一生の思い出になるだろう。
 さてウイリアムスで40号線を降りて、64号線を北上すること75`で、ようやく、人口2004人のグランド・キャニオン・ヴィレージに到達した。ここまで来ると、牛が放牧されている雪が残る、半砂漠地帯は終わり、鬱蒼たる杉の森になる。私はうかつにもグランド・キャニオンは高い山と山の間に出来た峡谷だと思い、山間の峡谷から絶壁を見上げるのだと思っていたが違った。グランド・キャニオンは、コロラド河の流れが1700万年もかかって、大平原を侵食してこの大峡谷を穿ったもので、我々は絶壁上部の周縁部から1,000米下の峡谷を見下ろすのである。
  グランド・キャニオンは年間500万人が訪れる国立公園であり、世界遺産にも認定されているが、入り口にも案内書にも、Wikipediaにも入場券にも世界遺産の記載は一切なく、完全に無視されている。アメリカ人は外国のお墨付きは要らない、ということなのだろうと、息子と話し合ったものである。
 国立公園に着いたときは5時を過ぎていたので薄暗くなっていた。見晴らし台のある、高度2100米のグランド・キャニオン南周縁部(South Rim)に着いた我々は想像を絶する、峡谷の広大さ深さとパワフルかつ感動的風景に圧倒された。
グランド・キャニオンと呼ばれる、コロラド河の峡谷は長さ446`、最も広い箇所の幅は29`、深さは1600メーターある。この中で最も雄大な景観を呈する90`、面積にして4,831平方キロメーターが1919年に国立公園に指定された。
 ここグランド・キャニオンで我々は地球のほぼ20億年に及ぶ地質学上の歴史を見ることが出来る。コロラド河とその支流は、1700万年かかって海底から隆起したコロラド高原の塁塁と10層以上重なり合った地層を侵食して切り開いて行ったのである。
次の画がその地層を示している。最底辺の一番古い地層は20億年、一番上の新しい地層は2億5千万年前と推定されている。
 さて一番景観が良いと言われる、南周縁部近くには、空港と観光鉄道の駅があり、駅前には国の歴史的建造物に指定された、1905年創業のエル・トヴァール・ホテルがある。由緒ある78室のホテルは真冬にも係わらず、観光客で満員だった。
 グランド・キャニオンを最初に目にした原住民ウアラパイ、ハバスパイ、ナバホ族以外の人物は、1540年ヌエバ・エスパーニャ(現メキシコ)のスペイン人征服者・フランシスコ・ヴァスケス・デ・コロナードの命を受けた、ガルシア・ロペス・デ・コルデーロ大尉率いる兵たちだった。しかしスペイン人たちは、金脈がないことが分かると、早々と通過して行った。200年後二人のスペイン人宣教師が訪れたが、定住することはなかった。1869年、米国政府の軍人・ジョン・ウエズリー・パウエルが1863年に合衆国の準州になった、この一帯を科学的調査を目的に訪れている。なお、アリゾナが州に格上げされたのは、1912年のことで48番目の州だった。
 さて、私は国立公園にスペイン人の名が付いたホテルがあることに関心を持って調べてみると、面白い事実が分かった。20世紀初頭、鉱石を運び出すためのサンタ・フェ鉄道の支線である、グランド・キャニオン鉄道は、南周縁部に駅を持っていた。1902年ころキャニオンを訪れる旅行者も増えたので、サンタ・フェ鉄道とフレッド・ハーベイ社は、合弁で駅から100米の現在地にホテルの建設を計画した。1903年テオドール・ルーズベルト大統領がグランド・キャニオンを訪問し、土地の人々に「ここの景観を損なうようなこと、例えばホテル、コッテージを建てることは止めて欲しい。今のままの状態が続くことを望む」と語った。そしてその後、彼は1906年大統領命令によってグランド・キャニオン保護条例を公布した。しかし、ホテルは設計図も完成していたので、工事は開始され、25万ドルの建築費を掛けたホテルは1904年に完成,翌5年営業を開始した。
 ところで、ハーベイ社は自社のホテルにスペイン語の名を付ける伝統を持っていた。しかしグランド・キャニオンの発見者である、ガルシア・ロペス・デ・カルデナスはすでに他のホテルの名前に使用されていた。そこで「この近くに大きな河がある」という原住民の情報をガルシア・ロペス大尉にもたらして、グランド・キャニオン発見への端緒を開いた、ペドロ・デ・トヴァール(Tovar)の名前が新ホテルにつけられたのである。なお、エル・トヴァール・ホテルは合衆国の歴史的建造物に指定されている。
 我々はグランド・キャニオンの落日をカメラに収めた後、グランド・キャニオン・ヴィレージのステーキ・ハウスBig Eに向かった。今日は暗くならないうちに着こうと、昼食もとらなかったので腹ぺこだった。テーブルに着くや否やテキーラで暖をとり、フィレ・ミニョンを食べたが、これが実に美味かった。この厳寒期にも係わらず、グランド・キャニオンの小さな街中はどこに行っても満員で、我々がレストランを出るときは、少なく見積もって50人の客がテーブルを求めて行列していた。
 西部劇に出てくる、サローンのようなレストランは、シェリフの事務所や留置所があり、駐車場には馬の手綱を結ぶ長いバー(2本の杭の上に差し渡した横木)が雪の中に立っていたりして、三人はカウボーイになったような気分になったのである。我々は氷点下10度の中、その夜の宿キャニオン・プラザ・リゾートにチェックインした。

(コメント集)
和田: 富田さん 『グランド・キャニオンの巻』待っていました。想像以上の歴史を秘める大峡谷のようですね。広大なアメリカが誇る「力強く我々の魂を鼓舞する景観」楽しませて貰い且是非行きたくなりました。実は恵子の誕生祝いのプレゼントに窮しロス、サンジエゴ、ラスベガス各2泊の安いアメリカ旅行が有り富田さんが廻った所を辿って見ようかと思ったのですが、ブラジル国内のマラニオン州の州都サンルイスの近郊にあるレンソイス マラニエンセの白い砂漠5泊6日の旅にしました。ヨーロッパとも思ったのでエスが、パリは騒然としているしロンドン、アムステルダム、イタリア旅行、スペイン旅行等の選択もあったのですが、国内の旅行でのんびりする事にしました。3月20日過ぎ出発で切符を手配する積りです。アメリカにはその内、又行く積りです。
下記に何時ものようにトラックバックを貼らせて貰いました。
http://blogs.yahoo.co.jp/yoshijiwada/47992199.html

富田: 和田さん、「力強く我々の魂を鼓舞する景観」グランド・キャニオンを気に入って下さって、ありがとう。奥さんの誕生祝に海外旅行を企画するとは、豪勢ですな。それとも何かやましいことがあるのかな?とは下司のかんぐり。
見事なコメント、Muito obrigado!

井川: 富田さん グランドキャニオンへの親子孫三代旅行すてきですね?
20億年分の地層を一望できる場所なんて、地球広しといえどもめったに無いでしょうね? いつか行きたい! と思います。

富田: 井川さん、グランド・キャニオンは水成の岸層なので、水平線が真っ直ぐに伸びているのも珍しい眺めでした。ラスベガスで稼ぎ、グランド・キャニオンの「力強く魂を鼓舞する景観」を眺めて人生を振り返るのもいいものでしょうな。素晴らしいコメントをありがとうございました。

砂古: 富田さん、 グランドキャニオン、大変懐かしく読ませて頂きました。2007年にラスベーガスを起点に息子の運転する車でヒストリック66 を通り、その午後 South Rimを回り、コロラドの大峡谷を眺めおろした景観を呼び起こさせて頂き、有難うございます。 たしか10月でしたので、気候は良かったです。Quality と言う普通のホテルに泊まり、翌日は少し小規模な、でも趣きの違うブライスキャニオンを廻って、その夕方、起点のラスヴェーガスに戻りました。
記念に買った Historic 66 と ツバが革の Grand Canyon の野球帽を添付します。

富田: 砂古様、「グランド・キャニオンの巻」が大先輩のお目に留まり光栄の至りです。
ブライス・キャニオン国立公園は知りませんでしたが、今インターネットで見たところです。岩の柱が林立している様子が綺麗ですね。
さて、砂古様の「思いつくままに」を読ませていただいています。登場した田村議員が我々の母校に講演に見えたとき、田村議員と大浜総長の挨拶を通訳したことを思いだしました。50年以上前のことです。後宮さんにも三年間、ブラジルから東京の慶応に期末試験を受けに通った話を聞きました。「思いつくままに」を楽しみにしている者の一人です。なお、今回私も「Route 66」の野球帽を買い求めましたので、写真を添付します。今後もよろしくお願いいたします。San Antonio, TX.にて

和田: 富田さん アメリカでは記念の野球帽が観光地で売れているようですね。ブラジルのサッカーのユニホーム見たいな感じですかね。砂古さんが記念に買われた野球帽と富田さんが買われた新しい記念の野球帽が集まりましたので下記BLOGに掲載して置きました。
「グランド・キャニオン」と記念の野球帽
http://blogs.yahoo.co.jp/yoshijiwada2/35535298.html



アメリカ便り「化石の森と白い砂漠」 富田さんからのお便りです。
和田さん&私たちの50年の皆さん、我々のアメリカ合衆国「半」横断の旅は、いよいよ最終回(4)を迎えました。今回は「化石の森と白い砂漠」編をお届けします。
アメリカ五州を巡る、5229`の旅は快適でした。完備した高速道路、しかも無料!「化石の森と白い砂漠」は、海外からの旅行者は訪れない、云わば「穴場」です。ご用とお急ぎでない方は、どうぞ下記のブログをお訪ねのうえ、
合衆国「半」横断の旅・最終回にお付き合いいただければ幸いです。
http://blogs.yahoo.co.jp/stomita2000/26388766.html
Shinzo Tomita

 アメリカ合衆国「半」横断の旅(最終回)「化石の森と白い砂漠」  1月3日、 グランド・キャニオンのホテルを朝7時出発。ホテル前のマックドナルドで卵バーガーとコーヒーを買って、移動しながら飲み食べる。気温はー19度だったが、TOYOTA車は一発でエンジンが掛かった。グランド・キャニオン村から南下し、アリゾナ州・フラッグスタッフを経て再び40号線に乗って東に向かう。この辺りの雪が積もる高地の森林には白樺が群生していた。
 フラッグスタッフ(人口69,000)を過ぎた辺りに巨大な隕石孔(Meteor Crater)があると、いうので廻り道をして見に行った。5万年以前に地球に衝突して、隕石の5億年に亘る旅が終了したのだと言う。孔は直径1600メーター、深さ165メーターある。隕石は落下すると同時に燃え尽きている。見た目には大きく見えないが、孔にはフットボール場が20入るという。 
 しかしこの隕石孔は小さい方で、隣国のメキシコには世界で三番目の大きさの隕石孔がある。1970年代、ユカタン半島東北部のメキシコ湾岸の小村、チクスシュルブ(Chicxulub)で発見された隕石孔は直径180`あり、6400万年前の白亜紀に地球に衝突したと推定される。孔の半分は海中に沈んでいるが、残り半分の土地も石灰質で耕作不可能である。チクスチュルブが重要な意味を持つのは、この隕石の地球への衝撃があまりにも過酷だったため、当時生息していた、すべての恐竜類が死滅したことである。
 良いこともある。この隕石の衝撃で、石灰質のユカタン半島の地下水系に影響を与え、多くの地底湖(Cenoteと呼ばれる)が出現し、重要な観光資源となっている。
さて、隕石孔の130キロ東方に化石の森(Petrified Forest)国立公園がある。ペインテッド砂漠地帯にある、化石の森は2億年前は熱帯気候で多数の川が流れる森と草原だった。多数の河川の岸辺には羊歯、ソテツ、針葉樹が茂り、小型の恐竜、ワニに似た爬虫類、両生動物等が生息していた。動植物は洪水のときできた氾濫原の底に沈み、長い長い年月の間にドロ、火山灰等がこれらを覆い、地中深くに埋め込んだのだ。
 これらの沈殿物が地中への酸素の侵入を遮断したため、倒木、恐竜等の腐敗を遅らせ、化石化が進行した。その結果出来たのが、色彩豊かな珪化木(Petrifiedwood-化石)である。もちろん、恐竜、爬虫類の化石も数多く出土している。
 そして博物館で見た、化石の森の化石が宝石のように美しいのに驚いたが、この国立公園の訪問者は年間60万人で近くのグランド・キャニオンの約10%に過ぎないことにも驚いた。
 さて化石の森を後にして40号線はニュー・メキシコ州に入る。走ること240`、コレオで40号線を降り、サブウエイのサンドイッチを食べる。陽のあるうちに「白い砂漠」に着かなければならない我々は休む間も惜しんで、州際25号線に入って南下し、ソコーロで今度は380号線に乗って東を目指す。
 続いてカリゾーゾから64号線に乗って、右手にミサイル射撃訓練所を見ながら南下する。こう書くとややこしいが、GPSの指示とおりに走るのだから便利である。アリゾナ州内の高速は完全に除雪されていたが、ニューメキシコは除雪がいい加減で道路の雪が凍っていたが、この辺まで南下すると雪は消えていた。
ところで、原子爆弾を開発、製造するためのマンハッタン計画を遂行するために設立された、ロス・アラモス国立研究所もこの近辺にある。そして1945年7月15日、64号線沿道のアラモゴルド空軍基地近辺に於いて、米軍は最初の原子爆弾のテストを行っている。今もだがこの辺りはそのくらいの過疎地なのである。 
 辺りが薄暗くなったころ、やっと「白い砂漠-WhiteSands」ナショナル・モニュメントの看板が見えた。ナショナル・モニュメントとは米国内務省・国立公園局が管理する保護地域であり、国立公園との違いは、大統領が「遺跡保存法」に基づき、議会の承認なしに指定できることである。日本語訳は国定記念物だろう。
 さて、白い砂漠に近づくと平原が白く見える。また雪かと思ったら、これが白い砂漠だった。近くで見る白い砂は雪より「白い」のには驚いた。実は日陰にはまだ雪が残っていたのだ。
 今回の旅で幾つかの砂漠、半砂漠地帯を見てきたが、こんなに白い砂漠は珍しく、アリゾナとカリフォルニア州境では黄金色の砂漠にまでお目にかかっている。
白い砂漠の砂は透明石膏(gypsum)の結晶の集合体である。風化と侵食が透明な結晶を砂状に砕き、結晶同士が擦れ合って傷が出来、その結果不透明、即ち白くなったのである。そして国境の南のチアウワ砂漠からの強風が美しい砂丘を作り出した。白い砂は石英成分を含んでいないため、夏季でもここの砂は熱くならないのが特徴である。
 折からの夕日を受けた「白い砂漠」は夢のような景色を我々に見せてくれた。今回の旅の二日目、ニューメキシコ州とカリフォルニア州と隣国メキシコの境界付近で見た、黄金色の砂漠では、若者たちがブギやオートバイで砂漠の砂丘を走り廻っていたが、ここは国定公園だけあって、子供たちが乗っていたのは、スノーボードだけだった。
  6時閉園したので、博物館は入館出来なかった。我々は旅の最後の宿泊地となる、テキサス州最西端のエル・パソに向け出発した。この日、我々はアリゾナ、ニューメキシコ両州700`を走破したことになる。
ホテルに落ち着く前に、我々はBlock,Table and Tapsというメキシコ・レストランに入り、フィッシュ・タコスを始めて食べてみた。魚のタコスはメキシコ北部のエンセナーダの名物だが、油で揚げた魚がカッリッとしていて実に美味かった。
 こうしてTomita三代のアメリカ合衆国「半」横断の旅は、明日のエル・パソからサン・アントニオまでのテキサス領内550`を残すだけになった。
さて、ドライバーの息子ポンチョと孫のシャミイと私は、テキーラ・ドン・フリオで乾杯して、長旅の無事成功を祝ったのだった。ドライバーのポンチョ、5000`余の運転、ご苦労さんでした。
(終わり)

(コメント集)
和田: 富田さん 『化石の森と白い砂漠』アメリカ合衆国「半」横断の旅、最終回楽しませて頂きました。
もっと続いて呉れればと思うのですが又の機会に私たちの知らないアメリカ大陸を紹介して下さい。
週末には3)、4)を纏めて後編として寄稿集にも掲載させて頂きます。有難う御座います。何時ものように下記BLOGにトラックバックを貼り付けています。
http://blogs.yahoo.co.jp/yoshijiwada2/35563134.html

富田: 和田さん、いつも「アメ便り」をご愛読くださり、ありがとう。
今回アメリカのどさ廻りをして感じたことの一つは、「日本の食文化の豊かさ」でした。
アメリカはどこに行っても、全国展開している、ファースト・フッドの店ばかりです。
これが日本なら各地の名物料理があるのになあ、と息子、孫と語り合ったことでした。
それにしても、アメリカ西部の旅はカウボーイになった気分に浸ることができて、大満足でした。

齊藤: 富田さん、なつかしい化石の森ありがとう、ブラジルからのゴルフ仲間と19ヶ月に行きました、日本は3−4月ですか?

石田: 富田様、アメリカ横断紀行「化石の森と白い砂漠」、楽しく読ませて頂きました。ありがとうございます。
知識の深さ、文章表現力、素敵な家族、感心します。見習います。
追伸:4月5〜27日、訪日します。会えますか?

富田: 石田さん、「化石の森と白い砂漠」を読んで下さって有り難う。お褒めに与り、喜んでいます。
四月に訪日とのこと、山本幹事に一席設けてもらいましょう。楽しみにしています。

井川: 富田さん 素晴らしい旅のレポート、楽しく拝読しました。地平線を眺め続ける豪快なドライブ!アメリカの広大さと多様さを十分に味わえました。
昔(1988ごろ)ダスティン・ホフマンとトム・クルーズが競演した『レインマン』という映画がありましたね? シンシナティからロスまで、ルート66を走り、ラス・ベガスのバクチで大もうけする話でしたが、あの映画のころのハイウエイやベガスの建物などは、今から見ればダサイ感じでした。逆に言えば、アメリカはどんどん進化・変貌を続けているのですね?
また楽しいお話期待しています。

富田:: 井川さん、Rain Manは知りませんでした。オスカーを4つ獲った映画なんですね。
今度見てみます。ルート66はUSAのMain streetと言われるくらい、人気があるのは、この映画の所為ですね。今回我々が通った、40号線はルート66を継承していますが、ロスからアリゾナのSeligmanまでは66として残っていて、観光客に人気があるそうです。二年前、息子はこのルートをオートバイで走っています。
3月初旬、帰国します。井川さんと一献傾けるのを楽しみにしています。コメント、有難うございました。

井川: 富田さん ルート66は昔1963頃グレイハウンド・バスで走りました。
全米乗り放題99ドルだったと思います。乗客は全員胸に「CALL ME ○○」と書いたカードをつけていましたね。
私はいつもANATAとかTONOとか書いて喜んでいましたが、けっこう友達も出来て、たのしい旅でした。いまもあのバスはあるのでしょうか?いつかまた乗ってみたいですね。
3月富田さんと一杯飲れる日を愉しみにしています。

砂古: 井川さん、 「CALL ME ○○」、楽しかったでしょう。
Indiana Univ. に在学中の娘を20数年前に訪ねた時、Indianapolis〜Bloomington 間を乗りました。 短距離ですから、ローカルバスと変わり有りませんでした。
2012年までは何回も、この娘が住むオレゴンのポートランドを訪ねました。 UNION の字が入った塔のある、赤レンガつくりの鉄道STATION の傍に、グレイハウンドの車庫がありましたよ。
2時間くらいで着くシアトルに行くには、娘に運転してもらう以外に、鉄道で往復した事があります。シートは良かったですが、がら空きで 楽しくは有りませんでした。
2012年にポートランドで一晩入院騒ぎがあったので、健康体ですが86才を目の前にして、旅先での突発を案じ、実現すれば最後の訪日と訪米をためらっています。 視力、聴力、歩行力が劣っております。 飲食はまだバリバリいけます。 チェックアップも Aクラスの下相当ですが・・・・

井川:  砂古さん メール有難く拝受しました。いつもブラジルの珍しい記事を有難うございます。しかし、砂古さんが、10歳も上の大先輩だとは存じ上げませんでした。
飲食はバリバリとは凄いことですね。Aクラス下もナイスですね。健康体ですと言い切れることも、すばらしい!
それよりも、鹿児島の有隅先生もそうですけど、生きて活動しておられるだけでも大したものだとご敬服申し上げます。私は76ですけど、もうヨタヨタです。とても80歳の坂を超えられそうな気がしません。しかし、この『40年』のブログで和田氏のような『超人』や丸木氏のような『世快人』といえる方々の凄い気迫を感じ、いつも「しっかりせんかい!」と背中をどやされるように感じます。そして、今日また砂古さんからカツを入れていただき、少しは元気が出ました。有難うございました。

丸木で〜す  カナダに移住した際に、グレーハウンドバスでバンクーバーからトロントまで移動しました。それ以前のアメリカ放浪中にもニューヨークからマイアミまで、マイアミからミネアポリスまで、いつも僕の足はグレーハウンドでした。トロントからロチェスターまで通勤にもグレーハウンドでした。現在我が家の掃除に来てくれるポルトガル人の亭主がグレーハウンドの運転手です。彼がカナダに移住して来た時は、寒空に防寒着もなくござを被ってたので僕の着古した進駐軍払い下げのオーバーをあげたので付き合いが続いてます。グレーハウンドの名前は懐かしいです、僕のアメリカン グラフィッティです。



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