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アメリカン青春グラフィティ No.28 「バス停での出来事 」(続き)
HP使用のソフトは、1件1万語までとの制約がありしゅくこさんのアメリカン青春グラフィティ No.28 「バス停での出来事 」は、2度に分けました。これはその後半(続き)です。国境に近いメキシコからの当時の難民?が住む町外れのバス停で降りた若きしゅくこさんを救ってくれたのは誰でしょうか?
それはしゅくこさん自身の若さであり危機管理の意識と勇気をもっての体当たり精神でしょう。今や馬好きのおばーちゃんの青春が現在のように生き生きと語られその筆力に誰もが引っ張りこまれます。豪華な車?で招待された夜の教会での演奏会等続きを聞きたいのは私だけではないでしょう。願わくば続きを期待しましょう。写真は添付されていた花です。


5) 教会が踊っている
太陽は高く上がり、乾燥したそよ風が頬を撫でていく。ふと、私の耳は天空にひらめいたなにかの笑い声のような一片をとらえた。耳にはさまったそのかけらは不安からくる幻聴かもしれなかった。もう一度耳を澄ます。それは空気を確実に強く刻みつつ伝わってくる大勢の歌声にちがいなかった。私の脚はその方に向かって引き付けられていった。バス停から数百メートル元に戻って右に曲がったところにまるで砂糖菓子のような淡いピンク色の小さな木造一戸建が現れた。その屋根に十字架がかかっている。教会だ!
いままで耳にしたことのない種類のパワフルな生の心の叫びだった。いや、なんと表現したらいいのだろうか。まるで、一人ひとりが個々の喜びや悲しみを、だれはばかることなく直接神にぶつけ、その両者の間には目に見えない強い絆がそこに存在している。そんな確かな歌であった。手を叩く音と床を踏む足音も聞こえる。それはカトリックでもプロテスタントでもない、日本の教会にもない、ホストファミリーに連れて行ってもらった白人ばかりの教会でも聴いたことのない種類であった。
その歌声と足踏みと手拍子が圧倒的な空圧をはらみ建物を躍らせているようだ。私は石段の下まできてまさかと目を疑った。錯覚ではなくピンク色の教会はホントに丸ごと揺れていたのだ。まるで歌声の喜びを共有するかのように。
手拍子とハレルヤという歓喜の叫び声。いくつも並ぶ窓のむこうに黒人たちの歌っている陶酔したような笑顔が揺れている。彼らの声帯は野太くて艶やかだ。魂から生まれた個々の声は一つの大きなハーモニーの束になって編み出され、響き合い、かくも太く、時には高く歓喜し、悲痛にうめき、私の心を掴んで激しく揺さぶった。しばらくの間、自分が迷子の留学生であることすら忘れてわたしはポカンと見惚れていた。

6) きっとうまくいく
やがて礼拝が終わったのか、清掃した家族連れが石段の上に溢れでた。フリルのついたスカートの女の子は縮れた髪を伸ばしてリボンで結び、男の子は三つ揃えのタキシードをつけて革靴をはいていた。私に目を止める者はだれもいない。太った母親たちは談笑しつつゆるやかに隣の駐車場に流れ、一台、二台と車が離れて行った。旧式のくたびれた車が多いが、人々の声は弾んで明るい。なんともいえないぬくもりの呼気のなかに私はいた。
人々と入れ替わりに石段を上がっていった。玄関を入った赤いじゅうたんに背広にネクタイの数人の男たちが談笑していた。そのうちの一番近い青年の背に声をかけた。「すみませんが・・・」。黒光りしている顔が振り向いて「yes?(なにか?)」と一歩私の前に歩み出た。オヤッと思った。青年もオッと目を丸くした。正装していたのでわからなかったが、バスで一緒だったニーリーである。
あの時、帰宅してからまた車ででかける、と言っていたのは、この
教会のことだったのか。「ヘーイ、どうしたの?」、「実は・・・」、と私は西川さんの住所を書いた紙切れを見せながら、ほとんど涙声で事情を説明した。ニーリーはここから離れた街に住んでいて、日曜日はこの黒人だけの教会に車できているという。「日頃は車しか使わないから、きみの降りた次のバス停のことは全く知らなかった」と言った。
「大丈夫だよ。電話してみよう」彼は礼拝堂の裏手にある集会所へ私を促した。カーテンをひいた20畳ほどの集会所に生け花を飾った横長のテーブルと組み立て椅子が並んでいた。壁には黒い電話がかかっていた。映画でしかお目にかかったことがない旧式型だ。
彼はわたしのメモを手に西川さんの番号を回した。話し中の音がかすかに聞こえてくる。受話器を戻してもダイム(10cent)が戻ってこない。「なんだ、この電話潰れているよ」と両手をあげ首をすくめた。「牧師室を使わせてもらおう」。
 牧師はまだ礼拝堂で、居残り組の信者たちと談笑しているのだろう。彼の軽い足取りに続いて廊下の突き当りの牧師室に入った。壁際にスチール製の大机があり、その回転椅子に彼は腰を落とした。「ニーリー、無駄な時間をとらせてしまってすみません」と私は謝った。「大丈夫、 え〜と、シ、ク、ケ・・?」と微笑みながら、書類の束に埋もれた最新式のプッシュホンを下からかきだし、番号を押した。手違いがあったとはいえ、西川さんはもう手のとどくところにいる。ようやく本物の安堵を覚えて私の頬が自然に緩んだ。
「He〜y」その時、住所録の上に落としていた彼の眠ったような目が大きく開いた。「もしかして・・・」左手で送話口をふさぎ、「思い出した。この住所、ぼくが高校生のときアルバイトで行った高級老人ホームじゃないか。間違いない。偶然だなあ。ブラスバンドの連中とだれかの誕生パーティによばれてトロンボーンを吹きにいったところだよ」彼は指の遊びを楽しむように数秒間隔で何回目かのボタンを暗記して押し続けた。
「あ、つながった。もしもし」。彼は自分の名前と教会の場所を伝え「あなたの友人の迷子さんを保護しています。これから僕がそちらにお届けしますよ」いたずらっぽいウィンクをしながら、私に受話器を握らせた。「シュクコですが、どうやら行き違いになったようですね」。
耳のなかにおせちを囲んでいるらしい人々の笑い声が聞こえる。西川さんは「よかった、よかった」と繰り返すのが精いっぱいのようだった。行き違いを説明するには、肺活量が薄すぎて、控えめな声が途中でもつれ、うろたえ、背後の笑いの渦の中に溺れそうになった。「それでは、のちほど」私が受話器を置くなりニーリーが神妙な口調で言った。「さあ、行こう。ここから15分くらいだよ」。広い駐車場にニーリーの車が待っていた。光沢のない茶色の車体はボコボコにへこんでいる。私が助手席に腰を落とすのを確認して、彼は今にもはずれそうなドアを労わる(いたわる)ようにそっと閉めた。弾力を失ったスプリングが私の尻をどう受け止めたらいいのか戸惑っているようだった。車はエンジンがやっとかかり、ドスンと一揺れして走り出した。
「あそこで働いたぼくにはわかるんだけど。西川さんは軽いsenile dementia(認知症)だね」。祖父母と共に住んだこともなく、両親も40代であったわたしには初めて耳にする英語であった。「ちょっと話のつじつまがずれているなァ。君を待っていたけれどバス停に現れなかったと他人事みたいな口調だった。ハドソン・アベニューとハリソン・アベニューを混同したのかな。いずれにしても僕はバス停に詳しくない」
ニーリーは助手席の私をちらっとみて、「バス停の住所のスペルを確認しあっておけば、こんなトラブルはおきなかったのに」と非難するように言った。
「まったくそうね。あなたに迷惑をかけてごめんなさい。歩こうと思ったけど。助かりました」。
車は先ほど浮浪者に襲われた辺りからガス・ステイションの前を走っていく。窓外に流れる風景は、なんとすさまじく侘(わび)しい光景であろうか。ゆるやかに起伏する乾燥した裸の荒れ地がカリフォルニアの空の下に延々と続く。時折、乱立するバラックには人気がなく、まるで蠍(さそり)でも棲みついているようだった。「歩くって? この一帯を歩けるなら歩いてごらん。ぼくでもやらない。この辺は、英語の読み書きや会話すらできないメキシコからの不法移民が一部住みついているからね」彼は続けた。「カリフォルニアには300万人近い不法移民が入ってきている。英語のできない人はいっぱいいるよ」。不法移民の非識字率の高いことは州政府の悩みであり、その上、出生率が高く問題の解決に追いついていけない。それは私もニュースなどで聞き知ってはいた。私はガス・スタンドの女性の態度を思い出してまた腹が立ってきた。浮浪者に襲われて逃げ込んだ話もした。「この国で暮らす以上、片言でもあるいはジェスチャーでも、とにかく英語は勉強するべきでしょ?」と私。ついでに日本の識字率は100%で世界一であることを誇らしげに付け加えた。
「識字率が100%だって?」感心するというより、それがどれほどの役にたっている? という問いかけが彼の顔に描いてあった。「もし彼女に英語ができて、わざと嘘の場所を教えていたら、君はどうしていた? そんなこと、この国ではよくあることだよ」、「そうね。疑うこともなく、すぐに信じて、そちらにふらふらと歩いていったと思う」、「彼女に英語ができなかったからこそ、君はいま無事でいる」と彼は言った。「それに麻薬患者も増え続けている。この辺昔はもっときれいなところだったのに」。「西川さんはこんなところに住んでいるのかな? 樹や花がどこにもない。まるで砂漠みたい」。「彼の養老院は高級住宅街で緑に囲まれた地区だよ。豊かな連中は水を豊かに使えるから自然に緑が溢れている。反対に緑がないこの辺は水道代の払えない連中が棲みついたところ。だから緑色の有る無しで貧富の差は一目瞭然だ。この先をどんどん下っていくとメキシコとの国境がある。その国境からやって来た不法入国者たちがこのあたりに住み着いてる」。窓外に流れる風景を見つめながら、わたしはつくづく幸運に感謝した。
幾度か曲がっているうちに道路の両側に芝生つきの住宅が目につくようになり、庭の樹木の肉厚の葉が冬の陽ざしに白く輝いていた。

やがて車窓には緑の並木道が一面に流れ始めた。窓から顔を出すと風の中にどこか生命の匂いがする。何度目かの曲がり角で、西川さんの住む施設の広い門構えのない前庭に着いた。
彼は正面玄関から少し離れた大樹の木陰に車を停めた。「人はだれもが親切なわけじゃない。君が識字率を自慢したってそんなのどこでも役に立つわけじゃない」。その口調はずいぶんあけすけで容赦ない。黒檀色の目の中に私を小ばかにしたような色が一瞬流れた。わたしはちょっとムッとした。思いをうまく伝えられないもどかしさを感じた。「それはそうだとおもうけど。人が人を信じられないような社会は間違っている。人が人を疑ったり、職もなくさ迷ったり、銃をもたないと不安な社会はどうかと思うよ。平和ボケできる社会の方が本当は上等じゃないかしら」。
彼とはもしかすると、このまま小さな気まずさを残して、儀礼的なお礼の言葉だけで別れてしまいそうな気がした。まだ十分話し合っていないことがたくさんあるのに。もっと続きを。この話の・・・と思った。「今回君を救ったのは言葉じゃなくて、音楽の力だ」とニーリー。言葉、それは私にとって信仰に価するほど絶大な力があった。それなのにそれは人をも殺しえる恐ろしい武器でもあったのだ。
このまま別れるには耐えがたい寂しさがまた芽生えてきた。
青春とはなんと熱く、せっかちで、よくばりで、切ないものであろうか。ニーリーの目の奥に旧知の友に投げかけるような親しい色があふれていた。彼はなにかの曲をくちずさみながら、ハンドルに乗せた指で拍子を打っている。その褐色の長い指を美しいと思った。それで私の心が和らいだ。
「今晩、8時からさっきの教会でコンサートをするから、ぼくのトロンボーンを聴きにおいでよ、西川さんといっしょに」。「ええ、今日は西川さんのところで泊まることになっているから行けるかもしれない、相談してみるわ」「来られるならこの高級車で迎えにくるから連絡して。この高級車で」と電話番号を書いて渡した。物事がすんなりと運んでいく。サンフランシスコのバスターミナルで会った時から彼には信じて良いなにかを直感していた。そして信じた結果はたいていうまくいく。
「明日はステイ先に帰るんだね。それなら明日も帰りのバス停まで送っていくよ。きみは識字率の高い国からきた、頼りないお嬢様だから。そうすればsave trouble (間違いが少なくて済む)でしょ? どう?」、「save troubleか。その言葉気に入った。決まりね」と私は笑った。「それに・・ぼくたちまだ話が残っているし」と付け加えた。彼も同じことを思っていたのだ。
ニーリーがはずれそうな車のドアを開けてくれる。私の胸の中にさっきのゴスペルの旋律が流れる。聴いたこともない彼のトロンボーンの音色が重なっていく。これは若さの力なのか。楽天的な性格のせいか。私にはわからない。どちらでもよい。両親は西川さんの近況報告を心待ちにしているだろう。それも含めて、全て上手くいく幸せの予感が心の大半を占めていく。
私の足は幸せの力に煽られて芝生の向こうに待つ西川さんのいる方へほとんど走りはじめていた。




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