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JICA=日系社会ボランティア30周年=リレーエッセイでたどる絆=第2回=自分のことはさておいた日々  
JICA=日系社会ボランティア30周年=リレーエッセイで辿る絆=第2回にマナウスに住む島 準君が登場しています。島君は、日本ブラジル交流協会の10期生(32名)の一人として1990年4月―1991年3月までアマゾントラヴェルサーヴィスのマナウス支店で研修、現在は研修先だった会社を引き継ぎマナウスで活躍している。
今回の訪日で仙台の洞林寺での夕食会に河北新報社の福島支局勤務中の大友庸一君が駆けつけて呉れたが大友君も10期生でした。
島君は、日伯交流協会のサンパウロ事務局長として3年間、研修生の後輩の世話をしていた頃には、何度もお会いしていましたがJICAの日系ボランティア制度での海外開発青年(第10回)としてJICAにお世話になっていたとは知りませんでした。
日伯交流協会の派遣研修生は、1981年に始まり25年間に755名を送り出しており数多くの元研修生が若い頃の人生の選択としてブラジルを選びこの地に永住した者も多い。その内の一人島君がJICA日系ボランチィアとしての昔を語っている貴重な記録を『私たちの40年!!』ホームページにも残して置きたい。写真もニッケイ新聞の写真を使わせて貰いました。


 1995年に開発青年としてサンパウロのブラジル日本交流協会へ団体事務職で派遣され、ブラジルの広い胸に押し返されながら悪戦苦闘する日本人研修生とともに泣いたり笑ったり、様々な生きざまを見守った3年間は、ボランティアが「人のため」と意訳できるなら、まさにボランティアを体現した3年間だった。
 我の強い僕が、あそこまで「自分のことはさておいた」時期は後にも先にも無かったように思う。しかしそれはとても充実した日々だった。
 そして派遣期間が終了し、僕はブラジルに残ることにした。それまでさておいていた自分のことを考える日々が始まった。生活はそれほど豊かで無くても、新生活の日々は希望に満ちていたが、一方で自分のことばかりを考える生活は、それまでの3年間に比べると、何か味気ないものにも感じられたことを覚えている。
 そして家族が一人増え二人増えするうちに、ボランティア時代の充実した記憶は、自分と自分の家族のことばかりを考える慌ただしい現実に段々と埋没していった。
 あれから20年。僕は紆余曲折を経てブラジル地方都市の旅行代理店の経営者に治まっている。経営初心者時代は若さ故の野心が強く、その野心こそが会社を繁栄させる原動力だと思い込んでいた。
 でも、どんなに小さな会社でも、野心という栄養素だけで繁栄させることは出来なかったし、結局何をやっていても、大事なのは他人のことをどれだけ親身になって考えられるかという、既に自分が20年前にやっていた実に基本的なことなのだなあと、ジワジワと再認識させられる経営者修行の日々だった。
 一見全く無関係に見える二つの経験が、実は根っこでは繋がっている。人の根源的な価値観には、実はそれほどバリエーションは無いのかもしれない。
 ブラジル移住の足掛かりともなったあの3年間は、一方で本当にかけがえのない経験を与えてくれた。このような機会を頂いたJICAには心から感謝したい。

島準(しまじゅん)

【略歴】東京都出身。48歳。1995年から3年間を海外開発青年(第10回)としてブラジル日本交流協会(サンパウロ市)で、団体事務を経て、ブラジル永住。現在はアマゾナス州マナウス市在住で、旅行会社を経営している。

http://blogs.yahoo.co.jp/yoshijiwada/48928324.html

2016年11月2日 ニッケイ新聞WEB版より



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