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あるぜんちな丸第12次航同船者名簿からみえるもの。
681名のあるぜんちな丸第12次航同船者名簿(戦後移住者名簿=海外移住事業団作成)からなにが見えるか?出身県別では41%の279名が九州出身者で締め長崎県から実に160名が移住している。移住先国別では、ブラジル473名、ボリビア100名、アルゼンチン40名、パラグアイが68名となっている。移住形態別では、産業開発青年隊、コチア青年、花嫁移民、野球移民、単身呼び寄せ移民、海外協会連合会の計画移住地への入植者等多士済々を誇る戦後移民の一つの縮図を見る事が出来る。写真は岸壁のあるぜんちな丸で現在北海道夕張郡にお住まいの藤岡和弘さんが横浜出航前の1962年3月31日に撮られた写真をお借りしました。


あるぜんちな丸第12次航の同船者を一つとして括って、その着伯40年を迎えるのを機会に『私たちの40年!!』と言う40年後の船内新聞号外を発行する作業を続けていますが、その同船者名簿を作成するにあたり移住助監督をしておられた上園さんのご記憶では678人、大阪商船三井船舶の古い記録に拠ると682名と言う数字が記録されておりますが、今回は、外務省領事移住部政策課より提供を受けた戦後海外移住者名簿(海外移住事業団作成)の通し番号14912番から15130番までの219世帯681名を政府の正規渡航費10万2千円の支給を受けてあるぜんちな丸で渡航した同船者として使用した。1家族当りの単純平均家族は3.11人/家族となるが多くの単身移住者(花嫁移住者も含む)がいたのでこの単身移住者117名を引いた(219世帯-117世帯=102世帯、681名-117名=564名)564名の102世帯平均家族は、5,52/家族となり家長を中心とした最低働き手3名以上の家族構成を義務付ける計画移住地への入植者が多く見られた。戦後移住者の主流が満蒙開拓等で戦前海外に住んでいた引揚者が潜在移住希望者として続々と新天地を目指し再移住したケースが多いが、昭和37年(1962年)は、池田内閣の所得倍増政策が実施され高度成長期に入った東京オリンピックの2年前で我々の同船者の中に再移住の海外経験者がどれだけいたか興味のある所ですがこの数字を何処まで拾えるか今となっては困難な調査となりそうです。今で云う構造不況の最たるもので石炭エネルギーの代替プロセスが進む中、炭鉱離職者が多く海外での自営農業に切替える時期でもあり相当数の同船者の方が炭鉱離職者であったのではないかと想像します。それを裏付ける数字として長崎県、福岡県、北海道の3県の出身者で248名(36.4%)を締めている。今回のアンケート等でその数字が拾えればと期待している。
県別の移住者実数は、下記の通りであるが、41都道府県に跨り、群馬県、富山県、石川県、三重県、京都府、島根県等からの移住者が居ないだけで全国各県よりの移住者が横浜と神戸の港より渡航している。ベストテンは、長崎県160名、北海道58名、沖縄県54名、岡山県33名、宮崎県32名、香川県31名、福岡県30名、熊本県29名、山形県21名、秋田県21名となっている。地域別には九州勢がダントツで沖縄を入れなくとも279名(41%を締めている)沖縄県を入れると実に333名(49%)に達する。続いて北海道の58名(8.5%)、東北地方の70名(10,3%)、関東地方74名(10.9%)、中国地方54名(7.9%)、四国地方54名(7.9%)、関西地方19名(2.7%)、中部地方12名(1.8%)、北陸地方7名(1.1%)と続いている。
一方移住先国別では、ブラジルが473名(ベレン、サルバドール、リオ、サントス港で下船)ボリビアが100名(サントス港下船)、アルゼンチンが40名、パラグアイが68名(いずれもブエノス・アイレス港で下船)となっている。
移住形態では、建設省の海外産業開発隊の青年が33名と多く、コチア青年17名、花嫁移住11名、野球移民8名、単身呼寄せ移民等が続き、海外協会連合会の計画移住地への入植者は、トメアス第2移住地、ジュセリーノ・クビチエック移住地、フンシャル移住地、グアタパラ移住地、ジャカレー移住地等(いずれもブラジル)、サンファン移住地(ボリビア)ガルアッペ移住地(アルゼンチン)アルト・パラナ移住地=ピラポ移住地(パラグアイ)等に入植している。各移住地に現在も残っておられる方も居ますが殆どが転出されその後の消息が不明の方が多く一人でも多く(帰国された方も含め)追跡調査をして見る積りですが、昔の仲間とは会いたくないとの気持ちをお持ちの方も居るかも知れず困難が予想されますが続けて見たいと念願しております。ご協力ください。
移住先国、入植地によりほぼ自分で選択したとは言えその後の差が40年間付いて回った事を考えるとブラジル、ボリビア、アルゼンチン、パラグアイの国別の差、同じブラジル内でも北から南、その後の皆さんの辿った道は、人それぞれ違ったものであっただけに標準化した形で語れるものではないと思いますが、あるぜんちな丸第12次航で南米にやって来た私たちの40年を皆で語りあって見ようではありませんか。

平成13年12月31日
あるぜんちな丸第12次航
船内新聞40年後の特別記念号
『私たちの40年!!』編集委員会
 和田 好司



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