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J1 VISSEL神戸 松田 浩新監督頑張れ!!
ブラジル移住史の中で戦後移民の単身移民を組織的に受け入れ(送り出した)団体が幾つかあります。コチア青年、力行会、産業開発青年隊、花嫁移住等を『私達の40年!!』HPでも同船者を中心に紹介しておりますが、直接移住を目指さない日本とブラジルを繋ぐ掛け橋的人材養成を目指して既に600人近い大学生を中心に21年間に渡って送り続けている団体日伯交流協会の存在は注目されます。私も遠い昔の放浪時代にお世話になった多くの人達への間接的なお礼として順送りの気持ちで「自分より後に来る若者」へ少しでもバトンを渡せればとの願いを込めてお手伝いしておりますが、第1期生のポルトアレグレのインテルナシオナルでボール蹴りの研修をした当時筑波大学のサッカー部に所属していた松田 浩君が最近神戸ヴィッセルの監督に就任、先週は監督として始めての1勝を挙げ年末までの第2ステージを含め監督として指揮をとる事になったとの知らせを受け嬉しく思っています。彼が日伯交流協会のHPに寄稿している文をそのまま転載して置きます。改めて近況など寄稿して貰えるようにお願いして見ます。写真は、96年に松田君が廣島より神戸に移籍した直後に神戸で会った時に撮ったツーショットです。


「サッカー」&FUTEBOL1期生 松田 浩(現・ヴィッセル神戸ヘッドコーチ)
   私のブラジルでの1年間のサッカー研修はもう16年も前のこととなった。昨年36歳で現役生活を終え、今年から17番目のJリーグチーム・ヴィッセル神戸で、コーチとしてサテライトチーム(若手中心のプロ2軍)を担当している。仕事の中心は次代のチームを担う若手選手の育成である。  思い起こせば私はブラジルでのサッカー研修をジュニオールと呼ばれる17〜19歳の選手で構成されるプロ予備軍で過ごした。ブラジルでは20歳までにプロ契約ができなければ、それ以上プロを目指すことはできない。そういった厳しい環境の中で私は研修生活を送ることができ、他の選手とともに指導して頂いたのだが、それから16年経った今、立場は変わりそういう選手を指導する側に立つことになった。若手選手を指導しているとつい同じ立場にあったブラジルの仲間たちと比較してしまうのだが研修先の「S.C.インテルナシオナル」は数多くのブラジル代表選手を輩出している名門クラブで、現在ジュビロ磐田に所属するドゥンガもその一人である。私が研修していた当時、彼はすでにブラジルユース代表として「インテル・ジュニオールの顔」であった。まだ17歳だったが、すでにプロを目指す者としての自覚、誇り、そのうえ風格さえも漂わせていた。彼はインテルとプロ契約を結んだ後、欧州のトップリーグで活躍しブラジル代表としてもW杯に出場、前回の米国大会では主将としてチームの優勝に貢献するなど世界のトップスターの仲間入りを果たした。そして一昨年Jリーグでプレイするため来日した。日本流に言えば同じ釜の飯を食った仲間が、それも今や世界的なスターになってやってきた。さらに私にとって嬉しかったのは一昨年の天皇杯サッカーで再会、そして対戦できたことであった。  今、日本のサッカーは急激な勢いで進歩している。国際サッカー連盟が発表する世界ランキングでは20位台にランクインし、瞬間的ではあるがW杯の常連国・アルゼンチンより上位なのだからまさに日の出の勢いである。しかしブラジルにおけるサッカーを取り巻く環境、国民の関心、その歴史などを考えたとき、ブラジルの“FUTEBOL”は日本の「サッカー」とは比べものにならないほど成熟している。「サッカー」と“FUTEBOL”は私の認識では似ていて非なるものである。考えてみれば日本のプロサッカーはまだ4歳でしかない。つまりこのところの日本のサッカーの進歩はJリーグにおける優秀な外国人選手の活躍や指導的役割に依るところが大きく、ドゥンガは日本のサッカーを評するとき、一貫してその経験の不足、または駆け引きの稚拙さを指摘している。一方、日本のサッカーはメディアによってあまりにも興味本位で作り上げられた部分があり、選手はタレント化、アイドル化しているところがある。特に若い選手の間ではサッカーの本質的な厳しさというものが忘れられているような気がしてならない。ブラジルで見た20歳前の選手、17歳当時のドゥンガが見せたひたむきさ、がむしゃらさというものを日本の若い選手に見い出すことは非常に難しい。私が見たブラジルの若手選手は浮ついたところがなく、チームメイト同志で凌ぎを削り、様々な誘惑にも負けず、只々プロになることを夢見て突き進んでいた。20歳までにプロになれなかったらそれ以上サッカーを続けられないという危機感もさることながら、世界一のサッカー王国ブラジルの誇りをも、すでに17歳のドゥンガは身に付けていたように思える。  ブラジルでの経験は、日本に居ただけでは決して持ちえなかったはずの「判断基準」もしくは「新たな尺度」を自分の中に与えてくれた。帰国後、私が主に影響を受けたのは、所属チームの外国人監督の関係で欧州のサッカーであったが、ブラジルのサッカーが原点であったこと、何より欧州のサッカーと比較する尺度を持っていたことが、より効率良く欧州サッカーを吸収できた最大の要因だと思っている。  16年前、1期生であるが故の心細さ、緊張感を胸に、ブラジルに降り立った時のことが昨日のことのように思い出される。しかし同時に1期生であることを誇りに感じ、先駆者としての意気込みにも溢れていた。期待と不安が交錯したあの時の自分はまさに今の自分の原点のような気がする。いつの日か「サッカー」が私の心の中で“FUTEBOL”に追いつく日を夢見て、チャレンジをし続けたい!!



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