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ありがとう!ブラジルでの日々。ドトール・ピント・フェライス通り物語。(続き)
ドトールコーヒーの鳥羽社長のDOUTOR STORYの後篇です。2003年の9月に一時帰国した祭に野口みどりさんに同行頂き渋谷のドトールコーヒーの本店に出向く機会があり美味しいコーヒーと自慢のシャマンドッグを試しました。まさにブラジルのカフェジンニオが原点の美味しくて安くてこだわりのコーヒーでした。写真は、野口さんに撮って頂いた本店での一コマです。
HPのNEWS RELEASE 2001年10月15日付けのドトールコーヒーショップのロングランメニュー シャマンドッグを改定の項を紹介しておきます。写真はこだわりのコーヒーカップです。
「株式会社ドトールコーヒー(東京都渋谷区神南1-10-1/代表取締役社長 鳥羽博道)が運営するドトールコーヒーショップでは、ドリンク3サイズ展開を開始したのに続き、10月12日よりフードメニューの定番商品であるジャーマンドック(190円 税込)、レタスドック(230円 税込)、スパイシードック(230円 税込)の改定を実施します。 
 改定の内容は、
@ソーセージのボリューム増量(基準重量で12.5%増量)・価格据え置き
Aオペレーションの見直しによるソーセージやパンの食感の向上です。」


D カルチャーショック、「これだ」
やがて、会社設立からほぼ10年が過ぎようとしていた1971(昭和46)年のこと。鳥羽のもとに、ヨーロッバ各国のコーヒー業界の動向をさぐる視察ツアーの誘いが舞い込みました。
鳥羽は早朝のシャンゼリゼ通りで、出勤途中の人々がカフェのカウンターに幾重にも並んでクロワッサンを食べ、コーヒーを飲んでいる様を眺めながら、しきりにうなずいていました。鳥羽はその光景を目にしながら「これだ!」と心の中で叫んでいました。「やがて日本でも立ち飲みコーヒーの時代が必ずやってくる」。
ことにドイツでは、コーヒースタンドの店先でコーヒー豆の挽き売りまでしていることに、新たな衝撃を受けました。このヨーロッパの旅が、「ドトールコーヒー」の将来にとって大きな飛躍への原風景となるかもしれない、と鳥羽は確かな手ごたえを感じていました。

E“時代”が呼んでいる
70年代が終わると、時代は低成長期へと変わりつつありました。人々のサイフのひもはかたくなり、日々の生活はますますせわしなくなっていきます。一方、コーヒーはもはや限られた人の贅沢な嗜好品ではなく、大衆の必需品としての地位を獲得しつつありました。「確実に時代の追い風が吹いている」。そう感じとった鳥羽は、今こそヨーロッパの国々で見てきたあの立ち飲みスタイルの、コーヒーショップをつくろう!いや、人々の“安らぎと活力”のためにも、ぜひつくらなくてはいけない、と義務感にも似た思いにかられました。機が熟したのです。ヨーロッパでカルチャーショックを受けてから、約10年の歳月が流れていました。

F“新しい朝”は、原宿から始まった
「ドトールコーヒーショップ」の1号店は、1980(昭和55)年4月18日、原宿で産声をあげました。間口4m、奥行7m、わずか9坪ほどの小さな店でしたが、ついに、安く、早く、しかも味はフルサービスの店に負けない、日本で初めてのヨーロッパスタイルの喫茶店のオープンです。ずっとあたためてきた思いが、いま目の前でカタチになる。この小さな店の成否が、これからのコーヒー業の在り方を、そして「ドトールコーヒー」の行方を決定する____。
当日、鳥羽は、早朝から期待と不安の入り交じった面持ちで店の様子を見つめていました。そして次第に、来店されるお客さまの流れや表情を見ているうちに不安は薄れ、自分が目指していた店づくりが誤っていなかったことを確信していきました。それは、鳥羽自身にとってひときわ感慨深い“朝の出来事”でもありました。

Gはじめに、お客さまありき
「ドトールコーヒーショップ」を世に送り出すにあたって、鳥羽はまずコーヒーの価格を150円(当時)と決めました。原価や必要経費などから導きだすのではなく、毎日お客さまの負担にならないコーヒー1杯分の価格はいくらだろう、という考え方から設定されました。この「お客さまの立場に立った発想」は、鳥羽の、そしてドトールの基本スピリッツとして徹底的にしみわたっています。コーヒーの味はもとより、パン、ソーセージといった食材のすべてから店内に飾る絵画、花、季節ごとに微妙に明るさが調節される照明や清掃の徹底など、“お客さまに喜ばれてこそ”という頑固なまでのこだわりに貫かれています。
例えばコーヒーカップ。今では珍しくありませんが、当時では画期的だった陶器のカップを採用しました。紙コップではいかにもチープな印象を与えるとの判断からで、フルサービスの喫茶店のカップが300円前後の時代に、1個2000円もするボーンチャイナを使用するという徹底ぶりでした。

H感動を呼び起こす、うまさ
 “うまさ”には、それを計る客観的な物差しがありません。鳥羽はその物差しとして「うまさとは、人の心に感動を呼び起こすものでなければいけない」という考えを基準に置いています。まず、自分自身が感激したものを商品にする。自分が感激しないものを人が感激するわけはない、というのが鳥羽の品質へのポリシーです。けっして大げさではなく、鳥羽は感動を呼び起こす、世界一うまいコーヒーづくりにかけているのです。

Iドトールの“フィルド・オブ・ドリームス”
お客さまの支持を得て「ドトールコーヒーショップ」も順調に育っていた頃。かつてブラジルで抱いた“コーヒーの農園を持ちたい”という大きな夢を現実のものとする機会が訪れました。1995(平成7)年。コナコーヒーの産地、ハワイ島コナ地区に「マウカメドウズ・オーシャン」(約24万m2)と「マウカメドウズ・マウンテン」(約43万m2)という2つの自家農園を開設したのです(現在も拡張中)。若き日に描いた夢が、四半世紀を経て正夢に。文字通りの“夢の農園”です。

Jコナ生れ、楽園育ち
コナ空港から車で20分ほど、フアラライ山の中腹に位置する「マウカメドウズ」農園があるこのエリア一帯は、ブルーマウンテンと並び称されるほど良質な___つまり世界で最も美味しい___コナコーヒーを産出するところとして知られています。 特に、ホルアロアからホナウナウへと続くなだらかな帯状の斜面は「コナコーヒーベルト」と呼ばれ、世界中のコーヒー業に携わる人間にとって羨望の地でもあります。有機質をたっぷり含んだ土壌に加え、朝にはふりそそぐ陽光とおだやかな海風、昼過ぎに訪れる通り雨、そして午後には心地よい天然の日陰のもとでコーヒーの木々がすやすやと午睡のひとときを迎え、夜には冷たい山風に包まれる____。私たちにとっての“地上の楽園”は、コーヒーたちにとってもパラダイスだったのです。



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